章閑話—12 メイドと執事—4

 私に求婚するような物好きなんていないと思っていたのに、まさかクーラからされるだなんて。

 夢にも思っていなかった。


 そう言う対象で見ていなかった事もあるのだろうが、本当に驚いてしまって、あの時は身体がまるで自分のものでは無いかのように動かなかった。

 身体を締め付ける腕が力強くて、否が応でも男性なのだと意識してしまった。

 どちらのものか分からない心音が酷く大きく聞こえてドキドキしたし、私しか映さないクーラの瞳に息をするのも忘れてしまう程だった。


 一体いつから自分の事をそんな風に想ってくれていたのか。

 私には何の価値も無いと言うのに。


 クーラの家は男爵の爵位を有していた筈だ。

 兄がいると聞いていたが、この道を選んだとはいえ、クーラ自身に継承権が無い訳ではない。

 もしも彼が家を継ぐ事になった時、価値の無い私なんてクーラにとって何の益も無いのだ。

 だからこの求婚も一過性のもので、いずれは忘れ去られていくのだと、そう思っていたのに……


「でもクーラの事、好きなんでしょ?」


 カナの口から飛び出した衝撃的な発言に固まってしまった。


「……は?」


 思わず間抜けな声が出てしまう程には衝撃だった。


 私が? 彼を? …………好き?

