第4話


「……う」


 目蓋を開け、身体を起き上がらせる。

 先ず私が目にしたのは、変わり果てた王都の姿だった。

 煉瓦という外装を失い、地肌を曝け出している地面。

 地面の上に転がっている植木鉢だった破片モノと朽ち果てた木の椅子。

 子どもの落書きが描かれた外壁は粉々に砕け散っており、倒壊した建物には死臭がしがみついていた。


「……な、何が起きて……?」


 空を仰ぐ。

 固形化した極光と赤黒い雲が今にも泣き出しそうな空を覆っていた。

 表通りから人の声が聞こえて来ない。

 人の気配を感じない事に違和感を抱いた。


「あの藍色の炎は……?」


 地震の原因であろう藍色の炎を探し始める。

 何処を見渡しても、人の形をした藍色の炎の姿は私の視界に映らなかった。


(あの藍色の炎と揺れは夢……? いや、だったら、何で王都がこんな姿に……? もしかして、長時間気を失っていたのだろうか……?)


 考える。

 答えは出ない。

 考えても答えが出ないので、行動に移す事にした。

 先ず表通りに出ようと、地面を蹴り上げる。

 走って、走って、走り続けて。

 表通りに辿り着く。

 真昼間だというのに、人っ子一人見当たらなかった。

 屋台だった残骸が、道の隅に横たわった白骨死体が、ひび割れた石畳にこびりついた渇いた血が、家屋だった破片ものが、表通りを埋め尽くしている。

 辺り一面に死の匂いが漂っていた。

 命の香りは感じ取れない。

 一体、何が起きたのだろう。

 状況を飲み込もうとする。

 その瞬間、死の匂いを纏った『何か』の足音が私の鼓膜を揺さぶった。


(この匂い……!? まさか……!?)


 振り返る。

 裏路地から出てきたばかりの『彼』と目が合った。

 艶のない絡まった糸のような髪。

 私の拳よりも大きい瞳。

 豚のような耳。

 団子のような鼻に大きな口。

 贅肉をこれでもかと蓄えた身体は緑色に染まっており、装飾品は腰に巻いたボロ布しか身につけていない。

 一見、見覚えのない『モノ』だった。


「聖女、……さん?」


 けど、彼から漂う匂いが、彼の顔に僅からながら残っている面影が、そして、聞き覚えのある声が、私に一つの事実を突きつける。


「商人……?」


 裏路地から出てきたのは、異形と化した商人だった。




「聖女さん、生きてたのか……」


 緑色の化物に成り果てた商人は、まるで幽霊にでも合ったかのような形相で、私の瞳を覗き込む。

 彼の瞳からは安堵と罪悪感と怒りが漂っていた。

 ……普通ではない。

 異形と化した事よりも、彼の眼の色が変わっている事に危機感を抱く。

 何が起きたのか分からない。

 けど、私の鼻が、聖女時代に培った経験が、警鐘を鳴らしている。

 今の彼を刺激したらいけない、と。


「うん、どうやら死に損なったみたい」


 敢えて『いつも通り』を装う。

 商人が欲している言葉を与える事で、彼の警戒心を解こうとする。


「なんか雰囲気変わっているけど、髪切った?」


「切ってねぇよ」

 

 軽快なツッコミを披露しつつ、商人は笑みを溢す。

 うん。いつもの商人だ。

 でも、目から危険な香りが漂っている。


「というか、もっと変わった所あるだろうが。そっちに触れろよ」


「鍛え直した?」


「だったら、こんな腹出てねぇよ」


 私の軽口に不快感を示す事なく、商人はいつも通り自らの髪を右手で撫でながら、私の瞳を覗き込む。

 肥大化した彼の眼球は、いつもと違う匂いを発していた。

 

「まあ、冗談は置いといて……商人、一体何があったの?」


「色々だよ」


 そう言って、商人は明後日の方に視線を向ける。

 どうやら何があったのか答えたくないらしい。

 生暖かい風が私と商人の間に雪崩れ込んだ。


「とりあえず、『みんな』の所に行こうぜ。話はその後だ」


 商人の大きな目から嫌な匂いが漂う。

 迷いと殺意が入り混じった香りが私の身体を締め付けた。

 ……彼の提案を断る訳にはいかない。

 断ったら、間違いなく彼の機嫌を損ねてしまう。


「──行かない」


 にも関わらず、拒絶の言葉をを口にしてしまった。

 彼が求めていない言葉を口にしてしまった。

 その所為で、商人の眼から殺意と暴力に満ちた臭いが放たれる。

 それを感じ取った途端、見えない縄が首に巻きついた。


「どうして……?」


「貴方の身に何が起きたのか分からない。けど、これだけは断言できる」


 心臓が跳ね上がる。

 本能からだは訴えた。

 『商人に逆らうな』、と。

 『私の生殺与奪は、商人が握っている』、と。

 それでも、私は口にした。

 彼が求めていない言葉を。

 

「──今の貴方は、間違っている」


 私の鼻が、聖女時代に得た経験が、教えてくれた。

 目の前にいる商人が、いつもと違う事を。


「……まさか、お前、見た目で判断してんのか?」


 緑色の化物になった商人が瞳に怒りを滲ませる。

 彼の身体から放たれる死の匂いが、より濃くなった。


「見た目が化物になったから、俺を差別してんのか?」


「間違っているのは、外見みためじゃない」


 額に汗を滲ませながら、腰を少しだけ落とす。

 

「間違っているのは、思想なかみの方だ。今の貴方は命を軽んじている」


「軽んじていない」


「なら、何でそんな禍々しい殺意を放っているの?」


 目を逸らす事なく、商人の目をじっと見つめる。

 ……やはり負目があるのだろうか。

 彼は私の目を見てくれなかった。


「以前の貴方はそんな匂いを纏っていなかった。……今の貴方は、……濃い死の匂いを放っている」


 噴火寸前の火山のように、商人の身体から嫌な匂いが湧き立ち始める。

 今、ここで口を止めたら、彼の機嫌を損ねずに済むだろう。

 だが、私の中にいる理想の私が再現の選択肢を奪い取った。


「……一体、貴方は何をしでかしたの?」


 その一言を発した瞬間、商人は決壊した。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 野太い声を上げながら、私の顔面目掛けて拳を振るう。

 攻撃を予知していたお陰で、何とか躱す事ができた。

 躱した商人の拳が煉瓦に覆われた地面に突き刺さる。

 色褪せた煉瓦が砕け散り、地面に彼の拳の跡が刻み込まれた。


「何でそんな事を言うんだよ!?……お前は、……! お前は、聖女じゃない!」


「だから、元聖女だってば……!」

 

 両足に強化魔術を付与しつつ、商人が放ったニ撃目を避ける。

 大振りだったため、彼の放った拳は非常に避け易かった。

 両足の機能が強化された瞬間、私は商人に背を向け、地面を思いっきり蹴り上げた。


「待てっ!」


 商人の声が聞こえてくる。

 私は彼の声を背中で受け止めると、脇目を振る事なく、全速力で走り始めた。

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