第2話


「本当に聖女を辞めるつもりなのですか?」


 第一王子から婚約破棄を言い渡された翌日。

 引き継ぎを全て終わらせた私は庭園で紅茶を啜っていた。


「はい。私よりも聖女に相応しい人が現れましたから」


 私をお茶会に誘ってくれた第三王子──アルフォンス・エリュシオンを一瞥する。

 私の慈善活動の支援者である第三王子は、白い椅子に座った私を見つめたまま、朗らかな笑みを浮かべていた。


「冗談はよして下さい。貴女より聖女に相応しい人は存在しません、ミス・エレナ。貴女は自己評価が低過ぎる」


 私の向かい側に座ったアルフォンスは、軽く咳払いをすると、コップの中に浮かんだ茶葉を見つめながら、称賛の言葉を口にする。


「貴女がこの国の為に尽くしてきた功績を、僕は誰よりも理解しているつもりです。貴女は常に弱者の事を考え、身を粉にして働いてきた。そんな聖女に相応しい人を他に知りません」


「ありがとうございます。でも、私は聖女に相応しい素質を持っていませんよ」


 私の事を過大評価してくれるアルフォンスに苦手意識を抱きつつ、背筋の筋肉を少しだけ強張らせる。

 何故か知らないけど、彼──アルフォンスは私の事を滅茶苦茶買い被っている。

 第一王子とは違い、人間的に何も問題はないのだが、こうも褒められると、否応なしに苦手意識を抱いてしまうというか何というか。

 多分、彼は私の事を聖人君子だと思っているんだろう。

 彼の瞳を覗き込む。

 彼は私という人間の善性を疑っていなかった。

 ああ、ダメだ。

 過大評価されている所為で胃が痛くなってきた。


「魔法を使えない私では、万が一の時が起きた場合、皆を守る事ができませんし」


 ゆっくり息を吐き出す事で、緊張で強張った身体を解そうとする。

 だが、アルフォンスのキラキラした眼差しの所為で、身体は強張ったままだった。

 いけない。

 無意識のうちに身体が彼の期待に応えようとしている。


「万が一とは、……『魔王』の封印が解けた場合の事を言っているのですか?」


 首を縦に振る。

 聖女の役目は三つつ存在する。

 一つは、弱き者達に救いの手を差し伸べる事。

 もう一つは、魔王の封印を維持する事。

 そして、最後の一つは、魔王の封印が解けた時、もう一度、魔王を封じる事だ。


「聖女の証である神造兵器を使えば、魔王を再封印できる。けど、魔法を使えない私では魔王を再封印する状況を作り出せないでしょう」


 才能のない私は『魔法』──先天的な超能力を使えない。

 その上、『魔術』──魔法を再現した技術。後天的に身につける事ができる──も基本的なものしか扱えない。

 簡単に言ってしまえば、私の戦闘力はほぼゼロなのだ。

 とてもじゃないが、三つ目の役目──魔王の再封印を果たせそうにない。

 

「ミス・エレナ。考え過ぎでは? 魔王というのは、神話の存在。実在するかどうかさえ曖昧な存在です。仮に実在したとしても、貴女一人で対処する必要はない筈です。この国には騎士団がいます。魔法だけでなく武術も習得している彼等なら、貴女抜きでも魔王を再封印できる状況を作れ……」


 まだ病が完治していないのだろうか。

 アルフォンスは懐から取り出したハンカチで口元を押さえる。

 そして、聞いていて心配になる勢いで咳き込んだ。

 

「大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫です。ちょっとお茶が喉に詰まっただけですから」


 平然と嘘を吐きながら、アルフォンスは作り笑いを浮かべる。

 とてもじゃないが、大丈夫のように見えなかった。

 

「お察しの通り、今日の僕の体調はあまり優れていません。ですから、探り合いは此処までにして、本題に入りましょう」


 冷たい風が庭園の花々を優しく撫で上げる。

 春の訪れを予感させる冷たい風が骨の髄に染み込んだ。

 視線を落とし、目の前にある紅茶を乗せた白いテーブルをじっと見つめる。

 使われ始めて、それなりの月日が経過しているのか、白いテーブルの塗装は少しだけ剥げていた。


「単刀直入に要求を突きつけます。ミス・エレナ、聖女を続けて下さい」


 軽く咳き込みながら、アルフォンスは私の瞳をじっと見つめる。

 彼の瞳は花のような香りを放っていた。

 ゆっくり息を吐き出した後、私は彼の瞳を見つめ返す。

 敢えて言葉を口にしなかった。

 彼の話を最後までちゃんと聞くために。


「貴女が聖女になって早五年。この五年間、貴女は聖女として結果を出し続けました。孤児園の増設。浮浪者を対象にした炊き出し。災害に見舞われた城下町の復旧作業。全て貴女がいなければ、成し得なかった事でしょう」


 ゆっくり紅茶を啜りながら、アルフォンスは息を吐く。


「正直な話、僕達為政者にとって、貴女のような人材はとても貴重なのです。弱者に寄り添う事ができる貴女の様な人が」


「買い被り過ぎですよ。私はただ先代聖女の活動を引き継いだだけ。聖女としてやるべき事をやっただけです」


「世の中には、やるべき事をやらない人もいます……例えば、次の聖女であるアリレルさん、……とか」


 天を仰ぐ。

 青く澄み切った空には、固形化した極光が浮かんでいた。

 うん、いつも通りの空だ。


「なぜ兄さんがあの人を次期聖女として選出したのか分かりませんが、彼女は聖女として相応しくない。彼女は王族や貴族以外の人間を見下している。彼女が聖女になったとしても、弱者の救済は行わないでしょう。最悪、貴女が設立した孤児園を閉園に追いや……」


