「カナリア様、ご両親がお見えになりました」


 入室した執事が優雅に腰を折ると、ナタリーがベッドに入ったままのカナの側についた。不安そうに見上げてくるカナリアの瞳に、僅かに頷きを返し、執事へお客様をお通しするよう伝える。

 彼が繊細な彫刻と豪奢な装飾の施された扉を開くと、少ししてアズベルトを先頭に二人の壮年の男女が姿を見せた。いかにも貴族らしい煌びやかな衣装を身に纏った彼等は、貴族社会などとは縁の無いかなにもそれなりの身分の人物なのだろうと一目で分かる程、華やかで品のある出立ちだ。

 貴婦人の方は今にも泣き出しそうな表情でハンカチを握り締めてこちらを凝視している。口元に立派な髭を生やし彫りの深い顔立ちの紳士は、目の下にはクマが目立っており、やつれた表情に驚きの色を加えて、同じくこちらを凝視していた。



「……あ……」


 なんて声を掛ければ良いのか分からず固まってしまう。

 普通にお父さんお母さんで良いの? それとも父上母上? まさかパパママはないよね。……いや、そのまさかだったり……?

 その辺の事も聞いておくべきだったと冷や汗が止まらず固まり続けるカナに、優しく微笑むナタリーが顔を寄せてくる。


「カナリア様。お父様とお母様が来てくださいましたよ。良かったですね」


 ナタリー!! ナイスフォロー!!


「お父様! お母様!」


 呼び掛けた途端にカナリアにそっくりな美魔女の母が泣き崩れながら駆け寄って来ると、息が出来ない程きつく抱き締めてくる。その上から更に彫りを深めた父が母ごと抱き締めてくる。本気で窒息死の心配をしながら二人の抱擁を受け止め、ナタリーのフォローに助けられながらなんとか両親を落ち着かせる事に成功した。

 二人共カナリアが瀕死だと聞かされ、覚悟してやって来たのだと言う。しかし、部屋に通されるなり顔色が戻りベッドに起き上がった姿を見て、驚きと嬉しさが隠せなかったようだ。


「最後の時までアズの側にいたいと言う願いを叶えたくて、こちらのお屋敷にあなたを預けたけど……まさかこんな奇跡が起きるだなんて……」


 目に涙を浮かべた母が、両手を頬へと伸ばしてくる。まるで宝物を扱うかのような優しく繊細な触り方だ。


「本当に……よく頑張ったな、カナリア」


 父の大きな手がカナリアの頭を撫で、髪をゆっくりすいていく。疲労を色濃く映す瞳は、カナリアと同じく黒の中にグレーの混じった見慣れない色合いだ。


「二人共……心配させて、ごめんなさい……」


 この二人の痛い程の想いも、アズベルトとナタリー同様、カナリアに向けられたものだ。違うのは両親の目に映っている娘が偽物であると知らないと言う事。そんなつもりなんて全然ないのに、まるで騙しているようでかなの胸はズキズキと病んだ。それが顔色に現れてしまったのかもしれない。無理をさせてはならないからと、心配でたまらないだろうに、両親は早々にカナリアを解放した。なんとか乗り切れた事に安堵したかなが、誰にも気付かれないよう小さな溜め息をついた時だ。父親からの衝撃発言に彼を二度見する事になる。


「このまま体調が落ち着くようなら、結婚式の日取りを決めてしまった方が良いかもしれんな」


「そうですね。下のサロンでお話を——」


「結婚式ってどういう事?」


 今初めて聞かされた話に無意識の内に過剰反応してしまった。


「「え?」」


「!!」


 しまったと思った時には遅かった。両親が信じられないものを見る目でこちらを凝視している。その眼差しにアズベルトの鋭い眼光も混じってくる。


 ……やってしまった……


 くれぐれも余計な事は言わないようにと、釘を刺されていたにも関わらずこれだ。再び止まらなくなった冷や汗と、暴れまくっている心臓が、余計にカナをパニックへと追い込んでいく。


「……どうしたの、カナリア。アズがあなたに求婚して下さった時にはあんなに喜んでいたでしょう?」


「……え、と、……その……」


 頭が真っ白になってしまいうまく言葉が出てこない。このままでは絶対にマズイと思うものの、何かを言えば言うほど墓穴を掘ってしまいそうで、そんな恐怖がカナの喉を詰まらせた。

 と、側に控えていたナタリーが母親とカナリアの間に入るように視界を奪う。


「申し訳ありません、大奥様。カナリア様は長い間昏睡状態にありましたので、少々記憶が曖昧になっておいでなのです」


「まぁ……なんてこと……可哀相に……」


 再び瞳を潤ませて抱き締めてくる母親の胸に収まりながら、肩越しにナタリーを見た。目で大いなる感謝を伝えれば、それが正しく伝わったのだろう。ふっと口元を緩め、微笑んでくれた。

