第5話 ギタリストの憂鬱
メンバーの中で最初に話を聞くことにしたギター担当の
≪ブリリアント・ノイズ≫が北原社長の音楽プロダクション ノース・エンタープライズと契約する前の曲と、契約後1年経ってからレコーディングされた曲が3曲ずつ入っている。
契約前の曲は佐川が言っていたとおり、高音部でKENの声が伸び悩んでいる印象を受ける。
一方、契約後にレコーディングされた曲は、どれもKENの甘く、それでいて透明感のある声の良さを最大限に引き出している。
それに演奏の質も全体的に上がっているようだが、それは契約後のほうがきちんとしたレコーディング・スタジオで収録された作品であるのに対し、契約前の曲は彼らが自分たちで作ったデモテープのコピーなので、その差が表れているだけなのかもしれない。
翔のアパートは、チェーン店や大型スーパーよりも個人経営の店が多く立ち並ぶ商店街を抜け、そこから更に15分ほど歩いたところにあった。
部屋は3階の一番奥にあり、階段を昇ってドア脇のチャイムを鳴らす。
やや間があってからドアが開き、スエットの上下を着た翔が 顔を見せた。
「木下事務所の新里と申します。佐川さんからご連絡がいっていると思いますが」
微笑を浮かべ、両手で身体の前やや低い位置に名刺を持つという営業スタイルで名刺を差し出し、謙太は言った。
ただの「木下事務所」で「探偵」を付けなかったのは、両隣の住人などに「探偵事務所」という言葉を聞かれてしまわない為の配慮だ。
翔は名刺をチラっと見、そのまま奥に引っ込んだ。「入れ」という意味だろうと判断し、謙太はその後に続く。
部屋は6畳ほどのフローリングのワンルームで、入ってすぐの所に小さなキッチンがあり、反対側にあるドアはおそらくバス・トイレ・洗面台が一緒になった3点ユニットバスだろう。
部屋にはクローゼットがついているもののかなり小さく、入りきらない服やら何やらが新品には見えないラーボックスに乱雑に入れてある。
その他にもシングルベッドとローテーブル、部屋の割に大きめのテレビが置いてあるので、かなり手狭な印象だ。
駅前の庶民的な商店街からしても駅からの距離があることを考えても、家賃はさほど高くなさそうだと、謙太は思った。
(売れ始めたのはここ数か月くらいだそうだし、多分、上京して初めて借りた部屋にそのまま住んでるんだろう)
「適当に座って」
謙太に背を向け冷蔵庫から缶入りの飲み物を出しながら、翔は言った。そして、振り向きざまに缶を示し、「飲む?」とジェスチャーで聞く。
それが炭酸飲料だと見て取った謙太は、丁寧に断った。子供のころから炭酸は苦手なのだ。
翔がベッドの端に腰を下ろすのを待って、謙太はラグの上に座った。ローテーブルを挟んで翔と向き合う形だ。
こうして実物と向き合って見ると、ノース・エンタープライズとの契約直後の写真のままという印象を受ける。
新しい写真では滑らかな肌をしているが、それはメイクか写真加工のお蔭なのだろう。実物には目立つニキビ跡がいくつもあり、そのせいか高校生のように見える。
「KENさんがいなくなった件で、いくつかお話を伺いたいのですが」
謙太が言っても、翔はすぐには反応しなかった。
ただ、黙ったまま缶の炭酸飲料を飲む。
「何か心当たりはありませんか?」
謙太が聞いても、翔はやはり黙ったままだ。
(今の聞き方はまずかったかな。
心当たりがあるなら探してるだろうし、それで見つかれば失踪したとは言わない)
「居場所はもちろんご存じないでしょうけど、最近なにか変わったこととか、気になることとか、どんな些細なことでも構いませんので聞かせていただければ…」
「…どうせ女の所だよ」
ぼそりと、翔は言った。
「恋人…という意味でしょうか?」
「カノジョじゃなくて、グルーピー。KENはいつも女と一緒だった。
いつもっつっても、何人も連れまわすようになったのは、最近の話だけど」
(最近の人気急上昇で、女性関係が派手になったってことか)
いかにもトラブルに巻き込まれそうな状況だと、謙太は思った。
「ですが、先週の水曜からずっと連絡が取れてないんですよね? 今までにもそんなことがあったんでしょうか」
「今まではなかったけど…。あいつ最近、調子に乗ってたから」
表情にも口調にも不満を表して、翔は言った。
「最近というのは、人気が急上昇した数か月くらい前から、ということですか?」
謙太の問いに、翔は頷いた。
謙太は相手が続けるのを待ったが、翔は不満顔で視線を宙にただよわせながら缶に口をつけるだけで、何も言おうとしない。
どうやら、あまり聞かれたくない質問だったようだ。
「女性の所で寝過ごしたとしても、1週間も連絡がないのは少々、異常ではないでしょうか?
