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婚姻の儀が滞りなく終わって二ヶ月が経った頃、フォーミリオの領主邸では本日、ある準備が着々と進んでいた。
オラシオンの市場完成に向けて工事が順調に進む中、市場で提供される商品や料理の試食会が行われる為だ。
領主邸にはフォーミリオだけでなく、オラシオンからも何組かの招待客があった。アズベルトとカナリアに近しい客のその中には、ゲネシス夫妻の姿もある。
本当ならジルも参加する予定だったが、急な予定が入ってしまい、今日の参加は見送りとなってしまった。
「彼にしては酷く分かりやすく落ち込んでいたよ。余程奥方の料理が楽しみだった様だね」
そんな話を、世の中の女子が全員思わず溜め息を吐いてしまいそうな笑顔で零され、カナは笑みを貼り付けながらも内心安堵していた。
アズベルトの友人とはいえ、この国の第一皇子である。和やかな雰囲気だったとしても、穏やかでいられる気がしない。
ゲネシスの隣に凛と立ち並ぶのは、小柄ながらも朗らかな笑みを浮かべた貴族然とした女性だ。ゲネシスの破壊力抜群の微笑をもろともしない事からも、カナは流石だとまたも内心で感嘆していた。ゲネシスが大衆の目を惹きつける薔薇なら奥様は奥ゆかしく咲く百合だな、などと考えながら、アズベルトと二人挨拶を交わす。
「よく来てくれたな。夫人も、是非楽しんでいってください」
「こちらは市場で販売しようと思っているお菓子の詰め合わせです。是非お持ちください」
三種類のプリンと二種類の焼き菓子を合わせた手土産用のセットだ。実際に販売する形式で手渡すと、二人とも非常に喜んでくれて、カナの方が恐縮してしまう程だった。
「ここに入っている魔石、これはもしや……」
ゲネシスが化粧箱の中から取り出したのは、魔石の欠片だ。淡い光を発するそれは、ひんやりと冷気を纏っている。
「はい。保冷石です」
カナとの対談で魔石の活用法にヒントを得たゲネシスが開発したものの一つだ。
アズベルトの領地で井戸水を自動で汲み上げる実証をするための『蓄電器』を生成中に、偶然出来た産物だった。それを実用的に改良し、プリンのように保冷が必要な商品も短時間なら持ち歩ける様になったのである。くず魔石までも実用化するという画期的な活用法は、フォーミリオを中心に広がりつつある。今後はさらに様々な魔石が魔道具(便利家電)となって世に広まっていくだろう。
先んじて、カナからはドライヤーと冷蔵庫を切望してある。もちろん領地の発展が最優先だが、ゲネシスは可笑しそうに快諾してくれた。
「そろそろ準備も出来る頃合いだ。移動しようか」
放っておくとまたカナとゲネシスの対談が始まってしまいそうだ。懸念したアズベルトが三人を促し、立食パーティー会場である庭へと向かった。
今日の準備にはカナも携わっている。
日保ちするものは数日前から準備し、食堂や宿で提供する予定のメニューに関しては、朝早くから使用人総出で準備してきた。
アズベルトが開会の挨拶に立ち、その後はカナと二人客人達への挨拶回りに向かう。
会場にはカナリアの両親と食材を提供してくれているシュトレーゼ夫妻の姿もあった。カナリアの両親と親交のあるナタリーの両親も呼ばれており、和やかに談笑している姿が見られる。
既に顔合わせの済んでいるクーラの両親も招待されており、彼らも会話に混じっているのが見えた。
カナはアズベルトと顔を見合わせると、そろそろ頃合いだとばかりに目配せし合った。
執事に呼ばれたクーラがカナとアズベルトの元へやってくる。
「旦那様、奥様、お呼びでしょうか」
「ええ、素晴らしいタイミングだわ」
「実は今日、君たちにプレゼントがあるんだよ」
思いがけない話に、クーラが驚きの表情を見せる。そんな彼をカナが「入り口を見て」と、振り返るように促した。
「!!」
クーラの視線の先、入り口のアーチから先輩メイドに手を引かれて現れたのは、菫色のグラデーションが華やかなシフォンドレスを纏ったナタリーだった。
恥ずかしそうに少々俯き加減で歩いてくるナタリーに、招待客から拍手と歓声が降り注ぐ。
「真っ白なドレスは貴方が着せてあげてね」
そう言ってカナがクーラの背をそっと押すと、言葉を発せないままの彼がゆっくりとナタリーへ近づいていく。
「……っ」
「……おかしい……?」
チークのせいか、羞恥のせいか、頬を赤く染めたナタリーが、おずおずとクーラを見上げる。クーラは緩く首を振ると眉尻を下げた。自然と口角が上がり頬がだらしなく緩んでしまうのは、もう仕方無いと諦めた。
「いいや。全然。……良く似合ってる」
「アズベルト様とカナリアが、私達のために計画してくれたみたいなの」
クーラが振り返ると、酷く嬉しそうな夫婦が寄り添ってこちらを見つめている。
「二人の門出を是非皆で祝いたいと思ってね」
「言い出したのはアズよ! 内緒にしておこうって話してたの。もう言いたくて言いたくて堪らなかったわ」
サプライズが成功して嬉しいのか、天使の微笑みが発動している。
二ヶ月前、改装する市場の視察に二人で訪れた際に、アズベルトがカナに耳打ちした提案がこれだったのだ。試食会と銘打って二人の両親も招待し、クーラとナタリーの婚約を皆んなでお祝いしようと言うサプライズパーティーだったのだ。
クーラが胸に手を当てると、カナとアズベルトへ向かって礼の姿勢を取った。謝意を尽くしても尽くしたりないくらいだ。
それでも今は。
改めてナタリーに向き直ると、恥ずかしそうに顔を上げた彼女を見つめた。掬い上げるように両手を握る。
「ナタリー」
「…………はい」
僅かに外れた視線が彷徨い、再びクーラへ向けられる。彼女の視界に、意識に、自分が入っているのだと言うそれだけで、クーラの心はどうしようもなく浮かれてしまう。それを落ち着けるように、一度小さく咳払いをした。
「どんな時も、一番側にいたい。私が側で、君を支える。君の覚悟を、一緒に背負う。だからどうか、私の妻に……なってください」
ナタリーのアメジストがゆらゆらと揺れている。頬の赤みが増した気がした。
握った手をぎゅっと握り返されて胸が高鳴った。
「はい」
小さく頷きながら最高の笑顔と共に寄越された返事に、身体中の血が沸き立つような錯覚を覚えた。
衝動を抑えきれずに、大勢の前だという事も忘れて口付ける。それがまるで誓いのキスの様だった。
歓声に包まれる中、カナはそんな二人の様子を涙しながら眺めていた。アズベルトが差し出してくれたハンカチを受け取る。
カナリアとの約束を果たそうと尽くしてくれた彼女が、自分の幸せなど常に二の次だった彼女が、後悔の無い選択をしてくれたのなら、こんなに嬉しい事は無い。
ずっと支えてくれたナタリーの幸せが、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
そしてそれはきっと直ぐ側で顔を覆っているナタリーの母も同様だ。ナタリーの選んだ道を尊重し応援していたからこそ、彼女が自分の意思でクーラという伴侶と出会った事を、心から祝福しているのだろう。
それを思うとやっぱり涙が止まらなかった。
結局更に貰い泣きする事になったカナは、ナタリーの母と共に瞼を泣き腫らす事になるのだった。
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