第10話 ドラマーの告白(2)

(そんな話、聞いてない。

 翔もTAKUもそんなこと、言ってなかった)


 謙太は内心狼狽したが、どうにかそれを隠して穏やかな笑みを浮かべた


「つまりKENさんは、音楽を辞めて他の方法で生計を立てる手段を見つけたと、そうおっしゃったんですね?」


 謙太の問いに、駿は再び目を逸らした。


――人の話を聞くときは、相手がこっちをまともに見るか目を逸らすかに注意しろ。

 嘘をついてるヤツってのは、大概視線を逸らす。

 ただし、それは相手が男の場合の話だ。

 女は人の目をまっすぐ見たまま、平然と嘘をつける……。


 木下所長が飲み会で酔っぱらったときにそんなくだをまいていたなと、謙太は思い出した。

 さすがにそれは性差別だしただの偏見だろうと謙太は思ったし、所長が作ったマニュアルにも載っていない。


 だが翔もTAKUも、最初は無表情でこちらを見据えていた駿も、話が核心に迫ったと思しきタイミングで目を逸らすのは、確かに気になる。


「要するにヒモですよ。

 KENは詳しい話はしなかったけど、『ババアだけど金はたっぷりくれるから問題ない。もう、一生楽勝』とかなんとかそんなことを……」


 謙太に視線を戻し、駿は言った。


「それをお聞きになったのはいつの話ですか? 直接、会ってですか? それとも電話かSMSで?」

「電話です。先週の火曜」

「翔さんやTAKUさんは、そこまで具体的におっしゃってませんでしたが。

 ただ、誰かは分からない女性のところにいるのだろう……と」


 駿は、今回は目を逸らさなかった。


「あいつらにはそこまで話してませんから。

 おれ自身、まさかこんなタイミングでKENがバックレるなんて思いもしなかったし」


 でも、と、謙太をまっすぐに見たまま駿は続ける。


「もう、今日で8日目です。

 さすがにKENを贔屓ひいきしている北原さんだって、そろそろキレるだろうし、メジャーデビューどころか音楽自体を捨てたんだとしか思えません」

「音楽を辞めるにしても、何の連絡もせずにと言うのは……。

 以前にもKENさんは、例えばバイトを無断で辞めるとか、そういうタイプの方だったんでしょうか」


 謙太の質問に、駿は視線を落とし、首を横に振った。


「前はそんな無責任なヤツじゃなかったです。

 でなきゃ、バンド組んで一緒に上京までしない。

 ワンマンでハコを埋められるようになって、急に態度が変わった。自分がソロで、おれ達はヤツのバックバンドでしかないみたいに振舞い始めた」


(翔も似たようなことを言ってたな。だったら本当のことなんだろうか。

 それとも口裏を合わせてるだけ……?)



 謙太の頭の中には、KENの失踪について3つの仮説があった。


 最初に思いついたのは、メンバー間のいさかいの結果、つい手が出てはずみでKENを死なせてしまったという「傷害致死説」だ。


 この場合、最も怪しいのは駿だろうと考えていたが、口論がエスカレートして意図せず死なせてしまったなら3人とも同じ程度に可能性があるし、事件を隠蔽しようと3人で口裏を合わせ、KENを「女にだらしない無責任なヤツ」に仕立て上げようとするのも、十分考えられる。

 遺体をどうしたのかは不明だが、3人で協力すれば山中に運んで埋めることも可能だろう。


 2つ目は、「大けがをして入院している説」だ。


 単なる交通事故とも考えられるが、KENの派手な女性関係を考えると偶々たまたま事故にあったというより、ファンの誰かの彼氏か何かの怒りを買った可能性のほうが高いだろう。

 いずれにしろ、よほどの重症でもない限り、誰にも何の連絡もしてこないというのは不自然だ。3、4日程度なら連絡できないとかしたくないということもあるだろうが、1週間以上音沙汰なしというのは、さすがにおかしい。


 仮に、もし死んでしまっていたなら病院からプロダクションに連絡が行くだろうし、身元を明らかにするような品を何も持っていなくて身元不明の遺体になったなら、警察に照会するだろう。

 一般行方不明者の場合、民事不介入で警察が捜索することはないが行方不明者としてデータベースに登録されるので、病院から問い合わせが来ればそこで身元が判明するはずだ。

 死亡していなくとも意識不明の重体で回復の見込みが低ければ同じように警察に照会するだろうから、この説は可能性が低い。


 3つ目は、メンバーの言葉をそのまま信じて「女のところにいる説」となるが、これはどうにも信憑しんぴょう性が低い。


 ファンにチヤホヤされて舞い上がっていたにしろ、こんな大切な時期にプロダクションに連絡もせず遊び呆けるなんて、いくらなんでも考えられないからだ。

 だが、翔とTAKUの話だけでは全く信じられなかった説が、駿の言葉を聞いて少しは現実的になった。

 ≪ブリリアント・ノイズ≫も音楽活動も捨てる気なら、そしてKENが駿たちの言うように人気におごって傲慢で無責任な人間に変わってしまったなら、ありえないとまでは言い切れないからだ。

 

 第1の仮説に立ち戻るなら、TAKU達は傷害致死事件を隠すためにKENの失踪が彼の身勝手さのせいだと思わせようと、敢えてKENを悪く言っている可能性がある。


 そしてそれは、単なる嫉妬や妬みよりずっと強い動機となる。



「……KENさんがメジャーデビューを強く望んでいたのは、テレビに出たいのが理由のひとつだと伺いました。

 テレビに出れば、離婚後音信不通になったお母さんに見てもらえるかもしれないから……と」


 TAKUにしたのと同じ問いを、謙太は駿にも投げかけた。

 駿は皮肉なわらいを口元に浮かべる。


「メジャーデビューすれば売れるようになるとかテレビに出られるとか、よくある誤解です。

 昔はどうか知らないけど、いまどき大手レコード会社と契約しさえすればブレイクするなんてありえない」

「それが、駿さんがメジャーデビューに反対なさっていた理由でしょうか?

