第8話 所長の疑惑

 3番目に話を聞く予定の駿に電話すると、用事があるので明日にしてくれと素っ気なく断られてしまった。


 仕方なく謙太は事務所に戻り、契約書を総務に提出すると自分の席に着いて日報をまとめた。


(TAKUも翔もKENの悪口ばっかり言ってたけど、あれは連絡もなしにいなくなったのを怒ってるからか、元から仲が悪いせいなのか……)


 翔の言葉によれば、人気が急上昇した頃からKENの態度が変わり、メンバーの間に亀裂が生じたらしい。


 佐川の話では、高校の時から一緒にバンドを組んで卒業後に一緒に上京してきたそうだから、最初から不仲だったわけではないのだろう。


 急にKENばかり人気が出、ファンにチヤホヤされ、女性たちにモテるようになった。他のメンバーが嫉妬しても無理はない。

 であれば、TAKUと翔のKENに対する評価は、少し割り引いて考える必要があるかもしれない。


(それにしても、メンバーの誰もKENの心配はしないのか……?

 事故にあって意識不明の状態で入院してる可能性だってあるのに)


 交通事故の他にも、女性関係でトラブルに巻き込まれた可能性もあると、謙太は考えた。

 ファンの誰かが何らかの形で反社会的組織の人間と関わりがあるとか、異常に嫉妬深い彼氏がいるといったケースだ。


(意識不明の重体、意識はあるけど連絡できる状態じゃない、電話くらいはかけられるけど、女遊びが過ぎてボコボコにされたのが恥ずかしくて連絡できない……とかの可能性はありそうだな)


 佐川から借りたA4判の写真を見ながら、謙太は思った。


 北原社長のプロデュースでスター性を身に着けたKENは、良く言えば堂々とした、悪く言えば生意気そうな表情でまっすぐにこちらを見据えている。

 自分が容姿に恵まれていること、歌の才能があることを認識し、多くのファンに熱狂される特別な存在であると自負している顔だ。


 グルーピーの女性に怒りっぽい彼氏がいれば、容易に暴力事件に発展しそうだ。


(メンバー間のいさかいより、そっちの線で捜索する方が見込みあるかもだな。

 翔とTAKUは知らないって言ってたけど、ひょっとしたら佐川さんの方で何か知ってるかも……)



『公式ファンクラブの名簿ならあるけど、見せるワケにはいかないよ。個人情報だから』


 佐川の携帯に電話した謙太が聞かされたのは、予想どおりの言葉だった。


『それに、ファンの子達に接触してもらっちゃ困るな。失踪はもちろん、メジャーデビューもまだオフレコ扱いなんだから』

「もちろん、それは重々承知しております。ただ、佐川さんの方でもし何かご存じであれば……と思いまして」


 KENにも他のメンバーにも恋人はいない、特別に親しくしているファンもいないはずだと佐川は言った。


(肉体関係があるだけじゃ、『特別』には入らないってか……)


 有名な芸能人の不倫が暴露されて叩かれることはあるが、KENは独身だ。

 清純さを売りにしたアイドルなら身を慎む必要があるのかもしれないが、≪ブリリアント・ノイズ≫が清純を売りにしているとは到底思えない。


 要するに、KENがファン相手に多少の火遊びをしようと即座にスキャンダルにはならないし、マネージャーやプロダクションが関知する必要はないのだろう。



 電話を切った後、謙太はインターネットで都内の救急病院を検索した。


 KENの住むマンションがある渋谷区に5院、ノース・エンタープライズの事務所がある新宿区には10院以上の救急病院がある。

 謙太が想像しているとおりの暴力沙汰にKENが巻き込まれたのなら、自宅や事務所より相手女性の家の近くをあたった方がよいのかもしれないが、どこの誰とも分からないので、差し当たって渋谷と新宿の病院に電話することにした。


 KENの本名である鈴木健太の名で入院している患者がいないか尋ねたが、すべて空振りだった。

 KENの外見的特徴――二十歳前後で痩せ形、長めの髪――を伝えてそれらしい男性が入院していないかも聞いてみたが、教えてもらえなかった。


『そういう質問には電話ではお答えできないんですよ。直接、窓口まで来られたらお調べできますが』


 ほとんどの病院で、異口同音に断られた。鈴木健太という名の人間が入院しているかどうかすら、電話での回答を断ってきた病院もある。


(個人情報保護はいいけど、探偵の仕事はやりにくくなるな……)


 23区内だけで200以上の救急病院があるのだ。電話するだけでも一苦労だが、直接行って聞くなんて、考えただけで溜め息が出る。

 これが市部となると23区内より数は減るものの、病院間の距離があるので直接窓口まで行くとなったら絶望的だ。


 KENが病院に担ぎ込まれているとしても、それが都内とは限らない。神奈川・埼玉あたりの可能性もあるし、そもそも入院しているという確証はない。

 それに入院していたとしても失踪したことは秘密なので、写真を見せて「こういう人が入院していませんか」と聞いて回るわけにはいかないのだから、直接病院まで行くメリットはほとんどないだろう。



