第5話

 道を覆っている筈の煉瓦は朽ち果てていた。

 その所為で、地面が露出している。

 でこぼこして歩き難い道を、私は全速力で駆け抜けた。

 何度か転びそうになる。

 緑色の化物になった影響なのだろうか、商人の脚は強化魔術を使用した私よりも速かった。


「くっ……!」


 このままでは追いつかれてしまう。

 このままでは商人に要らない十字架を背負わせてしまう。

 そう判断した私は、商人を止めるため、僧侶服の中に閉まっている魔道具を取り出し──


(なっ……!? 魔道具がない……!?)


 護身用に持っていた筈の魔道具がない事に気づいた途端、背筋に冷たいものが流れる。

 その瞬間、背後から生じた爆音が私の背中を押し出した。


「逃せねえぞ!」


 地面の上を数度跳ねた後、即座に体勢を整える。

 体勢を整えながら、商人の方に視線を寄せた。

 緑色の化物になった彼の右掌に『紫の炎』が灯っていた。

 多分、あの紫の炎で私を攻撃したのだろう。

 私の推測を肯定だと言わんばかりに、商人は紫の炎を投擲する。

 私は強化魔術で強化された両足で地面を蹴り上げると、近くにあった長方形の建物──王国劇場の上に跳び乗った。


(とりあえず、今は逃げよう……! 何処かで態勢を整え……)

 

 屋根の上を駆け抜けようとする。

 一歩踏み出したその時だった。

 王国劇場の屋根から嫌な匂いを感じ取る。

 その瞬間、私が踏もうとしている屋根が、瀕死状態である事に気づかされた。


「しまっ……!」

 

 気づいた時には、もう遅い。

 踏み出した右脚が屋根を踏み割ってしまう。

 重力に掴まれた私の身体は下に落ちてしまった。

 落下のダメージを最小限に抑えるため、身体全体に強化魔術を付与する。

 強化魔術の付与が終わった瞬間、私の身体は地面に激突してしまった。


「いつつつ……」


 強打した背中を摩りながら、周囲の様子を伺う。

 先ず知覚したのは、生臭い鉄の臭いだった。

 即座に周囲を見渡す。

 埃を被った観客席、天井に空いた大きな穴から差し込む光、疲弊した舞台、そして、舞台に並べられた数多の十字架。


「……っ!」


 十字架に架けられた数多の肉塊を見て、思わず言葉を詰まらせてしまう。

 十字架に架けられた肉塊は、見覚えのある貴族達だった。

 言葉を交わした事は、……多分、ない。

 でも、彼等の匂いは知っている。

 だって、彼等の殆どは第一王子生誕祭に参加していたのだから。


(し、死んでる……)


 息をしていない人型の肉塊を見た途端、脈が早くなる。

 何度も刃物で斬りつけられたかのか、顔面はズタズタになっていた。

 手の指は全部切り落とされていて、耳だったものが舞台の上に落ちている。

 なんかよく分からない感情が、私の胸を埋め尽くした。

 状況を把握するよりも、胸中にて蠢く感情の正体を知るよりも先に、事態が進展する。


「いたぞっ!」


 王国劇場の出入り口の扉が開く。

 扉を潜ったのは、商人──だけじゃなかった。


「ここにいたのかっ! 聖女の偽物っ!」

  

 劇場内に緑の肌をした『何か』が入ってくる。

 人型ではあるが人ではない、商人と似た容姿をした何かが。


「もう逃げられんぞっ!」


 『何』の容姿は商人の容姿と殆ど一緒だった。

 艶のない絡まった糸のような髪。

 私の拳よりも大きい瞳。

 豚のような耳。

 団子のような鼻に大きな口。

 贅肉をこれでもかと蓄えた身体。

 緑の肌をした人型の『何か』は、舞台にいる私を威嚇する。

 『何か』の数は、ざっと数えて数十名。

 両手両足の指の数を優に超えている。

 戦闘力は不明。

 だけど、商人の身体能力が強化魔術を付与した私と同等なのは確認済み。

 肉弾戦に持ち込まれたら、戦闘力皆無の私では太刀打ちできないだろう。

 ……殺される。

 このまま、此処にいたら、私も、ただの肉塊したいになってしまう。


「……貴方達が殺したの?」


 ゆっくり立ち上がりながら、劇場に入ってきたばかりの『何か』達を歓迎する。


「……ああ、そうだ」


 商人ではない『何か』が私の疑問に答える。

 私の疑問に答えた『何か』からは嫌な匂いがした。

 心臓が高鳴る。

 否応なしに身体が強張ってしまう。


「そいつらが悪いんだ……魔王が現れて生活が不安定になったのに、貴族そいつら、オレ達から搾取しようとしたんだぜ!?」


 商人じゃない緑色の『何か』が野太い声を上げる。

 その声からは憎しみと罪悪感の匂いが漂っていた。

 

