第18話 懐かしい人
どうして昔の映画が好きかって?
やっぱりCGとか使えなくて制約が多い分、ストーリーにこだわってるからかな。
最近の映画のCG技術はすごいと思うけど、『どうせCGでしょ?』って思っちゃうから、すごさに対する感動が薄れるっていうか……。
***
目が覚めた時、なぜか懐かしい気持ちになった。
懐かしい人が出てくる夢を見たのだろうと思ったが、目が覚めた瞬間に全て忘れてしまったので、どんな夢か分からなかった。
「どうしたの。何か良いことでもあった?」
「……え?」
朝食の席で智子に聞かれ、謙太は意外に思った。
「嬉しそうな顔、してるから」
「そう? ニヤニヤしてたかな……」
思わず頬に手を当てた謙太に、智子は微笑した。
「好きな人でもできたの?」
「それはない。残念だけど」
朱里の姿が脳裏に浮かんだが、謙太は即座に否定した。
彼女は捜索対象の婚約者もしくはストーカーで、いずれにしろ恋愛対象にはならない。
それは残念……と呟きながら、智子はみそ汁を椀によそった。
「会社で誰か良い人、いないのか?」
新聞を読みながら2人の会話を聞いていた博が、新聞から目を離さずに言った。
「だって去年の新人は俺ひとりで、今年は新入社員ゼロ。先輩女性は大体30過ぎてるし……」
「別に年上でもいいだろ。今は昔と違うんだから」
「年上はイヤとかじゃなくて、たいてい既婚者だから。それに大人の女性は、俺なんか相手にしてくれないよ」
謙太のいじけた言葉を、博は聞き流した。
「お前はまだ若いから心配してないが、蒼司は来年、30だからな。そろそろ誰かいないのか」
母さん、何か聞いてないか? と聞いた博に、智子は首を横に振った。
そして、「謙太、何か聞いてる?」と謙太に問いを振る。
謙太も、首を横に振った。
「聞いてないけど……。兄ちゃんなら
「そうは言っても、婦警って男の警官の10%程度しかいないじゃないか」
「えっ、そんなに少ないの? 少ないだろうとは思ってたけど……」
博の言葉に、智子はやや驚いて聞き返す。
博は智子に頷いてから、謙太の方に視線を向けた。
「この前、謙太にインターネットで調べてもらったんだ――そうだよな?」
「警察官の男女比率はそうだけど、職場結婚とは限らないよ。むしろそんなに女性が少ないなら、ほとんどの男性警察官は同僚以外と結婚するってことになるし。
仕事が忙しくて出会いは少ないかもしれないけど、兄ちゃんだったら合コンでだって、きっと一番人気だよ」
謙太が言うと、智子と博は満足そうな笑みを交わした。
蒼司は常に両親の自慢の息子で、弟の自慢の兄だった。
スポーツ万能でクールなのに優しい兄は、謙太の憧れであり誇りだった。
今でも兄を誇らしく思う気持ちは変わっていない。誰かが警察を批判すれば、兄の悪口を言われたようで腹が立つ。
だが憧れに手が届かないと気づいた頃から、自慢には自虐が付きまとうようになった。
誰かに兄を誉められれば嬉しいのに、「それに比べて俺は」という言葉にならないモヤモヤがまとわりつくのだ。
初めのうち、それは気のせいにできるような、漠然とした何かに過ぎなかった。
だが、成長するにつれ兄と自分の差をはっきりと自覚せざるを得なくなり、淡い
「ごちそうさま」
よく味わいもせずに朝食をかき込むと、謙太は席を立った。
「今日の帰りも遅いの?」
「今日は多分、定時で帰れると思うけど」
「もし、晩御飯いらなくなるなら早めに言ってね」
自分と博の湯飲みにお茶を注ぎながら言った智子に、謙太は「分かってる」と答え、踵を返した。
***
「どうすんだよ、50万なんてとても払えねぇよ」
練習用スタジオに入り、ドアを閉めるなりTAKUは言った。
ここを選んだのは会話の内容を周囲に聞かれたくないからであり、彼らにとって馴染のある場所だからでもあった。
「……KENの分も3人で分けるから、ひとり66万ちょっとだ。
売れるようになってからライブの収入が増えたし、払えない額じゃないだろ。多分、プロダクション側もおれらがギリ払える額だって見越してる」
駿が言うと、TAKUと翔は絶望的な顔を見合わせた。
