第3話 マネージャーの話(1)

 佐川は上着の内ポケットから煙草のパックを取り出し、周囲をざっと見まわしてから元に戻した。


「最近はどこも禁煙、禁煙でさ。愛煙家は肩身が狭いよ」


 そうですね、と謙太は相槌を打ったが、煙草を吸ったことがないので、その点で佐川に共感はできなかった。

 それに、ここの社員なのだから禁煙なのは分かっているだろうに、うっかり煙草を吸おうとしてしまうほどのヘビースモーカーなんだろうかと疑問に思いながら、相手が続けるのを待つ。


「探偵さん…新里さんだっけ? 音楽には詳しいの?」


 テーブルの上の名刺にちらっと眼をやって、佐川は聞いた。


「残念ながら、不勉強でして」


 音楽は洋楽もJ-POPも好きで、幅広く聴くほうだ。

 が、≪ブリリアント・ノイズ≫の名は耳にしたことがなかったし、佐川が言っているのは音楽そのものではなく音楽業界のことだろうと判断して、謙太は言った。


 佐川はやや身を乗り出すようにして、口を開いた。


「ひと昔前までは、アーティストは皆、メジャーデビューを目指していたと言える。

 専属実演家契約時にまとまった契約金がもらえたり、月々の固定給の形でアーティスト育成金が約束されたりして音楽に専念できるようになったし、営業が小売り店にCDの売り込みをかけて発売日に棚に並ぶように手配するだけでなく、売れ行きをチェックして追加注文を取った。

 テレビ局・ラジオ局や音楽雑誌ごとに担当者がいて、ラジオで流してもらえるよう働きかけたり、雑誌の特集に載るよう、営業をかけたりもした」


 だが、と佐川は続けた。


「最近はCDが売れなくなってきて、大手といえども売れるかどうかわからない新人に対して、先行投資をする余裕はなくなっている。

 それにインターネットでバズれば有名になれる時代だ。大手の宣伝力に頼る必然性は低下している。

 それなのに、大手レコード会社の体質は旧態依然だ。いや大手だからこそ、今までのやり方を変えるのが難しい。図体がデカいから、小回りがきかない」


「つまり、昨今はメジャーデビューすることのメリットが、以前ほどはないという話ですね」


 謙太の言葉に、佐川は頷いた。

 そして椅子の背にもたれかかり、元のラフな口調に戻って続ける。


「けど、駿たちがゴネた理由はそこじゃないんだな。

 メジャーに比べたらインディーズの利益率は10倍以上なんて話もネットでは見かけるけど、それは自分たちでレコーディング費用を払って自主制作し、原盤権も持っている場合の話で、中小とはいえうちみたいな事務所に所属してCD作成も全部任せておいて、10倍も差がでるわけじゃない」


 うちのタレント達は皆それ――メジャーデビュー――を目指してるという北原の言葉を、謙太は思い起こした。

 利益率に大差がないなら売り上げ全体が増えたほうが得だし、メジャーデビューに昔ほどのメリットがなくなったとは言っても、あえて反対する理由もないように思える。


「メジャーデビューそのものじゃなくて、メジャーに移るにあたってうちの社長とメジャーのプロデューサーが立てた方針が、KENだけに有利に働く内容なんでね。

 他の3人が拗ねたのは、まあ当然っちゃ当然だな」


 謙太の内心の疑問を読み取ったかのように、佐川は言った。


「具体的に、どのような方針でしょうか」

「KENに与えられたコンセプトは、カリスマ・ボーカリスト。歌うだけでなく、作詞作曲もできる天才。

 ……という設定だ」


(設定…か。ちょっときな臭くなってきたな)


 謙太の内心の呟きに呼応するかのように、佐川はあらぬ方向に視線を漂わせ、口調も重くなる。


「それで、今までKEN以外のメンバー3人で曲を作ってたのを、KENひとりの作詞作曲に変えようって話になってね。

 作詞のほうは、まあ何となくそれらしいモノが作れるようになったけど、作曲についてはサビを思いつく程度でね。

 残りのメンバーがかなりフォローして、それでようやく形になると言うか…」

「…でも『設定』に合わせるために、KENさんの作詞作曲だということに…?」


 語尾をあいまいにぼかして、謙太は聞いた。

 相手があまり言いたがらないことは、はっきり断言しないほうがよいからだ。

 と、顧客対応マニュアルに書いてある。


 佐川は謙太に視線を戻し、渋々といった感じで頷く。


「公式にKENの作詞作曲となるから、作詞作曲者に支払われる著作権印税は、KENひとりの口座に振り込まれることになる」

「著作権印税って、どのくらいになるんですか?」

「今回の契約だと作詞・作曲あわせてCD価格の約3%。まあ、大体そのくらいが相場だな」


(3%なら、それほど大した額でもないような…)


「で、演奏者に支払われるアーティスト印税が1%。こっちは4人で等分することになる」

「1%…ですか?」


 思わず、謙太は聞き返した。「たった」を付けるのは何とか思いとどまった。

 しかも4人で等分するのだから、1人あたり0.25%だ。


「アーティスト印税の他に原盤印税からアーティスト取り分の1%も出るけど、そっちも4人で等分だ」


 計算すると、今まで5%を4人で分け合っていたのをKENが3.5%を取り、残り3人は0.5%ずつに減ってしまうことになる。

 しかも作詞はともかく、作曲は事実上、他の3人がやっているようなものなのに…だ。


「まあ、よっぽどの大ヒットにでもならない限り、CDの印税なんて大した額にはならないけどね」

「ですが、過去に大ヒットを飛ばしたシンガーソングライターが、今でも莫大な印税を受け取り続けている、という話は聞いたことがあります」

「そりゃあね。

 それに印税ってCDが売れたときだけじゃなく、カラオケや有線、今だとダウンロード配信のほうが多いか。とにかくそういうので使われる度に発生するから、そう馬鹿にできない」


 そこで、佐川は一旦言葉を切って、やや目を細めた。


「バンド解散の理由って、案外、そういうところにあったりすんだよ」


(これじゃ、揉めて当然だな…)


 これでますます事件性のある可能性が高くなったと思い、謙太は気持ちがたかぶるのを感じた。


「メジャーデビューで揉めたこととKENさんの失踪、何か関連があるかもしれませんね」


 わくわくする気持ちを抑え、謙太は言った。

 が、佐川は意外そうな顔で謙太を見る。


「いや、それはないでしょ。メジャーデビューを嫌がってた駿がいなくなるならともかく、KENが姿を消すのは筋が通らない」


(メジャーデビューを嫌う駿がKENと言い争いになり、突き飛ばしたはずみで何かの角に頭をぶつけて……なんて可能性もないとは言い切れないよな)


 内心で、謙太は呟いた。


 もしそうであれば、これは警察が気づいていない殺人――正確に言えば傷害致死――だ。いずれにしろ大きな事件であることに変わりはない。


(これを解決できれば、かなり『探偵らしい』活躍ができることになるぞ……)

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