第13話 朱里という女(2)

「ここの鍵を持ってるんですか?」


 問いながら、謙太は足早に朱里に歩み寄った。


「あ…さっきの探偵さん」


 悲しみに暗く沈んだ顔に無理に微笑を浮かべ、朱里は呟いた。

 それから、首を横に振る。


「まだ引っ越したばかりだったので、合鍵はもらってないんです」

「でも今、中から出てきましたよね?」

「それは…どうしても心配で様子が知りたくて…。

 ここには常駐の管理人さんはいらっしゃらないので、住人の方が出てくるのを待って、ドアが閉まる前に入ったんです」


 申しわけなさそうに朱里は言ったが、謙太も同じことをしようとしていたのだから、とがめられた義理ではない。


(本人から合鍵を渡されてたなら本当に恋人だろうけど、これはやっぱりストーカー臭いかな…)


 内心を隠して、謙太は営業スマイルを浮かべる。


「取りあえずマンションの中には入ったんですよね?

 何か手がかりでもありましたか」


 この状況では自分がKENの行方を捜していることは隠しきれないので、腹を括ってそう尋ねた。


「郵便受けは、一杯になったままでした。先週の月曜以来、部屋に戻ってないみたいです…」

「先週の月曜は、ご一緒だったんですか?」


「…え?」

 謙太の問いに、朱里は意外そうに訊き返す。


「先週の月曜にマンションにいたことを、知ってらっしゃるような口ぶりなので」


 朱里は口を噤んだ。


 視線が、宙をさまよう。


 それから、決意したように謙太の目を見た。


「隣の部屋の方にお話を聞いたんです。

 先週の月曜の夜はパーティーでもやっていたかのように騒がしかったと、怒ってらっしゃいました」

「パーティー…ですか」


 おうむ返しに、謙太は言った。


 駿の言葉どおりなら、KENはその翌日、バンドを辞めてこれからは裕福な女性の愛人として生きていくと伝えている。

 その日、パーティーをやっていたかのように騒がしかったのは、おそらく新しい人生を祝って祝杯をあげていたからなのだろう。


 そして多分翌日には荷物をまとめ、二度と戻らないつもりでマンションを出ていった。

 今頃は、マダムと一緒に南洋の水上コテージでバカンスを楽しんでいるのかもしれない。


 謙太は、改めて目の前の朱里を見た。


 秋のうららかな陽気の日なのに、寒さに耐えかねているかのように華奢な身体を抱いている姿は、悲しみに満ちた表情と相まって、ひどくはかなげに見えた。


(たとえストーカーだとしても、KENのことを心から愛して、本当に心配してるんだろうな…)


 余りに朱里が辛そうなのでうっかり同情してしまったが、隣の部屋の住人に話など聞いたら、KENの失踪が周囲に知れることになるのではという懸念が浮かんだ。


「あの、隣の部屋の方には何て言って話を聞いたんですか?

 KENの失踪をプロダクション側は極秘にしたがってまして、行方不明になっていることを匂わせたりするのはマズイと言いますか…」


 謙太の言葉に、それまで悲しみ一辺倒だった朱里の顔に、憤りの表情が浮かんだ。


「KENがどんなトラブルに巻き込まれてるか分からないのに、探すことより隠すほうが優先なんですか?」

「い…いえ、それはあくまでノース・エンタープライズの意向がそうだという話でして、私としては一刻も早くKENさんを無事、見つけ出したいとは思ってますが…」


 朱里の怒りに気圧けおされ、言い訳するように謙太は言った。

 その謙太の当惑に、朱里はすぐに表情を和らげる。


「ごめんなさい。つい…八つ当たりみたいなことを言って。

 探偵さんがノース・エンタープライズの依頼で仕事をしてらっしゃる以上、彼らの意向に沿うのは当然ですよね」


 朱里に謝罪され、謙太の心が揺らぐ。


(依頼人の意向に沿うのは当然だから俺自身はKENの失踪を隠さなきゃならないけど、自称婚約者が近所で話を聞くのを止める義務まであるんだろうか…?)


 ファンへの接触が禁じられた上、近隣住民への聞き込みもできないとなると、捜索の手立てが余りに限られてしまう。


 だが、朱里が「勝手に」近所で話を聞き、その結果失踪がバレたとしてもそれは謙太の責任ではない。

 自分で聞き込みをして失踪がバレたと非難される危険は冒したくないが、朱里が誰に何を訊くのも彼女の自由だし、その結果なにか有益な情報が得られれば、捜索は進展するだろう。


 要するに、朱里が聞き込みして情報を共有してくれれば、謙太はリスクを負わずに利益が得られるのだ。


(ゲスいかな、俺…。でも捜索に協力したい、何でも聞いてくれって言ってきたのは彼女のほうだし。

 これで手がかりが得られてKENの居場所が掴めれば、そのほうが彼女も嬉しいはず――)


 嬉しい? と、謙太は自問した。


 自分の愛する男が音楽も仲間も捨て、どこかのマダムの男妾になっていると知って、喜ぶ女がどこにいる?


 そんな残酷な現実が待っているかもしれないのに、調査に彼女を利用しようと言うのか…?


「あの…探偵さん?」 


 黙り込んでしまった謙太に、心配そうに朱里は声をかけた。


「さっきは、あの…言い過ぎました。

 メジャーデビューを控えた大事な時期なので、プロダクションが騒動を避けたいのは当然ですし、どっちにしろ探偵さんは悪くないですよね。

 それなのに私、きつい言い方をしてしまって…」


 謙太が黙り込んだのが自分のせいだと誤解して、朱里は何度も頭を下げた。

 メジャーデビューのことまで知っているなら――婚約者であれストーカーであれ――KENについて詳しいことだけは確かだ。


 既に策が尽きかけている捜索に役立ちそうな話を聞ける機会を、みすみす失うわけにはいかない。


「…立ち話もなんですから、どこかでお話を伺えませんか?

 KENさんについて、色々とお聞きしたいです」


 謙太の言葉に、朱里は嬉しそうに笑って頷いた。


 ちくりと、謙太の胸が痛む。


(まだ駿やTAKUの言ったことが真実とは限らない。

 何かを隠して口裏を合わせている可能性も、やっかみや嫉妬で悪く言ってるだけの可能性もある。

 それに金持ちマダムの愛人になるにしても、音楽まで捨てる必要があるか?

 むしろメジャーデビューして有名になれば、そのほうがはくがついてマダムにも好都合じゃないのか…?)


 愛人説は嘘であって欲しいと、謙太は思った。


 そして、ストーカーかもしれない女に同情してそんなことを考える自分を、滑稽こっけいに思った。 


***


「あの女は前も来ていたな」

「恋人ですかね」


 第2の男の言葉に、第1の男は首を横に振る。


「住人が出てくるまで暫く待って鍵を使わずにマンションに入っていたし、建物内にいた時間も短かった。

 合鍵を渡されるような仲じゃないな」

「マンション前で立ち話していた男は女の仲間ですかね。今日、初めて見ましたが」

「いや、あれは――」


 言いかけて、第1の男は言葉を切った。


 それから、口を開く。


「あの女と男は、態度によそよそしさがうかがえた。

 一定の距離を保って相対していたし、表情が硬く、リラックスした様子は見られなかった。

 1、2度、会ったことがある顔見知り以上の仲じゃないだろう」


「じゃ、ただのセールスマンか何かですかね。ふたりで一緒にどこかに行きましたが、これから株でも買わせる気かな」


「…さあな」


 呟いた後、第1の男は口元に微かな笑いを浮かべたが、それはほんの一瞬で消えた。

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