9
サプライズパーティーから五ヶ月。
長いかと思われた月日は驚く程あっという間に流れていった。
試食会の日からカナもアズベルトも、忙しくも充実した日々を送ってきた。
主に『市場』の準備に追われて来た二人だったが、アズベルトはそれに加えて魔道具の試験運転の実証実験も行って来た。
国からの支援も受けてのこの事業は、とても大きな仕事の一つで、領地の今後も担っている重要な案件だ。
カナは忙しい合間を縫ってゲネシスとの会談を重ね、ようやく蓄電器の実用化に漕ぎ着けたのである。
今までは河から遠かった農家は雨に頼るしかなかった問題が、井戸水が自動で汲み上がるようになった事で、安定して収穫量を確保出来る見込みが立ったのだ。その手間と時間が無くなった分、今後は更に収穫量を伸ばしていけるだろう。
その収穫物を扱うオラシオンの市場『エスポワール』が遂に完成し、今日は待ちに待ったオープニングセレモニーが行われる。
カナが名付け親で、元々オラシオンには『祈り』の意味があり、エスポワールには『希望』の意味がある。
統合された二つの領地の未来が、明るく希望に満ちたものになるようにとの意味合いを込めてエスポワールとした。
式典に参加する為、カナとアズベルトは前日からオラシオンへと訪れている。
領主をアズベルトに任せてからは引き篭もって自給自足生活をすると言っていたカナリアの両親を説得し、エスポワールの管理者として今しばらく現役を続けて貰う。
引退するには若すぎる年齢でもあった。
市場の筆頭契約農家は、もちろんシュトレーゼ夫妻だ。今はまだ契約農家は数軒だが、今後作物の収穫量が増えてくれば自ずと契約件数も増えていくと予想している。
それを実現させる為にも、今日のセレモニーは絶対に成功させなければならなかった。
今回の付き添いにはナタリーの他にクーラも同行している。
二人は半年の婚約期間を経て少し前に籍を入れ、今は本宅の敷地内にある既婚者用の使用人宅へと移り、新婚生活を満喫しているようだ。
結婚してからは、ナタリーの雰囲気が一層柔らかくなったように思う。
特段刺々しかった訳ではないが、どこか張り詰めているような感じはあった。それが無くなったように思える。
何にせよ、前にもまして仲睦まじく、溢れ出る幸せオーラにこちらまでほっこりしてしまう。
ナタリーの結婚を機に、婚活に力を入れるメイドが増えたと、メイド長のコーラルが嬉しそうに話していた。
オープニングセレモニーは二部制で行われ、一般の領民も招待した。
大勢の領民が訪れ、もちろん領主夫妻に会いにという人も多かったが、地元の物を地元で消費したいという願いはやはり多くの人が抱いていたようだ。
中でも人気だったのが、特産品を使用したお菓子の詰め合わせだ。
一番人気はオラシオン(という花)の蜜を使用したプリンだ。こっくり濃厚な卵とミルクのプリンに、甘く爽やかな花の香り。その美味しさに子供から大人まで、年齢層は幅広い。
カッチャやクワワと言った野菜を使ったプリンは、野菜を取るのが難しい子供を持つ母親に大人気だ。
これらを使用したレシピは、お菓子に留まらずもっと増やす必要があるとリサーチしておく。
食堂の方も大盛況だった。
中でも『和食』の人気は高かったらしく、それに合うお酒も一緒によく出ていたようだ。
「是非和食と一緒に飲んでみたい」と言ったカナを、アズベルトがやんわりと止めていた。
一通り見届け問題が無い事を確認すると、カナは他の貴族と談笑しているアズベルトへ声を掛けた。
「少し疲れてしまって……先に戻っていても良いかしら?」
自分も手掛ける大事なセレモニーだし最後まで見届けたかったが、ここで無理をしてアズベルトに余計な負担を掛けたくない。
今夜もカナリアの実家で過ごす事が決まっていた為、カナは自分だけ先に向かう事にした。
「勿論だ。確かに顔色が良くないな……ナタリーに付き添ってもらおう」
ナタリーとカナリアの母であるプリメールも付き添い、カナは一足先に屋敷へと戻った。
ここ数日、何となく体調が優れないなと感じていた。が、寝込む程でなかった為に誰にも言わず、いつも通り過ごしていた。忙しくやる事が沢山あったせいもある。
そうして多少なりとも無理をしたのがいけなかったのだろう。ベッドへ入ると緊張が解けたのか、ぐっと体調が悪化してきた。
胃の腑がムカムカしていて何となく気持ちが悪い。久しく感じていなかった倦怠感にも見舞われ、体温もいつもより高い気がした。
そのせいか、カナがこちらの世界に来たばかりの頃を思い出してしまった。
