女王様の休日

エドゥアルト・フォン・ロイエンタール

Les vacances de la princesse

Grüß Gott.いいえBonjour.

 慈悲深きお父様、神聖ローマ皇帝フランツ一世と、偉大なるお母様「女帝」マリア・テレジアの15人目の子供、フランス王ルイ16世の妃マリア・アントーニア改め、マリー・アントワネットですわ。

 今日は安息日、一週間の仕事の疲れを癒す貴重な日ですわ。有意義に過ごしたいですわね。

 まず、あなたはどなた様なのかしら。

 なるほど。地方貴族の長女で、成人が近いからパリの宮廷と、貴族の生活というものを見てくるように、と言われてやってきたのですね。でも、それならばここ小トリノアン宮殿の、ましてや、「ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ」に来るよりも、ヴェルサイユ宮殿の方に行ってきた方がよろしいと思いますわ。お望みなら、私から国王陛下に謁見できるように手配しますわよ。

 え。あそこは糞尿と香水の匂いで気絶しそうになるから逃げてきたですって。ふふ、確かに。あそこはとても形容しがたいほどの異臭がしますわね。それでも私が、ここに嫁いできたばかりの時よりは、はるかにましになりましたのよ。

 せっかくなので、あなたもお座りになって。今、紅茶を入れさせますわ。そこのあなた、いつものやつを入れてきてちょうだい。

「わかりました。女王陛下。今お持ちします」

 もう、何度も言ってるじゃない。「マリー」でいいって。いつも「女王陛下」と呼ばれると気が滅入るのよ。せめてここだけでもその呼び方はやめて。

「わかりました。……マリー様」

 それでいいわ

 それではさっきの話の続きね。

 先ほども話したけれど、私はオーストリアから外交の道具としてフランスへ嫁いできたわ。もともと私ってフランス語が得意ではなかったの。結婚の1年ほど前から詰め込みで覚えさせられたのよ。ひどすぎると思わない。14歳の時に、一つ歳上で今の夫のフランス王ルイ16世と結婚したの。最初は国民も歓迎してくれてたんだけど、しばらくしてから今日まで、根も葉もない嘘が流布して、私や夫が心無い誹謗中傷にさらされるようになったわ。どうせ私のことをよく思ってない貴族が嘘を流して広めたのよ。

 え。話の続きになってないですって。私としたことがごめんなさい。いつも意地汚いデュ・バリー夫人とその取り巻きが、私や私のお友達たちに嫌がらせをしてくるから、少し気がたっていたわ。

 えっと何の話でしたっけ。

そうだったわ。宮廷の異臭が前よりはましになったという話だったわね。

「お紅茶をお持ちしました。『いつもの』です」

 ありがとう。客人にこれが何か説明してあげて。

「今日のお紅茶はラ・ディスティルリー・フレールの『カトル・フリュイ・ルージュ』というチェリー、ストロベリー、ラズベリー、レッドカラントの4種類の赤いフルーツを使った紅茶です。鮮やかな赤い色と酸味が特徴です」

 解説お疲れ様。さぁお礼にあなたも一杯どう。

「いえ。お客様とマリー様でお楽しみください」

 そう……残念ね。さぁ冷めないうちにいただきましょ。

 どうしてこんなにもてなしてくれるのかですって。おいしい紅茶を飲みながら過ごす休日は、心地よいわ。その心地よさを分かち合いたいだけよ。あと「ノブレス・オブリージュ」って知ってるでしょ。その言葉の意味する「社会的な地位に就くものはそれ相応の義務と責任を背負うものである」の一環として王女たる者として、貧しい臣民に施し、導く義務と責任を自負しているから、今あなたに紅茶を振舞ったのもその一つね。

 え。なぜ女王陛下は素敵な香りがするのかですって。あなたもそう呼ぶのはよして。それはそれとして、私がなぜ良い香りがするのか、その秘訣を教えてあげるわ。

 まず水のお風呂に入ることよ。それからバラやスミレ、ハーブなどの植物を使った香水を使ってるの。私が来たばかりの頃は「どの貴族もお風呂に入る」ということをしてなくて、どの貴族も体臭を動物系の香水や、東洋から取り寄せた香水を使って中和していたから、いろいろな香りが混ざり合って、とても耐えられなかったわ。

 だから私、仲良くなった貴族夫人に、入浴の素晴らしさを説いて、植物系の香水を使わないか言ってみたの。そしたらそれが広まって自然と動物的な異臭は減ったわ。それでもあそこは匂うけれどね。

 マリー様はなぜ庶民的なモスリンのシュミーズを着ているのかですって。普段はあなたの着ているような、ローブ・ア・ラ・フランセーズを着ているわ。でもここは私の宮殿、ヴェルサイユ宮殿じゃないから、もっと気楽にゆったりと過ごしたいのよ。あと私ね、ずっと庶民の田舎にある村にあこがれてたの。だからここを作らせて、よくここで過ごしてるわ。

