6.奇術師 vs 占い師(上)

 俺が占い研究会を訪れてから数日が経った。その間、俺は「小袋谷のペテンを暴く作戦(仮)」の準備の為に奔走していた。

 学校側が正式に認知している事件ではないので、今回は先生方の協力は仰げない。けれども、当事者である占い研究会顧問の上坂先生や、この件を俺に押し付けた納田にだけは、手伝ってもらうことにしていた。


 納田は中々首を縦に振らなかったが、上坂先生が「大人も責任を持つべきです」と言ったら、途端に手のひらを返しやがった。あの男、どうやら上坂先生に惚れているらしい。占い研究会のトラブルを解決しようとしたのも、上坂先生に良い所を見せたかったからなのかもしれない。

 全く呆れた教師だった。


 真白先輩の方は、裏でこそこそと何やら準備しているようだった。なので、ここ数日は顔を合わせていない。「準備が出来たら声をかける」と言われてはいるが、順調なのかどうかすら分からない。

 後の世の中の様に、高校生でも普通に携帯電話を持っている状況なら、細かく連絡も取れたのだろうが。ポケベルすら持っていない俺達は、すれ違いの日々が続いた。

 そんな、少しやきもきする時間が続いた、ある日のことだった。

 

「貴教~、おっつ~」

「おう、どうした?」


 昼休み。友人連中との昼飯を済ませ、手持無沙汰になっているタイミングを見計らったように、舞美が声をかけてきた。珍しいことだ。

 普段は距離の近い俺達だが、学校――特に教室で親しげに話すのは避けていた。年頃の男女というのは、色々と難しいのだ。


「お待ちかねの人が来てるよ~?」

「……真白先輩か」

「ういうい。教室の外で待ってるから、行ってこい、このイロオトコ!」


 肘で俺のわき腹を突きながら促す舞美。やけに力がこもっていて、無茶苦茶痛かったのは気のせいだろうか。

 とにもかくにも、追い立てられるようにして教室を出た――が、廊下に先輩の姿はない。

 いるのは、数名の見知ったクラスメイトと、顔だけは分かる他のクラスの連中と、二年生らしき見慣れない女生徒の姿のみ。真白先輩の姿など、影も形もない。


「あれ~?」


 首の後ろをぼりぼりと掻きながら、そんな間抜けた声を上げてしまう。舞美に担がれたのか? とも考えたが、あいつがそんなことをする理由はない。

 では、先輩の姿はいずこに――と、キョロキョロと周囲を見回した時のことだった。


「……藤本君、こっちよ、こっち」


 ぼそりと、先輩の声が聞こえた。消え入りそうなボリュームだったが、間違いなく聞きなれた先輩の声だ。

 けれども、やはり先輩の姿はない。もしや、新手の奇術で姿を隠しているのだろうか。

 すると――。


「ちょっと、無視しないでくれるかな」


 不意に手を引っ張られる。ギョッとして手の主を見ると、先ほど見かけた二年生の女子だった。

 背丈は低いが先輩よりは少し高い。目には牛乳瓶の底みたいに分厚いレンズの黒縁眼鏡。口元はガーゼマスクで隠れている。髪形は地味めな三つ編みのおさげ。なんだか、漫画に出てきそうな人だった。