 なんとか誤魔化しはしたものの、もう限界を感じたナタリーはアズベルトに近づくと声を落として合図を送る。


「旦那様、そろそろお医者様がお見えになるお時間でございます」


「そうか。分かった」


 名残惜しそうに娘を抱いている彼女の両親へ、アズベルトが歩み寄る。今の会話が聞こえていただろう両親へ申し訳なさそうに退出を促した。


「サロンにお茶の用意がありますので、そちらで話の続きをいたしましょう」


「そうね……本当はもっとあなたの側に居たいけど……ゆっくり休んだ方がいいものね」

「カナリア。くれぐれも無理はしないでおくれ」


 ナタリーの完璧なフォローと、アズベルトの巧みな誘導のおかげで、両親は何の疑いも持たなかったようだ。それぞれカナリアのこめかみにキスをすると、何度もこちらを振り返りながら部屋の扉へと向かって行った。

 両親の後に続くのだろうと思っていたアズベルトが、不意にこちらへ身体を向ける。バチっと目が合い、細められた琥珀色に不穏さを感じたカナは咄嗟に視線を逸らしてしまった。


 ……怒ってる……これはマズい……


 ダラダラと流れ続けている冷や汗が身体をぶるりと震わせる。引き攣る顔に必死に笑顔を浮かべようとするも、きっと上手くはいっていないだろう。頬がひくひくと自分の意思とは違う痙攣を起こしている。猛獣に睨まれた小動物のようにプルプル震えていると、ベッドの側まで来たアズベルトがカナの目の前に腰掛けた。肩に手を回され僅かに引き寄せられると、カナの耳元に顔を寄せてくる。


「今夜も一緒に夕食を取ろうか」


 甘い低音が直接耳朶へと注ぎ込まれる。アズベルトに恋する可憐なカナリアなら、恐らくここで頬をピンク色に染めて恥じらいながら嬉しそうに頷くのだろう。

 が、今のかなには「やってくれたな。今夜じっくり話そうか」にしか聞こえず、更に身体を震わすばかりだ。


「カナリア」


 甘い声色で名前を呼ばれ、恐る恐る顔を上げた。穏やかに細められた琥珀色に囚われた身体が、身動きを封じられたかのように固まってしまった。直ぐ目の前にあった国宝級の顔面に、かな自身がイケメンに対する免疫力が皆無だったと痛感する。そんな目で見つめられて恥ずかしい筈なのに、顔を背けてしまいたい筈なのに、こんなにも彼に惹きつけられてやまないのはこの身体がカナリアのものだからなのか、はたまた自身にイケメンに対する免疫力が無さすぎるせいなのか。

 扉の向こうから部屋を覗いている両親の姿が視界に入り、このまま下手に動かずに仲良しアピールを続けた方が良さそうだと、痙攣する頬を頑張って引き上げる。まるでそれを分かっているかのように、頑張っている頬にアズベルトの大きな手が触れた。親指が掠めるように撫でてくる。


「それまでゆっくり休むといい」


 その手に自分のを重ねる。


 このままではいられない! 帰る方法を探してもらえなくなってしまう。

 今度こそ、カナリアらしく挽回せねば!!

 可憐な少女らしく……十六歳らしく……。


「アズがいないと寂しいから、なるべく早く呼びに来てね」


「……っ!」


 精一杯の微笑みを向ける。恥ずかしすぎて顔が熱い。アラサーの心情を鑑みて欲しかったのに、アズベルトの表情が硬いまま静止してしまった。また間違えてしまったかと心臓が縮み上がるのと同時に、唇に何かが触れた。


「え……?」


 アズベルトの整った顔がゆっくり離れていくのを見送った。見開いた瞳が映す琥珀色もまた同様に開かれていく。


 今……キス、された、の……?


 無意識だったのか、はずみだったのか、予定では無かったのだろう。驚いた表情のまま固まった彼をただただ見つめた。


「まぁ、仲良しさんね」

「あまり見せつけられると、父としては複雑だ……」


 両親のそんな会話でお互いに意識を引き戻す。途端に羞恥のあまり顔を背けた。アズベルトもまた頬を紅く染めるカナリアの姿から目を逸らした。自分が何をしたのか分からないままその場を立つ。両親のあからさまな感情の対比に苦笑しながら、ナタリーに後を任せるとカナリアの姿を見ないまま部屋を後にした。



 何で……? 何が起こった……?


 顔が熱い。さっきまで冷や汗のせいで震えていた身体が熱い。バクバクと意思に反して暴れ続ける心臓のせいで、頭まで沸騰してしまいそうだ。状況の理解が追いつかないままパニックで固まるカナを、ナタリーが心配そうに覗き込んでくる。顔が赤いせいで熱が上がってきたと勘違いされたらしい。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるナタリーに、病気のせいではないのだと言えないまま、カナは大人しく身を任せ柔らかなベッドに背中をつけたのだった。

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