章間話―17 アズベルトの花嫁

「レオドルド・サージェンスの行方は依然不明なままだ」


 目の前に座る友人のジルは、傾けたティーカップをソーサーに戻すと溜め息混じりにそう告げた。カップとソーサーはぶつかる音もなく自然と収まる。優雅で洗練された動作は、格式ばった社交の場でなくとも、それが日常であるとばかりに自然と齎される。


「そうか……」


 ジルの知らせに恐らくそうだろうと予想はしていたものの、私は複雑な心境であった。


 今はフォーミリオ邸の客間に彼と二人。護衛も席を外させている。

 昨夜、急に寄越された早馬で知らされたのは、ジルとゲネシスの来訪だった。恐らくこの件だと当たりはつけてあったが、ゲネシスの方はカナに用があるからと、彼女を連れて行ってしまった。

 ゲネシスは既に既婚者で美しい奥方がいる事は承知の上だったが、カナが彼の美貌に目を奪われやしないかと内心気が気でなかったのは気付かれていたのだろうか。


「レオドルドがこの国で進めていた事業は、全て白紙になったよ」


 ジルの言葉に顔を上げる。


「今回あの屋敷で捕縛した貴族達は、彼と極秘のルートをもつ者達ばかりだった。その元締めがあの屋敷の主。つまりレオドルドの親族の男だ」

「服毒自殺を謀った?」

「……そう。……レオドルドが何かを求める見返りに、彼らの事業に対し多額の寄付をしていたらしい」

「何か、とは?」

「鉱石だったり、植物だったり……あぁ、魔術書というのもあった。何せ一貫性がなくてね。一体何をしたかったのかが分からない」

「…………」


 ジルの話に考え込むようにカップを傾ける。中身はもうすっかり温くなってしまっていた。


「他国ではあるが、うちからサージェンス家に任意の出頭要請を出している。が、一向に応じる気配がない。恐らく家族とも決別しているのだろうな」

「……レオが独自で動いていた……?」

「推測だがな。カナ嬢を誘拐する為、この国の取引先を囮にしたのだろう。そんな事をすれば、今後商人としては生きていけない。……相当な覚悟の元だったのだろう」

「なんて馬鹿な事を……」


 レオドルドに協力し、屋敷をパーティー会場として提供した主人は快方へ向かっており、回復次第投獄される予定だ。今後、この国の法律によって裁かれる事になるだろう。彼の裁判が始まれば、行方の分からないレオの目的が何であったのか、解明の糸口くらいは見つかるかもしれないが……。

 レオは、恐らくこの国にはいないだろうと思う。

 死体もあがっていないから、きっと生きている。

 これで死を選ぶような男ではないと信じよう。それをカナリアは望まないと、奴も分かっている筈だ。


 

 話は済んだとばかりにカナの元へ向かうと、ゲネシスと見つめ合っているではないか。

 そんな筈はないと思いながらも、こちらへ駆け寄る彼女を隠すように胸に抱かずにはいられなかった。

 学生の頃のような軽口に、懐かしさが込み上げる。あの頃もこんな風によくゲネシスに揶揄われたものだ。彼曰く、私は揶揄いがいのある男だという。そんな風に言われた事などなかったから新鮮だった。

 カナに用があると言ったのは、彼女の肩と腕に出来た痣を治療する為だったようだ。驚いた事に、治癒魔法がしっかり効いたと言う。

 白さを取り戻したカナの腕を目にした時、言いようの無い感情が湧き起こってくるのを自覚した。

 これで痣を目にする度恐ろしい記憶に悲しい想いをする時間が減った。それだけでは無い。もし今後、彼女の身体に異変が起こったとしても、ゲネシスの力を借りる事が出来るかもしれないと言う希望が出来た。大きな希望だ。