 そろそろランバルが来るはずね。この後、ルブランがこの前私を描いてくれた絵を見せに来るから、みんなで見に行くの。よかったら一緒に行きましょ。もちろん行くのは小トリノアン宮殿の方よ。え。迷惑になるから帰りたいって。気にしなくてもいいわ。むしろ私を描いた絵を見て、似てるか感想を聞かせて。きっといい経験になるわ。それに私のお友達と顔見知りになっておくのを、あなたのご家族もお望みのはずよ。

 じゃあ決まりね。早速小トリノアンへ行きましょ。

「その必要はないわ。きっとここにいると思って、出向いてきたの」

 あら、ランバル。元気にしてた。

「数日前に会ったばかりじゃないマリー。そちらの可愛らしいお嬢さんはどなた」

ごめんなさい。来てもらって申し訳ないけど、ルブランが描いた絵が来るから、小トリノアンに行かないといけないの。だから歩きながら話しましょ。えっとこの娘は地方貴族の長女で、成人が近いからパリの宮廷を見に来たのだけど、ヴェルサイユ宮殿があまりにも匂うから逃げてきたみたい。そしたらたまたま私のところに来て、一緒にお話ししていたの。

「あら、こんなに若いのに立派ね。パリとここヴェルサイユはどう。いろいろすごいでしょ。私も地方のサヴォイアからここに来たから、気持ちがすごくわかるわ。初めて見る物ばかりでとても新鮮な感じがするでしょ」

ランバルとは、私が初めてフランスにやってきた時からのお友達なの。

「ところで今日ヨランドは。いつも一緒にいるのに」

 彼女の娘のアグラエが結婚をするのは知ってるでしょ。だから一足先に実家へ帰って、やることがあるみたい。

「そうだったのね。言ってくれればお見送りぐらいしたかったのに」

全くそうね。

 ヨランドとアグラエとはだれかって。ヨランドことポリニャック伯爵夫人は、私のお友達でとってもきれいなのよ。アグラエは彼女の長女のことよ。成人でもないし、まだまだお転婆お嬢ちゃんなのに、結婚だなんて少しかわいそうな気もするわ。あら。話していたらもう着いてしまったわ。お友達とお話ししているとすぐに時間が過ぎるわね。さぁ入って。

 ロザリー、絵は届いてるかしら。

「はい。マリー様。自室に運ばせました」

 ご苦労様。ルブランはどうしたの。一緒に来ていると思ったのだけど。

「今日は忙しいらしく、代理の方が持ってこられました」

 分かったわ。さぁ行きましょ。

「お待ちしていました。女王陛下」

 あなたがルブランの代理人ね。

「はい。ルブラン様は、別件で手が離せないから私に絵を渡すようにと託されました。ささ、完成した絵をご覧ください」

 さすがね。相変わらずよく描けてるわ。

「これは離宮にいる姿を描いているのね」

 どうかしら。この絵はハプスブルク家の令嬢としての私、フランス王妃としての私としてではない、ありのままの着飾らない私を見てほしい、という願いから描いてもらったの。よかったら、感想を聞かせて。

 そう。あなたもわかってくれるのね。ありがとう。例えそれがお世辞であったにしても、私はすごくうれしいわ。代理人さん、ルブランに『素晴らしい出来栄えだった。代金は後日持っていかせる』と伝言を頼みますよ。

「承りました。では私はこれで失礼します」

 そうそう。この後久しぶりにベルタンがやってくるの。ランバルや客人も一緒に見ていかないかしら。

「ごめんなさい。ちょうど先日彼女から、新しいドレスを買ったばかりなの。だから今日は遠慮しておくわ」

 じゃああなたはどうするの。え。流行の最先端を行くドレスは高くて買えないですって。なら仕方ないわね。私一人で見るわ。

 そろそろヴェルサイユ宮殿の方に戻らないといけないですって。

 残念ね。ならベルタンが来るまでの間ヴェルサイユ宮殿に行くついでに、私もやることがあるわ。一緒にやりましょ。

 何をするのか気になるって。やることは単純。だけどとても意味のある立派な行為よ。それはね。貧民街や孤児院の子供たちに、食べ物を配るための寄付金を募るの。これは聖書に書かれている、隣人愛と少し前に話した「ノブレス・オブリージュ」の両方の義務を、一手に果たせる素晴らしい行為だと思うの。ここにいる貴族に限らず、きっと世界中の貴族は、みんな自分と家族のことしか考えてない。でも私は国民の幸せを願っているわ。確かにさっき言った聖書に書かれた義務と、王妃としての義務から始めたことだけど、私の幸せを願う気持ちは本当よ。デュ・バリー夫人を筆頭ととした貴族や、国民の一部から、すごく嫌われているのは知っているわ。でも私はそんな彼らを憎んだりしないわよ。これは私の自己満足かもしれないけれど、上に立つ者としての義務と宿命として、受け入れているから。

 ごめんなさい。関係のない私の与太話まで聞かせてしまって。さぁヴェルサイユ宮殿に行きましょ。あなたも早く帰らないと困るのでは。

 え。一人で大丈夫だから来なくても平気ですって。そう、わかったわ。今日はありがとう。楽しいお話ができて私、すごくうれしかったわ。また来ることがあったら会いに来て。その時も楽しくお話しましょ。À bientôt.

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