最終話 愛してる


「どこか作文のようでもあるが、最後は自作自演で空想だと結んでいる」


「もう一枚は……なんで白紙なの?」



 ミクが不思議そうに聞いた。

 2枚の羊皮紙のうち一枚は白紙だった。


 ムサシが読み上げた羊皮紙の内容文に聞き入るミクが自分にも見せてと言い、羊皮紙を手に取った。

 視線を下へ上へまた下へ。

 何度も念入りに読み直す、ミク。



 そしてミクは感嘆の声をあげる。



「あなた、これ! カムイの筆跡よっ!」


「なに!?」


「いまのものと大分違うけど、中学生になった頃のものだわ」


「そんな馬鹿な……? なぜカムイの物が外から投函されるのだ?」




 さらにミクは言い放つ。




「これって、私たちがカムイに向けた仕打ちの内容に似ている……」


「殺人事件というのは……当時、僕たちが盗聴により疑われたそれのことを言っているのか?」


「私にはそう思えてならないの、だってあの子たち2人でひとり……少年は2人分の行動を取っているでしょ?」



 ムサシとミクは顔を見合わせて、力強く肯いた。


 

「僕たちの通話内容を聞いてしまったんだったな。カムイがここまでのことを成し遂げるのには無理がある、これは間違いなくシェロの仕業だよ、ミク。黒い箱に白い本……黒……



