第15話 ミシェル

「またあの探偵が話を聞きに来るかもしれない。

 自分が言ったこと、他のメンバーが話したこと、ちゃんとメモしてボロが出ないように気を付けろ」


 口の中が奇妙に乾いているのを感じながら、彼は言った。


『それは分かってるけど…。ちょっとKENのこと、悪く言いすぎじゃね?』

「最初に余計なことを言い出したのは、お前だぞ。

 そこをあの探偵に突っ込まれて、言い訳してるうちに話がデカくなっちまった」


 電話の向こうで、相手は口を噤んだ。


 ややあってから、続ける。


『…それは分かってるけどさ。

 両親の離婚の話まで、あんな風に言ったのは――』


「そりゃおれだって、あれがアイツの取っておきの自虐ネタで、いつでも誰にでも言ってたワケじゃないのも、本当は両親の離婚には触れたくないのも分かってる。

 だからおれたちにメジャーデビューを同意させようとしてその話を持ち出した時は、アイツの本心からの願いなんだって思った。

 でも、かなり手ごわくて落とし難い女をオトすのにそのネタ使ってやったって、自慢げに言ってたのも事実だ」


 相手の言葉を途中で遮って、彼はそこまでまくし立てるように言った。


 罪悪感をごまかそうとした結果の饒舌じょうぜつだった。


 そしてその後には、やや長い沈黙が続く。


「……もう、1週間経ってるから、の件は多分もう大丈夫だ。あとは事務所がヤツを探すのを諦めてくれりゃ、それでどうにかなる」


 たっぷり1分は黙り込んだ後、彼は言った。


「佐川さんに言われたとおり、SNSは何事もなかったかのように投稿再開する。お前も協力しろ」

『…わかった』


 彼は電話を切ったあと、もうひとりのメンバーにも同様の念押しをする為、電話をかけた。


 最初からグループ通話にすればよかったと思ったが、なぜそうしなかったのか、自分でもよく分からなかった。


 ***


 クラブ≪ミシェル≫は高級さを感じさせるビルの地下1階に店を構えていて、他のフロアにもいくつかの飲食店が入っている。

 周囲にはレストランやナイトクラブが多く、午後7時過ぎという時間のせいか、着飾った男女の行き交う姿が目に付いた。


(さすが六本木っていうか、うちの事務所で飲み会をするような場所とは雰囲気が全然違うよな…)


 場違いな感じに居心地の悪さを覚えながら、謙太は通用口を探した。

 ビルの裏は無機質な印象の細い路地に面していて、場末の繁華街のように薄汚れていたりゴミバケツが並んでいたりはしない。


(ゴミバケツが無いってことは、従業員がここにゴミ出しには来ないってことか。

 そもそも≪ミシェル≫はクラブだから、レストラン並みの量の生ゴミが出るワケでもないだろうし…)


 それに、従業員らしき誰かが通用口から出てきても、同じビルの他の店のスタッフとどうやって見分けたらいいのかと、謙太は悩んだ。


(この辺りの店だったら、レストランでもクラブでも男は黒服だろうし、取りあえず人が出てきたら聞くしかないのか…)


 もっと細かい点まで岩崎に教えてもらっておけば良かったと謙太は後悔したが、親しくもない先輩にそこまで詳しく教わるのは、何となく気が引ける。


 そもそも、親しい先輩など一人もいない。


 昼の事務所にほとんど人がいないし、単独調査のときにはもちろん、チームで不倫調査をするときにも対象に尾行を気づかれぬよう交代で動くので、仕事に無関係な話をする機会はほとんどない。

 せめて周りに馴染もうと飲み会はなるべく参加するようにしているが、同期が一人もいないので、飲み会でも雑談を楽しむどころか、先輩に気をつかっているうちに終わってしまう。


(…俺、自分で思ってたよりずっとコミュ障なのかな。

 人付き合いが得意じゃないのは分かってたけど、学生時代まではそれなりに何とかなってたから…)


