第2話 ボーカルの失踪 (2)

「もちろん、佐川君から報告を受けてすぐ、警察にも連絡させたわ」


 言って、北原は隣の席で縮こまっている佐川に視線を向けた。


「はい。社長のご指示ですぐ警察署に出向いて事情を説明し、捜索願を出そうとしたんですが…」


 佐川は途中で短く溜め息をつき、肩をすくめた。


「子供でも痴呆老人でもないし、脅迫状が届いているわけでもない。それじゃ警察では捜索できないから探偵事務所にでも相談しろって言われまして。

 で、捜索願も出させてくれなくて、行方不明者届とやらを書かされました」


 謙太はその後に続くセリフを予測し、やや身構えた。


「ホント、警察ってあてになりませんね。

 ストーカーとかでもアレでしょ? 事前に相談していても殺されるまで動いてくれない」


 佐川の言葉に、北原も眉をひそめ、同意の印に頷いた。


 謙太は腹の底に怒りが沸き上がるのを感じたが、それを抑えて誠実そうな微笑を浮かべる。


「行方不明者届と捜索願は同じものですよ。平成22年4月の法改正で呼び方が変わっただけです」


 それに、と穏やかな口調で謙太は続けた。


「殺人や自殺など生命身体への危険があったり、未成年者や事故に遭遇した可能性が高かったり、精神障害者や病人・高齢者など他者の保護を必要としたりするケースは『特異行方不明者』となって警察が捜索する対象となりますが、それ以外は民事扱いなので『民事不介入の原則』に縛られて警察は動けないんです」


 しっかり暗記してある内容なので、滑らかな口調で謙太は言った。

 そして「ですから」と、付け加える。


「今回のような事件性が明らかではないケースでは、私共わたくしどものような探偵事務所がお役に立てるわけです」


 北原は謙太をまじまじと見、それから口元に笑みを浮かべた。


「あなた、お若いのにしっかりしてらっしゃるわね。警察への批判を巧みに探偵事務所への宣伝に誘導してる。しかも、警察をおとしめてはいない」

「…恐縮です」

「まあそれはともかく、うちとしては早急にKENを探し出してほしいの。すぐに取り掛かってもらえるかしら」


 北原の言葉を合図に、謙太はカバンからバインダーに綴じた書類を出し、テーブルの上に置いた。


「こちらが行方不明者捜索の一般的なプランとなります」


 北原と佐川が同時に身を乗り出して書類に見入った。

 その後に続くセリフも予測済みだ。


「…けっこうするわね」

「調査員の人数を増やした特別プランもございますが…」


 営業スマイルを浮かべながら、謙太は次のページを示した。


 名刺の肩書は調査員になっているが、実際の業務としては営業も兼ねている。

 人づきあいが得意というわけではない謙太だが、こういう時には所長の作った顧客対応マニュアルに従えばよいだけなので、苦にはならない。


「これでいいわ。ベーシック・プラン」

「かしこまりました。ありがとうございます」

 ソファの上で深々と頭を下げ、謙太は言った。


 かしこまりました。

 私共。

 恐縮です。


 どれも就職するまでは使ったことがない言葉だが、全てマニュアルに載っているのでセリフだと思って喋ればよいだけだ。


 そして、契約書のページを開いて契約上、重要となる点を説明する。

 詳細は裏面に印刷してあるが、後でトラブルになるのを避ける為、重要ポイントはあらかじめ口頭で説明しておくのだ。


 説明が終わると、北原社長が署名・捺印するのを待つ。


(これが終わったら個別に佐川さんから話を聞きたいところだけど、どうやって切り出そうか…)


 謙太の懸念は、すぐに杞憂に終わった。


「私はこれから用事があるから、詳しい話は佐川君から聞いて」


 言って、北原は席を立った。

 佐川と謙太はほぼ同時に椅子から立ち上がり、応接室を出ていく北原を深々としたお辞儀で見送った。



「…ったく、KENのヤツにも困ったもんだよ」


 ドアが閉まった途端、肘掛け椅子にどっかと腰を下ろして佐川は言った。


 さっきまではきちんと膝をそろえて座っていたが、今は椅子の幅いっぱいに脚を広げている。

 そして、ネクタイをグイっと緩めた。

 それから、謙太をにらむように見る。


「民事不介入の原則だか何だか知らないけどさ、警察がちゃんとやってくれてればこんな面倒なことにはなってないって思わない?」


(失踪してこんなに日数が経ってから連絡されたら、警察だって困るよ)


