章閑話—3 エルゼクトの闇—2

「魔力……浸潤……?」


「人が生まれながらに持つ魔力の制御が出来ず、魔力に生命エネルギーを喰われていく病気だ」


 人は生まれながら『魔力』を持っている。それは、この世界を作った四人の神から人族に平等に与えられた力の一部であり、四つの力は四元素と呼ばれそのいずれかの力を有している、と言われている。魔力を己の力として発現させられる人は少数ではあるが、使える使えないは別として四元素のうちいずれかの魔力を持っている者が大多数だった。

『魔力浸潤症』とは、その名の通り魔力が身体を蝕む病である。発症の原因などは未だ解明されていないが、治療法として有効だと言われているのは、魔力を制御する訓練や定期的な回復魔法による体外からの魔力干渉である。事例自体は少ない為一般的な病ではないが、それでも完治の例が全く無い訳ではなかった。


「待ってくれ! 魔力浸潤症とは魔力に喰われる病気だろう? カナリアには魔力はなかった。鑑定も受けてる。元より喰われる魔力などなかった筈だ!」


 カナリアも例外なく鑑定による四元素の特定が行われている。貴族の場合は生まれた時に行われる場合が多い。後は学院に入学する際に行われるテストの時だ。生まれ持つ四元素が変化することは、例外を除いて基本的には無い為、鑑定される機会は生涯に一度という者も多い。

 カナリアは生まれた時に鑑定されている。珍しい事例である『魔力無し』という結果だったのはアズベルトも知っているし、ゲネシスも知っていた筈だった。


「それがそもそもの間違いだったのだ」


「なっ……そんなバカな!!」


「カナリアは魔力持ちだった。……しかし、四元素のどれにも当てはまらなかったのだ」


 愕然とするアズベルトから視線を外すと、ゲネシスはジルが持って来た箱を開けた。中から取り出したのは手のひら大の水晶だ。アズベルトには四元素を鑑定する為の魔道具に見えたが、どうやら違うようだった。


「これは王家にのみ伝わる魔力鑑定具だ」


 箱からクッションも一緒に取り出すと、テーブルの真ん中へ置きその上に水晶を置いた。今度は懐から一つの封筒を取り出し、封を開く。取り出したのは髪の毛だ。ゲネシスと手紙のやり取りをしていた中で、調べ物をする上でカナリアの髪の毛を送って欲しいと頼まれた事があったが、恐らくそれだろう。それを使って新たに鑑定しようという事のようだ。


「髪の毛に宿る魔力は微々たるものだ。一瞬だからよく見ていて欲しい」


 ゲネシスが髪の毛を水晶へと近付けた。四元素の鑑定の時は手に乗せて鑑定するのが一般的だ。火の魔力なら赤く、水の魔力なら青く光るのだ。しかし、カナリアの髪の毛を近付けた水晶は一瞬だけ黒く姿を変えた。水晶の中で煙が立ったかのようにモヤっと黒く発色したのだ。


「今、のは……」


「驚いたな……ゲネシスの仮説は正しかったという事か……」


 ゲネシスがアズベルトを見据える。その表情は硬く、眉間には皺がよっている。


「この鑑定具は唯一闇の魔力を測定出来る物だ。カナリアの属性は闇だった。……四元素のどれにも当てはまらないから、鑑定そのものが出来ていなかったのだ」


 生まれ持つ魔力がないと判断されたカナリアの病は、なり得る筈のないと思われた『魔力浸潤症』だった。数少ない事例にカナリアに当てはまる症状も無く、それも見過ごされた一因だった。が、一番の要因はカナリアの魔力にあったのだ。


「そしてもっと厄介なのは、闇の魔力が四元素と相性が悪いという事だ」


「……では治癒魔法の効果が出なかったのは」


「そうだ。この闇の魔力のせいだろう」


「……なんという事だ……」


 アズベルトは頭を抱えるように両手で顔を覆うと、そのまま両肘をテーブルについた。すっかり冷めてしまった飲みかけのティーカップが視界に映る。頭が混乱していて、うまく思考がまとまらない。気持ちをどうにか落ち着けたくて、冷めたお茶を一気に煽った。


「『闇』とは何だ? ……カナリアの事と、どう関係している……?」


 ゲネシスは一度席を立つとポットに再びお湯を沸かし始めた。「もったいぶらずに早く教えろ」と言ってしまいたかったが、アズベルトには彼のそんな行動が彼自身戸惑っていて考えを整理しているかのように感じられてならなかった。ジルも何も言わずにゲネシスの行動を目で追っている。


「闇とは、四元素のどれにも当てはまらず、四元素のどれとも相容れない別次元の属性だ。私も知らなかったし、それ以上の事は分かっていない」


 新しい茶葉の入った茶器へ沸かし終えた湯を注ぐのを見ながら、アズベルトは彼の言った矛盾を口にする。


「……知らなかった? 現に今、それを証明して見せただろう?」


「記録があったからだ。私はカナリアに起こった事に心当たりがあった。だが、実際それは有り得ない筈の事象だった。だから殿下のお力を借りて調べた。結果は今見せた通りだ」


