第11話 岩崎の助言

 謙太は一旦事務所に戻り、その日の聞き取り結果を日報と個人メモにまとめたものの、その後どうすればいいのか途方に暮れた。


(メンバーにはこれ以上、食い下がっても有益な話は聞けそうにないし、かと言って、失踪は極秘だからファンへの接触は禁じられてる。

 あとは可能性は低そうだけど、救急病院に端から電話するか…)


 改めて救急病院一覧を検索し、その数の多さに溜め息をつきたくなったとき、ドアが開いて事務所に人が入ってきた。


 振り向くと、謙太の先輩調査員の――謙太が一番の下っ端なのだから全員、先輩なのだが――岩崎だ。

 すらりとした長身で淡いグレーのパンツスーツとサーモンピンクのブラウスを着こなし、いかにも「できる女」という雰囲気だ。


 謙太の目には30前後か、いっても30代前半くらいにしか見えないのだが、40を優に超えているとしか思えない久保と同期らしい。

 実際、「久保君」「岩ちゃん」と呼び合っているが、木下探偵事務所は零細企業で毎年新入社員を採用しているわけではないので、どういう同期なのか謙太には分からない。


「あの…今ちょっとよろしいでしょうか」


 ノートPCを持って岩崎の席に歩み寄り、控えめな口調で謙太は言った。


 社員数が少なく、所長も含めて全員が営業や尾行・聞き込みに歩き回らなければならない状況なので、昼間は事務所に殆ど人がいない。


 唯一の例外は受付・電話対応・事務・経理を一手に引き受けている総務の小山こやまという女性だが、廊下から入ってすぐの受付スペースが彼女の定位置なので、奥の事務スペースに自ら入ってくることは滅多にない。

 それに、事務所の飲み会に参加したことも――少なくとも、謙太の知る限りでは――ない。


 小山が木下の別れた妻だという噂もあるが確かな根拠は何もなく、ただふたりの年齢が近いのと、小山が事務所設立当初からの古株だという事実から生まれた憶測に過ぎない。


 それはともかく、今は岩崎と事務所にふたりきりだと思いながら、謙太は言った。


「今やってる失踪人捜索案件で行き詰ってまして…。もしよろしければ、助言を頂きたいのですが」


 謙太の言葉に、岩崎は自分のPCで作成中だった報告書か何かを一旦セーブし、相手に視線を向ける。


「具体的に、どこで詰まってるの?」


 謙太は、これが極秘案件でファンへの接触も禁じられていること、メンバー間に確執があるらしいこと、彼らが嘘をついている可能性はあるものの聞いた話に矛盾はないこと、メンバーの話を信じるならKENは女性の所にいることになるが、マネージャーの佐川は「特別に親しいファン」の存在は把握していないことなどを話しながら、この2日で聞き取った話の要点や自分の仮説をまとめたPC上のメモを見せた。


「仮説その1は傷害致死? それはうちじゃなくて警察案件だね」

「まあ、そうなんですが、警察に持ち込めるほどの確証はないですし…」

「うちは警察じゃなくて探偵事務所だから。

 推理することは業務に含まれてないし、失踪人捜索案件なら、関係者の話を信じるしかない」


 でも、と岩崎は続けた。


「合理的な仮説を立てて調査の方向性を考えるのは、悪くないと思うよ」


 言って、微笑を浮かべた岩崎に、謙太は軽く頭を下げた。


「極秘案件だからビラ配りも自宅周辺の聞き込みもダメ、ファンへの接触も禁止か…。なるほど、八方ふさがりだね」

「可能性が低くても、救急病院に入院照会は続けたほうがいいでしょうか?」

「それはやったほうがいいね。

 たとえ結果が出なくても、『これだけの調査をしました』って報告書に書けるから」


(結局、今回も時間切れで終わりかな…)


 憂鬱な気持ちで、謙太は過去に担当した失踪人捜索案件を思い出した。



 自宅周辺で聞き込みし繁華街でビラ配りをしても、遠くに行ってしまったのであれば殆ど効果は望めない。

 SNSなどで呼びかけても、本人に連絡する気がなければそれまでだ。


 その時の案件では戸籍の附票が合法的に閲覧できるケースだったので、失踪者が住民票を異動していれば新しい住所を辿れたのだが、住民票は元の住所のままだった。

 法的には住民票の異動は義務で、正当な理由なく異動させなければ罰則も定められているのだが、実際には様々な理由から住民票を移さないままの人はそれなりにいる。


 結局、依頼人の資金が尽きて、調査終了となったのだ。



「ドラムの子が言ったとおり、失踪したボーカルがどこかの金持ちマダムのツバメになってるなら、お金持ちしか出入りしないような店で聞いてみるってのはアリかもね」

「高級レストランとか、高級クラブとかですか?」


 謙太の問いに、岩崎は頷いた。


「若いツバメを囲えるようなお金持ちなら、他のファンと一緒にライブハウスに行ってたとは到底思えない。

 芸能人御用達のバーか何かで知り合ったんじゃないかな」

「確かに、おっしゃるとおりですね」


 でも、調査は極秘ですよ? と謙太は続ける。


「お客みんなに写真を見せて聞いて回るんじゃなくて、バーテンとかフロア支配人とかに写真を渡して、『この人が来たらこっそり教えてください』って言って、いくらか握らせておくの。

 高級店なら顧客のプライバシーは尊重するはずだから、外部に漏れることはまずない」

「なるほど…。でも本当に店側が顧客のプライバシーを尊重したら、店に出入りしていること自体、秘密にしませんか?」

「さすがにそこまで秘匿性の高い秘密クラブみたいなケースだったら手を出せないけど、普通に営業しているところなら、店に来たかどうかくらいは教えてくれるんじゃない?

