第21話 真昼の怒号

「≪インフィニティ・サン≫の涼……さんですか?」


 朱里の言葉を、謙太はおうむ返しに聞き返した。


「KENのマンションの左隣の住人の方に、今朝やっとお話が聞けたんです。

 あまり家にいなかったり在宅時間が日によってバラバラだったりする方なので、今までなかなかお会いできなくて」  


 寸暇すんかを惜しむように、やや早口で朱里は続けた。

 場所は、前の日に朱里から話を聞くために立ち寄ったカフェ。

 新しい情報をつかんだので話したいという朱里の要望に応えて、この場所を謙太が提案したのだ。


「その方によれば先週の月曜の昼に、KENの部屋から男性の怒鳴り声が聞こえてきたんだそうです。

 最初はひとりが怒鳴ってもうひとりは普通に喋っているようだったけど、そのうちエスカレートして、ふたりとも大声でわめき合うようになったって。

 それであまりに騒がしかったので、様子を見ようと部屋を出た時、ちょうどKENの部屋から長い黒髪に赤のメッシュを入れた若い男性が出ていくところだったそうです」


「その男性が、≪インフィニティ・サン≫の涼さんなんですか?」


 朱里は頷き、スマホの写真フォルダを探して1枚の画像を謙太に見せた。

 胸の下まである長い黒髪に派手な赤いメッシュを入れた若い男が、KENと一緒に写っている。


「長い黒髪に赤のメッシュって聞いてきっとそうだと思ったので、左隣の方にこれを見せて確認したんです。

 そうしたら、先週の月曜の昼に、KENの部屋で怒鳴り合っていた男に間違いない……って」


「この写真だとKENさんと一緒に写ってますけど、どういう関係の方なんですか?」


「≪インフィニティ・サン≫は≪ブリリアント・ノイズ≫の先輩バンドなんです。

 同じ鳥取出身で、≪ブリリアント・ノイズ≫が上京してきたばかりの頃、一緒のライブに出られるよう取り計らってくれて、お世話になったらしいです」


 よく同じライブに出演していたから、星野さんは≪インフィニティ・サン≫をご存じなんですね、と謙太が問うと、朱里は頷いた。


「実は私をライブに誘ってくれた職場の同僚って、≪インフィニティ・サン≫のほうのファンなんです。

 今でもファンを続けているらしいので、彼女に聞けば涼の連絡先とかバイト先とか、何か分かるかもしれません」


 同僚という言葉を聞いて、謙太は朱里に会った時から気になっていたことを尋ねてみた。


「星野さん、今日はお仕事のほうは……?」

「夜勤なんです。今週の初めからずっと、夜勤のシフトに変えてもらったので」

「それってもしかして、KENさんのことを調べる為に……?」


 「昨日、会ったのも昼間だし、俺を朝から一日中尾行していたような口ぶりだった」と、謙太は思い出す。


「ライブが突然、キャンセルになったりSNSの投稿もいきなり止まったりして、KENの身に何かあったんじゃないかって心配で居ても立っても居られなくて……。

 幸いと言いますか、夜勤をやりたがる人は殆どいなくて、夜間の人手を確保するのが上司の悩みの種なので、すんなり希望が通りました」


(そこまでするなんて、すごい熱意と言うか、執念と言うか……。

 婚約者って話が本当ならKENがうらやましくなるくらいの純愛だけど、ストーカーだったら怖さ倍増だ)


「でも、ライブがキャンセルになったってだけじゃ、KENさんに何かあったとは限らないですよね?

 他のメンバーがケガしてステージに出られなくなった可能性だってありますし」


 謙太が言うと、朱里は迷うように視線を漂わせる。


「……こういう言い方をすると、他のメンバーを軽く見ているように取られてしまうかもしれませんが……。

 他の誰かが欠けただけなら、どうにかしてライブはやれたんじゃないかって、思うんです。

 例えば、同じプロダクションに所属する他のバンドから助っ人を借りるとか」


 でも、と朱里は続ける。


「ボーカルがいなかったら、さすがにライブは無理ですよね?

 つまり、どうしてもライブをやれない理由があるなら、それはKENの不在しかありえないんじゃないかと」


――あいつ、自分独りの力で≪ブリリアント・ノイズ≫を引っ張ってる気になって、オレらのことも、見下してる感じだったし。


 不意に、翔のぼやきが謙太の脳裏に蘇った。

 翔の言葉が嘘でないなら、朱里の言うとおり、KENは自分以外のメンバーが欠けても、ライブは決行したのだろう。


「……ごめんなさい。やっぱりこんな考え方って、バンドの他のメンバーを見下していることになりますね。

 確かに新里さんのおっしゃるとおり、ライブができなくなる理由は、ボーカルの不在とは限りませんし」


「あ……いえ、素人考えだと、ボーカルが一番重要って気になると、私も思います」


 謝罪の言葉をやや意外に思って、謙太は言った。


(別に俺に謝る必要はないんだけど……。

 ひょっとして、翔が不満そうだったのを思い出したせいで、俺まで不満顔になってたとか?)