「だってオレ、新しいベース買っちまったし」
「オレも、ギターの良いやつが、欲しかったから……」
「それにしたって、せいぜい20万とかだろ?」
苛立たし気な駿の言葉に、TAKUと翔は困惑の表情を浮かべた。
「ヴィンテージで前々から欲しかった奴を楽器店で見つけて……。めったに出会えない掘り出し物だったし、こんな機会は早々あるもんじゃないって、楽器屋の人にも言われて……」
「……オレのはヴィンテージってワケじゃないけど、かなり良いヤツだったんで」
2人の言葉に、駿は髪をかき乱しながら深く溜め息をついた。
「なんでお前ら2人揃ってそんななんだよ。ちょっと売れたからって舞い上がって有り金全部はたくなんて正気か?」
「……じゃあ、お前は払えるのかよ。北原さんは、事業主である駿に支払い義務があるって――」
「はァ? おれひとりに全部、負わせる気か?」
壁を拳で叩き、怒鳴るように駿は言った。
「そうじゃなくて……。貯金があるんだったら暫く貸してくれれば、それで払えるかなって……」
駿の剣幕に恐れをなしたように、おずおずとTAKUは言った。
翔は黙って俯く。
「……引っ越し用に貯めておいた金が50万くらいあるけど、自分の分にも足りねぇ。お前らの分までは無理だ」
駿はTAKUと翔を見、まったく貯金はないのか? と聞いた。
「10万くらいならあると思うけど……。いや、今月のローンと家賃払ったら2万ちょっと…………」
「だったら、残りはサラ金でなんとかするしかねぇだろ。おれも足りない分は借りるしかない。
こんなことで親に心配かけらんねぇし……」
親に頼れないのは、3人とも同じだった。
そもそも上京してバンドをやること自体、猛反対されたのだ。
翔は両親だけでなく、年の離れた兄姉達にも反対されていた。
バンドをやりたければ趣味でやれ。どうしても仕事にしたいなら、せめて地元でやれ――3人とも、それぞれの親から異口同音に反対された。
その時は令和4年の法改正前だったので、18歳では保護者の同意なくアパートを借りることもできない。
それで彼らは、同郷の先輩がすでに上京してプロのアーティストとして活動していること、彼らが出演するライブに出してやると約束してくれていることを説明し、必死になって親を説得した。
プロと言っても音楽だけで食べていけているわけではなく、収入のほとんどをバイトに頼っている「自称プロ」であることは話さなかった。
唯一、親の反対を受けなかったのはKENだった。
彼の父親はKENが小3の時に離婚し、2年後に再婚した。
翌年に妹、更に2年後に弟が生まれると、両親の関心は全くKENには向かなくなった。
正確に言えば、KENの母親と離婚した時点で、父親は息子に対する関心を失っていた。
むしろ血のつながらない継母のほうが、義理の息子と少しでも仲良くなろうと努力していた。
だが子共が生まれると、彼女の努力と愛は全て実の子供たちに注がれるようになった。
それは継子差別といったあからさまなものではなく、初めての妊娠・出産とそれに続く育児で手いっぱいになり、自分に全く懐かない継子を気に掛ける余裕などなかったのだ。
そして下の子が幼稚園に入り、ようやくわずかばかりの心の余裕を継母が取り戻した時、KENは彼女にとって、同じ家に住んでいるだけの「赤の他人」になっていた。
「……あのさ。KENが見つかれば、違約金払わなくていいって、佐川さん言ってたよな」
暫く口を噤んでいた翔が呟いた。
「なに言ってんだよ。今見つかったらマズイだろ」
「1週間たったから、あのことはどうにかなるって、お前言ってたろ」
翔の言葉に、駿は眉を顰めた。
暫く考えた後、首を横に振る。
「そんな危険は冒せない。もっと安全な策を取る。
違約金払って事務所を辞めれば、KENの行方を探す人間は誰もいなくなるからな」
駿が言うと、TAKUと翔は眉を曇らせた。
KENの家の事情は、3人とも知っていたのだ。
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