第3話








「おいおい、聖女さん。あんた、徒歩で西の果てに向かうのか?」


 城下町を歩いていると、仲の良い商人から声を掛けられた。


「だから、聖女ではなく、元聖女だって」


「んな事は聞いてねぇよ。本気で徒歩で行くつもりなのかって聞いてんだよ」


 前に突き出たまんまるお腹が特徴的な中年男性──商人は心配そうな表情を浮かべながら、私の隣を歩く。


「此処から西の果てまで、どれくらいの距離あると思ってんの? 徒歩で行ったら一ヶ月くらいかかるぞ。悪い事は言わねぇ、馬借りろ。あと、ついでにボディガード雇え。聖女さん、戦闘はダメダメなんだろ?」


 手入れされた短い髪を右手で撫でながら、商人は小さい瞳で私の横顔を覗き込む。

 意外と整っている小鼻がちょっとだけヒクついた。

 

「馬借りるお金もボディガード雇うお金も持っていない」


「はあ!? あんた、旅舐め過ぎだろ!? このまま何も用意せずに城下町出たら、間違いなくヤラれるぞ! ボディガード雇っていない女なんて、ネジ背負った鴨だ! 城下町の外出た途端、飢えた男に襲われるぞ! さっさと第三王子の所に戻って、金と馬と騎士借りて来い!」


「あー、もう、うるさいなー」


「大人の忠告はありがたく聞いとけ、小娘! お前は王都の外の世界を舐め過ぎだ!」


「小娘って言われる歳じゃないと思うんだけど。こう見えて、私二十歳超えてるし」


「四〇過ぎの俺にとっちゃ、お前は十分小娘だっ! つーか、こないだ二十歳になったばかりだろ!」


「え、何で知っているの? まさか私に気が……」


「ある訳ねぇだろ! 俺は嫁一筋だっての! というか、お前こないだ会った時、俺に誕生日祝い強請(ねだ)っただろうが!」


「あー、言ってた。そうか、私が漏洩元だったのか。これは失敬」


 駄弁りながら、城下町の裏路地を歩く。

 煉瓦の建物に囲まれた裏路地は閑散としていた。

 地面を覆う薄汚れた石畳。

 外壁に描かれた子どもの落書き。

 路地の隅に置かれた植木鉢に放置された木の椅子。

 真昼間だというのに、私と商人以外の人は何処にも見当たらなかった。

 表通りから沢山の人の声が聞こえてくる。

 うん、いつも通りだ。

 おかしい所は何処にも見当たらない。


「そういや、まだプレゼント貰ってなかったよね? だったら、今すぐプレゼントという名の大金を……」


「聖女が民にお金を集ろうとすんな!」


「聖女じゃない。元聖女だ」


「本当、お前、俗物だな! 何で聖女になれたんだよ!?」


「それは先代聖女に聞いてよ。私だって分からないんだから」


 冗談を言い合いながら、右手に持っていた長方形の鞄を左手に持ち替える。

 冷たい風が裏路地を通り過ぎた。

 肌寒さを感じながら、息を吐き出す。

 先月よりも暖かくなった影響なのか、吐き出した息は白く染まらなかった。


「で、聖女さん、あんた何処に向かっているんだ? こっちの道通っても、王都から出られないぞ」


「今は第四孤児園に向かっている。王都(ここ)出る前に挨拶しとこうかなって」


「あー、なるほど……ん? だったら、何で此処通っているんだ? 城から第四孤児園行くのに、この路地使わなくね? 何で遠回りしてんだ?」

 

「ついでに炊き出し責任者に釘刺しとこうかなと思って」


「俺に挨拶しに来たんだったら、素直にそう言えや捻くれ者」


 呆れたように溜息を吐き捨てる商人を横目で見る。

 二股の路地が私達の前に立ちはだかった。

 私は右の道を、商人は左の道を、選択する。

 別れ際、商人は私に手を振った。


「なんか困った事があったら、素直に言えよ。余裕があったら、手貸すわ」


「うん、ありがとう」


 お礼の言葉を告げた後、商人と別れる。

 彼と別れた瞬間、私は息を胸の中に詰め込んだ。

 

「……よし」


 深呼吸を行った後、孤児園に向かって歩み始める。

 私が最初の一歩を踏み出した、その時だった。、


「──っ!?」


 地面が縦に揺れる。

 激しい縦揺れの所為で、私は地面に尻餅を突いてしまった。

 裏路地に置いてあった植木鉢が転倒する。

 表通りから人々の悲鳴が聞こえてきた。

 地鳴りが鼓膜を激しく揺さぶる。

 私と違い、揺れを屁でも思っていないのか、周囲にある煉瓦の建物は小刻みに身体を揺らしていた。


(一体、何が起きて……!?)


 私の疑問に答えるかのように、城の方から噴出した『藍色の炎』が天を貫く。

 一瞬だった。

 城の方から出てきた藍色の炎が天を突いたのも。

 藍色の炎が空を覆ったのも。

 変化した状況を把握しようとする。

 が、それよりも先に異変が起きた。


「……なっ」



 天を貫く藍色の炎が『人の形』に変形していく。

 人の形となった巨大な炎は宝石のように煌めく藍色の瞳で地上を見下ろしていた。

 巨人と化した藍色の炎を見た途端、ある単語が脳裏を掠める。


「魔王……」


 魔王。

 神話の時代、初代聖女に封印されたと言われている規格外の化物。

 心身に刻まれた原初の恐怖が耳元で囁く。

 あの藍色の化物こそが『魔王』だ、と。

 

「……」


 魔王と思わしき巨大な化物は足下に広がる王都を見下ろす。

 蟻のように足下に群がる私達を見た化物は、頬を醜く歪ませると、ゆっくりと右腕を振り上げ──

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る