 謙太が「誠意ある穏やかな笑顔」を作ると、朱里は安堵あんどしたように表情を緩めた。


「……とにかくKENのことが心配だったので、まずTAKUのアパートに行ってみたんです。

 幸い部屋にいたので、自分が≪ブリリアント・ノイズ≫のファンで、TAKUのベースがすごく好きでファンになったって、嘘をついてしまいました」


 心苦しそうな表情で、朱里は言った。


「『ギターならともかく、ベースが好きって珍しいね』ってTAKUは喜んでくれて……。

 話を聞くためとはいえ、あんな嘘をついてしまって本当に申し訳なかったと思っています」

「TAKUさんの住所は、前からご存じだったんですか?」

「はい。

 あの…………KENから教えてもらったことがありまして」


 そう言った朱里の瞳が、わずかにうつろになったように、謙太は感じた。


 見間違いだろうかと疑問に思って見つめていると、朱里は視線をそらした。


「先週末のライブが突然中止になったので、もしかしてメンバーの誰かに何かあったんじゃないかすごく心配だったので来てしまったと説明して、TAKUの家まで押しかけたことを謝ったら、『それはいいけど、なんでオレのアパート、知ってんの?』……って。

 それでつい、『先々週のライブでのベースがすごくカッコよくて、どうしても直接感動を伝えたくてライブの後、こっそり後をつけてしまって……。

 でもやっぱり勇気が出なくて部屋に入るTAKUの姿を見ただけで帰ってきてしまった』って、嘘を重ねてしまいました……」


 まるで今、目の前にTAKUがいて、罪を告白して許しを請うているかのような真剣でひたむきな表情で、朱里は言った。


「先々週のライブで披露された新しい曲では、ベースのソロバートがあったんです。

 いくつも嘘をついてしまって、TAKUには本当に悪いことをしたと思いますが、ライブでのソロがが素敵だと思ったことは嘘じゃありません」


「星野さんは、とても誠実な方なんですね」


 穏やかな笑みを浮かべて謙太が言うと、朱里は嘘をついたのに誠実だと誉められたことを恥じるように、青白い頬を微かに赤らめてうつむいた。


 それを見た謙太は、色が白いのは元々だが、今日はあまり顔色がよくないようだと気づいた。

 特に、目の下がうっすらと青い。


(あれって徹夜とかした時にできるクマってやつか?

 夜勤シフトで今、ここで俺と話してるってことは、徹夜明けで寝てないのか……)


「あの……余計なことを言うようですが、夜勤のシフトってことは寝てらっしゃらないんですよね?

 このままお話を伺い続けて大丈夫ですか?」


 聞かれた朱里は、ハッとした表情を浮かべ、バッグから小さな手鏡を取り出して自分の目元を確認した。


「酷い顔してる…………。

 一旦、家に寄った時、応急処置はしたんですけど…………」

「あ、いえ、そんなに目立たないですよ。

 すみません、余計なことを言って……」


 朱里のひどく落ち込んだ表情に、思わず謙太は言った。

 だが朱里は絶望を見せつけられたかのように、鏡をじっと見つめたままだ。


「それで……TAKUさんからは何か聞き出せましたか?」


 KENの婚約者という話が真実でないなら、どうやってTAKUのアパートを知ったんだろうと疑問に思いながら、謙太は聞いた。


(ライブの感動を伝えたくてTAKUの後をつけたっていうのは本人の言うとおり嘘だろうけど、KENに教えてもらったっていうのも嘘くさい。

 でも、今はそこは不問にしておくか。

 警察だったら些細なウソにも鋭く切り込むんだろうけど、自分に協力的な相手の嘘は黙って聞いてあげるのが探偵の仕事だ)


 朱里は伏せていた目を上げ、ゆっくりと首を左右に振った。


「『メンバーは4人ともピンピンしてるから、その点は安心してくれて大丈夫。ただ、今ちょっと新しい試みに向けて調整中なだけだから』って言われて、ライブ中止の理由もはっきりとは聞かせてもらえませんでした。

