第17話 違約金

「違約金?」


 聞き返した駿に、北原は頷いた。


「うちとの契約は3年間だから。期間内に一方的に解除するなら違約金を支払うと、契約書に書いてあるわ」


 言って、北原は契約書のコピーを示した。


 第九条(中途解約)


 一. 本契約の当事者は、相手方に対して三か月前までに書面で予告することにより、本契約を中途解約できるものとする。ただし、本契約締結日から一年が経過するまでは、本項に基づく中途解約はできないものとする。


 二.前項に基づく中途解約が行われる場合、当該中途解約を行った当事者は、相手方に対して違約金として百万円を支払うものとする。本契約締結日から一年が経過するまでに契約解除を行う場合は、違約金に加えて損害賠償料として百万円を追加で支払うものとする。


「契約解除…って、事務所を辞めるとか他所に移る場合の話じゃないんですか?」


「それも含まれるけど、KENの音信不通が続いて事実上、≪ブリリアント・ノイズ≫としての活動ができないのだから、債務不履行を理由にこちらから契約解除できるし、その場合も損害賠償金が発生する。

 そっちはまだ計算してないけど、200万より高くなる見込みよ」


「そんな……」


 駿は絶句し、俯いて唇を噛んだ。

 駿の両脇に座っている翔とTAKUは、不安そうに顔を見合わせる。


「こういう話になると、インターネットかなんかで知恵をつけて反論してくる子もいるから念のため先に言っておくけど、君たちは個人事業主としてうちと業務委託契約を締結しているから、雇用契約における賠償予定の禁止が定められた労働基準法第16条には該当しない。

 書類上、業務委託契約になっていても実態として雇用であれば裁判で労働者性が認められるケースもあるけど、うちは君たちに対してライブやレコーディングを行うかどうかについて諾否だくひの自由を認めているし、一定の労働時間で拘束したりもしていない。

 報酬も完全歩合制で、実態としても雇用とは認めがたいわ」


 それに、と俯いたままの駿の頭を見据えながら、冷静な口調で北原は続けた。


「仮に労働契約だと見なされたとしても、期間の定めのある雇用に該当するから、契約開始から1年を経過していない今の時点では君たちに契約を解除する権利はないし、一方的な過失による退所の場合は――つまり、今回のケースでは――相当な損害金を負うことになる」


 翔とTAKUは発言を求めるように駿を見たが、駿は硬く口を結んだままだった。


「…でもそれって過失があるのは勝手にいなくなったKENであって、オレらには関係ないですよね?」


 駿が黙ったままなので、縋るようにTAKUは言ったが、北原は首を横に振った。


「さっきも言ったとおり、君たちは4人で運営する≪ブリリアント・ノイズ≫としてうちと契約しているし、代表は駿になっている。

 事業主である駿には違約金の支払い義務があるわ」


 翔とTAKUは再び不安そうに顔を見合わせ、駿を見、そして視線を落とした。


 北原の口にした法律用語はよく分からなかったが、争っても勝てそうにないことだけはよく分かった。


 北原のよどみない口調と自信ありげな態度から、事務所が過去にも似たようなケースでアーティストと揉めた経験があること、裁判になったかならなかったかはともかく、事務所側の主張を通したことが見て取れたのだ。


 北原は暫く黙って3人を見遣っていたが、やがて口を開く。


「もし裁判になって、委託契約でも実態は雇用契約だと認められれば、KEN以外には賠償義務は発生しないけど、裁判になったら弁護士費用もかかるし、4人で割れば50万なんだから、裁判でゴタゴタするより大人しく払ったほうが賢明ね」


「50万なんて、そんな大金――」


「1回のレコーディングにつき、うちは100万以上、負担してたのよ?

 怪しげな芸能事務所じゃタレントからレッスン料の名目でお金を取るところも珍しくないけど、うちはボイストレーニングの費用だって会社で負担してあげてた。

 はっきり言ってあか抜けない田舎バンドに過ぎなかった君たちをここまで仕上げるのにだって、けっこうな経費がかかったのよ?

 それがやっと報われて、さあ、これからって時に…どうしてよりによって今なの?

 まさかKENがそこまで馬鹿だとは思わなかったわ…!」


 それまで冷静に淡々と話していた北原が、いきなり声を荒げてバン! と机を叩いた。

 駿たちは顔を上げることもできず、ひたすら唇を噛む。


「……要するに社長がおっしゃりたいのは、何がなんでもKENを連れ戻せってことなんだ。

 せっかくここまで来たのに≪ブリリアント・ノイズ≫解散なんて事態はうちも望んでないし、今週中にKENが戻ってくれば、この前のライブをすっぽかしたこともまあ、不問に付すっておっしゃってる。

 こっちも鬼じゃないんでね」


 北原の顔色をうかがいながら、宥めるような口調で佐川は言った。


「事務所からの連絡は一切無視してるけど、君たちからの電話とか呼びかけなら応じるんじゃないかな。

 もう探偵だけに任せとくわけにはいかないし、君たちも全力を上げてKENを探し出してくれ」


「今週予定していた記者会見は一旦、キャンセルしてもらったけど、このままだとメジャーデビュー自体がなくなってしまう。

 そしてそれはうちのプロダクションとしての信頼にも関わることなんだから、それがどれほど重大か、ちょっと考えれば分かるわよね?」


 口調は元に戻ったものの、いまだ怒り冷めやらずといった表情で北原は言った。


「…はい」

「…すいません」


 力なく翔とTAKUは謝ったが、駿は口を噤んだままだった。


 絶対にKENを連れ戻してと言い捨てて北原が席を立ったとき、やっと口を開く。


「…あの、違約金ってどんな事情があっても、必ず払わないとダメなんですか…?」


 その問いに、北原の表情が更に険しくなる。


「本人の責に帰さないやむを得ない事情があれば免除されるかもしれないけど、どこかのお金持ちの愛人になるからバンドを辞めるだなんて、やむを得ない事情にはならないわよ」


 吐き捨てるように言うと、北原は部屋を後にした。

 その後姿を最敬礼で見送った佐川は、北原の足音が遠ざかると大きく溜め息をついた。


「…ホント、頼むよ君たち。いや悪いのはKENだって言いたい気持ちは分かるけどさ。仲間でしょ?

 それに駿も駿だ。先週の火曜にKENから電話があったんなら、なんですぐ相談しなかったの」


「……とても本気だとは思えなかったからです。

 おれ達の誰よりもメジャーデビューを喜んでたのに…」


「まあ、すぐ相談されてても違約金が発生しないわけじゃないけどさ」


 佐川は上着の内ポケットから煙草のパッケージを取り出して1本くわえ、ライターで火をつける直前で思いとどまった。

 そして再び派手に溜め息をつき、いまいましそうに煙草をしまう。


「…本人の責に帰さないやむを得ない事情って、例えばどんなのがあるんですか?」


 床を見つめたまま、駿は聞いた。

 佐川は、考えるように眉をひそめる。


「重病とか大けが?

 でも余程ひどいことになってなきゃ、何か月かの休養で復帰できるんだから、事務所の合意なしに辞めていい理由にはならないだろ。

 そんな余計なこと考えてるヒマがあったら、全力でKENを探せ」


 佐川の言葉に、翔とTAKUは顔を見合わせた。


 駿は、俯いたままだった。

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