 ゲネシスが三人分のお茶を注ぎ終えると、近くの作業台へ近付いた。そこに積まれた禁書のうちの一冊を手に取るとアズベルトの前で開いて見せる。


「エルゼクト王国が建国して現在まで、闇の魔術を使えた者はたった一人だけだ」


 あるページを開き、その人物が載った箇所を彼の細くて綺麗な指が差し示した。


「……スコルピウス……っ……オラシオン……?」


「そう。二百年前、オラシオン家に誕生した稀代の天才魔術師。……カナリアの先祖にあたる……」


 幼少の頃から魔術師としての才を発揮したスコルピウスは、その類まれなる能力と探究心で四元素の全てをマスターし、遂には四元素以外の魔力を発現させた。それが『闇』の力だった。その原理も発現方法も何もかも他の一切には理解出来ず、闇の力はスコルピウス唯一人のものとなった。


「この魔術書にはスコルピウスが研究していた闇の魔術がいくつか記されている。その中に今回カナリアの身に起きた事例と酷似した記述があった」


「……召喚、術……?」


「そうだ。……召喚術。人の肉体に別人の魂を憑依させる魔術だ」


 当時、この国は様々な天災や戦争によって荒廃していた。時の国王は方々手を尽くしたが、成す術無く滅びを待つばかりだった。そこへ一人の賢者が現れ、この国の人間では知り得ない方法で救いへと導いたとされている。その人物は自らを異界からの迷い人だと言った。


「その賢者と共に現れたのがスコルピウスだった。彼はこの奇跡を自らが行なった召喚術の成果だと言ったそうだ」


「ではカナリアの身に起きたのは……」


「カナリアがスコルピウスの子孫である事、闇の魔力の発現、そしてこの記録から恐らくこの召喚術なのではないかと考える」


「何かの間違いという事は……?」


 ゲネシスは視線を落としゆるゆると首を振った。彼がこの召喚術に心当たりがあったのは、筆頭魔術師としての引き継ぎを受けた際に御伽話の一つとして語られた話の中に出てきたからだった。召喚術や転移魔法というのは、いつの時代でも魔術師ならば必ず通る永遠のテーマなのだ。


「スコルピウスの事をカナリアの両親が知らないのは何故だ? そんな話……聞いた事がない」


「「……」」


 ゲネシスとジルが顔を見合わせて沈黙した。躊躇う仕草を見せるゲネシスの代わりにジルが重い口を開く。


「この魔術書は王家の名の下『禁書』として城の地下の書庫に厳重に保管されていたものだ。魔術書だけでなく、闇の魔術に関する記述のあるもの、それらが載った歴史書も全てだ」


「……王家が、闇の魔術を秘匿したのか……?」


「そうだ」


「……理由を、聞いても……?」


 ジルは大きく息を吐き出すとアズベルトを真っ直ぐに見つめた。


「スコルピウスは禁忌を犯した。……この召喚術の研究の為に人を殺したのだ」


「!!」


 最初は墓を暴いていた。しかし、土葬された遺体は実験には向かなかった。自らの探究心と欲望を満たす為、いや、最初は荒廃した国をなんとかしたいという気持ちもあったかもしれない。それでも、彼は罪のない多くの人の命を奪った。国は救われたが、それは多大な犠牲の上に成り立ったものだったのだ。


「王家はその事実を知り、彼を拘束した。オラシオン家からの除名処分、闇の魔術の全てを秘匿し一部の王族しか知り得ないよう、機密は地下での厳重保管となった。……彼は誰にも知られないまま処刑されたそうだ」


 ガタンと椅子を鳴らしてアズベルトが立ち上がった。いつも平静を保っていた彼からは想像出来ない程狼狽している。その姿にジルもゲネシスも、胸を痛めるばかりで言葉にならない。


「待ってくれ……ちょっと、待って……カナリア、は……?」


「……アズ……カナリアは……既に、天へ召されている」


「いや……そんな筈はっ……」


「人の身体に別人の魂を憑依させるには、その身体が空でなくてはならない……残念だが……カナリアを取り戻す事は出来ない……」


「そ……ん、な……」


 アズベルトの身体が力を失い、足から崩れるように椅子へと倒れ込んだ。背もたれがかろうじて身体を支えている状態だ。ふらりと倒れそうになった上半身をゲネシスが支えた。アズベルトの顔色は真っ青だ。


「……カナ、は……?」


 両手をテーブルへつかせ体制を維持した。元軍人の彼を支えきれる程、ゲネシスの体格は恵まれてはいなかった。


「魂が肉体から離れるという事はすなわち死を意味する。……稀に戻る事もあるが、カナの場合は日数が経ち過ぎている。仮に身体が残っていたとしても、元に戻る事はないだろう」



 カナリアが昏睡状態となったあの日、別世界にいたかなが命を脅かす程の事故にあった。そしてカナリアは召喚術を使える稀代の天才魔術師の末裔だった。召喚術の条件は身体が残っており、尚且つその持ち主が亡くなっている事。名前が似ている事や顔が瓜二つだったのは偶然かもしれないが、もしかしたら術の成功率を上げるための条件には当てはまっていたかもしれない。

 本当に、ただ不運が重なった……


「……本当に……残念だよ……」


「このことはここにいる三人しか知らない。……私はエルゼクトの名にかけて、生涯秘匿すると誓う」


 アズベルトは両腕でなんとか支えるようにしてテーブルに身体を預けている。声こそ上げなかったが、歯を食いしばり、肩は小刻みに震えている。彼のそんな姿を一度でも見たことのなかった二人は驚きを隠せず、同時に掛ける言葉が見つからずにいた。幼い頃からカナリアを知っているだけに、ゲネシスも悲しみに胸を痛めるばかりだった。ハンカチを差し出すも、それを握り締め手を震わせるアズベルトの背中を、ただたださすってやることしか出来なかった。

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