「あの子ったら、やっぱりまだ傍に居てくれたのね! 私たちを許してくれる気になったのかもしれない……親より先に居なくなるなんてそんなの駄目よ!」



「ああ、そうだな、……それにシェロはきっと自我に目覚めたんだよ。……良かった……シェロ、ほんとうに。よく頑張った。よく堪えたなカムイのために」



「シェロ……ありがとう……ほんとにありがとう、今度は声も聴かせてね! あなたは私たちの子よ、いつまでも待って居るから」



「シェロ! 父さんと母さんとカムイとずっと家族だから。あの日はまだ気づいてやれなくて……ごめん」



「ずっと後悔してたの、どこにも行かなくて良いのよシェロ……あなたの家はここにあるのよ……これから先もずっと。ずっと待って居るからね」



 ムサシとミクは、シェロが居なくなって初めて気が付いたのだ。



 今までカムイを傍で一番支えていたのはシェロだということを。

 そして、何よりもシェロをも愛していたことを。


 突然、4歳の子供が大人びた口調で、しかも日本人によくあるキラキラネームではなく外国人とのハーフだと言って現れたものだから。



 当時は、とても自分たちの子供として認知できずにいた。



 それどころか、お前さえ現れなければと、憎んだ。

 毛嫌いしながらもシェロが居なくなれば、カムイも消えてしまう不安と恐れを拭い切れない。


 仕方なく可愛がっていたような日々だった。


 だが、そうした苦悩の連続の中に真実の幸せがあったことに気づかされたのはシェロが失踪して、一年も経たない頃だった。


 どうせすぐ、ひょっこりと現れるだろうと思っていたからだ。

 だが、待てど暮らせどシェロは一向に現れることはなかった。

 本当にシェロだけが消えたのなら、それはムサシとミクにはどうすることもできないが。



 なにか意味があって隠れているだけで、本当はまだ傍にいるのではないか。

 そのことを夫婦で日に日に語り合うようになったのだ。

 語り合う日々の中で、夫婦は気づかされたのだ。



 せっかく居なくなってくれたのに、なぜそんなに毎日気に掛けていたのかを。

 心にぽっかりと穴が空いたようになるのだ、……シェロのことを語らなければ。


 その内にカムイがシェロのことをあまり口にしなくなったのだ。

 半年以上も帰らなければ、毎日毎日は言わなくなっていく。



 ムサシとミクは寄り添い、本来の夫婦に戻れはしたが。



 カムイは普通に身体を患うことなく元気に登校している。

 その間、家に居るのはミクだけなのだ。

 もともと住んでいた部屋でミクはひとりになる時間が増えた。


 これまでは2人の人格と付き合ってきたが、急にカムイだけになり本当に子供を一人失くしたのではないかとまで思うようになった。


 ムサシに打ち明けるも、それだけはどうしようもないことだ。

 なにせ、相手はカムイの分身のような存在だ。



 来る日も来る日も、ミクは部屋の中でシェロの帰りを心待ちにしていく。



 思い返せば、ミクはこの部屋でシェロの母親役をしていたのだ。

 シェロ人格の時は、強く愛することがなかった為に、ろくにその腕の中に抱きしめてやった覚えがなかったのだ。


 だが、シェロが失踪してしまったその後はカムイをほんの少しの期間、抱きしめてやることはできた。



 やがてカムイは思春期に入った。



 母親に抱きしめられるのを次第に嫌がった。



 そればかりか、二度と子を授かることを避ける様に夫婦の仲も、次第に冷めていくのだ。


 いったい何のために私はここまでの苦労をしてきたのか、と。



 カムイ人格の時は、ムサシがほとんどの時間を過ごしていた。

 父親役だったからな。

 風呂にも入れてやって、背中を流してもらって。

 良い想いをしていたのは、実質ムサシだけだったのだ。

 本当の親はムサシだけだ。



 カムイにとってミクは、ただの継母に過ぎない。



 ひとり部屋に取り残されたような生活を強いられていくのだ。

 さみしい、さみしい人生の末路のような。


 何もかもをかなぐり捨てて、必死に涙を隠して生きて来たのだ。

 痛みを隠して耐えてきたのだ。



 それがカムイの母であり、シェロの母の秘伝ミクなのだ。



 シェロが居なくなって、ムサシは働きに出た。

 家事なんてずっと働き盛りの俺には性に合わない。

 ムサシの気持ちを汲んで、ムサシに元通り一家の大黒柱に戻ってもらった。

 そんな生活がさらに一年も、二年も続けば、ミクの人格が崩壊し始めるのだ。




「ミクっ! 落ち着きなさい、止めないか! ボトルを置きなさい!飲み過ぎだ、どうして毎日酒ばかり飲んで暴れるんだ!?」




 やっとミクの危険な禁断症状に気づいたムサシは、自分にも責任があったと猛省した。


 それからは2人で、いや、カムイも含めてシェロの帰りを待つ事にしたのだ。

 ミクの酒乱ぶりにはカムイも驚いたが。

 シェロの母親だと信じて疑わないわけだから、気持ちを理解していく。



「ボクだって、シェロを忘れてなんかいないよ。だから……母さん頑張ろうよ」



 そういってカムイはミクの身体をぎゅうっと抱きしめたのだ。



 ミクは、実の息子にようやく巡り合った。

 ようやく心から母としての実感が湧いたのだ。


 これまでにも多くの涙を流して来たが、この瞬間のそれには「歓喜の雫」という、他にはないきらめきに変わるのが解ったのだ。



 3人が本当の親子の姿を取り戻せたのは、シェロの存在なのだと気づいたのだ。



 そしてムサシとミクは考えた。

 シェロが消えていないことを前提に。

 傍に居ながら、隠れ続ける理由について。


 出て来たくとも出て来られないのではないかと。


 そうだ、あの子は強くてとても優しかった。

 もしも自我に目覚めているのなら、自分がいつでもカムイと入れ替わって優位に出て来ることができてしまう。そうなればカムイが消える可能性は高くなるかもしれない。


 シェロがその様に考えて、カムイを守ろうとしたのなら得道が行くと。


 そして最初はそれだけだったかもしれないが、警察から戻って来たミクとムサシのそれからの会話を聞いたのだとしたら、自分の戻る場所がここにはないことを深く傷付きながら、悟ることになったことだろうと。



 シェロは辛抱強くて頭の良い子だ。



 カムイも自我に目覚めて別人格を受け止められれば、その時はどうなるのかを考えたはずだ。


 一生、誰にもその存在を知られずに息を潜めて生きなければならないのだとすれば、大人たちですら辛いのに、彼が何者であろうと生きて存在するならば辛くないはずはない。



 さみしくない筈などない。


 泣かずには居られないだろうに。


 その声さえも数年間、押し殺して生きているのだ。



 ようやくそこにムサシとミクは辿り着いたのだ。

 だが待つこと更に2年だった。


 やっとシェロがコンタクトを取って来たのだ。

 カムイに出した便りではなく、ムサシ宛てだった。


 あの時のクイズを羊皮紙にペンで書きこんだのは消えないようにする為だったのだ。


 自分自身と家族を結ぶ最後の手がかりを。

 当時の事柄で、本人たちの筆跡でしか蘇らない。

 気づいてもらうのは困難かも知れないと、察していたのだシェロは。


 そして、自分の存在をいつか両親に伝えるために。

 カムイの証言にでてきた2枚の羊皮紙。

 それを持ち去った真実の意味は、彼自身も愛されることを何よりも望んでいたからだ。



『それなのに自分で自分を永遠にさらうのだ』



 自作自演とはそのことなのだろう。

 カムイなら、どう導けばその答えを書いてくれるのかよく分かっていたのだ。


 せめてムサシとミク、その二人が愛のない苦しみを自覚してくれることを願ってのことだったのだ。




 シェロのクイズが認められた羊皮紙はきっといまもシェロが持っている。




 親元に届けられた白い本は。


 カムイがまだ言葉をうまく話せなかった幼い頃のシェロの思い出。

 シェロが詩に込めて書籍化したものだと親は、繰り返し読み解くことで知っていく。


 失踪の経緯やその後の悔しさなどは綴られてはいなかった。

 心のどこかで愛される資格がないと嘆きたくなったりするのが惨めになるからか。


 失踪を決めた時に抱いていたわだかまりはとっくに消えたことだろう。

 のちにもっと衝撃的なことが判明し、その自覚に至ったのだから。


 「解離性同一性障害」本の最終頁にそう記してあったのだ。

 不思議と8文字だ。そこまで拘ったのかは定かではない。



 書籍化に関しては、ノンフィクションなら取り上げてくれる所もあったのだろう。



 ただシェロ自身も最初は不審な通話の真相が知りたかったのだ。

 物書きの好奇心がうずいたのだ。


 数年もの間、鳴りを潜めているうちに自分にはこの親しかいない。

 それを後から知って行くことになったのだ。




 シェロが差し出した白紙の羊皮紙には、答えをください、と。




 逢える方法を親に出して欲しいのかもしれない。

 謎解きを終わりにして、自分の存在を忘れ去らないで欲しい。


 

 誰かに愛されたいと願ってしまったら、自分を封印するしかなかった。

 生涯気を引くために存在を隠し続けただけかもしれない。






 そういう暗示なのかもしれない。







                  了




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秘伝カムイと黒耳シェロ ゼルダのりょーご @basuke-29

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