 それに、私がTAKUのアパートを突き止めた理由を疑いもせず、『ドタキャンなんかしてホント、ごめん』って、逆に謝られてしまって……」


 心苦しくなってしまってそれ以上、食い下がれなかったのだと、朱里は付け足した。


「いくつも嘘をついてしまって、TAKUには本当に申し訳ないと思っています」


 でも、と、朱里は続けた。


「実はその時、ちょっと気になることを耳にしたんです」

「≪インフィニティ・サン≫の涼……さんですか?」


 朱里の言葉を、謙太はおうむ返しに聞き返した。


「KENのマンションの左隣の住人の方に、今朝やっとお話が聞けたんです。

 あまり家にいなかったり在宅時間が日によってバラバラだったりする方なので、今までなかなかお会いできなくて」  


 寸暇すんかを惜しむように、やや早口で朱里は続けた。

 場所は、前の日に朱里から話を聞くために立ち寄ったカフェ。

 新しい情報をつかんだので話したいという朱里の要望に応えて、この場所を謙太が提案したのだ。


「その方によれば先週の月曜の昼に、KENの部屋から男性の怒鳴り声が聞こえてきたんだそうです。

 最初はひとりが怒鳴ってもうひとりは普通に喋っているようだったけど、そのうちエスカレートして、ふたりとも大声でわめき合うようになったって。

 それであまりに騒がしかったので、様子を見ようと部屋を出た時、ちょうどKENの部屋から長い黒髪に赤のメッシュを入れた若い男性が出ていくところだったそうです」


「その男性が、≪インフィニティ・サン≫の涼さんなんですか?」


 朱里は頷き、スマホの写真フォルダを探して1枚の画像を謙太に見せた。

 胸の下まである長い黒髪に派手な赤いメッシュを入れた若い男が、KENと一緒に写っている。


「長い黒髪に赤のメッシュって聞いてきっとそうだと思ったので、左隣の方にこれを見せて確認したんです。

 そうしたら、先週の月曜の昼に、KENの部屋で怒鳴り合っていた男に間違いない……って」


「この写真だとKENさんと一緒に写ってますけど、どういう関係の方なんですか?」


「≪インフィニティ・サン≫は≪ブリリアント・ノイズ≫の先輩バンドなんです。

 同じ鳥取出身で、≪ブリリアント・ノイズ≫が上京してきたばかりの頃、一緒のライブに出られるよう取り計らってくれて、お世話になったらしいです」


 よく同じライブに出演していたから、星野さんは≪インフィニティ・サン≫をご存じなんですね、と謙太が問うと、朱里は頷いた。


「実は私をライブに誘ってくれた職場の同僚って、≪インフィニティ・サン≫のほうのファンなんです。

 今でもファンを続けているらしいので、彼女に聞けば涼の連絡先とかバイト先とか、何か分かるかもしれません」


 同僚という言葉を聞いて、謙太は朱里に会った時から気になっていたことを尋ねてみた。


「星野さん、今日はお仕事のほうは……?」

「夜勤なんです。今週の初めからずっと、夜勤のシフトに変えてもらったので」

「それってもしかして、KENさんのことを調べる為に……?」


 「昨日、会ったのも昼間だし、俺を朝から一日中尾行していたような口ぶりだった」と、謙太は思い出す。


「ライブが突然、キャンセルになったりSNSの投稿もいきなり止まったりして、KENの身に何かあったんじゃないかって心配で居ても立っても居られなくて……。

 幸いと言いますか、夜勤をやりたがる人は殆どいなくて、夜間の人手を確保するのが上司の悩みの種なので、すんなり希望が通りました」


(そこまでするなんて、すごい熱意と言うか、執念と言うか……。

 婚約者って話が本当ならKENがうらやましくなるくらいの純愛だけど、ストーカーだったら怖さ倍増だ)


「でも、ライブがキャンセルになったってだけじゃ、KENさんに何かあったとは限らないですよね?

 他のメンバーがケガしてステージに出られなくなった可能性だってありますし」


 謙太が言うと、朱里は迷うように視線を漂わせる。


「……こういう言い方をすると、他のメンバーを軽く見ているように取られてしまうかもしれませんが……。

 他の誰かが欠けただけなら、どうにかしてライブはやれたんじゃないかって、思うんです。

 例えば、同じプロダクションに所属する他のバンドから助っ人を借りるとか」


 でも、と朱里は続ける。


「ボーカルがいなかったら、さすがにライブは無理ですよね?

 つまり、どうしてもライブをやれない理由があるなら、それはKENの不在しかありえないんじゃないかと」


――あいつ、自分独りの力で≪ブリリアント・ノイズ≫を引っ張ってる気になって、オレらのことも、見下してる感じだったし。


 不意に、翔のぼやきが謙太の脳裏に蘇った。

 翔の言葉が嘘でないなら、朱里の言うとおり、KENは自分以外のメンバーが欠けても、ライブは決行したのだろう。


「……ごめんなさい。やっぱりこんな考え方って、バンドの他のメンバーを見下していることになりますね。

 確かに新里さんのおっしゃるとおり、ライブができなくなる理由は、ボーカルの不在とは限りませんし」


「あ……いえ、素人考えだと、ボーカルが一番重要って気になると、私も思います」


 謝罪の言葉をやや意外に思って、謙太は言った。


(別に俺に謝る必要はないんだけど……。

 ひょっとして、翔が不満そうだったのを思い出したせいで、俺まで不満顔になってたとか?)


