3.実はこの宿、結構、ブラックなのか?

 木製の扉を開ける。

 扉にかかっていたプレートには三桁の数字が書かれていた。

 俺の部屋は「201」、これは部屋番号を表していると考えて良さそうだ。


 俺は〈アイテムボックス〉から木製の札を取り出す。

 ドアノブの下にあるスリットに差し込み、回すとガチャリと音がして扉が開かなくなった。

 木製の札は、扉の鍵だったのだ。

 札には部屋番号の「201」と書かれているから、これは想像がついた。


 鼻孔をくすぐる香ばしい匂いにつられて階段を降りると、カウンター席とテーブル席のある食堂になっていた。

 俺はひとりなので、取り敢えずカウンターに腰掛ける。


 すると、カウンターの奥、恐らくキッチンだろうが、そこから女性が出てきた。

 驚くべきことに獣の耳と尻尾がある。

 え、なにこのファンタジーな生き物。

 衣服は着ているから、魔物ではないようだ。

 笑顔を浮かべて、「コウセイさん、今日の夕食はシチューですよ」と〈人類共通語〉で言った。


「へえ、シチューですか。美味しそうですね」


 カウンターの上に置かれたシチューの木皿と木製のスプーン、パンの置かれた木皿、そして木製のコップの乗ったトレーを見て言った。

 美味しそうなのは嘘ではない。

 いい匂いがするし、きっと食べたら美味しい。

 しかし状況が手紙の通りなのが、怖い。


「じゃあごゆっくり」


「はい。いただきます」


 揺れる尻尾を見送り、俺はひとまずシチューをスプーンですくった。

 白濁したトロみのある液体を口に運ぶ。

 甘い。

 俺の知っているシチューとは少し風味が異なるが、十分に美味しかった。

 一口食べて空腹を自覚したので、パンを千切って口に運ぶ。

 パンは黒く、ズシリと重たい。

 意識高い系のパン屋で売られているドイツの黒いパンのようだ。

 食べたことないから知らんけど。


 むっちりした食感で、よく噛んで食べないと飲み込むことができない。

 噛みながらシチューを一口、口に含む。

 パンの生地が柔らかくなって、飲み込みやすくなった。


 しかし具材がやけに少ないシチューだ。

 くたくたになった野菜と小さな鶏肉とたまに遭遇するが、ほとんど具がないに等しい。


 パンとシチューを片付けコップを口に持っていくと、酒精の香りを感じて少し躊躇する。

 うつ病で睡眠導入剤を飲んでいることから、酒を飲まなくなって久しい。

 ていうか、薬ないけど眠れるのか、俺?


 うつ病からくる不眠症のお陰で、睡眠はかなり不規則だった。

 薬を飲んでも短時間しか眠れないので、昼寝は欠かせなかった。

 それでも薬があるとないとでは大違いだ。

 抗うつ剤もないみたいだし、離脱症状とかどうしよう。


 まあひとまず酒だ。

 ちびりと一口、味見する。


 どうやらアルコール成分はかなり抑えめだ。

 ただし味は悪い。

 ぬるいビールなんて好んで飲みたくはない。


 トレーの上の食事を片付けて「ごちそうさま」と声をかける。

 獣人の女将さんが「お粗末様」と言いながら、トレーを片付ける。


 ゆらゆらと振られる尻尾を凝視する。

 本物、だよな?

 するとホロウィンドウが突然、ポップアップした。


《〈簡易人物鑑定〉のスキルを習得しました》


 また新しいスキルだ。

 試しに女将さんに使ってみた。


《名前 アナベル 種族 獣人族セリアン 性別 女 年齢 26》


 種族名は獣人族セリアンというらしい。

 というか、年下だったのか。

 クラス、レベル、スキルは見えない。

 多分、簡易な人物鑑定だからだろう。


 さっさと自室に引き上げよう。

 満腹になった腹をさすりながら、階段を登ると、ひとりの獣人の女の子とすれ違う。


「あ、コウセイさん。もう夕食を終えられたんですね」


「ああ」


 さっきドアの向こうから呼びかけていた声だった。

 どうやら従業員かなにからしい。

 簡易人物鑑定を使う。


《名前 クロエ 種族 獣人族セリアン 性別 女 年齢 12》


 ……は?

 十二歳で働いているのか、児童労働とは悪趣味だな。

 実はこの宿、結構、ブラックなのか?


「どうかしました? 私の顔に何かついてます?」


「あ、いや。クロエは若いのに仕事熱心だな。偉いぞ」


「……? 実家なんですから当然ですよ」


「あ、ああそうか。それもそうだな」


「それじゃあ、おやすみなさい」


「え? ああ、おやすみ」


 クロエはパタパタと階段を降りていった。

 もしかしなくても、女将のアナベルの娘だろう。

 ……ん?

 ていうことは、アナベルって十四歳でクロエを産んだのか!?

 単純な引き算に驚愕しながら、部屋に戻った。

 暗い。

 なるほど、日が沈むと何もできんな。

 これは寝るしかなさそうだ。

 靴を脱いでベッドに寝そべる。


 ……まったく眠くない。


 不眠症を患っている以上に、多分、午後六時くらいだろまだ。


 もう夢だという感覚はなかった。

 これは現実。

 俺は、異世界でこれから生きていかなくてはならないのだ。


 ◆


《名前 コウセイ 種族 人間族ヒューマン 性別 男 年齢 30

 クラス 自宅警備員 レベル 1

 スキル 〈人類共通語〉〈簡易人物鑑定〉〈アイテムボックス〉》

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