第14話 絶叫アポカリプス

「…実は、KENとは中学の同級生なんです。2年の時は、クラスも一緒でした」


 KENのマンションからそう遠くない喫茶店に落ち着くと、朱里は言った。


「親の仕事の都合で、私は中3の1学期から東京こっちに引っ越したので、4年以上、会ってなかったんですが、職場の同僚に誘われて行ったライブでKENを見て、すぐに同級生だった鈴木健太君だって分かりました」

「再会してすぐ、お付き合いが始まったんですか?」


 謙太の問いに、朱里は首を横に振った。


「ライブで見たKENは、とても輝いていました。

 中学の頃からカッコ良かったんですけど、昔の何倍も素敵になっていて…。すぐにファンになりました。

 なので、暫くは単なるファンのひとりだったんです」


 その時のことを思い浮かべるように、うっとりした表情で朱里は言った。


「それからは、ライブは全て行きました。

 その頃はまだ≪ブリリアント・ノイズ≫はそんなに売れてなくて、他の4つくらいのバンドと一緒のライブでした。それに、グッズの販売もメンバーが自分たちでやってたんです。

 それでいつも買っているうちに、ある日KENから『前も来てくれてたよね?』って声をかけられて…。

 その時、思い切って同じ中学だったって言ってみたんです。そしたら私のこと、思い出してくれて…」


 幸せそうな表情で、朱里は言った。


 青白い頬が、かすかに桜色に上気している。


 顔立ちも服装も何もかもひどく地味なのに、その時の朱里はなぜか柔らかな光に包まれているように見えた。


「それをきっかけに、お付き合いが始まったんですね?」


 調査しているのはKENの失踪理由と今の居場所であって、自称婚約者との馴れ初めを長々と聞く気はないと思いながら、謙太は言った。


(中学の同級生なら、本名は知ってて当然。

 本物の婚約者でないなら、メジャーデビューの情報はどっから手に入れた…?)


「付き合い始めたのは、その後、しばらく経ってからでした。そうなってからも、ライブには欠かさず行きました。

 KENの歌がすごく好きでしたし、演奏も素晴らしいと思ったからです」


 そして、と朱里は続ける。


「今からひと月くらい前に、ちょっとした事件があったんです」


「事件?」


 思わずやや身を乗り出して、謙太は聞いた。

 謙太のその反応に、朱里は戸惑ったような表情を浮かべる。


「あ…ごめんなさい。言い方が大げさでしたよね?

 でもファンに取っては事件って言ってもいいくらいの出来事だったので…」

「具体的に、何があったか教えていただけますか?」


 「誠実そうな微笑」を浮かべ、穏やかな口調で謙太は言った。


 相手の話を引き出したいときでも、根掘り葉掘り聞くようなやり方や、尋問のようになってしまうのは厳に慎まなければならない。

 相手が自然に話したくなるように仕向けるべし……。


 いつもの、顧客対応マニュアルどおりのやり方だ。


「1か月前のライブで、≪ブリリアント・ノイズ≫は新曲を3曲、披露しました。

 1回のライブで3曲も新しい曲が聴けるなんてすごいことですし、KENがライブの後、出待ちしていたファンに手を振って『もうすぐスゴイことがある。楽しみにしてて』って言ったんです」


(メジャーデビューは秘密なのに、そんなバレるようなこと、言っちゃったのかよ…)


 内心の呆れを、謙太は営業スマイルで包み隠した。

 佐川が知ったらきっと怒るだろうと思いながら、朱里の話に耳を傾ける。


「それで、スゴイことって何だろう、もしかしてメジャーデビュー? って、その場にいたファンの間で話題になって」

「星野さんも、その場にいらっしゃったんですね」


 穏やかな口調で静かに謙太が言うと、朱里は頷きかけてから困惑の表情に変わった。


 婚約者が一般のファンと一緒に出待ちしただなんて、さすがに不自然だと気づいたのだろう。


 朱里は視線を落とし、やや躊躇ためらってから口を開いた。


「…いつもは出待ちなんて、しないんです。

 でもその日、3曲も新曲を発表するなんて聞いてなかったし、歌詞がそれまでの≪ブリリアント・ノイズ≫とはずいぶん違ってたんで、ファンの方たちの反響が気になって、それで…」


(嘘くさいのは確かだけど、否定したら何も話さなくなるだろうし、ここは話を合わせておくか…)


「それで、どうなさいました?」


 謙太の穏やかな口調に勇気づけられたように、朱里は続けた。


「家に帰ってすぐ、ケンタ君に電話しました」


(えっ…俺に?) 


