「……まだ来ていないのか……今日は随分遅いな……」


 パーティー用のドレスコードに身を包んだアズベルトは、ダイニングでいつもよりも到着が遅れている執事達を待っていた。

 常であれば、もう既に着いていてもおかしくない時間なのだ。何度も時計を確認してはそわそわと落ち着かない様子だった。


 今夜はアズベルトとカナリアの友人であるレオドルドが、二人の結婚を祝ってパーティを主催してくれている。結婚の事を知らなかったレオドルドが、プレゼントを準備出来なかったお詫びにと忙しい合間を縫って二人の為に用意してくれた席だ。

 本当はカナリアもと招待されたのだが、体調を鑑みてアズベルトだけ出席する事になっているのだ。


「アズ、そろそろ出ないと遅れてしまうわ」


 パーティーの開始時刻は刻一刻と迫っている。

 彼が落ち着かないのは、アズベルトが出掛けてしまうと別荘にカナとナタリーの二人だけになってしまう事を懸念してのことだった。以前、城で行われた夜会に参加した際も本宅から護衛の為に執事を呼んでいた。その時のように今回もそう手配していたはずなのに、今日に限って遅れているようなのだ。


「しかし……」

「大丈夫よ。彼らが来るまでしっかり戸締りしておくから」


 それでも不安そうにカナを見下ろすアズベルトに、心配性ねと笑みを零す。


「折角レオが準備してくれたのに、主役が遅れてしまったら申し訳ないわ。さぁ、行って」


 そうだな……と、それでも渋々了承したアズベルトが、ようやくコートを手に取った。

 玄関先でこちらを振り返る彼が、出掛ける時にいつもするようにカナをふわりと抱き締める。


「じゃぁ行ってくる」

「いってらっしゃい。楽しんで来て。あ、それからレオによろしく伝えてね」

「ああ」


 頬に手が触れ、穏やかな笑みと優しいキスが落ちてくる。唇が離れると名残惜しそうに頬をひと撫でし、「見送りはここでいいから直ぐ施錠するように」と念を押して出掛けて行った。




 

「そういえば、どうだったの? クーラの反応は」

「うぐっ、ケホっ! ゴホっ! なっ、何が!? 何の事」


 一緒にダイニングテーブルでお茶を楽しんでいたナタリーに問い掛ける。いつもクールなその表情が真っ赤に染まって目が泳いでいる。

 あまりの可愛らしさに、カナは思わずクスクスと笑ってしまった。


「衣装合わせの時よ! 会ったでしょう? クーラに。着替えてから、クーラに。話してたでしょう? クーラと」


 その時の事を思い出しているのか、ただでさえ赤かった頬が耳まで染まっていく。


「その反応を見る限り、悪くはなかったみたいね。良かったわ」

「……もぅ、恥ずかしすぎて消えてしまいたかったわ」


 普段のクールな姿の彼女と結びつかない可愛らしさに、カナは声をあげて笑った。

 この様子だと、クーラは諦める事なくナタリーにアプローチを続けているようだ。ナタリーの様子から満更でもなさそうだし、このまま良い方向へ進んでくれればいいなと思う。


「そういえば、今夜来てくれる執事は誰なの?」


 分かってて問い掛ければ、恥ずかしそうにしながらもジロリと睨まれてしまった。

 と、タイミング良くノッカーが叩かれる音がする。


「あ!! 噂をすればじゃない?」

「もう! 面白がって!!」


 頬を赤く染めたまま、ナタリーがダイニングを出て行く。怒って見せてはいるが、あの顔は頬が緩むのを必死に耐えてる顔だ。


「ホント、可愛いんだから」


 そう零しながら、ピタリとカップを運ぶ手が止まった。


「……あら? クーラ達なら、鍵はどうしたのかしら?」



 どさっ


 何か重たいものが落ちるような、そんな音が僅かに聞こえる。


「何かしら……」

 

 出入り口を伺うが、他に物音は聞こえない。誰かが来た様子も感じられないし、ナタリーの声も聞こえない。

 違和感を覚えて、カナはナタリーが向かった筈の玄関へと足を向けた。



「!! ナタリー!? ナタリー!!」


 開けっ放しの玄関前でナタリーが倒れているのを見つけ、衝撃に咄嗟に動けず身体が一気に冷えていくのを感じた。


「ナタリー!! ナタリー!!」


 一瞬の後、急いで駆け寄ると身体を揺すった。意識はないが怪我はしていないように思われた。


「どうしよう……誰か……っ!!」


 助けを呼ぼうと顔を上げた先。開いたままの玄関ドアの向こうに、全身黒ずくめの人が立っていて怖気が走った。

 フードを目深に被っていて顔は見えない。口元も黒い布で覆われているせいで男か女かもわからなかった。

 その場に立ち上がったはいいが、恐怖のあまり身体が言う事を効かなかった。喉が締まったかのように声が出ず、無意識のうちに後退りしてしまう。


「!? いやっ——」


 突然背後から羽交締めにされ、鼻と口を布のような柔らかい感触のもので覆われた。


「——っ!! ———!!」


 必死に抵抗するも拘束された身体が解放される事はなく、布越しに息を吸ってしまった。

 ツンとした刺激臭で喉に痛みを覚え、息苦しさを感じると同時に視界が揺れた。途端に足に力が入らなくなり、膝から崩れるように脱力してしまう。


 怖い……アズ……


 カナを押さえ付けていた人物に抱き留められ、身体が浮くような感覚を覚える。

 あっという間に視界がぼやけ暗転していく中、瞼が落ちる寸前に飛び込んで来たのは、サファイアのような美しいふたつの青だった。


 



「……っ!! カナ、リア……」

 

 ハッとナタリーが瞼を開く。

 ノッカーを打ち付ける音に、本宅からの執事だと思い込み、扉を開けたところで突然黒ずくめの人間に襲われたのだ。

 突然の事に、抵抗する間も無く布で口を覆われて意識を失った。

 その時の覆われ方が浅かったのか、思ったよりも薬剤を吸い込まずに済んだようだ。それでも喉は痛いし頭もガンガンした。視界もぼやけていて身体が言う事を効かない。


「誰、か……カナリア、が……」 


 喉を痛めたせいなのか、声が上手く出せない。

 幸いにも拘束はされていなかった。

 いつも腰につけているポーチへ手を伸ばす。力の入らない震える手が中身をぶちまけたが、どうでも良かった。

 裁縫に使う糸切り鋏を右手で力いっぱい握り締めた。それを自分の左腕に突き立てる。


「あぅっ———、っ……」 


 激痛のおかげで少し頭が回る気がした。


 カナが拐われた。

 自分の不注意のせいで、主人を、大事な友人を危険に晒してしまった。

 薄れゆく意識の隅で犯人の声も聞いた。

 早く知らせなければ


 重い身体を引き摺るように玄関に向かって這っていく。

 いつもなら一歩二歩の距離が、酷く遠く感じる。言うことを効かない身体が腹立たしく恨めしかった。


「だれ、か———」


 玄関ポーチに辿り着き必死に顔を上げる。

 遠くに馬の嗎とランプの灯りを確認し、その場で動けなくなったナタリーは、今度こそ意識を失った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る