第20話 ふたりの男

東京から来たふたりの男に、昭一は戸惑いの表情を隠さなかった。


「息子のことなら、電話でもう、お話したはずですが…」

「2年前に家を出て上京したきり、何の連絡もないとのことでしたね?」


 昭一の困惑をよそに、男は穏やかに聞いた。

 昭一は頷いた。


「そうです。ですから、お話できるようなことは何も――」

「奥様も、全く何も聞いてらっしゃいませんか?」


 相手の言葉を遮って、男は質問を続けた。

 口調も表情も穏やかだが、有無を言わせぬ雰囲気がある。


「ですからあの…長男の母親は10年以上前に家を出たきりで、全く音信不通なんです。今どこにいるかも分かりませんし…」

「いえ、前の奥様ではなく、今の奥様の話です」

「え? 今の…?」


 予想外の質問に、昭一はますます困惑する。


「今の女房は長男の母親じゃありませんし、父親の私にさえ連絡がないのに、義理の親になんて――」

「そうとも限りませんよ。実の親ではないから逆に話しやすいということも、場合によってはありますから」

「今の奥様からも、直接お話を伺いたいのですが」


 第1の男よりいくらか若い第2の男が、第1の男の隣で言った。

 第1の男は30前後、もうひとりは20代前半だろうと、昭一は思った。


「…女房はパートに出てますので、夕方まで戻りませんが…」

「まず、ご主人からお話を伺って、その後、パート先で奥様のお話を伺おうかと」


 話を聞くまでは引き下がらないというふたりの強い意志を改めてはっきりと感じ取り――わざわざ東京から来たという時点でそれは既に明らかだったが――昭一は渋々といった様子でふたりを家に招じ入れた。