あの時はザ・病人だった為に、身体が怠く熱っぽくてもこんなものかと思えたが、元気だった人間が体調を崩すと中々に辛いものがある。
「まさか……ここに来て再発したんじゃ……」
元気に過ごせていた事で、病は治ったものだと思い込んでいた。もちろん医者にも「もう大丈夫だ」とお墨付きは貰っている。
それなのに今更どうして、と不安が心を支配していった。
「主治医の先生をお呼びしましょう」
プリメールが直ぐに連絡をすると、いくらも待たずに医者がやってきた。カナリアがまだ実家で療養していた頃に看てくれていた老齢の翁だ。
時間を掛けてカナを診察すると、プリメールへアズベルトを呼ぶよう伝えたのだ。
「そん、な……」
カナはショックのあまり目の前が真っ暗になった。
折角元気になれたと思ったのに……
カナリアの代わりに願いを叶えられると思ったのに……
ずっと、アズの側にいられると……
悔しくて、悲しくて、涙が溢れた。
嗚咽を漏らしながら泣き出してしまったカナに、主治医は穏やかに声を掛ける。
「リア嬢。しばらく具合の悪いのが続くだろうが、ちゃんと安静にしていれば大丈夫」
「……はい」
「食欲は無いだろうが、食べれる時はしっかり食べて栄養を沢山つけないといけない」
「……はい」
尚も泣き続けるカナの肩に、翁の手がそっと添えられた。
「お母さんに元気がなければ、安心して大きくなれないだろう?」
「……はい。………………え?」
驚きに瞠目し顔を上げた時、激しく開かれた扉から慌てた様子のアズベルトが入って来た。息を切らしている事からも、余程慌ててやって来た事がわかった。
「カナ!!」
駆け寄って来たアズベルトがベッドへ身を乗り出し、カナの両手を包み込むように握る。カナを映す琥珀色が不安気に揺れている。
「無理をさせてすまない! もっと気遣ってやるべきだった」
「アズ、大丈夫よ——」
「一体何故……病気は完治したと思っていたのに」
「あの、そうじゃなくて——」
「カナは何も心配しなくて良いから、後は私に任せてゆっくり休むといい。ゲネシスに早馬を出しておこう」
「アズ違うの! 聞いて! 病気じゃ、ないの……」
「……え?」
側で二人のやり取りを見ていた主治医が苦笑を零す。クスクスと喉を鳴らす翁を、アズベルトは訝しげな瞳で見上げた。
「やれやれ。お父さんがこれでは、先が思いやられますなぁ」
「な、に……どういう事だ……カナ……?」
「アズ……赤ちゃんが……出来たみたい……」
その場で固まったアズベルトの瞳だけが開かれていく。琥珀色が見つめるカナもまた、信じられない思いでアズベルトを見つめている。
「リア嬢の身体は健康そのもの。子供を宿しても、何の問題もないでしょう。しばらくは体調不良が続くでしょうが、安静にしていれば大丈夫ですよ。……良かったなぁ、ふたりとも……」
幼い頃から二人を知っている主治医は瞳を潤ませ、まるで父親のように、孫を見守る祖父のように、感慨深そうな表情を浮かべている。
ナタリーの瞳には涙が光り、プリメールはもう既にハンカチで顔を覆っている。
「アズ……? 大丈夫……?」
固まったまま動かないアズベルトに、カナはだんだん不安を感じて来た。
カナ自身、まさか身籠るとは思っておらず驚きを隠せなかったのだ。カナですらそうだったのだから、恐らくアズベルトにもその頭はなかっただろう。現に病気が再発したと考えて疑わなかった。
それがまさかの懐妊の知らせだった。
カナの脳裏には、初めて自分がカナリアではなくかななのだと伝えた時の記憶が蘇った。あの時の彼が示したのは拒絶。
それがまざまざと蘇った時——
アズベルトの瞳から零れた一筋の涙が、スッと頬を伝った。
カナが手を伸ばしそれを拭う。本人はカナがそうするまで、涙した事に気がついていなかったようだった。
唯々信じられないといった様子で固まっているアズベルトへ、カナは両手を伸ばして頬を包むとキスをした。
途端に表情を崩したアズベルトの身体を、カナはそっとしっかりと抱き締める。
アズベルトは声を押し殺すように、嗚咽を必死に耐えるように身体を震わせている。カナが腕に力を込めるとアズベルトも彼女の背に腕を回す。
カナの細くて華奢なその身体を、アズベルトは決意と覚悟を持って抱き締めた。カナの目にも涙が光る。
頬を濡らすいく筋もの跡は、いつまでもいつまでも光り続けていた。
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