第12話 朱里という女(1)

(…えっ? …は?)


 唖然として、謙太は声をかけてきた女を見つめた。


 黒髪ストレート、化粧っけはなし。

 白いブラウスのボタンを襟元まできっちり留め、茶色のカーディガンに、ふくらはぎの半ばまで隠れる丈のグレーのスカート。


 ひと言でいえば「地味」、だ。


 それはともかく、今回の案件は極秘であり、KENの失踪はもちろん、KENに関して探偵事務所が動いていること自体、隠さなければならない。

 それは佐川からも口を酸っぱくして念を押されているし、謙太自身も細心の注意を払っていた…はずだ。


「あの…何のことをおっしゃっているのか、判りかねますが…」

「隠さなくても大丈夫です。ファンの方やマスコミ関係者には、絶対に漏らしませんから」

「ええと…多分、誰かとお間違えかと」


 困惑した表情を浮かべて謙太は言ったが、女は動じる様子もなく、まっすぐ相手を見つめたままだ。


「あなたが昨日、ノース・エンタープライズに行ったことも、そのあと翔とTAKU、今日の午前中に駿のアパートを訪ねたことも分かっています。

 そしてたった今、探偵事務所が入っているビルから出てらっしゃいましたよね」


(ストーカー…?)


 ゾッとして、改めて謙太は女を見た。


 肌は白く滑らかで、よく見ればまだ若い女だ。おそらくKEN達と同い年くらい、つまり二十歳前後だろう。

 だが若い女だからと言って、危険性がないとは言えない。


「あの…、ちょっと行くところがあるので失礼します」

「私、KENの婚約者です」


 踵を返した謙太の背後から、女の言葉が追いかける。


 相手にしないほうがいいと思いながら、「婚約者」というやや古風で強い印象の言葉の響きに引き寄せられるように、謙太は振り返った。


「SNSの投稿が止まったり、いきなりライブがキャンセルになったりして、KENの身に何かあったんじゃないかって、すごく心配しているんです。

 聞いても誰も何も教えてくれなくて、私…本当に心配で……」


 今にも泣きそうな顔になって、女は言った。


 考えてみれば、KENの身を案じている人に会うのはこれが初めてだと、謙太は思った。


(北原社長や佐川さんは、メジャーデビューがダメになってプロダクションが損することしか気にしてない感じだったし、他のメンバーに至ってはKENが女の所にいるって決めつけて、心配どころか怒ってたし…)


「いきなりこんな風に話しかけて、不審に思われるのも当然です。

 でも私本当に心配で、都内の救急病院、全部に電話して鈴木健太さんが入院していないか確かめたんです」

「えっ、全部ですか? 市部も併せたら、300以上あるんじゃ…」


 思わず聞き返した謙太に、女は頷いた。


 その両目は、確かに潤んでいる。


 婚約者だという話はにわかには信じがたいが、少なくとも一般に公表されていない本名は知っているようだ。


「あの…KENさんの婚約者だとおっしゃるなら、ノース・エンタープライズに問い合わせてもよろしいでしょうか?」

「確認してくださっても結構ですけど、プロダクションや他のメンバーには内緒なんです。

 メジャーデビューしてブレイクしたら、その時、公表しようってKENと約束してて」


(これは…ダウトだよな。よくあるストーカーの妄想パターン。

 だってこんな地味女がイケメンボーカリストの婚約者だなんて…)


「信じられないですよね? 私みたいなブスがKENの婚約者だなんて」

「えっ、いえ、ブ――そんなことは全く…」


 心の内を見透かしたような女の言葉に、謙太は慌てて否定しようとした。

 が、否定しきれなかった。


「すぐに信用していただくのが無理なのは当然です。

 でも私、誰よりもKENのことをよく知っていますから、彼が今もし行方不明になっているなら、探し出すお手伝いができます」


 今にも泣きだしそうな顔のまま、女はバッグから名刺を取り出した。


 都内の福祉関係と思われる施設の住所・名前と電話番号が印刷されており、「介護士 星野ほしの朱里あかり」とある。


「裏に私個人の携帯番号を書いておきました。そちらでお調べになった情報を教えてくれとは言いません。

 ですが私がKENに関して知っていることは、彼を探すのにきっと役に立ちます。ですから何かお聞きになりたいことがあれば、いつでも連絡してください」


 言って、女はぺこりと頭を下げた。


 そして何かを訴えるようにじっと謙太を見つめた後、きびすを返した。

 