 振り返ってみると、自分から積極的に誰かと親しくなろうとしたことは殆どなかったと、謙太は思った。

 友人もガールフレンドも、向こうから声をかけてきたのが付き合いの始まりだったのだ。


(顧客対応マニュアルどおりに振る舞って、初対面の相手から話を聞きだすのは全く苦にならないけど、会話例まで載っている詳細なマニュアルがあるんだから、できて当たり前だ)


 事務所で業務や事務処理に必要な話を誰かに尋ねるとき、必要最低限の知識を得る分には問題ないが、分からないことが多くてもっと詳しく聞かなければならないとなると、なぜか質問を続けることが躊躇ためらわれてしまうのだ。


 ましてや、業務に無関係な質問など、口にする気にもなれない。


 謙太が鬱々とした思いを巡らせていると、通用口の扉が重い音を立てて開き、黒のスーツに身を包んだ男が姿を現した。

 男は胡散臭そうな顔で謙太を見、それからくわえていたタバコに火をつけた。


「あの…ちょっとお伺いしたいのですが」


 顔に営業スマイルを貼り付けて、謙太は男に話しかけた。

 男はフーッという音とともに煙をまっすぐ上に吐き出し、不審者を見る目つきで謙太を見る。


「失礼ですが、≪ミシェル≫の従業員の方でしょうか?」

「だれ、あんた」


 答える代わりに、逆に男は聞いた。

 否定しないということは、肯定と受け取っていいのだろうと思い、謙太は胸ポケットからKENの写真を取り出した。

 佐川から預かった写真の一部をスマホで撮ってプリントアウトしたものなので若干、解像度は落ちるが、人探しには十分使えるだろう。


「こちらの男性ですが、お店で見かけたことはありませんか?」


 写真を持った右手の中に小さく畳んだ一万円札を握り、それが相手にはっきり見えるように示す。

 昔見た映画で、主人公の探偵がやっていたのを真似たのだ。


「さあねぇ、あるようなないような…。最近どうももの忘れが酷くてね」


 謙太の手の中の一万円札にじっと目を向けたまま、のらくらした口調で男は言った。


「何か記憶を刺激するようなきっかけがあれば、思い出すかもしれないんだけどねぇ…」


(1万円ではきっかけとして不十分だって言いたいのか?)


 謙太は札の枚数を増やす代わりに、写真を左手に持ち替えて右手をスラックスのポケットに突っ込んだ。

 一瞬、男は唖然とした表情を浮かべたが、すぐにそれが下卑た愛想笑いに変わる。


「あー、思い出した。スーツ姿の中高年男女3人と一緒に来てたホストみたいな若い男だったから、印象に残ってるよ」


(ビンゴ!)


 内心で、謙太は叫んだ。


「それはいつのことでしたか?」

「先月だな。正確な日付までは覚えてないけど」

「その時、何か変わったことはありませんでしたか?」


 謙太の問いに、黒服は「変わったこと?」と眉をひそめる。


「例えばその…他のお客さんとの間に何か…とか」

「揉め事とかは、なかったよ。うちは客層も良いしね」


 謙太はやや迷ったが、さすがに「どこかの金持ちマダムがKENを見初みそめて、黒服かキャバ嬢にKENの素性を尋ねたりしませんでしたか」とは聞けない。


 そこで、作戦の次の段階に進むことにする。


「次にこの男性がお店に来たら、こっそり教えて頂きたいのですが」


 言って、謙太は写真の上に自分の携帯番号を書いたメモを乗せ、畳んだ一万円札をその下に添えた。

 黒服は素早くあたりを見回すと写真と万札をポケットにしまい、それからメモを見る。


「…手書きメモだけ? あんた、興信所の人とかじゃないの?

 さすがに警察じゃないよね?」

「この件は、他言無用でお願いします」


 相手の質問を無視して、謙太は言った。木下探偵事務所の名前は出すなと、佐川に念を押されているのだ。

 黒服はやや間をおいてからメモもポケットにしまうと、急に背筋を伸ばして高級店のスタッフらしい表情に変わった。


「当店は、お客様のプライバシーは何より尊重しておりますので、どうぞご安心を」

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