8
「———!! ———っ!! ——タリー!!」
呼ばれている声が聞こえて来て、ナタリーの意識が急浮上した。
「ナタリー!!!」
すぐ側で名前を呼ばれて、ハッと目を開く。
「ナタリー!! 良かった……」
ボヤけた視界の先に、酷く怯えた表情のクーラがいる。目が合った事で安堵したのか、目元が少し緩んだように見える。
今夜別荘へ来る筈だった執事達が到着したのだなと、ぼんやりと考えた。
「何があった? カナリア様は!?」
そう問われて、彼に掴み掛かる勢いで襟元へしがみつくと、左腕に激痛が走った。黒い生地で分かりづらいがべっとりと濡れている。
傷の処置はまだされておらず、場所も玄関ポーチだ。意識を失ってから彼らが来るまで、そんなに時間が経っていないと思われた。
「拐われた、の…いきなり、黒服…カナリア……どうしよ……っ……」
喉の痛みで上手く言葉が出て来ない。自分の不甲斐なさと彼が来た安堵から、瞳からは大粒の涙が溢れ出す。
クーラがナタリーの両肩をがっしりと捕まえた。目線を合わせ、ナタリーの目を真っ直ぐ見つめる。
「落ち着け! 顔は? 犯人は見たか? 人数は?」
ふるふると頭を振ると、薬のせいか頭痛が酷くなり、ふらついてしまった。クーラがしっかり肩を抱き支えてくれている。
「フード…口、もと…隠して……声は…聞き覚え、ある…はっきり、わからな…三人、見た…」
額にはびっしりと汗が浮いていて、意識も朦朧としている。傷口のある袖口からは血が滴っており、左腕の出血も多いように見受けられた。
そんな彼女の姿を目の当たりにして、くそっとクーラが苛立ちを露わにした。
「医者はまだか!?」
クーラにはこの傷がナタリーが自分で付けたものである事が直ぐに分かった。
犯人がやったのなら、腕なんかではなくもっと致命傷を負わせられる部分を狙う筈だからだ。口封じが目的なら既に命が無かったかもしれない。その可能性を考えただけで身体の芯から震えが起こった。
助けを呼ぶ為に、薬で麻痺させられた感覚を無理やり取り戻す為に、一切の躊躇なく刺したのだろう。
無意識にギリギリと歯を食いしばる。
「はや、く…アズ…様に、知らせ、て…」
肩を抱く手に力が入ってしまう。思わず零れた涙を拭いもせず、ナタリーの身体を抱き締めた。
「オレにそれを言うのか! ……こんな状態の君を置いて行けと!? 出来る訳ないだろうが!!」
なんで君はいつもそうなんだ!!
腕に鋏が刺さったまま倒れていたナタリーを見つけた時、全身から血の気が引くのが分かった。
走り寄る間、ぴくりとも動かない身体を見て、死んでいるのかと恐怖した。
慌てて抱きかかえた時、身体がちゃんと温かくて泣き崩れそうになっただなんて、きっと夢にも思わないのだろう。
「クーラ、信じて、る…から……」
「!?」
腕を緩めて目の前の彼女を見つめる。
額に汗を浮かべ、薬の辛さと怪我の痛みに耐えながら、潤んだままのアメジストは強い光を灯している。
「…おねが……手遅れ、に…なる、まえ…に……」
「ナタリー!!」
そう言い残して、意識を失ってしまった。血が滴る左腕が、だらりと力なく滑り落ちていく。
「くそっ!!」
なんて酷い人だろう。
君はいつだってオレが一番欲しい言葉をくれない。
君が一言行くなと言ってくれたら、オレはずっと側にいるのに。君の隣に居られるのに。
いつもいつも自分で自分を傷付けるくせに、泣いてる事に気付きもしないで、泣いてないって言い張るんだ。
……オレは、君を許さない。
言いたい事は沢山あるんだ。
だから、必ず終わらせる。君が目を覚ました時、ちゃんと安心出来るように。
君が一番大切な人との日常を、再び送れるように。
「彼女を頼む」
側にいた執事へナタリーを託すと、クーラは部屋を飛び出した。
外へと走り馬に飛び乗ると、涙を拭いて馬の尻に鞭を入れた。
パーティー会場に着いたアズベルトは、数人の令嬢に囲まれて困惑していた。
主催のレオドルドに挨拶したいと思うのに、彼女達がなかなか解放してくれないのだ。
その中にはビエント辺境伯令嬢もいる。一度痛い目を見ている筈なのに、懲りてはいないようだ。
それにしてもと、アズベルトが周りを見回した。
開始時刻が過ぎたというのに、主催者であるレオドルドが全然姿を見せないのだ。
それに婚約を祝う為の催しの筈だ。いくら今夜は婚約者が不在とはいえ、令嬢達のあからさまに言い寄って来るような態度もおかしいと思った。
レオドルドの親類である会場の提供者も顔を青くしている。集まった者達も流石に不審に思っているのか、会場がざわつき始めている。
もしやレオドルドの身に何かあったのだろうかと、胸騒ぎを覚えた。
屋敷の主人にレオドルドとの連絡が取れたのかどうか確認しようとしたその時、突如としてアズベルトの視界が奪われた。
正確には、この会場とは全く違う景色が、今見ているかのように頭の中に映し出されたのだ。
暗く古い部屋のようだがどことなく見覚えがあった。
本宅とも別荘とも違う場所だ。
そして腕の魔道具が反応を見せている。
「カナ……まさか……」
フッと平衡感覚を失い、膝がカクンと落ちる。
