第3話

そうして、私と伊織の同棲生活が幕を開けた。

……いや、同棲生活というには酷すぎたかもしれない。


何せ、毎日が喧嘩まみれなのだ。



「皿洗えチビ」

「うっせえもやし。平均身長だわ」

「……え、ほんとに?流石にそんなちっちゃくないだろ」


大して身長は変わらないのに、伊織はそうやって私をいじってくる。


非常にむかつくが、逆らったらこれ以上にややこしいことになる。


しょうがなく、大人しく皿を洗い始める私。



私は、料理も洗濯も何にもできない。

勿論犯罪なんてできないし、殺人なんてもっての他だ。


使えるか使えないかで言ったら、限りなく使えない。

…本当に、どうして伊織は私を家に連れ込んだのだろうか。


優雅に新聞を読んでいる伊織を見てそう思う。


…ちなみにだが、伊織も家事が全くできない。私たち、軽く詰んだかもしれない。



「_____それで、約束って何?」


さっき伊織が提示した、同棲のための約束とやらを問う私。


「…あー、俺が殺し屋してることを誰にも言わないなら、俺はお前に関連する人を誰も殺さないって話。」


約束っつうか条件。伊織はそういった。


「…もし、私が誰かに話したらどうなるの?」

私は興味本位で、彼に向かって大声で尋ねる。


「稲見を殺す」

「ひえっ」


私がそうやって怖がって見せた拍子に、洗っていた皿が落ちて割れた。


「……………あ。」


冗談抜きで、死を覚悟した。

殺すなんて言われた直後に相手のものを壊すバカがどこにいるだろうか。答えはここである。


ビビりな私は、自分でも信じられないぐらいに小さい声で、「ごめん、」と謝った。……伊織が私のことを殺すはずないのに。


語尾が薄く消えてゆく。

その私の情けない姿を見て、伊織はくすっと笑った。


「無様だなぁ」


彼は少し楽しそうにそう言うと、「なぁ、後ろ見てみろよ」と続けた。


素直に後ろを向く私。

次の瞬間、首に紙で手を切ったような痛みがした。


「……なぁ、どうする?」


耳元で、そう囁かれた。


震えながら、私の背中の方を見る。

そこには、笑顔で首にナイフを突き立てる伊織がいた。


「死にたいから死にたくないか言ってみな。俺はいつでも稲見のこと殺せるんだから」


彼は淡々とそう言ってのけた。

とても一歳上の人とは思えない。


ビビり散らかした私だったが、「やだ、死にたくない」となけなしの反抗をして見せた。

多分、ひどい顔をしていたと思う。伊織はまた少し笑うと、首を傾げてこう言ってきた。


「じゃ、約束守れるな?」

「うん」


躊躇うことなく答えた私に、伊織は満足そうな顔をして、首からナイフを外した。


…伊織じゃなかったら死んでいた。


割と簡単な条件で許された私は、ほっと胸を撫で下ろしながら、彼の方を見た。


なんで殺されかけたのかはわからない。


まあ多分、怖がらせたかっただけなんだろう。


それでも、私の命は、伊織が握っている。痛いほどよくわかった。


……けれど、よくよく考えたら私は彼の名声を握っているのだ。伊織が殺し屋をしていることを知っているんだから。


殺し屋がバレたとて、警察がいないから裁かれはしない。

とはいえ、伊織の人間関係はぶち壊れるだろう。


仲良くないやつと弱みを握り合っている、というシチュエーションはあまり好きではない。

だが、この危うさが……なんだか、私を興奮させた。



よくよく考えてみれば、こんな状態で八年もやってけたのが奇跡だったのかもしれない。


事件は、五月に唐突に起きた。

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