章閑話—2 エルゼクトの闇—1

 朝食の途中であるにも関わらず席を立ったアズベルトは、愛馬に乗って城へと急ぎ向かっていた。

 今朝、城に勤める友人から待ちに待った手紙が届いたのだ。彼宛に筆を取ってから三週間が経っていた。忙しいだろう彼からしたら破格の対応だ。カナリアを知る男だからこそ、自分の業務もあるだろうにこちらを優先してくれたのだろう。そんな彼の想いに拝謝の気持ちが湧き起こる。同時に期待と不安で胸が押し潰されてしまいそうだった。早る気持ちを必死に堪え、アズベルトは手綱をギュッと握り締めると、城へ続く林道を急ぎ駆けた。


 城門を潜り見知った顔に馬を預けると、アズベルトは魔術塔のある城の西側へ向かった。城壁に沿って進み、手入れのされた壮観な薬草園を抜け、西塔の入り口へと歩を進める。温室の前で記録を取っている若い魔術師に声を掛けると、既にアズベルトの訪問を知っていたようで、友人の研究室へと案内してくれた。王宮の誇る魔術師達が住まう塔は、以前アズベルトが所属していた騎士塔とは全く異なる空気が流れていた。初めて訪れた訳ではなかったが、薬品や薬草の匂いが充満し、医局にいるような錯覚を起こしてしまいそうで居心地はあまり良くない。実験や研究に使われるのか馴染みのない器具がそこかしこに置かれており、不思議な力に満ちた空間は、騎士塔とは違いゆったりと時間が流れているように感じられる。


「ゲネシス様の研究室は最上階でございます」


 王宮で最も権威のある王宮魔術師、その筆頭でこの西塔の責任者ともなると、与えられる部屋も別格だ。風の魔力を使用して動く昇降機に乗り、アズベルトは若い魔術師と共に目的地である西塔最上階へと移動した。


「こちらでございます」


 飾り彫の施された豪奢な扉の前で立ち止まると、案内してくれた魔術師が扉の脇にある突起物に手を翳した。何をしているのかと見ていると、それがノックの代わりだったのか、ひとりでに扉が開いていく。どんな仕組みなのかわからないが、高位魔術師の研究室への出入りは厳重に保護されているようだ。これも恐らく彼の魔術の一環なのだろう。とすると、この青年は彼の弟子か何かだろうか。そんな事を考えながら案内されて室内へ足を踏み入れた。


 応接間には少人数で囲むのに丁度いい丸テーブルが置かれ、椅子が三脚用意されていた。窓際に立っていた人物がこちらを振り返る。一見女性とみまごうその人は、束ねた長い黒髪を揺らしアズベルトに向かって柔和な笑みを浮かべた。


「やぁ、アズベルト。久しいな」


「ゲネシス。相変わらずのようだな」


 この部屋の主、ゲネシス・フーリジアン。王宮魔術師にして学院時代からのアズベルトの友人だ。


 アズベルトは騎士科、ゲネシスは魔術科と科は違ったものの、学年の主席だった二人は何かと顔を合わせる機会が多く、性格も趣味も考え方もまるっきり違ったが何故かウマがあった。真面目で真っ直ぐな性格のアズベルトに対して、物腰が柔らかく物事を斜めから見ることの多かったゲネシス。堅物のアズベルトをゲネシスが揶揄って困らせるという一連の流れは、彼らと仲の良かった者達の間では周知の笑い話であった。卒業後はアズベルトが王宮の騎士団へ、ゲネシスが魔術塔へと就職が決まり、優秀だった学生時代同様みるみる頭角を表していった。カナリアの事も良く知るゲネシスは、彼女が病に冒されてからは定期的に治癒の魔術を施してくれていた。アズベルトが騎士団を退団してからは中々会う機会はなかったが、カナリアの事も含め気に掛けていてくれたようだ。


 彼からの手紙には『直接会って話がしたい』と書かれていた。今目の前にいるゲネシスからはその言葉の真意は読み取れない。それがどういう意味を持つのか計れないまま、表情を固くしたアズベルトがテーブルへと近付いた。


