第6話 探偵の過去
子供のころから、謙太は刑事ドラマが好きだった。
兄の蒼司が借りてきたDVDで私立探偵が活躍する海外のミステリドラマを見るのも好きで、警察が解けない謎を解いて事件を鮮やかに解決する探偵の姿に憧れた。
――俺、将来刑事を目指そうと思ってる。
――じゃあ俺は探偵になる。探偵の方がカッコいいし。
弟の無邪気な言葉に、兄はただ優しく笑った。
蒼司が中3、謙太が小学4年の時の話だ。
高校に進学すると、蒼司は小学校から中学までずっとやっていたサッカーを辞め、剣道部に入った。警察官になるなら武道経験がある方が有利だと考えたからだ。
卒業後に公務員試験を受けて警視庁の警察官として採用され、4年後には、昇任試験に合格して巡査部長に昇進した。
高卒の場合、巡査から4年以上で昇任試験受験資格が得られるので、要するに最短で巡査部長に昇進したことになる。
そして翌年には刑事課に配属になった。つまり念願の刑事になったのだが、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。
警察学校卒業後は他の全ての警察官と同じく地域課に配属され、交番勤務からキャリアをスタートした。
その後、交番勤務での検挙数がずば抜けて多いこと、警察学校の成績が学科・実技ともに優秀であること――巡査部長昇任試験に一発合格したことでもそれは証明されている――剣道の有段者であること、拳銃射撃検定の成績が良いことなどから上司である地域課長の推薦を受け、刑事課長の推薦承認を経て署長推薦を受けて刑事任用科専科教養講習――通称デカ専科――の受験資格を得た。
専科教養講習の選考試験合格後、捜査専科講習を卒業試験合格をもって無事終了したのだが、その年には刑事課に欠員がなかった為、1年間の留置管理課勤務を経て、翌年に刑事課に異動となったのだ。
検挙数を上げるだけでなく、交番での勤務を終えた後に刑事課に顔を出し、事務処理などの雑務を手伝って刑事課長や課員に「顔を売る」という、地道な努力も欠かしてはいなかった。
蒼司は中学3年の時からキャリアプランを立て、そのために努力し、着実に目標を達成しつつあった。
高校に進学した頃には、自分が憧れていたような探偵はドラマや映画の中にしか存在しないのだと、さすがに謙太も気づいていた。
だが兄のように刑事を目指す気にはなれなかった。蒼司から警察学校の厳しさを聞き、自分にはとても無理だと思ったからだ。
――え? 毎日10キロも走るの?
――毎日じゃないよ。普段は5キロくらい。
日によって20キロ走るときもあるけど、高校でもそのくらい走ることがあったし、そこまで大変じゃない。
蒼司がまだ警察学校にいて、外出が許される休日に実家に戻った時、その話題になった。
母の智子の驚いた顔に笑顔を向け、蒼司はさらりととんでもない――としか謙太には思えない――ことを言った。
蒼司の言葉を聞いて、父の博が感心したように頷く。
――蒼司は昔から運動が得意だからな。サッカーではキャプテンだったし、剣道でも主将だった。
――お父さんは運動、ダメなのにね。富山のおじいちゃんに似たのかも。
なごやかに談笑する両親と兄の姿を見ながら、謙太は居心地の悪さを感じていた。
――謙太はお父さんに似ちゃったかな。マラソン大会の時もほとんど歩いてたし。
――俺のせいばかりにするなよ。母さんだって運動はからきしダメじゃないか。
――そうね。じゃ、謙太が運動できなくてもしょうがないわね。
智子の言葉に、両親とも楽しそうに笑った。
謙太も両親に合わせて笑ったが、楽しいとは思えなかった。
5歳という年齢差のせいか、蒼司はいつも謙太の憧れだった。
蒼司の好きな刑事ドラマを謙太も好きになり、中学のサッカー部で活躍する蒼司の真似をしたくて少年サッカークラブに入ったが、万年補欠でサッカーに何の楽しみも見いだせなかった。