令嬢達の悲鳴が響き、側で待機していた執事二人が直ぐに駆け寄って来る。一人の肩を借りて何とかその場に留まったが、執事が見たアズベルトの顔は蒼白だった。
「アズベルト様!!」
「どうなさいましたか!?」
「大丈夫……少し目眩が」
口では平気と言ったが、明らかに様子の違うアズベルトに、執事は異変を悟った。
得体の知れない不安感に、アズベルトの心臓はバクバクと嫌な音を立て、背中を流れる汗が身体を不快に震わせた。
指先は冷たく変化し、いついかなる時も冷静さを失わないようにと意識していたにも関わらず、自分の身体が自分のものではないかの様にいう事を聞かなかった。
執事の一人が帰りの馬車を手配する為、入り口へと走った。
扉へ手を掛けようとしたその時、その扉が乱暴に開かれ、激しく息を乱したクーラが現れたのだ。
今夜は別荘へカナとナタリーの護衛を兼ねて送っていた筈の彼が来た。
嫌な予感が確信へ変わった瞬間だった。
「アズベルト様!! カナリア様が——」
「カナリアに何かあったのか!?」
肩を貸してくれていた執事と共にクーラの側へ駆け寄る。
「別荘が襲撃され、カナリア様が拐われてしまいました!」
「何だと!?」
「我々が別荘へ向かう途中、道路を横転した荷馬車が塞いでおり、それを退かすのに時間を要しました。我々が到着した時にはもう——」
「なんて事だ……」
「ナタリーが確認したのは三人、顔は隠していた為見ていないそうです。声に聞き覚えがあるかも知れないと申しておりましたが、薬を嗅がされたようで意識が朦朧としており、確かではありません……」
「……そうか」
「申し訳ありません!! 我々が遅れたばかりにっ!!」
アズベルトは目を閉じると、一度大きく深呼吸した。これで意識を入れ替え、気持ちを無理やり落ち着けるのが騎士団の頃からの癖だ。
目を開くと、先程まで蒼白だったのが信じ難い程、別人のように落ち着き払った元騎士団長の姿があった。
「知らせてくれてありがとう、クーラ。君は直ぐに戻ってナタリーについていてやってくれ」
「え……、しかし!!」
「彼女はカナリアの大切な友人だ。何かあればカナリアが悲しむ。ナタリーの事は君に任せる」
「……っ……はい!!」
懸命に涙を堪えたクーラは、急いで別荘へと引き返して行った。
騒ぎに乗じてこの場を離れようとしていた一部の招待客達が、別の扉から出ようとしたその時。
「全員その場から動くな!」
よく通る声と共に帯刀した騎士達が室内へと雪崩れ込んで来た。
何事かとそちらを見れば、騎士達の中心から一人の高貴な人物が姿を見せる。
「殿下!?」
颯爽と現れたその人は、この国の第一王子、ジル・ルーディアナ・エルゼクトだったのだ。
突然現れた騎士団と王族に、場は混乱状態だ。招待客の数人が既に騎士に取り押さえられている。
「何故こちらに?」
驚いて尋ねるアズベルトに、ジルは穏やかな笑みを向けた。
「私もこの屋敷の主人に用があってね」
「私も……?」
「アズ!!」
聞き覚えのある声に呼ばれ、ジルの後ろへと視線を向けた。奥からやって来たのは、王室付魔導師のゲネシスだ。滅多に自室である研究室から出ない彼が、ジルと行動を共にしていた事にも驚きだ。
「ゲネシスまで……一体……」
「魔道具の反応を感知した。君に渡したものだろう?」
「そうなんだ。カナリアが拉致された」
「!! やはり現実になってしまったか……すぐに位置を——」
「いや」
後ろを振り返ったアズベルトは、同行していた執事の一人に命を下す。
「本宅へ向かい自警団を招集、装備を整えすぐに集結させろ。場所は——」
輪から外れた場所に騎士に囲まれて立っていた屋敷の主人に視線を向ける。目が合うとビクリと肩を揺らした男は、青い顔をさらに青くして顔を背けた。別の場所で騎士に囲まれている令嬢方も顔面蒼白だった。
やはりか……
「Eー1064だ」
あの部屋は知っている。
カナリアがまだ幼かった頃、まだ外へ出られる程体力があった頃に秘密基地にしていた場所だ。
三人で遊んだ場所だった。
「パーティーは中止でいいな?」
アズベルトが鋭く言い放つと、屋敷の主人の表情からみるみる色が失われていった。
「拘束しろ。彼の身柄は私が預かる」
ジルの命で数名が拘束され連れられていった。何か事情を知っていそうな令嬢方も連行されていく。
「アズ、これを持って行け」
ゲネシスから手渡されたのは、騎士団で使用されるサーベルだ。ベルトも用意されていて、この事態をゲネシスが『視た』のだと示している。
「ジル……」
「ここは任せろ。早く行け」
「気をつけろよ。それを使わずに済むことを祈る」
「二人とも、恩に切る」
外へ出たアズベルトは既に馬を確保して待っている執事へと歩み寄る。颯爽と跨ると、心配そうに見上げてくる彼に指示を飛ばす。
「先に行く。君は自警団と共に。後の指示は隊長のハイドに仰ぎなさい」
「は!」
いつも穏やかな琥珀色は、怒りと哀しみで燃えていた。
その怒気は、長年側に仕えて来た執事ですら、背筋に寒気を感じて動くことが出来なくなる程だった。
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