 内心で謙太は思ったが、口にも表情にも出さない。


 失踪事件で肝要なのは初めの24時間の初動捜査で、時間が経てば経つほど被害者の生還確率は下がる。

 72時間を超えた場合、被害者の生存確率はほぼゼロ……。


 昔、兄と一緒に夢中になって見ていた海外ドラマでそんな描写があったのを思い出す。

 そして、「特異行方不明者」に該当しない「一般行方不明者」の場合、その殆どが3日以内には自分から姿を現すという統計も頭に浮かんだ。


(マネージャーが連絡を取ろうとして取れなかったのが先週の金曜だけど、バンドの他のメンバーが水曜ごろから連絡取ってないって、じゃあもう今日で丸1週間は連絡が取れてないってことじゃないか)


 メジャーデビューを目前に控えていたにしては、プロダクションも他のメンバーも随分いい加減だと、謙太は思った。 

 もしかしたらメジャーデビューを望んでいたのは、北原社長とKENだけだったのかもしれないという考えが謙太の頭に浮かぶ。


(それにしても、マネージャーってそんなたまにしか連絡を取らないものなんだろうか。

 全然売れてないタレントならともかく、ちょっと職務怠慢じゃないか…?)


「バンドのリーダーは駿だから、用事がある時はいつも駿とコンタクトを取っててね。

 先週の金曜はKEN個人と打ち合わせる必要があったから連絡取ろうとしたんだけど」


 マネージャーがろくに連絡を取っていなかった理由をどう聞こうかと謙太が迷っているうちに、佐川が答えをくれた。


「では、駿さんとは定期的に連絡を取ってらっしゃったんですね」

「最近はほぼ、毎日」


 頷いて、佐川は続けた。


「それなのに駿のヤツ、こっちがKENと連絡つかないって言うまで彼らもKENと連絡取れてないのを黙っててさ。『でも、土曜のライブには来るはずです』って言うから信用してたらドタキャンだし」


 全く、何考えてんだか…とぼやく佐川に同情的な営業スマイルを向け、謙太は質問を続けた。


「メジャーデビューについてお伺いしたいのですが、KENさんだけでなく他のメンバーの皆さんも肯定的に受け止めていた、という認識でよろしいでしょうか」


 まずその点をはっきりさせようとして、謙太は聞いた。


 いずれにしろもう1週間が経っているので、KENがひょっこり戻ってくる可能性はほぼ、ないだろう。

 本人の意志で姿を消したなら、とっくにどこか遠くに行ってしまっているだろうし、手がかりは冷え切っている。


 謙太としてはそうではない可能性――つまり、KENが自分の意志に反して失踪した可能性――を望んでいた。


「喜んでたのはKENだけだ」


 ぼそっと、佐川はつぶやいた。


 謙太はあえて口は挟まず、まっすぐに相手を見つめた。

 こういうやり方も、顧客対応マニュアルどおりだ。


 佐川はしばらく宙に視線をただよわせ、それから再び口を開いた。


「駿は最初から反対。TAKUと翔も、駿の言い分を聞いて反対しだした」

「でも…メジャーデビューは正式決定していたんですよね?」


 謙太の問いに、佐川は苦々しい表情を浮かべた。


「今にして思えば、全てが失敗だったってことかな…」


***


 広いロビーにはいくつかソファが置かれていて、ビル内の人間と待ち合わせをする来訪者が数人、手持無沙汰そうにスマホをいじっている。


 その中で観葉植物の陰になったソファに、ひとりの若い女が座っていた。


 他の来訪者とは違い、女はスマホを取り出すこともなく、じっとエレベーターホールに目をこらしている。

 その表情にはどこか思いつめた様子があったが、周囲を行きかう者の誰一人として、女に気を留めようとはしなかった。


 誰にも気に掛けられないほどその女の存在は目立たず、静かで、観葉植物ほどの存在感すらなかった。

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