「ええと……すみません、どこかでお会いしましたっけ?」

「……あっ、そうか。ちょっと、こっちに」

「えっ、ちょっ、引っ張らないでくれませんか」


 抗議の声などお構いなしに、グイグイと俺の手を引いて歩き出す女生徒。「なんだなんだ」と奇異の目を向けるクラスメイト達の視線を避けるように、階段を下り三階へ。

 そのまま、人気のない当たりまで連れてこられて、女生徒はようやく足を止めてくれた。


「あ、あの~。用事なら、別にこんな所じゃなくても……」

「呆れた。まだ気付かないの、君は」

「えっ」


 女生徒がマスクと眼鏡を取り去る。すると、その下からはよく見慣れた顔が姿を現した。


「えっ、真白先輩!?」

「ようやく気付いた? 全く、普段なら上手く騙せたと喜ぶところだけど、ここまで気付かれないと少し腹が立つわね」


 ――そう。三つ編みおさげ眼鏡マスク女子の正体は、真白先輩だったのだ。全く気付かなかった。

 言い訳になるかもしれないが、あまりに別人過ぎて全く気付かなかった。

 何より、背丈が普段の先輩よりも少し高い。


「というか、先輩。眼鏡とマスクはともかくとして、なんか背が高くなってません?」

「ああ、これ? 実はね、上履きに仕組みがあって――」


 ひょいっと片方の上履きを脱いで俺に見せつけてくる先輩。一見すると何の変哲もない上履きだが、じっくり見ると、なるほどおかしな点があった。

 まず、ゴム底が普通の上履きよりも分厚い。パッと見では分からないが、明らかに厚底だ。

 次に、上履きの中にも仕組みがあった。よく見ると中にインソールが敷かれている。恐らく、これもそこそこの厚みがある。つまりこれは――。


「シークレットシューズならぬ、シークレット上履き、ですか」

「そう。私の素の身長だと、歩いているだけでも目立ってしまうから、ちょっとだけ誤魔化しているのよ」

「へぇ、たかだか数センチ高いだけでも、印象って変わるものなんですね」

「うん。もちろん、他にも姿勢だとか歩き方だとか、そういったものでも随分とイメージが変わるのよ? スカートにも秘密があってね――」


 言いながら、スカートの裾を少しめくろうとする先輩。だが、何かを思い出したかのように、その手が途中で止まった。


「……まあ、詳細は省くわね。とにかく、これが普段の私の恰好なの」

「なんでまた、そんな手の込んだことを」

「簡単よ。単に目立ちたくないの」

「舞美が言ってたのって、本当だったんですね……」


 先日の舞美の言葉が蘇る。

 『真白先輩、目立つの嫌いだし』とは言っていたが、まさかここまで徹底しているとは。聞けば、この恰好はほぼ入学直後から続けているらしい。

 道理で、知り合うまで真白先輩の噂を聞かなかったはずだ。いや、聞いていたかも知れないが「いつもマスクをしている上級生」の噂なんて、多分頭に残らないだろう。


 同時に「もったいない」とも思った。もし先輩が部室にいる時の姿で出歩いていれば、間違いなく学校中の注目の的になるのに、と。もちろん、先輩自身がそれを望んでいないのだから、仕方がないのだが。


「あら、あまり時間がないわね。急いで部室に行きましょう。協力者を紹介するから」

「ああ、例の人ですね」


 早歩きしだした先輩の後を追いながら答える。

 今回の作戦では、協力者の存在が欠かせない。納田、上原先生、そしてもう一人の助っ人。先輩はその助っ人を紹介してくれるようだった。

 事前に少し話は聞いていたが、本当に今回の作戦を手伝えるような人なのだろうか?


 ――旧校舎には少しだけ人の気配があった。他の部活の連中が、部室で昼休みを過ごしているのだろう。

 その気配を尻目に二階に上がり、奇術部の部室へ向かう。鍵は予め開けていたようで、扉はすんなり開いた。


「お待たせ、藤本君を連れて来たわ」


 真白先輩が室内に声をかける。すると、例のカーテンの間仕切りの向こうから、何者かが姿を現し――。


「……えっ、ええええええっ!?」


 その姿を見るなり、俺は驚きのあまり間の抜けた声を上げていた。


   ***


 放課後、いよいよ作戦決行の時がやって来た。


「じゃあ、先輩。打ち合わせ通りに」

「頼りにしてるからね、藤本君」


 三つ編みおさげ瓶底眼鏡マスク姿の先輩が、その分厚い変装の下で微笑む。

 その姿にちょっとだけドキドキしながら、二人して占い研究会の部室へと向かった。


「あら、藤本君。また来たのね」

「おう、この間は中途半端なところで帰っちゃったからな。今回はきちんと占ってもらおうと思って。駄目だったか?」


 待ち構えていたかのように、小袋谷が俺達を出迎えた。その顔には余裕の表情が浮かんでいる――というのは、穿ちすぎだろうか。

 占い研究会の部室は、以前訪れた時とほぼ同じ雰囲気に包まれていた。

 狭い室内にを覆う黒い天幕。小袋谷の後ろに控える十人ほどの女子達。

 小さな円卓に置かれた、怪しい光を放つ水晶玉とほくそ笑む小袋谷の姿。

 