 誰と一緒だったかまでは、答えてくれない場合も多いけど」



 謙太は岩崎に礼を言って自分の席に戻り、佐川に電話をかけた。そして、駿から聞いた話を告げる。


『ちょっとちょっとちょっと、そういうの止めてよ。メジャーデビューする前からスキャンダル?』


 電話越しに、佐川の当惑が伝わってくる。


「やはり、こういうのはスキャンダルになるんですか」

『そりゃそうだよ。グルーピーの子に手を出すくらいならまだ可愛いけど、どこかのマダムの愛人だなんて、イメージ最悪だよ。

 もしそのマダムにヤバイ旦那でもいたら、最悪どころじゃ済まない』


 佐川はとても信じられないといった口調で、本当に駿がそんなことを言ったのか繰り返し、尋ねた。


「直接、駿さんに確認して頂ければと思います」


 同じことを何度も聞かれ、内心やや閉口しながら謙太は言った。

 電話の向こうで、佐川が盛大に溜め息をつく。


 謙太は岩崎から聞いたやり方をざっと説明し、KENの失踪を外部に気づかれない形で調査を進めたいので、KENが出入りしそうな高級クラブかレストランがあれば教えて欲しいと伝えた。


『…こっちで心当たりがあるのは、六本木の≪ミシェル≫くらいだな』


 数秒ほど考えてから、佐川は言った。


『うちの社長がメジャーのスカウトとKENを引き合わせる為に1度だけ連れてったことがあるけど、KENが自腹で出入りできるような店じゃない』

「そうであれば、北原社長と一緒にその店に行かれたときに、お客の誰かの目に留まった、ということになりますね」

『そんな偶然、あるかなぁ…。

 あの時は俺も一緒で、店にいたのは2時間くらいだったけど…』


 考え込むような口調で言って、佐川は口を噤んだ。


(確かに、1度行っただけの店で誰かの目に留まってそのまま愛人になるなんて、ちょっと考えにくいな。

 でも岩崎さんが言ってたとおり、金持ちマダムが普通にライブに来てたってほうがありそうにないし…)


「北原社長は、そのお店にはよく行かれるんでしょうか?」

『よくって程、頻繁じゃないけど、特別な接待では何度か利用してる』

「であれば、お店の方は北原社長をご存じなんですよね?

 つまり、お客の誰かがKENさんを見かけて気に入ったとして、お店の方に尋ねればKENさんが誰なのか、大体のことはわかりますよね」


 再び、佐川は深い溜め息をついた。


『あの時は2人か3人、女の子を付けてたから、その子たちに聞けば≪ブリリアント・ノイズ≫のKENだってバレたろうな』

「…高級店なら、顧客のプライバシーは尊重するかと思ってましたが」


 謙太の言葉に、佐川は鼻で嗤った。


『そりゃ、外部には漏らさないだろうけど、他の客は外部じゃない。

 そっちのほうが上得意だったら、何だって話すだろうな』


(そこまで分かれば、SNSでDMを送れる。その後、何度か会って愛人にしたってわけか…)



 湯水のように金を使い、高価な贈り物でKENを篭絡ろうらくする金満マダムの姿が、謙太の脳裏に浮かんだ。


 それまで足を踏み入れたことのなかった三ツ星レストランに連れていかれ、想像したこともなかったような美酒美食を味わい、高級ブランドショップで礼儀正しい店員から王侯貴族のように扱われ、自家用クルーザーで海上パーティーを楽しむ……。


 人生観が一気に変わり、それまでの生活を捨てる気になっても無理はないと、謙太は思った。

 過去の価値観や人間関係が急に取るに足らない下らないもののように思え、≪ブリリアント・ノイズ≫を捨てるだけでなく、メンバーに連絡を取る気すら起きなくなったのかもしれない。



 ≪ミシェル≫で調査することに佐川の同意を得てから、謙太は電話を切った。

 気づくと12時を過ぎていて、いつの間にか事務所には謙太ひとりになっていた。


(コンビニ弁当でも買うか、たまには外食するか…)


 思案しながらエレベータで1階まで降り、ビルの外に出る。

 いずれにしろKENが今、舌鼓を打っているかもしれない昼食とは雲泥の差だろうなと思いながら。


「あの…ちょっと、すみません」


 背後から声をかけられて謙太が振り向くと、1人の女が立っていた。


「失礼ですが、あなた≪ブリリアント・ノイズ≫のKENについて調査している探偵さんですよね?」

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