解放

第2話


私が彼を殺した理由を話すのなら、やはり、八年前のあの出来事から始めなければならないだろう。


結論から言おう。

伊織はあの夜、私の親を殺した。


扉を突き破って家に入ってきた血塗れの伊織と、狭い部屋に響き渡った親のあの悲鳴は、未だに褪せることなく覚えている。


私と伊織は、幼馴染だった。

だから、彼は私の親が虐待をしていることに気付いたのだろう。


扉を蹴破った後、伊織は迷うことなく母親の腹にナイフを当て、襲いかかってきた父親の喉元に二本目のナイフを当てた。


たったそれだけで事切れた二人の顔を、伊織はめちゃくちゃに切り裂く。

そんな悪意のある殺し方をしていても、彼は私の方に一切ナイフを向けようとはしなかった。


…それほどまでに親が憎かったのだろうか。

一応、私の親なんだけどな、と見当違いのことをぼんやり思う。



不思議なことに、私は伊織が人殺しをしたことに違和感を覚えなかった。


元々、そういうことをしてそうなやつだと思っていたからかもしれない。

だから、彼に自分が殺し屋だということを宣告されても、「ふーん」という反応しかしなかった。


まあ、何はともあれ、大っ嫌いな親が死んだのは嬉しかった。


言いつけを破ったら入れられるゲージとも、日々飛んでくる拳とも、押し付けられる理想ともおさらばなんだ。


そう思うと、本当に、本当に心が躍った。

だから、目の前でかおる死臭も惨殺死体も気にしなかったし、むしろ大歓迎だった。


だが、私…稲見いなみかぜを助けてくれたのが、当時仲良くなかった伊織だという事実だけは、あまり気に食わない。


だって、こういうのはもっとイケメンがやることじゃないか。

髪が四方八方に散っている伊織を見てそう思う。……いや、伊織も顔が整ってないわけじゃないんだけど。


それでも、なんか嫌だった。

私たちは、所謂“犬猿の仲”というやつだったのだ。

負けず嫌いな私が、そんな関係のやつに助けられて素直にお礼が言える筈ない。



だから、伊織に「俺の家に来いよ」と言われた時も、すぐに首を横に振ってしまった。


何せ、あの頃はまだ十一歳のガキだったのだ。

将来どうなるかよりも、自分の意思を優先する年頃だから、しょうがないと言えばしょうがない。


だが、犯罪率が60%を超えるこの世界で、ここまでガキなのはどうなのか。

我ながら、こんなんでよく生きてこれたなと思う。


「……まあ、別に俺の家に来なくても良いけどさ。

お前、それだと野垂れ死ぬぞ?」

私よりも、ずっと大人っぽかった伊織が言う。


うるせえな、死なねえよ。

そう返そうとして、言葉を詰まらせた。


警察が廃れたこの世界では、犯罪を取り締まるものもおらず、街には虐待と殺人と強盗とが蔓延している。


自分の身を守るには、誰かを殺さなければならないことだってある。

ちゃんとは聞いたことがないけれど、伊織が殺し屋をやっていたのもそういう理由なんだろう。



果たして私に、そこまでの覚悟と実力があるのか?



伊織は、何も言えなくなった私を嘲笑すると、「生きていけねえだろ?」と言ってきた。


不愉快である。

自分が正しくなかったことを目の前に提示された時、心の小さい人間は拗ねるものなのだ。


案の定、ちゃんと拗ねた私は、首を横には振らなかったものの、縦にも振らなかった。



だが、伊織は、それを私なりの肯定ととったらしい。


彼は、無理矢理私の腕を掴んで引き寄せると、親の死体もそのままに、伊織の家……辺鄙へんぴな場所にあるぼろぼろのマンションへと向かっていった。



もちろん、私だって黙って連れて行かれるような女ではない。


ぽかすか殴ったり、罵詈雑言を浴びせたり、私なりに抵抗はしてみた。

だが、伊織の「殺すぞ」の一言で、完全に動けなくなってしまったのだ。


……これじゃ、まるで誘拐じゃないか。

半ば伊織に引き摺られながら、私はげんなりそう思った。

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