高校に進学した蒼司がサッカーを辞めて剣道部に入ったとき、謙太もサッカーを辞めた。
が、自分も剣道を始めようとは思わなかった。
その頃には、自分と兄の差が単なる5年の歳月ではないと気づき始めたのだ。
――蒼司は本当に大したもんだな。
――鼻が高いって、このことね。
蒼司が最短で巡査部長に昇進したと知らされたとき、両親はとても喜んで家族でお祝いをした。
と言っても蒼司は仕事が忙しく実家に帰ってこれなかったので、謙太と3人で祝い膳を囲んだのだ。
あまり裕福とは言えない謙太の家では今まで見たこともないご馳走が、座卓の上に所せましと並んでいた。
――兄ちゃん、仕事が忙しいなんて言ってないでちょっとくらい帰ってくればよかったのに。
うちでこんなご馳走が出るなんて、次はいつになるか分からないんだから。
言って、謙太は伊勢海老の刺身を頬張った。
――本当にねえ……。泊まるのが無理でも、2時間もあればご飯は食べられるのに。
――2時間で飯は喰えても、蒼司のいる警察署からうちまでは結構あるからな。
往復の時間だって考えないと。
せっかくの祝宴にも帰ってこない蒼司を庇うように、博が言った。
――それはそうだけど、せっかく蒼司のお祝いなのに……。
智子が寂しそうに溜め息をつくと、一気に部屋が暗くなった気がした。
失敗した、と謙太は思い、場の空気を変えようとして次々に料理に箸をつける。
――これ、うまっ。すっごく美味いよ。何て料理?
――ああ、それはデパートで買ったやつで、何とかと何とかのテリーヌよ。
――何とかと何とかじゃ分かんないよ。
謙太の言葉に、3人は一斉に笑った。
その後も食事はなごやかに続いたが、謙太にはどの料理も全く味が感じられなかった。
***
翔のアパートを出て最寄り駅までの道を歩きながら、謙太は翔から聞いたKENの言葉を脳裏で反芻していた。
――ただ、見てもらえたら、聴いてもらえたら、それだけでいい。
小3の時に両親が離婚したのなら、その時のKENは8歳か9歳だろう。
その時からずっと母親には会っていないし、連絡すら取れていないのだ。
そのKENの失踪に事件性があるかもしれない、もしも事件なら、そしてそれを自分が解決できたら、子供の頃憧れていた探偵のような活躍ができる…………。
そんな勝手な期待に胸を躍らせていた自分に、謙太は苦い嫌悪感を覚えた。
無論、KENの死を願ったわけではない。
ただマニュアルに従うだけの毎日に、何らかの刺激が欲しかっただけだ。
より正確に言えば、次々と事件を解決する優秀な刑事である兄に、少しでも近づきたかった。
高2になってから必死に勉強して成績を上げたのは、兄の巡査部長昇任がきっかけだった。
スポーツでは到底、蒼司に
ならばせめて、学歴だけでも兄に勝ちたかった。
私立の学費を出してもらうのはさすがに気が引けたので、家から通える国公立を3校受けたが、どうにか引っかかったのは最も偏差値の低い大学だけだった。
高2になって成績が上がったとは言え、それまでがそれまでだったので、当然の結果だろう。
大学のランクがその程度だったせいか、将来の職業のことなど何も考えず入れる学部に入ったからか、就職活動も思わしくなかった。
慣れないリクルートスーツともっと慣れない革靴で靴擦れに悩まされながら、手当たり次第に会社説明会に参加し、送れるだけのエントリーシートを送り、毎日のように「お祈りメール」を受け取り、何度も心が折れる思いを味わった。
だが、家族全員高卒の家でさして成績が良いわけでもない自分が大学まで行かせてもらったのに、就職できませんでしたで終わるわけにはいかない。
それに、新卒の時に正社員で就職できなければ一生、正社員にはなれないと大学の
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