 コンビニで昼食を買って事務所に戻った謙太は、食べながら朱里から受け取った名刺の施設をインターネットで検索した。


 名刺は素人くさい作りだが、施設自体は実在するようだ。「重症心身障がい児(者)施設」らしい。

 施設便りを見ると、施設内で利用者が過ごす日々の様子や、スタッフと共に外出した時の画像が載っている。


 端から目を通していくうち、朱里に似たスタッフの姿を見つけた。

 利用者に寄り添って、優しく微笑んでいる。


 だが、パンデミックの影響か他の理由からかマスクをしているし、画像自体も大きくないので、それが本当に朱里なのかどうかはっきりしない。


(こういう所で働いている人なら、そんなに悪い人じゃない…って思いたいところだけど、現実はそうとも言い切れないしな…)


 朱里が本人の言うとおりの施設で介護士として働いているとしても、彼女がKENの婚約者である証拠にはならない。

 公表されていないKENの本名や駿たちのアパートも知っているようだが、それも婚約者である証明にはならず、むしろストーカー疑惑が深まるばかりだ。


(言葉遣いや態度は丁寧でちゃんとした人に見えたけど、事件が起きた後に犯人を知る周囲の人間が『まさか、あの人があんなことを』とか、『きちんとあいさつしてくれる礼儀正しい子でした』とか言うのは珍しくないし…)



 とりあえず朱里から受け取った名刺を名刺入れに収めると、謙太は次に六本木のクラブ≪ミシェル≫を調べた。


 床には幾何学模様の絨毯が敷き詰められ、壁はヨーロッパの王家の紋章を思わせる柄の入った高級そうな壁紙――おそらく、素材は織物――で覆われている。

 天井からは大きなシャンデリアが重そうに下がり、きらびやかな輝きを放っている。


 だがそれでも全体の色調はほの暗く、どこか淫靡いんびな雰囲気を漂わせている。

 席と席との間隔は十分空いているものの、個室でなければ他の席の客から別の客の姿は見えるだろう。


 料金システムを見ると、入るだけで5万はかかるらしい。


(これじゃ佐川さんが言ってたとおり、KENがスポンサーなしで≪ミシェル≫に行く見込みは低そうだな。

 となれば、メジャーのスカウトに引き合わされた時以降で店に行ってれば、問題のマダムが一緒だった可能性が高い…)


 営業時間を調べると、20時から翌1時となっている。

 開店後に入る度胸はないので準備中に裏口から行くとしても、夜7時くらいまでは待つ必要があるだろう。


 まだ6時間はある。


 それまで何をすればよいのか、謙太は悩んだ。


 朱里から都内すべての救急病院を調べたと聞かされたばかりなので、同じことをする気にはなれない。

 朱里の話を根拠に都内の救急病院には入院していないと報告するわけにはいかないので、他の手段が尽きたら自分で電話する羽目になるかもしれないが、今は別のことをしようと、謙太は思った。


***


 KENのマンションがあるのは、住所からして「オシャレ」な地域だった。


(佐川さんは引っ越したのは最近だって言ってたな…。

 人気が急上昇したんで、それまでは翔やTAKUと似たり寄ったりのアパートに住んでたのが、こじゃれたマンションに引っ越した。

 つまり、それができるだけの収入があったってことか)


 KENにはそれだけの収入があったが、他の3人にはなかったことになるのだろう。


 だが、佐川から聞いた印税の配分の話はメジャーデビュー後の事なので、今の時点で収入に差が生じた理由は不明だ。


(まさかあのマンション自体、マダムから買ってもらったとか家賃を出してもらってるとかなのか?)


 マンションの家賃をどうやって払っているかは不明だが、住んでいる部屋のランクに差があるのは確かだ。


 その点だけ取っても、KENと他の3人の間に溝が生じていたように感じる。



 大通りから横道に入り、歩いて10分足らずの所にKENが住んでいたマンションがあった。


 駿の言葉を信じるなら引っ越したわけではないので、いずれ着替えやら何やらを取りに戻ってくるかもしれない。


 なのでずっと張り込んでいればKENが見つかる可能性が高いのだが、あいにくKENのマンションの周りには張り込みに使えそうな店がない。

 それに路上駐車禁止区域なので、車での張り込みもできない。


 これが複数調査員を動員した捜索なら、交代で服装を変えながら周囲をうろつく事で建物の監視が可能だが、独りで動かなければならない上に、絶対に周囲に気づかれてはならないというのが最優先事項なので、できることは限られてくる。


 それでも、できることがあるうちはやらなければならない。


 差し当たって、どうにかKENの郵便受けをチェックできないか試してみようと考え、謙太はマンションに歩み寄った。


(えっ…!?)


 何とかしてオートロックを潜り抜けてエントランス・ホールまで入れないかと様子をうかがっていた謙太が見たのは、俯いて建物の中から出てくる朱里の姿だった。

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