第7話 ベーシストの不安

「KENを探す必要なんてねぇよ。どうせ女の所なんだから」


 謙太が質問する前に、TAKUは吐き捨てるように言った。


 TAKUが住んでいる部屋は、翔のアパートと似たり寄ったりの造りだった。ただロフトがある分、翔の所よりはすっきりして見える。

 部屋の一方に2人用の小さなソファ、その前にローテーブル、そして壁際にテレビが置いてある。

 ベッドは無いがロフトに布団が置いてあるので、そこで寝ているのだろう。


 TAKUがソファに腰を下ろしたので、謙太はローテーブルを挟んでTAKUの向かい側、つまりテレビの前に座った。

 TAKUは座るとすぐに、「KENを探す必要なんてねぇ」と言い放ったのだ。


 TAKUの顔には鼻に1つ、唇に2つ、右耳に3つ、左耳に4つのピアスがあるが、まるでその痛みに耐えているかのように眉をしかめている。


 翔もかなり不満そうだったが、TAKUもKENの失踪に怒っているようだ。


(他のメンバーの反対を押し切ってメジャーデビューを決めたのに、マスコミ発表の直前でいなくなれば怒って当然だけど…)


 謙太の心には、翔から聞いたKENの母親の話が引っ掛かっていた。


 これが事件性のある失踪であれば自分が探偵として活躍するチャンスだと思い、まるでKENの死を望んでいるかのような考えを抱いてしまった罪悪感もある。


――ただ、見てもらえたら、聴いてもらえたら、それだけでいい。


 謙太の中でただの「失踪者」という記号でしかなかったKENが、その言葉を聞いた瞬間から生身の人間になった。

 見てくれが良くて女性関係が派手なボーカリストの中に、傷ついた子供が今も隠れているように感じた。


(それなのに、母親に見てもらえるかもしれないせっかくのチャンスをふいにするだろうか…?)


「…KENさんがメジャーデビューを強く望んでいたのは、テレビに出たいのが理由のひとつだと翔さんから伺いましたが」


 控えめな口調で、謙太は言った。


「テレビに出れば、離婚後音信不通になったお母さんに見てもらえるかもしれないから…と」

「あいつ、そんな余計な話を…」


 チッと舌打ちして、TAKUは呟いた。


 視線を逸らし、窓の外を見る。

 窓の外では、気の早い秋の陽が沈み始めている。


「両親の離婚の話を持ち出すのはKENのいつもの手なんだ。

 母親に捨てられた可哀そうな子供の話をすれば、誰だって同情する。

 同情を買えれば相手のガードが下がって、女をお持ち帰りしやすくなる」


 TAKUは逸らしていた視線を戻し、睨むように謙太を見た。


「あいつはそういうヤツなんだ。

 口がうまくて人を丸め込むのも得意。

 メジャーデビューの件じゃ駿とKENで意見が真っ二つに分かれたけど、結局みんな口のうまいKENに説き伏せられちまった」


(なんだよ、それ…)


 胃のあたりが重苦しくなるのを、謙太は感じた。


 KENを一人の人間として少し理解できたかと思った矢先に、それを否定されたのだ。


「…KENさんがガールフレンドのところにいらっしゃるとして、どこのどなたとか、心当たりはありますか?」


 敢えてグルーピーという言葉を使わず、謙太は聞いた。

 熱狂的ファンという意味でも使われる言葉だが、かなりはすっぱな、身体だけの関係を求めているようなイメージが付きまとうので避けたのだ。


「そんなもん、知るわけねぇよ。それに、KENがいなくなったことは極秘にしろって佐川さんに言われてねぇの?」

「それはもちろん、承知しております。失踪をご存じない方からお話を伺う際には、情報が漏れないよう細心の注意を払いますので、ご安心ください」


 何度も読み込んで暗記した顧客対応マニュアルの一節をそのまま口にした謙太を、TAKUは冷ややかに見据える。


「…お兄さんさ、いくつ? 歳」

「は?」


 予想外の質問に、謙太は一瞬面食らった。


「…24ですが」

「大学出てると、若くてもそんなおっさんみたいな言葉遣いになるワケ?」

「大学と言うより、社員教育の結果です」


(おっさんみたいって…若くても社会人なら、このくらい当然だろ)


 内心の腹立たしさを営業スマイルに包んで謙太は言ったが、言葉遣いについては顧客対応マニュアルにかなり感化されているという自覚はあった。


 相手がある程度以上の年代だとそのおかげで受けが良くなり、聞き込みの時に話を引き出しやすくなったり、尾行中に不審者扱いされる危険性が下がったりするので、普段は役に立つことのほうが多いのだが、二十歳そこそこの若者には奇異に感じられるのかもしれない。


(それともこれはアレか?

 木下所長が酔うといつも愚痴る『真面目に働いている人間をつまらない大人と見下したがる若者特有の病気』ってやつなのか…?)


 とにかく話を元に戻そうと改めて向かい直ったとき、TAKUの顔から冷ややかさと不機嫌さが不意に消えた。


「つまり、大卒で正社員なんだ…。すげえな」


 謙遜の言葉が喉元まで出かかったが、謙太はそれを飲み込んだ。


 日本では一般に謙譲は美徳とされるが、時と場合によっては嫌味に聞こえてしまう。


 それに実際のところ謙太は正社員になるのに必死だったのだから、「それ程でもありません」などという言葉は、謙遜にしても自分に対してあまりに白々しい。


「オレたちは高卒だしまともに就職したことないし、この先どうなんだか分かんねぇよ…」


 視線を落とし、半ば独り言のように呟いたTAKUは、不安でいっぱいに見えた。


 ピアスだらけの不遜な若者の姿は消え、寄る辺のない子供がそこにいた。


「KENさんを探しましょう。いえ、全力を尽くして捜索します」


 TAKUの不安げな様子に、思わず謙太は言った。

 それでも、顧客対応マニュアルで失踪者捜索案件の禁句とされている「きっと見つかる」や「必ず探し出す」は避けた。


 TAKUは目を伏せたまま、口元を歪めてわらった。

 それがどんな感情の表れなのか、謙太には分からなかった。



 その後、TAKUから有用そうな情報は何も聞き出せなかった。


 メジャーデビューについてTAKUがどう思っているのか尋ねても、言葉を濁して曖昧なことしか言わない。

 KENと他のメンバーとの間に何らかの溝があるらしいという印象は強まったものの、翔同様にTAKUも余り調査に協力的ではなく、まるでKENが見つかることを望んでいないかのようだ。


 KENの失踪でバンドの先行きが不透明になって不安がっているようなのに、捜索に非協力的なのは矛盾した態度だ。



 TAKUのアパートを辞し、その矛盾した態度の理由にあれこれ考えを巡らせながら駅までの道のりを歩いていた謙太は、数メートル離れたところから自分をじっと見つめる者の存在に、全く気付かなかった。

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