「ゲネシス。今朝受け取った手紙についてなんだが」


「まぁ、とりあえず座ってくれ。お茶の用意もしてあるんだ」


 ゲネシスに話のこしを折られてしまい、確かに余裕がなかったかもしれないと考えたアズベルトは、目の前の椅子を引いた。椅子に座り大きく息を吐き出すと、彼が魔力を器用に使ってポットの水を沸かしているのを眺めた。


「リラックス効果のあるハーブを調合した茶だ。まずは一杯飲んで気持ちを落ち着けるといい」


「そうだな……。ありがとう」


 目の前に置かれたティーカップからは、ハーブの爽やかな香りが漂ってくる。香りを堪能しゆっくりと味わった。爽やかな香りが鼻から抜けるのと同時に、肩からも力が抜けていくようだった。ソーサーにカップを戻し、周りに視線を走らせる。円形の室内の大きな窓を除いた壁には、一面本棚が取り付けられその全てに本が収まっている。部屋の一角に設けられた大きな作業台には様々な器具が置かれ、植物やら何かの素材やらが雑然としていた。その中に無造作に置かれた数冊の本がアズベルトの目に留まった。どれも厚みのある本ばかりで、魔術書や歴史書のようだ。その全てに持ち出し禁止の印が押されている。王宮魔術師ともなれば禁書の閲覧も許されるのだろうか。


「実は、もう一人お客様がいてね。恐らくもういらっしゃるだろう」


 他にも人が来るとは思いもよらなかったアズベルトは、ゲネシスに疑心の眼差しを向けた。


「客? 私を呼び出したのはカナリアの件ではなかったのか?」


 手紙には他言しないで欲しい旨を記した筈だ。ゲネシスが人の秘密を暴くような人物でない事を知っているだけに、その行動には疑問を覚えた。


「勿論そうだ。その説明をする上で私の仮説を立証する為には、そのお方のお力を借りねばならないのだ」


 ゲネシスが敬称を用いて呼ぶ人物など限られる。困惑するアズベルトに苦笑しながらゲネシスがカップを傾けた時、扉の近くに設置されていたランプが光った。来客を知らせる物だ。


「待たせてすまない」


「っ!! ……ジル皇子……」


 入って来たのは、ここ、エルゼクト王国の第一皇子であるジル・ルーディアナ・エルゼクトだった。二人の学院時代の友人でもあり、一時期近衛騎士として仕えた人でもある。


「ご無沙汰しております殿下」


 立ち上がり礼の姿勢を取ろうとしたアズベルトに対し、ジルが片手をあげてそれを制した。


「久しぶりだね、アズ。今日は君の友人としてこの場に来た。堅苦しいのは無しにしよう」


 ふわりと微笑む旧友に、アズベルトも口元を緩める。ジルが手にしていた小箱をゲネシスへ手渡した。


「望みのものはそれで良かっただろうか」


 ゲネシスが中身を確認すると複雑そうな表情でジルを見つめた。


「ああ、間違いない。……無理を言ってすまない」


「いや。友の為だ、構わないさ。……それに、私も無関係では無いからな」


「……どういう事だ? カナリアに起こった事と、ジルが……関係しているというのか……?」


「それを今から説明するよ」


 ゲネシスに促され、アズベルトとジルが席についた。ゲネシスがジルの分のハーブティーを準備したところで席に着きアズベルトを見つめる。その目に映る琥珀色は不安と恐怖で揺れている。


「さて、何処から話せばいいだろう……」


「アズ。君の不安を煽るようで申し訳ないが、最初から順を追って説明して貰ってもいいだろうか」


 何がなんだかさっぱりわからないアズベルトは、ジルの言葉に頷いた。今すぐにでもカナリアを取り戻せるのか問い正したかったが、ゲネシスが何を知ったのか、ジルと関係しているというのは一体どういう事なのか、それを知る必要があると思ったのだ。アズベルトが了承したのを受けて、ゲネシスが改めて琥珀色を見つめる。


「では、カナリアの病気の事から話そう」


「!! 病名がわかったのか!?」


「あぁ。……彼女は『魔力浸潤症』だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る