第4話 side-リリー・ベティバール

 私は馬車に揺られながら憂鬱な気分でいた。


「いかがなさいました。リリーお嬢様」


 対面に座る執事のフロイドが訊く。

 

「あの公爵家との大事な顔合わせですぞ。しゃっきりして頂かなければ困ります」

「……わかっています」


 だが、憂鬱は晴れない。私はいやだった。あのシルバに会うのが。


 元々、私には好きな人がいた。屋敷の若い召使いだ。誠実で、優しい人だった。彼とは既に恋仲にあり、私は彼と人生を歩みたいと思っていた。


 だが、そこで決まったのがシルバとの婚約であった。


「さっさと結婚させて、息子を落ち着かせたい」


 ノーマンクライ家当主の申し出は、そんな不躾なものだったが、私の家は、喜んでそれを受けた。遙か格上のノーマンクライ家だ。親戚になるのにこれほど好条件な相手もいない。


 だが、当然私はいやだった。外見で人を判断するつもりはないが、出会ったその日から、シルバはあの醜悪な見た目と同じく、身勝手でわがままな人間だということがわかったからだ。料理には文句を垂れ、気に入らないことがあれば人を殴り、私の胸もとを見ては鼻の下を伸ばしていた。


 そんな彼と夫婦になったら――。その想像をするだけで、身震いが走った。


 だから私は彼に言った。婚約はなかったことにして欲しい。自分には好きな人がいるのだと。あなたを愛せる自信がないから、この約束は取りやめて欲しいと。


 だが、それに対する彼の反応は。


「ふーん」


 だった。


 そして、あれよあれよという間に、シルバの手で、婚前旅行の計画が立てられてしまったのである。


 シルバは、私を手放すつもりなど毛頭ないらしい。その事実が、顔を曇らせる。


 ……嫌だな……。


 シルバに会うのが嫌だ。だが、それと同じくらい、駆け落ちする勇気のない自分が嫌だった。


 馬車が公爵家の前に着いた。私は俯きながら荷台を降り、正門へ向かう。


 門が開いた。私は顔を上げる。前に人の気配を感じたから。きっとそこにシルバがいる。そう思った。だから、どこか非難がましい目でそちらを見た。


 そして私は、目を瞬かせた。


 見ると、屋敷の庭園内を、執事やメイドが駆け回っていたからだ。


「シルバ様! お坊ちゃま!」

「声が聞こえたら返事をしてください! お坊ちゃま!」


「なんなのでしょう。これは……」


 フロイドが茫然と呟く。


 まったくだ。なんだ。なんなのだ。この騒ぎは。


 そのとき、屋敷の方から人が駆け寄ってきた。老齢の執事である彼は、膝に手を置きながら、私に向かって深々と頭を下げた。


「申し訳ございません! お坊ちゃまが失踪いたしました!!」


 私は殴られたような衝撃を受けて立ち尽くす。


「し、失踪……?」

「は、はい。昨日の夜まではいたのですが、今朝になってお姿が見えず……」

「は、はぁ……」

「そ、それとですね。これを」


 彼はそう言って、手紙を差し出してきた。


「お坊ちゃまが、あなた様にと残したものです」

「……シルバ様が……?」


 私は手紙を受け取り、封を開けた。内容を確認する。そこにはこうあった。


『ブスに興味なし。婚約は取り下げる。俺の両親には武者修行の為、半月開けると伝えろ。以上』


 私はあんぐりと口を開ける。それを見て、執事は心配そうに眉を寄せた。


「あの、何か、失礼なことでも書かれていましたか……」


 失礼だろう。とても失礼だ。

 

 婚約を勝手に取り下げ、伝言役を勝手に任せ、ブス呼ばわりと来た。これが失礼でなくて、いったいなんだというのだろう。


 だが、それでも、


「ふふっ! あはははは!」


 私は、笑ってしまった。


「あ、あの……」

「私、誤解してました。シルバ様って――」


 私は微笑み、手紙を胸にやった。


「……優しい、方なのね」


 きっと、彼はわざと悪役になったのだろう。


 私に迷惑をかけないように。私の家に不名誉がないように。わざと突き放すことを言ったのだ。


 あのとき、気のないような返事をしておいて、こんなことを考えてるなんて。


「おかしな人」


 私は空を見上げる。晴れ渡った青空だった。


「次会うことがあったら、友達になれそう」


 ※※※


 作者です。四話はいかがだったでしょうか。


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