 謙太が「誠意ある穏やかな笑顔」を作ると、朱里は安堵あんどしたように表情を緩めた。


「……とにかくKENのことが心配だったので、まずTAKUのアパートに行ってみたんです。

 幸い部屋にいたので、自分が≪ブリリアント・ノイズ≫のファンで、TAKUのベースがすごく好きでファンになったって、嘘をついてしまいました」


 心苦しそうな表情で、朱里は言った。


「『ギターならともかく、ベースが好きって珍しいね』ってTAKUは喜んでくれて……。

 話を聞くためとはいえ、あんな嘘をついてしまって本当に申し訳なかったと思っています」

「TAKUさんの住所は、前からご存じだったんですか?」

「はい。

 あの…………KENから教えてもらったことがありまして」


 そう言った朱里の瞳が、わずかにうつろになったように、謙太は感じた。


 見間違いだろうかと疑問に思って見つめていると、朱里は視線をそらした。


「先週末のライブが突然中止になったので、もしかしてメンバーの誰かに何かあったんじゃないかすごく心配だったので来てしまったと説明して、TAKUの家まで押しかけたことを謝ったら、『それはいいけど、なんでオレのアパート、知ってんの?』……って。

 それでつい、『先々週のライブでのベースがすごくカッコよくて、どうしても直接感動を伝えたくてライブの後、こっそり後をつけてしまって……。

 でもやっぱり勇気が出なくて部屋に入るTAKUの姿を見ただけで帰ってきてしまった』って、嘘を重ねてしまいました……」


 まるで今、目の前にTAKUがいて、罪を告白して許しを請うているかのような真剣でひたむきな表情で、朱里は言った。


「先々週のライブで披露された新しい曲では、ベースのソロバートがあったんです。

 いくつも嘘をついてしまって、TAKUには本当に悪いことをしたと思いますが、ライブでのソロがが素敵だと思ったことは嘘じゃありません」


「星野さんは、とても誠実な方なんですね」


 穏やかな笑みを浮かべて謙太が言うと、朱里は嘘をついたのに誠実だと誉められたことを恥じるように、青白い頬を微かに赤らめてうつむいた。


 それを見た謙太は、色が白いのは元々だが、今日はあまり顔色がよくないようだと気づいた。

 特に、目の下がうっすらと青い。


(あれって徹夜とかした時にできるクマってやつか?

 夜勤シフトで今、ここで俺と話してるってことは、徹夜明けで寝てないのか……)


「あの……余計なことを言うようですが、夜勤のシフトってことは寝てらっしゃらないんですよね?

 このままお話を伺い続けて大丈夫ですか?」


 聞かれた朱里は、ハッとした表情を浮かべ、バッグから小さな手鏡を取り出して自分の目元を確認した。


「酷い顔してる…………。

 一旦、家に寄った時、応急処置はしたんですけど…………」

「あ、いえ、そんなに目立たないですよ。

 すみません、余計なことを言って……」


 朱里のひどく落ち込んだ表情に、思わず謙太は言った。

 だが朱里は絶望を見せつけられたかのように、鏡をじっと見つめたままだ。


「それで……TAKUさんからは何か聞き出せましたか?」


 KENの婚約者という話が真実でないなら、どうやってTAKUのアパートを知ったんだろうと疑問に思いながら、謙太は聞いた。


(ライブの感動を伝えたくてTAKUの後をつけたっていうのは本人の言うとおり嘘だろうけど、KENに教えてもらったっていうのも嘘くさい。

 でも、今はそこは不問にしておくか。

 警察だったら些細なウソにも鋭く切り込むんだろうけど、自分に協力的な相手の嘘は黙って聞いてあげるのが探偵の仕事だ)


 朱里は伏せていた目を上げ、ゆっくりと首を左右に振った。


「『メンバーは4人ともピンピンしてるから、その点は安心してくれて大丈夫。ただ、今ちょっと新しい試みに向けて調整中なだけだから』って言われて、ライブ中止の理由もはっきりとは聞かせてもらえませんでした。

 それに、私がTAKUのアパートを突き止めた理由を疑いもせず、『ドタキャンなんかしてホント、ごめん』って、逆に謝られてしまって……」


 心苦しくなってしまってそれ以上、食い下がれなかったのだと、朱里は付け足した。


「いくつも嘘をついてしまって、TAKUには本当に申し訳ないと思っています」


 でも、と、朱里は続けた。


「実はその時、ちょっと気になることを耳にしたんです」

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