「それに関しては大丈夫です」


 アルフォンスの言葉を遮りながら、紅茶を飲み干す。

 甘い香りが口内を満たした。

 うん、とてもデリシャス。


「最悪の場合に備えて、孤児園運営や炊き出し活動の代表者は他の人に変えておきました」


 飲み干したカップを小皿の上に置く。

 アルフォンスは目を大きく見開きながら、私の瞳をじっと見つめていた。


「私がいなくても、アルフォンス様と先代聖女の後ろ盾さえあれば、活動に支障はないでしょう。今現在、行われている全ての慈善活動は、私抜きでも続けられます」

 

 アルフォンスは何も言わず、私の言葉に耳を傾けていた。

 一体、彼は何を考えているのだろうか。

 彼の瞳はまるで何かを訴えかけているみたいだった。


「たとえ次の聖女が人でなしだったとしても、貴方の支援さえあれば、何も問題はありません。私の代わりにその方を支えてくれれば……」


「ミス・エレナ、本当に聖女を辞めたいのですか?」


 アルフォンスの声色が一段と低くなる。

 彼が放つ威圧感の所為で、つい身体を強張らせてしまった。

 

「僕の権力(ちから)と国王の弟君の妻である先代聖女の力を合わせれば、兄さんの婚約破棄宣言を撤回させる事ができると思います。或いは、兄さんではなく、僕の……僕の婚……いえ、何でもありません」


 最後まで言い切る事なく、アルフォンスは言葉を濁らせる。

 彼が何を言いたいのか、全く理解できなかった。

 いや、理解できないのは当然だろう。

 だって、彼は『本当に言いたい事』を伏せているのだから。


「聖女としてやれる事は全てやり尽くしました」


 アルフォンスから目を逸らし、腰掛けていた白い椅子から尻を離す。

 私が立ち上がった途端、彼の瞳が少しだけ濁った。


「今まで私がやっていた事は他の人がやってくれます。もう聖女を続ける理由が無いのです。ですから、私よりも素質のある人を聖女にした方が得策だと思います」


 私の主張に対して不安を抱いているのか、アルフォンスは唇を尖らせる。

 子どもっぽく不満げな態度を露わにする彼を見て、思わず頬の筋肉を緩めてしまった。


「第一王子の選んだアリ……アリ……アリ……ぐふん! ぐふん! さんが、聖女に相応しいかどうかに関しては、貴方や先代聖女に任せます」


「ミス・エレナ。誤魔化せていませんよ」


「魔法が使えない以上、遅かれ早かれ、この状況に陥っていたでしょう。時が来たってヤツです。きっと聖女としての役目は、全て果たし終えたんだと思います」


「……」


 アルフォンスは口を閉じてしまった。

 真顔のまま、立ち続ける私の顔をじっと見つめる。

 何を考えているのか、外見だけでは分からなかった。


「……ミス・エレナ。貴女はこれからどうするつもりなんですか?」


「西の果てに向かう予定です」


 立ち上がったまま、椅子に腰掛けるアルフォンスを一瞥する。

 私の言いたい事を理解したのか、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「仲の良い商人から聞きました。西の果てで大規模な土砂崩れが起きた、と。とりあえず土砂災害で困っている人達を助けに行こうと考えています」


 今までは『聖女、城から離れるべからず』というルールの所為で、王都外での活動は制限されていた。だが、今の私は聖女ではない。

 ただのプー太郎だ。

 聖女の役目は他の人に任せて、私は私にしかできない事を精一杯やろう。


「……その後は?」


「王都外で困ってそうな人の助けになります。まあ、簡単に言ってしまうと、新天地でセカンドライフを送るってヤツです」


聖女時代ファーストライフと大差ない生き方ですね。……本当に、それでいいんですか?」


「聖女では助けられない人達を助ける。それこそが、私が果たすべき次の役目だと考えております」


「ミス・エレナ。最後に一つ聞かせてください」


 アルフォンスは私の言葉を遮ると、鋭い視線をぶつける。


「──貴女は何故人を助けるのですか?」


 彼の眼は、こう言っていた。

 『本音が知りたい』、と。

 だから、私は包み隠す事なく、本音を口にした。


「自分のためですよ」


 私の答えを聞いた途端、アルフォンスは表情を強張らせる。

 そして、軽く咳払いすると、首を少しだけ横に傾けた。


「人助けに生き甲斐を見出しているから、人を助けているだけです」


 自分でも思う。

 私は性格が悪い、と。

 というか、性格が悪い云々のレベルじゃない。

 誰かの不幸で成り立っているものを生き甲斐にしている時点で、性格が終わっている。

 偽善者という言葉が重くのしかかる。

 ……やっぱ、私という人間は聖女に相応しくない。

 そう思いながら、椅子の近くに置いていた鞄を拾った後、私はアルフォンスに頭を下げる。


「では、そろそろ行かせて貰います。また会いましょう、アルフォンス様。ご健勝をお祈り致します」


 別れの言葉を告げた私は踵を返す。

 そして、躊躇いなく、庭園を後にしようとした瞬間、湿った声が背中に突き刺さった。


「エレナさん」


 いつもと違うアルフォンスの声が私の視線を惹きつける。

 振り返るつもりがなかったのに、反射的に振り返ってしまった。


「…………いってらっしゃい」


 冷たい風が僧侶服を着た私の身体を微かに揺らす。

 何か言いたい事があるのだろうか。

 アルフォンスは湿っぽい笑みを溢していた。

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