北原社長のお話では、来週早々にもメジャーデビューをマスコミに発表する予定だそうですが」
相手の答えを誘導するように、謙太は言った。相手が話したがらない場合、こちらから話を引き出す必要があるからだ。
ただし、無理強いにならないように注意する。
これも、顧客対応マニュアルどおりだ。
「…異常かもしんないけど、最近のKENが何を考えてたのかなんて、オレらには分かんねぇよ。
あいつ、自分独りの力で≪ブリリアント・ノイズ≫を引っ張ってる気になって、オレらのことも、見下してる感じだったし」
(KENに不満を抱いていたのは駿だけじゃないのか…)
「でも、メジャーデビューすることには、皆さんも賛成なさったんですよね?」
謙太の言葉に、翔は宙にただよわせていた視線を謙太に向け、すぐにまた目を逸らした。
「…『お前だってテレビに出たいだろ』って、そう言われたから」
「KENさんだけでなく翔さんも、テレビ出演を望んでらっしゃるんですね」
その理由を伺ってもよろしいでしょうかと、謙太は続けた。
「今はインターネットだけでもかなり有名なアーティストがいらっしゃいますし、テレビ出演にこだわらないという考え方も、あるように思いますが」
翔は缶の中身を飲み干し、空になった缶をローテーブルの上に置いてから、謙太を見た。
「だって、田舎の年寄りは、ネットなんか見ねぇし」
「…確か、ご出身は鳥取県でしたよね」
軽く頷いて、翔は続けた。
「オレは3人きょうだいの末っ子で、上ふたりと年が離れてるから、親はけっこう年、いってんだ。
ネットで、チャンネル登録数だのフォロワー数だのが増えたって、そんなもんじゃ、ちゃんとやってるって納得してくんねぇ」
(意外と親思い…なのか?
まあ、一般的な意味での就職もせず、東京に行って何してるんだかよく分からない状況なら、そりゃ親は心配する)
「KENさんがテレビ出演を強く希望されていたのも、同じ理由からでしょうか?
つまり、故郷のご両親を安心させる為にもテレビに出たい…と」
謙太の問いに翔はあいまいに頷いただけで、何も言わなかった。
話すときにも言葉がぽつりぽつりとしか出てこないような、そんな喋り方だ。
(無口なタイプみたいだけど、ここまで何も話してくれないとさすがにやりづらいな…。
でも、話したがらない相手に無理に話させようとすると却って喋らなくなってしまうって、マニュアルに書いてあったし…)
顧客対応マニュアルに従い、謙太は敢えて促したり質問を重ねたりせず、口を閉じて辛抱強く待った。
翔は逸らした視線をぼんやりと宙に漂わせていたが、やがて、謙太から目を逸らしたまま独り言のように呟いた。
「…KENの両親は、あいつが小3のときに離婚して、母親はあいつを置いて出ていった。
今、どこにいるかも分からない」
その言葉に、謙太は突然、心臓を鷲掴みにされたように感じた。
「つまり…テレビに出れば、音信不通になっているお母さんと連絡が取れるようになるかもしれないと期待して…?」
「そこまで期待したかどうか、わかんね。
『ただ、見てもらえたら、聴いてもらえたら、それだけでいい』…って」
翔は暫く壁の何もないところを見つめていた。
それから、謙太に向き直る。
「でも、それはメジャーに行こうって、オレらを説得したときの話。
あいつは気まぐれで飽きっぽいから、もうそんなこと忘れて、女といちゃついてるだけに決まってる」
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