「そうよ……これは正当防衛なのよ……! 彼等は殺されて仕方なかったのよ……!」


 ちょっとだけ声の高い緑色の『何か』が声を上げる。

 恐らく女性であろうその声からも憎しみと罪悪感の匂いが漂っていた。


「正当防衛? これが?」


 十字架にはりつけられた肉塊達を一瞥する。

 全ての指を切り落とされ、顔面がズタズタになった貴族の成れの果てを横目で見る。


「正当防衛にしては、やり過ぎだ。本当にここまでやる必要があったの?」


 誰も私の疑問に答えてくれなかった。

 返答だと言わんばかりに、石が飛んでくる。

 飛んできた石を敢えて頭で受けた。

 鈍い痛みと共に零れ落ちた右眼の上の方から血が零れ落ちる。

 

「先代の聖女は言っていた。『人も命を糧にする獣けだものだ。幾ら綺麗事で濁そうと、生きるために必要な殺しは存在する。それは紛う事なき真理だ』、と」


 流れ落ちる血を拭う事なく、私は思った事をそのまま口にする。


「貴方達が貴族このひと達を殺したのも、生きるために必要な行為だったのかもしれない。だから、私は否定しない。でも、これはやり過ぎだ。奪った命を辱める殺し方だ。心の底から殺人を愉しんでいないと、こんな殺し方はできない」


 殺される。

 このまま、此処にいたら、殺される。


「貴方達は糧にした命の尊厳を踏み躙った。人として、生物として、あるまじき行為を行った」


 生存本能が訴える。

 今すぐ此処から逃げろ、と。

 此処で死にたくない、と。

 でも、私の理性が許さなかった。


「奪った(おかした)命つみから目を背けるな」


反論しようとした緑色の『何か』を睨みつける。 

 私の視線を浴びた途端、緑色の『何か』は押し黙ってしまった。

 心臓が高鳴る。

 目の前の絶体絶命むりなんだいが私の両脚を縛り上げる。

 欲望ねがいが絶体絶命むりなんだいを乗り越えろと訴える。


「命つみを奪った(おかした)自分から逃げるな」


 緑色の『何か』達の身体から危険な匂いが放たれる。

 逃げたい。

 死にたくない。

 胸の内から湧き上がる生存本能わがままを押し殺しながら、私は目の前にいる彼等いのちをじっと見つめる。

 ……ああ、そうだ。

 ここで私が逃げたら、彼等は永遠に救われない。

 罪を犯した自分を正当化し、過ちを延々と繰り返す。 

 なら、此処で食い止めないと。

 たとえそれが無理難題だったとしても。

 私に力がなくても。

 今の私が聖女じゃなかったとしても。

 

「たとえ殺した相手が絶対的な悪だったとしても、命つみから目を背ける限り、貴方達は善になり得ない」


 奪った命を踏み躙り、辱め、貪る者の行き着く先は、草木のない荒野だ。

 他者の命を尊重しない者は命から嫌われる。

 目の前にいる彼等いのちに悲惨な結末まつろを辿って欲しくない。

 

「──命つみと向き合え、咎人おろかもの。たとえ神が赦したとしても、私は許さない」


 それが開戦の狼煙だった。

 緑の肌をした『何か』達が舞台にいる私の下に向かって駆け出す。

 心臓の鼓動が早くなる。

 得体の知れない感情が、高揚感に似た何かが、私の身体を──


「──嬢ちゃん。命つみを説くには、ちと青わか過ぎるぜ」


 何処からともなく、鐘の音が聞こえてくる。

 それと同時に吹雪が劇場内を駆け抜けた。


「だが、まあ、及第点だ。此処で死なせるには、ちと粋わか過ぎる」


 吹雪が緑色の『何か』の進軍を押し留める。

 吹雪に晒された緑色の『何か』達は身体を縮こませると、暖を取るため、その場に膝を着いた。

 

「粋な啖呵見せてくれたお礼だ。嬢ちゃんの寿命、ちょっとだけ伸ばしてやるよ」


 再び鐘の音が鳴る。

 その瞬間、暖を取るため身体を縮こませていた緑色の『何か』達は突風によって吹き飛ばされてしまった。


「……だ、誰……?」


 天井に空いた穴から赤い服に身を包んだ金髪の青年が舞い降りる。

 青年の頭には赤いナイトキャップが乗っかっていた。

 

「俺? 俺の名前は、……うーん、そうだな……サンタクロースとでも名乗っとくか」


 悪怯れる事なく偽名を口にしながら、赤い服と赤いナイトキャップが特徴的な青年は真紅の瞳を輝かせる。


「短い付き合いになると思うが、よろしくな。ケツの青いお嬢ちゃん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る