「どうだ、例の調査」


 声をかけられて振り向くと、外出から戻った木下所長がいた。


「ちょっと微妙ですね……。

 プロダクションの社長はKENが自分の意志で失踪したはずはないって断言してましたけど、メンバーに話を聞いたら2人とも『女のところにいるに違いない』って言いきってまして」


 もうひとりのメンバーから話は明日にしてくれと言われたこと、念のため新宿と渋谷の救急病院に電話してみたが、該当しそうな患者の存在は確認できなかったことを付け加える。


「事務所と違って、他のメンバーは積極的に捜索に協力する気はなさそうだな」


 所長の言葉に、謙太は頷いた。


「話を聞いた限りでは、どうも仲は良くないようです」

「仲が悪くたって、ボーカルがいなくなったままじゃ、メジャーデビューできなくなるんだろ?」

「それなんですが、メジャーデビューを望んでいたのは失踪したKENだけで、ギターとベースの2人はKENに説得されただけ。

 今日、話を聞けなかったドラマーは、真っ向から反対していたみたいです」


 木下は、手の平で顎を撫でた。


 ただの癖にも思えるが、左顎のあたりにある手術跡と関係があるのかもしれない。


 そして木下がどうして顎の手術を受ける羽目になったのか、謙太は事務所の誰にも尋ねたことがなかった。


「メジャーデビューに反対する理由は?」


 木下の問いに、謙太は佐川から聞いた話をかいつまんで伝えた。

 事務所社長とメジャーのプロデューサーの方針で、作詞作曲はKENの名義となったこと、時代の趨勢すうせいで、メジャーデビューのメリットが減ったこと…………。


「単純に、メジャーのほうがいいってわけでもないのか」

「メジャー・レーベルのほうが売れるとも限らないですしね」


 横から口を挟んだのは、先輩調査員の久保だ。


「そういうもんなのか?」

「最近じゃインディーズのCDを扱うショップも増えてきましたし、インターネット配信って手もありますから。

 インディーズだけどかなり売れてるアーティストもいれば、メジャーデビューを果たしたものの、音楽だけで食っていけずコンビニや居酒屋のバイトで喰いつないでいるアーティストも、いくらでもいますよ」


 得意げに知識を披露する久保の姿に、謙太は嫌な予感を覚えた。


「なんだ久保。お前、歌謡曲詳しいのか?」

「歌謡曲っていうかJ-POPですけど。先に言ってくれれば俺がその案件、担当してましたよ」


(またかよ、こいつ……)


 内心で、謙太は舌打ちした。

 以前、初めて単独で任された案件を、調査途中で横取りされた経験があるのだ。


(あの時は確かに調査に行き詰まってたけど、今回は始めたばっかだぞ……?)


「お前が担当するとして、どうやって対象を探す? 今回は失踪したことを秘匿する必要があるからな。

 失踪者捜索マニュアルに従って、ビラを配ったり対象の家周辺で聞き込みしたりするいつもの手は使えんぞ」

「ええと……写真を持って、ライブハウスなど音楽関係者が出入りしそうな場所をあたるとか……」

「そんなことをしたら、失踪したと言いふらすようなもんだろうが」


 木下の叱責に、久保は急にしどろもどろになった。


「で……ですが、だったら病院に電話しまくったのだってダメじゃないですか」

「本名は公表していないので、一般には知られていないはずだとマネージャーから聞いています。

 それに鈴木はかなりありふれた名字ですから、本名で病院に入院照会しただけで≪ブリリアント・ノイズ≫のKENのことだとはバレないでしょう」


 謙太の説明に、久保は押し黙った。


「人の仕事に首突っ込むヒマがあったら、とっとと不倫調査の証拠を掴んでこい。

 お前が今やってるのは成功報酬特別プランなんだから、調査が長引けば長引くほど事務所うちの経費が増えて、下手すりゃ赤字になるんだぞ。

 分かってんのか?」

「も……もちろん分かってます。すいません」


 ぺこぺこ謝る久保から謙太に視線を戻し、木下は続けた。


「他のメンバーが必ずしもメジャーデビューを望んでいないらしいことは分かったが、仮にボーカルがいなくなったままだと、メジャーどころかバンドの存続自体、怪しくならんのか?」


 木下の言葉に、謙太は頷いた。


「KENは≪ブリリアント・ノイズ≫の一番人気だそうですし、そうでなくともボーカルはバンドの顔ですから、ボーカル不在はかなり痛いんじゃないでしょうか」


 ですよね? と、謙太は久保に同意を求めた。


 後で逆恨みで虐められたくはないので、ここで少し「J-POPに詳しい男」のメンツを立てておこうと思ったのだ。


 久保は木下の顔色をうかがい、口を挟んでも大丈夫そうだと判断してから首を縦に振った。


「ボーカルが交代しても存続したバンドの例もあるにはありますが、ごく少数です。

 ボーカル以外のメンバーが変わらずに活動を続けるとしてもバンド名を変えたりしますし、元のバンドとしての活動は終了になりますね」

「それなのに、他のメンバーが行方不明のボーカルを探す気もないらしいってのは、どうも引っ掛かるな……」


 左顎を手の平で撫でながら、木下は独り言のように呟いた。

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