 そんな事、ある訳が……


「だって、クーラと話している時のナタリー、女の顔してるわ! どちらもお互いを信頼し切っている感じだし」

「……なに、言って……」

「あら? 違った? てっきり私、二人は想い合っているものだとばかり思ってたわ」


 カナにそう断言されて、みるみる顔が熱くなっていく。

 少なくともカナにはそんな風に見えていたのだと思うと、恥ずかしすぎて居た堪れない。

 懸命に否定すればする程、クーラからアプローチされていたのだと気付かされ、益々頭に血が昇っていく。

 そして私自身それが当たり前になっていて、その事が嬉しかったのだと気付いてしまったのだ。


 でも、私には果たさなければならない『約束』がある。

 私はずっとカナリアの側にいる。

 一番側で彼女とアズベルト様を見守り、支え続けると誓ったのだ。

 だから彼の気持ちには応えられない。

 一番にしてあげられないのが分かっているのに、中途半端な事はしたくない。

 そう思っていたのに——


「私は、ナタリーには、誰よりも幸せになって欲しいわ」


 カナは穏やかな笑みを浮かべて私にそう言ってくれた。


「それはそうでしょう? 私、ナタリーが大好きよ。大好きな人には幸せになって欲しいわ」


「そんなの当たり前でしょう」と、輝かんばかりの笑顔で私に言ってのけたのだ。


「その『約束』は、ナタリーの幸せを犠牲にしないと果たせないものなの? そんなの……悲しいわ」


 衝撃だった。

 私自身それでいいと思っていたのだ。

 結婚はしなくてもいいと思っていたし、カナリアの側にいるのが当たり前だった。

 そうする事が幸せだと、ちゃんと感じられたから。


 でもカナに言われてふと思った。

 私は私の全てをかけようと思っていたけれど、それって、カナリアが本当に望んだ事だっただろうか、と。


 分からなくなってしまった。

 クーラには、その気持ちだけで良いと言ってしまったけれど、もう一度ちゃんと向き合ってみよう。

 自分の気持ちと、自分が本当はどうしたいのか、きちんと考えてみよう。

 そう思っていたのに、日々の業務に忙殺されて、結局考える時間など無いに等しかった。




 そして衣装合わせ当日。

 主役のカナは、朝早くから色とりどりのドレスを試着しては脱いでを繰り返している。

 ドレス自体は十着と減数されてはいるが、メイクや髪型、装飾品も一緒に決めてしまう為一日掛かりだ。

 体調を崩した事が懸念されたが、大変な作業にも関わらず、カナ本人はとても楽しそうにしていた。


 昼休憩を挟み、食後のティータイムをみんなで過ごしていると、午後からアズベルト様がいらっしゃるとわかるや否や、メインのドレスの試着をしたいと言い出した。

 そして何故か、当日裾を捌く手伝いをすることになっている私まで、当日の衣装を着る羽目になってしまった。

 絶対に何かを企んでいる顔だと思ったが、天使のようなカナリアにおねだりされたコーラル様がゴーと言ってしまえば、私に拒否権は無い。


 抵抗も許されないまま別室に連れて行かれると、メイドになった当初からお世話になっている先輩が着付けとメイクをしてくれた。

 旦那様が用意してくださったドレスは、カナのものにも使われているレース生地があしらわれた、スッキリとしたフォルムの細身のドレスだ。

 いつもは決して出す事の無い首や肩が顕になっていて、正直に恥ずかしい。

 着慣れないせいかそわそわしてしまって、挙動がおかしいと笑われてしまった。

 メイクをするからと座らされたドレッサーに映っているのは、いつものお着せ姿では無く、華やかなドレスを身に付けた令嬢の自分だった。

 自分にまでこんな素敵なドレスを用意してくださったアズベルト様には、本当に感謝の気持ちしかない。

 そしてふと、母はいつか私のこんな姿が見たいとまだ思っているのだろうな、と考えてしまった。


「何だかナタリーまでお嫁にいくみたいね」


 先輩からそんな事を言われ、つい隣に立つ人を想像してしまった。


「…………」


 どうしてそこで真っ白なタキシードに身を包んだ彼の笑顔が浮かぶのか。

 溜め息が出た。

 そんな妄想を彼でしている時点で、自分の気持ちなんて分かり切っているではないか。


「なんでそこで溜め息なわけ?」 


 笑われてしまった。


「いえ……今、ちょっとダメージ受けてて……そっとしておいて下さい……」

「自分の花婿想像してダメージって! どういう事よ!? ナタリー可愛い」


 爆笑されてしまった。

「で? 誰で想像した訳?」などと揶揄われながら戻ると、天使が女神に進化を遂げている。

 流石はコーラル様だ。

 全体的にキラキラと輝いて見えるドレスを纏ったカナは本当に綺麗で、今日が試着の日だというのに涙が零れそうになってしまった。

 カナまで私が嫁に行くみたいだと言い出してニヤニヤしてくるからイラッとした。


 何が最悪って、アズベルト様と一緒に帰宅した執事の中に彼が居た事だ。

 カナは知っていたらしい。どうりで……と、気付いた時にはもう手遅れだ。

 全員がカナを見ているのに、どうして貴方はこちらばかり見るのよ!

 視線が痛くて、もう恥ずかしすぎて、今すぐここから逃亡したかった。


 部屋の糖度がぐんぐん上がっていく。

 ついにカナとアズベルト様が二人の世界に入ったところで、こっそり部屋から脱出した。

 別室に滑り込んだところで、何故か待ち伏せていたクーラに捕まってしまった。

 思考が読まれていたらしく、それが悔やまれる。

 手袋越しに左手を掬い取られ、大暴れしている心臓が痛くて右手で押さえた。


「……離して……」

「なんで?」


 手の甲にキスをしてくる彼から、慌てて目を背けた。

 握られた手が熱い。キスされた甲も熱い。もう身体中が熱い。


「お、願い…だから……」

「ナタリー、綺麗だ……良く似合ってる……」


 彼の顔が見れなくて、まつ毛を伏せたまま小さく首を振った。

 お願いだから熱っぽい視線を向けないで。

 今すぐ消えてなくなりたい。

 恥ずかしすぎて身体中が心臓になったみたいだ。

 きっと全身真っ赤だろう。自分でわかる。

 こんな風に恥ずかしい思いをさせられても、アズベルト様の隣で笑っていられるカナを、心底凄いと思う。

 でもなんだろう、この気持ち。

 恥ずかしくて今すぐ消えてなくなりたいのに、何故だか嫌とは思わなかった。

 むしろこう、ムズムズして、ふわふわした。




 そんな風に浮かれていた自分を殺してやりたいと思う。


 私の不注意のせいで、カナが誘拐されてしまったのだ。

 何故扉を開ける前に外の確認をしなかったのか。

 鍵を持つ執事なら、ノッカーなんて使わない事くらい少し考えれば分かったのに。


 自分のせいでカナが酷い目に合わされたらどうしよう……

 二度と会えなくなってしまったらどうしよう……

 そう考えただけで涙が、身体中の震えが止まらなかった。

 ボヤける視界も、痛む喉も、働かない頭も、全部もぎ取ってしまいたい。

 腰のポーチから裁縫用の鋏を取り出す。

 それですらいつもの何倍もの時間が掛かって腹立たしかった。


 早く……早く……アズベルト様にこの事を知らせなければ……


 その一心で左腕に突き立てた。

 その後の事なんてどうでもいい。痛みのおかげで少しはマシになった身体で、玄関ポーチへ這い出た。

 

 起こされて初めて自分が意識を失っていたのだと気付く。

 目を開けた時、目の前にクーラがいてくれてホッとした。

 彼が来てくれたなら大丈夫だと、身体から力が抜けてしまった。

 抜けた途端に痛みと薬の効果が表れた。 

 アズベルト様に知らせて欲しいとお願いしたら、彼は涙を流して怒った。

 私の為に泣いて怒ってくれた事が嬉しかった。

 こんな時なのに、彼の事が好きだなんて思ってしまった。


 でも、ごめんなさい。

 罰は受けるわ。

 私はどうなっても構わない。

 だから今はカナを助けて。

 やっとアズベルト様と結ばれるの。

 幸せになれるの。

 私には……それが全てなの……

 だから……どうか……

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