「私は土日が仕事の営業職なので、今日は休みなんですが…」


 ふたりの男を居間に案内しながら、言い訳するように昭一は言った。


 無論、そのことをふたりの男は知っている。だから平日の昼に自宅を訪ねたのだ。


 昭一はL字型ソファの短い一方に座り、長辺の一方にふたりの男が腰を下ろすと、すぐに立ち上がろうとした。


「すみません、今お茶を――」

「いえ。どうぞお構いなく」


 相変わらず口調も表情も穏やかながら、確固たる意志を感じさせる男の姿に、昭一の当惑は募った。

 そもそも電話で済んだ話をわざわざ直接しに来たのだから、相応の理由があるはずだ。


「あの…もしかして長男は、何かやらかしたんでしょうか」

「心当たりがおありですか?」

「いえ、まさか…!」


 昭一は伏せていた目を上げ、反射的に否定した。

 そして質問した男と目が合うと、すぐにまた視線を落とした。

 男はL字型ソファの昭一に近い側に座っているので、かなり間近に目が合ってしまうのだ。


「ただ、あの…何もないなら、わざわざ東京から調べにはいらっしゃらないかと…」

「2年前から、全く連絡は取ってらっしゃらないのですか?」


 昭一の言葉を無視するように、男は聞いた。


「え…ええ、それは何度もご説明したとおりです。東京に行ったというだけで、どこに住んでいるかも知りませんし」

「ですが2年前にアパートを契約した時には、令和4年の法改正前で息子さんは18歳でしたから、保護者として署名捺印なさってますよね?」

「…郵便でアパートの契約書を送ってきたので、署名して送り返しました。部屋が決まるまでは、カプセルホテルに住んでいたようです」


 目を伏せたままの昭一を、男はまっすぐに見据える。


「賃貸借契約書をご覧になったなら、アパートの住所は分かりますよね? それに、息子さんの携帯番号くらいはご存じでしょう」

「それは…親名義の携帯だった時の番号は契約書を見れば分かると思いますが、それはもう持ってないでしょう。請求書も来てないですし」


「それって要するに、息子さんの携帯に電話したこともなければ、かかってきたこともないって話ですか?」

 幾分、憤慨したような口調で、若いほうの男が聞いた。


 もうひとりの男は、軽く手を上げて若い男に目配せする。


 それから、キャビネットの上に飾られている数枚の家族写真に目をやった。


 昭一と、昭一より10から15は年下に見える女、まだ幼い娘と息子が写っている。

 遊園地や動物園に行った時の写真らしく、いかにも平凡な幸せを享受きょうじゅしている家族にふさわしく、どの写真でも全員が満面の笑みを浮かべている。


 だが、そこに長男の姿はなかった。



「少し、前の奥様について伺ってもよろしいですか?」

「えっ…前の?」


 男の質問に、昭一は弾かれるように伏せていた目を上げた。

 その瞬間、昭一の手がピクッと震えたのを、ふたりの男は見逃さなかった。


「でもあの…前の女房は10年も前に家を出ていったきりで、全く音信不通――」

「前の奥様と息子さんが連絡を取り合っている可能性はありますか?」

「いえ、ですから…前の女房とは全くなんのやり取りもしていないので、長男と連絡を取っていたとしても、私には分からないんです」


 昭一は再び目を伏せると、俯き加減のままで視線をせわしなく泳がせた。


 東京から来た男ふたりは、軽く目を見合わせる。


「息子さんとは、前の奥様のことを話したりなさらなかったんですか?」

「息子は…長男はとは口もききません。

 あれの母親が突然、出ていってからずっとそんな調子で、取り付く島もないと言うか…」


「前の奥様と離婚なさった時、息子さんはまだ小学3年生でしたよね?