 それとも、著作権印税がKENさんに集中することへの不満で?」


「金よりポリシーの問題です」

 印税の話をされたのが不満らしく、ムッとした口調で駿は言った。


「高音が苦手なKENの弱点を補えるように曲の方向性変えたのはまだ分かるけど、何のテーマもメッセージも感じられない無意味な言葉の羅列を歌詞だと言い張ったり、実質、他の3人で作った曲をKENの作曲だとごまかしたり……。

 そんなやり方を押し付けてくるプロデューサーがいる会社なんかと契約したら、とても自分たちの音楽をやれるとは思えない」


 仮面のように無表情な駿の顔に、再び人間的な感情が現れた。

 こんな不便な場所の古いアパートに住んででも、好きな時に好きなドラムを叩きたいと願う、純粋に音楽が好きな若者の表情かおだ。


「佐川さんから伺ったお話では、今回のメジャーデビューには北原社長が相当力を入れてらして、大手側の感触もかなり良いらしいですね。

 であれば、メジャーデビュー後の成功は、確実性が高かったと言えるのではないでしょうか」

「……だから翔もTAKUも、最終的には賛成に転びました。

 3対1じゃ、おれも受け入れるしかなかった」


「それなのに、せっかくのチャンスを捨てて金満女性の愛人になるなんて、不自然じゃありませんか?

 何より、人気急上昇が原因でKENさんの態度が変わったなら、なおのことファンの熱狂を浴びられる環境を捨てるとは思えないのですが」

 思い切って、核心を突く問いを謙太は投げかけた。


 駿は再び目を伏せ、口を噤む。


「……そう考えるのが普通でしょう。

 だからおれ達も、KENが何を考えているんだか、さっぱり分からない」


 ややあってから、駿はぽつりと言った。

 謙太はわずかに身を乗り出す。


「≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSを拝見しましたが、皆さんファンの方々との交流をとても大切にしてらっしゃると感じました。

 最後の書き込みは先週の月曜です。

 直前までファンを大切になさっていたKENさんが、突然人が変わったかのように全てを捨ててしまうものでしょうか?」


 再び、皮肉な嗤いが駿の口元を歪ませた。


「SNSでファンを大切に扱えっていうのは事務所の指導です。

 直前まで猫かぶってただけで、しばらく前からヒモ生活を夢見てたかもしれない」


(取り付く島もないな……。

 せっかくのチャンスを捨ててヒモに転身したなんて考えにくいけど、駿の話自体は筋が通っていて矛盾がない)


「あの……テレビに出れば、離婚後音信不通になったお母さんに見てもらえるかもしれないからとKENさんがおっしゃっていたという話に戻りますが、その話は駿さんもお聞きになりましたか?」


 気を取り直して、謙太は質問を続けた。


 第1の仮説どおりなら駿たちは嘘をついていることになる。口裏を合わせていても、詳しく話を聞くことでほころびが見つかるかもしれない。


 謙太の質問に、駿は小さく頷いた。


「その話を聞いたとき、駿さんはどう思われましたか?」

「だからさっきも言ったとおり、メジャーデビューと売れるのはイコールじゃないです。

 いくら北原さんがKENを推してても、宣伝費を出すのはレコード会社のほうだし」


 「いえその点ではなくて」と、まっすぐに駿を見つめたまま謙太は言った。


「音信不通のお母さんに見てもらいたいというKENさんの言葉自体を、どう思われました?」

「いつもの同情ネタかよって、思いました。

 KENは女の子ナンパするときに、よくそのネタ使ってたから」

「ですが、翔さんはそのKENさんの願いを聞いて、メジャーデビューに同意したような口ぶりでしたが」


 駿は戸惑ったような表情を浮かべた。


 視線が、宙を泳ぐ。


「……翔はお人好しだから」


 視線を逸らしたまま、駿は呟いた。


「つまり駿さんとしては、KENさんがお母さんに見てもらいたいとおっしゃったのは、本心ではなくただの方便だと?」


 謙太の食い下がった問いに、駿は眉をひそめた。

 それから、相手に視線を戻す。


「それを聞いたときには本心だと思いました。

 だから火曜の夜に電話でバンドなんてどうでもいいとか言ってきたときには、まさか本気でバックレるなんて思わなかった。

 それで、その時には他のメンバーにも事務所にも言わなかったんです」

「……なるほど」


(KENの行動が不自然なのは確かだけど、他のメンバーの説明に矛盾がない以上、嘘をついていると決めつけるわけにはいかないな……)


 仮に3人が口裏を合わせているなら――そしてそうであればおそらく首謀者は駿だろうが――かなり手強い相手だと、謙太は思った。

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