 いきなり下の名前を口にされ、謙太は驚いた。

 が、すぐにそれ――健太――がKENの本名だったと気づく。


(なワケなかった。鈴木健太のことだ…)


 中学の同級生で婚約者なら本名で呼んでも何ら不思議はないのだが、自分と同じ名というのはどうにも奇妙な感覚だ。


「『スゴイことって何?』って訊いたんですけど、『楽しみは後に取っておかなきゃ』ってはぐらかされて、教えてもらえませんでした。

 でもそう言った時の彼がとても嬉しそうだったので、これはきっとメジャーデビューが決まったんだろうな…って」


「ノース・エンタープライズの北原社長に伺った話では、KENさんはメジャーデビューを非常に喜んでらっしゃったようですね」


「そうなんです。それがバンドを始めた時からの夢だったって、言ってました」

 伏せていた目を上げ、はじけるような笑顔で朱里は言った。


「歌詞の傾向が変わった点について、KENさんは何かおっしゃってましたか?」


 その問いに、朱里の表情が再び曇る。


「…ライブで発表したのはちゃんとした新曲じゃなくて、あくまで試作品プロトタイプだって言ってました。

 実は…SNSではファンの方の評判はあまり良くなくて。賛否両論って言うか、割合的には否定的な意見のほうが多かったんです」


 でも、と訴えるようにまっすぐ謙太を見、朱里は続けた。


「私はとても素敵だと思いました。

 かなり抽象的なので一見、ほとんど無意味な言葉の羅列に思えるんですけど、書き取った歌詞を繰り返し読んでみて、とても深い意味が隠されてるって気づいたんです」


「歌詞を書き取ったんですか?

 その場で?」


 朱里は首を横に振った。

 そして、恥ずかしそうに俯く。


「本当はダメなんですけど…KENが『今日は新しい曲を聴いてくれ』って言った時、ついスマホで録音してしまったんです。

 CDになるまで待ちきれなくて…」


(本物の婚約者なら、そんな盗聴みたいな真似をしなくても、ちゃんとした音源をもらえるだろうに…)


「本当にKENさんの歌がお好きなんですね」

 内心の不審感とは裏腹に、穏やかな微笑とともに謙太は言った。


 再び、朱里の青白い顔が喜びに輝く。


「最初は私にもメッセージが分からなかったんです。

 でもKENの好きな映画を改めて見直していたら、映画のセリフの裏に隠された意味と、歌詞に隠されたメッセージがつながってるって気づいて。それで、彼のお気に入りの映画をいくつも見直してみました。

 例えば『絶叫アポカリプス』という曲では、70年代のアメリカ映画で、主演俳優の出世作ともなった『crying in the south』の序盤で、主人公と旧友が交わす会話の中で出てきた言葉がいくつも使われていて、そしてその時の台詞が映画の重要な伏線になっているんですけど……」


(…あれ?)


 不意に、謙太は違和感を覚えた。


 何かが妙だ。


 そして奇妙であるにもかかわらず、それは不快な感情ではなかった。

 奇妙なのに不快ではないという事実が、彼を混乱させる。


「『パラダイムシフト』では、ヨーロッパ映画の『虚空への旅』に出てきたセリフだけじゃなくて、ヒロインが身に着けていた様々なアクセサリが解釈の鍵になるんです。

 この『虚空への旅』って、ちょっと変わったタイトルなんですけど、ベルリンの壁崩壊の2年前の東ベルリンで生きる人々にスポットが当たっていて、ヒロインの恋人が西側への逃亡を図って射殺されてしまう、というショッキングなシーンから始まるんです。

 当時の東ドイツの人々にとって、西側は自由と繁栄の象徴であるはずなのに、タイトルに『虚空』という言葉が使われている背景には監督の深いメッセージが込められていて、KENも『パラダイムシフト』という曲の中で……」


 よどみなく語る朱里の姿を、謙太は半ばぼんやりと見つめていた。


 話そのものは、ほとんど聞いていなかった。


 どれも謙太が生まれる前に制作された古い映画で、タイトルを聞いたことすらない。

 新旧を問わず、映画といえばもっぱら探偵が活躍するミステリや警察ドラマを好む謙太にとって、朱里の語る古い洋画は全く嗜好の範囲外だった。


 であるにも関わらず、不思議と退屈ではなかった。


 朱里の青白い頬がうっすらと桜色に染まり、決して大きいとは言えない瞳が一重瞼の奥できらめく。


 声は高からず低すぎず、穏やかで優しい調べのように耳に心地よい。


 正体の分からない違和感を持て余しながら、謙太は顧客対応マニュアルどおりに誠実そうに振る舞い続けた。

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