 そんな小さな子が突然、母親を失ったらショックを受けてひどく悲しむだろうとは思わなかったんですか?」

 昭一の長男に対する冷淡な発言にいきどおりを抑えきれず、若いほうの男が言った。


 それまで目を伏せていた昭一が、自分を非難した若い男に視線を向ける。

「私だってショックだったし驚いたんです。

 それまで他の男の影もなかったのに、いきなり荷物をまとめて離婚届だけ置いて、黙って出ていってしまうだなんて想像もできなかった」


「ご主人のお気持ちは分かります。

 お仕事もあるでしょうし、ご自分の気持ちを整理するので精一杯だったんでしょうね」


 昭一と自分の隣の男、双方を宥めるように穏やかな口調で男は言った。


「非難されるべき者がいるとしたら、何の話し合いもせずに離婚届を突き付けて出ていっただけでなく、幼い息子まで置き去りにした前の奥様のほうでしょうね」


 男の言葉に、若い男は不満そうな視線を隣に向けたが、すぐに昭一に視線を戻した。


 そして昭一の表情から、今の発言は昭一を庇うのが主旨ではなく、むしろ逆だったのだと気づく。


「……確かに、長男の気持ちを思いやってやれなかった私は、父親失格なんでしょう。

 それに前の女房だって…私に何か不満があったから他の男と出ていったんでしょうから、夫としても失格だった……」

「先ほど『それまで他の男の影もなかった』とおっしゃいましたが、それなのに奥様が家を出た原因が他の男性だと、どうして分かるのですか?」


「――え…?」


 昭一は相手を見、すぐにまた視線をそらした。

 手の震えを隠そうとするかのように、ぎゅっと握りしめる。


――旦那さんは奥さんが男と出ていったって言ってましたけど、とても信じられないですね。

 静子さんはそんな人じゃなかったですし。

――そうそう。むしろあのダンナのほうが怪しいくらい。無駄にいい男だし。

――仮に静子さんが離婚して家を出たにしても、健太君を置いてくなんて考えられないです。あの人、ご両親が早くに亡くなって親戚をたらい回しにされて苦労されてて…。

 だから『暖かい家庭を作るのが子供の頃からの夢なの』ってよく言ってましたし、ご主人にも尽くしてました。

――健ちゃんのことも、文字どおり目に入れても痛くないってくらいに可愛がってたわ。ちょっと風邪をひいたくらいでも徹夜で看病して。

 それがあんな事になって、健ちゃん可哀そうに……。

――今の奥さんも悪い人じゃないんですけど、どうしたって…ねえ。


 昭一を訪ねる前に近所で聞き込んだ話を、ふたりの男は脳裏で反芻はんすうしていた。


「あ…あの、長男の失踪と前の女房が家を出ていったことと、何か関係があるんですか?」

「現時点ではなんとも申せません。関連があるかないかも含めて調べるのが我々の仕事ですから」


 穏やかな口調と表情を保ったまま、男は言った。

 昭一は「そうですか」と、口の中で小さく呟く。


「……他の男と出ていったって確信があるわけじゃないんですが、前の女房が家を出た理由が、他に考えられないんです。

 それに男がいるんでもなければ、生活にだって困るでしょうし」


「息子さんは子供のころ、どんなお子さんでしたか?」


 急に話題を変えた男の顔を、昭一は唖然として見つめた。

 それから、そもそもこのふたりはその件で話を聞きに来たのだと思い起こす。


「小さい頃は普通の子でした。つまり、前の女房が家を出てしまうまでは、ってことですが」

「その後は?」

「その後は…ろくに口もきかなくなってしまったので、よく分かりません。

 高校を卒業して東京でバンドをやるって言いだした時には驚きました。それまで、バンドなんてやってるって知らなかったんで」


 若い男は、昭一の長男に対するあまりの無関心ぶりに、音を漏らさずに小さく溜め息をついた。


「では、問題行動を起こして学校や警察から連絡を受けたことは?」

「それはありませんでした」

「中高の成績はいかがでしたか?」

「さあ…。通知表は見た覚えがないので…」


「それでも、三者面談とかあるでしょう」

 こらえかねて、若い男が口を挟んだ。


 昭一は、困惑顔をいっそうゆがめる。


「……私はどうしても仕事の都合がつかなかったので、今の女房に行ってもらいました。

 あ、中3の時だけは女房も都合が悪かったんで、私が仕事を早退して行きましたが」


 昭一の言葉に、若い男はソファの上でわずかに身じろいだ。

 このままだとそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだともうひとりの男は思い、隣の男にたしなめる視線を向けたが、若い男は昭一を睨みつけたままだ。


「息子さんの部屋を見せていただけますか?」


 軽く咳払いして、男は言った。

 昭一は、再び視線をさ迷わせる。


「お見せするのは構いませんが、今は物置になってまして…」

「物置? では、息子さんが使っていた物は処分してしまったと?」

る物は上京する時に本人がすべてまとめてたようなので、残ってたのは本当にゴミやガラクタで…。

 そういう、本当に取っておいても仕方のない不用品を捨てただけです」 


 視線を落としたまま、言い訳するように昭一は言った。

 視線は、相変わらずせわしなく移ろいでいる。


「息子さんが実家を出てからまだ2年しか経ってないのに、物置にしてしまうのはちょっと早くないですか?

 今年やっと二十歳になったばかりだし、実家に帰ってくる可能性だってあるのに」


 言葉に含まれるとげを隠しきれずに、若い男は言った。

 昭一は言い訳を探すように押し黙っていたが、何も思いつかなかったのか口をつぐんだままだ。


「ここにはいつからお住まいですか?」


 不満顔で何かを言おうとした若い男を視線で止め、もうひとりの男は聞いた。


「え? あ…私の親父の建てた家なので、ずっと昔から住んでます。私はここで生まれて育ちました」


 脈絡もなく変わる男の質問に、昭一はためらいがちに答えた。

 男は、開け放たれたままのふすま越しに、覗き込むように家の裏手を見遣る。


「前の奥様が失踪された時にも、ここに住んでらっしゃったんですよね」

「えっ、ええ…はい」

「裏にも庭があるんですね」


 言って、男は穏やかな微笑を昭一に向けた。


「何にも使わないのはもったいないくらいの広さがあるようですが、ガーデニングなどはなさらないので?」

「き…北側で日当たりが悪いので、使い道がなくて……」


 昭一の顔が青ざめてゆくのを、ふたりの男は静かに見つめていた。 

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