 ナタリーの件も含め、彼には本当に感謝してもし足りない。

 痣を消してくれた事に免じて、今回だけは至近距離で見つめ合っていた事も、私の妻を誘惑した事も見逃してやる事にするさ。

 本当に、今回だけだ。





 そしていよいよ結婚式当日。

 その日の朝。カナに見つめられているのは知っていた。と言っても、起きたばかりだったのは本当だ。

 カナの眠りが浅かったのと同じように、私の眠りもまた浅かったのだ。

 髪を後ろへ流し、唇に触れてくるカナの手がくすぐったい。そして焦ったいとも思う。

 離れていく手を捕まえ、いつものように腰を抱き寄せる。

 初めて明確に示された独占欲に煽られて、そうせずにはいられなかった。

 君は知っているだろうか。私の中でカナの存在がどれほど大きなものかと言う事を。

 君に知って欲しい。カナを胸に閉じ込める度に溢れる熱が、容赦なく私の理性を焦がしていく事を。

 どんなに押し留めても、我慢しても、やっぱりカナが全部溶かしてしまうんだ。

 だからどうか驚かずに受け止めて欲しい。全部受け入れて欲しい。


「この身体も、心も……全部カナだけのものだ」


 この言葉に嘘偽りなど有り得ない。

 命すらもカナだけのものだ。




 今日という特別な日は、朝から既に慌ただしい。

 準備が整った頃を見計らって迎えに行くと、部屋の中央で身を寄せ合ってナタリーと二人、泣いているところに出会した。

 何かあったのかと慌てて駆け寄るが、まさかナタリーの結婚の報告が聞けるとは夢にも思わなかった。

 驚きはしたものの、最近のナタリーとクーラの様子を見ていれば納得のいくものだったし、こんなに喜ばしい事はない。

 私はすぐにクーラも呼び、今夜の披露パーティーに二人を招待すると伝えた。幸い衣装は用意出来る。

 長い間カナリアを支え続けてくれたナタリーには、是非幸せになってもらいたい。

 今夜はそんな二人にも楽しい時間を過ごして欲しい。



 挙式の前に調印式を執り行う。この地に伝わる婚姻の儀の一つだ。

 これにサインをすると晴れて正式に夫婦と認められるのだ。

 思わず見惚れてしまいそうな程美しく着飾ったカナの手を取り、調印式の為に用意された部屋へと入る。

 そこで我々を待っていたのは、本物の聖職者と言っても疑念を抱く者などいないだろうと思わせる姿のゲネシスだ。普段から愛用している黒のローブではなく、真っ白な生地に金糸で豪華な刺繍が施されたローブを纏っている。

 馬車での移動中も緊張に表情を固くしていたカナは、見知った人物の姿に安堵した様子で、笑顔に少しばかり柔らかさが戻っている。

 宣誓書に名前を書く際の震えた手が、困ったように笑う顔が、本当に愛らしい。そのまま手を握り、胸に抱き、可愛らしい唇を奪ってしまいたかったが、懸命に耐えた。それはそれは必死に耐えた。

 本当に色々な事がありすぎた三ヶ月だったが、ようやくだ。ようやくここまで来れた。

 自他ともに認める夫婦になれて安堵すると共に、幸せに満ち溢れている。そしてそれを実感しているのが私だけではないという事がまた余計に欣幸というものだ。


 式の参列者を聞き、再び身を固くしてしまった可愛い花嫁のこめかみにキスをした。

 周りなどどうでも良い。私の事だけ見ていてくれればそれで良い。彼女の目に映るのは自分だけで良い。割と本気でそう思っている。

 この美しい姿を大勢の目に晒すのも、本来ならば気が進まない。私が領主で、これが範例だから仕方がないのだ。

 器の小さな男だと、そう思われても、天使から女神に進化を遂げたカナに小蝿が群がるのは耐え難かった。

 式の途中、聖堂内で珍しい現象が起きていたというのは、後から知ることとなった。

 光の粒が降り注ぐ『女神の祝福』と言う現象だそうだ。集まった人々へ降り注ぐ光は、ステンドグラスの彩光を受け、それはそれは幻想的だったと言う話だった。

 あいにくだが、私の目には目の前で微笑を浮かべる本物の女神しか映らなかった。



 夜会のカナも本当に素敵だった。

 さすが彼女を溺愛しているメイド達の目に狂いも妥協もない。ドレスも装飾品もメイクも髪型も、全てが彼女の為にあるようだ。

 ここでも緊張で身を固くしていたが、音楽が始まるとオレの腕の中で楽しげに踊っている。忙しかっただろうに、随分と練習をしてきたのだろう。練習相手になった人物にまで嫉妬してしまいそうだ。

 今も周りにはカナの隣が空くのを待っている猛獣共が瞳を光らせている。休憩の間も、飲み物を取る間ですら、側を離れる訳にはいかなそうだ。

 何より、楽しそうにコロコロと変化するその可愛らしい笑顔をずっと見ていたかった。



 メインだったダンスを踊り、挨拶と紹介を一通り済ませると、ようやくカナを連れ出した。

 その意味を理解したカナは頬を染めて「待って」と言ったが、今日ばかりは聞いてやれない。

 気持ちが急いてしまっている自覚はあったが、恥じらうカナの腰を抱き寄せ少し強引に口付けた。

 そのまま抱き上げ寝室へ向かう。


「カナが欲しい」 


 激情を隠さぬままに彼女を見つめる。

 カナは胸を押さえながら、息を整えるように気持ちを落ちつけるように深呼吸すると、オレを真っ直ぐに見つめてくる。


「わたし、も——」


 その瞬間胸に抱いていた。よくも今まで押さえ込んでいられたものだと自分でも驚く程、溢れた感情を抑制する事が出来なかった。

 カナを美しく飾っていた装飾品ですら、今は邪魔なだけだ。

 カナに触れる唇が、手が、もう遠慮する事はない。オレがカナのものであるのと同じように、カナの全てはオレのものだ。

 白くほっそりとした指の先も、髪の毛の一本ですらオレだけの……

 緊張に震える手で懸命にシャツのボタンに触れるカナの頬へ、戯れにキスをする。「動かないで」と言われ、今度は艶々の黒髪に。待ちきれずに身体へ触れれば、ランプに艶めく白い肌が小さく震えた。

 ベッドへ縺れ合うとカナの腕が首へと絡み付く。彼女も同じ想いなのだと思うと、全身の血が沸き立ち震えた。


 愛してる——

 言葉だけではもう足りない。

 伝えきれない。

 どれ程君に触れても、求めても、身体を重ねても、全然足りないんだ。

 ごめん、疲れているだろうに……

 でも今夜だけは離してやれない。

 今はオレだけ見て、持て余すこの熱を受け止めて欲しい。

 オレにだけ溺れてくれ——

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