「とんでもない、大歓迎よ。でも、その前にそちらの可愛らしい先輩を紹介してくれないかしら」

「……二年生の真白よ。はじめまして、小袋谷さん」


 俺が紹介する前に、先輩が自ら前に一歩出て名乗り出る。

 その態度をどう受け取ったのか、小袋谷は不敵な笑みを浮かべながら、先輩に椅子を勧めた。


「はじめまして、真白先輩。どうぞお座りになってください。……ええと、お二人の関係を聞いても?」

「私達の関係? お得意の占いで分からないのかしら」

「あらあら、これは手厳しいお言葉ですね。いいですよ、そういう態度、嫌いではないです」


 余裕を湛えた笑顔のまま、先輩と向き合う小袋谷。気のせいか、その背後にはなにかねちっこい炎のような、不気味なオーラが漂っているように見えた。

 対する先輩も決して負けていない。勧められた椅子に優雅な所作で腰掛けると、背筋をピンと伸ばし小袋谷と向き合った。その視線は、獲物を見定める猛禽類のようだ。


 俺は無言のまま、先輩の後ろに立つ。それに合わせたように、俺の背後で天幕の入り口が静かに閉じた。

 見れば、小袋谷の背後にいる一年生の一人が、なにやら紐をたぐっている。どうやら、あの紐を操って開閉出来るようになっているらしい。


「小袋谷さん、今日はね、藤本君ではなく私を占ってほしいの」

「真白先輩を、ですか。私は構いませんよ。それで、何を占いましょうか? 恋愛のこと? それとも、学業のこと?」

「そうね……ざっくり未来の運勢、というのは占えるかしら」

「もちろん。ただ、未来を見通すには先輩の過去と現在を理解する必要があります。いくつか質問をさせて頂きますが、構いませんか?」

「構わないわ」


 先輩が答えながら静かに頷いた。――まずは予定通りだ。

 小袋谷の手口は幾つかの段階を踏んでいる。まずはコールド・リーディングを駆使して、相手の出方を窺う。次に、俺がやられたように予め知っていた情報を、さも占いで識ったかのように相手に伝え動揺を誘う。

 そうして、相手の心の隙間を広げておいて、更に追い込みをかけるのがこいつの常套手段なのだ。


「まずは誕生日と血液型をお訊きしても?」

「四月七日生まれの、AB型よ」

「ありがとうございます。……少し見えてきました。お兄様がいらっしゃいますね?」

「ええ。妹の私が言うのもなんだけど、そこそこ有名らしいわね」

「そこそこどころか、かなり有名ですよ。その内、サインを頂きたいくらい」

「……機会があれば、ね」


 まずは何でもない会話が続いていく。小袋谷もまだ揺さぶりはかけず、まずは雑談をしながら機を窺っているようだ。俺の時よりも慎重に思える。

 それはつまり、小袋谷が先輩のことを警戒している表れなのかもしれなかった。

 ――そのまま、しばらくは毒にも薬にもならないような話が続いた。趣味はなんだとか、好きな季節はいつだとか。傍から見ていると、和やかに話しているだけのようにも思える。だが、その実は水面下での戦いが繰り広げられているのだ。

 最初に動いたのは、小袋谷だった。


「お陰様で、水晶に写る像がかなりはっきりしてきました。これは……あまり良くありませんね。過去の問題が、真白先輩の未来に暗い影を落としています」

「過去の問題? ふふ、思い当たる節がありすぎて、どれがどれやら。具体的には、一体どのようなものかしら」

「そうですね。これは、家族? それもお父様かお母様のどちらか……あるいはその両方の光が弱い。もしや、既に亡くなられている?」

「――っ」


 先輩の小さな背中が微かに震える。同時に、俺の心臓も一際強くドクンと脈打った。

 俺は真白先輩のご両親のことなど、何も知らない。だから、小袋谷の言葉が真実かどうか、判断がつかない。

 だが、小袋谷の物言いは自信に満ち溢れている。何より、この女が何かを断定的に語る時、それは「既に知っている事実」を、さも占いで識ったかのように語る時ではなかったか。


「ああ、仮令たとえ当たっていても、何も答えなくてよろしいですよ、先輩。プライベートな話ですから、人前では話し難いでしょう。……もしよろしければ、今からでも人払いしますが?」

「……いえ、このままでいいわ」

「そうですか。では、占いを続けますね」


 小袋谷が心配そうな表情を浮かべながら、人払いを提案した。それはつまり、彼女がこれから語る「占い」の結果が、真白先輩のプライベートに深く関わるものばかりである、ということを示すのだろう。

 心配するような素振りで、その実、先輩を挑発しているのだ。


「真白先輩のお父様は、確か先輩やお兄様と同じ奇術師でしたね? 以前、お兄様の雑誌記事で拝見したことがあります。ただ、亡くなられているとは書いていませんでした……。何か、世間に公表出来ない事情があったのでしょうか」

「……兄の載っていた雑誌をチェックしてくれていたの? 本当にファンなのね」

「ええ。とてもハンサムな方ですし、私も人並みに女子なので」


 確かに、真白先輩のお兄さんはかなりの男前だ。女性ファンが多いのも頷ける。小袋谷の言葉も、嘘やお世辞ではないのかもしれない。

 けれども、彼女が真に言いたい言葉は、その後にあった。


「――なにより私、お兄様の決め台詞がとっても好きなんですよ」

「決め台詞……?」

「『タネも仕掛けもございます』」

「ああ、あれね」

「痺れますよね。あの台詞と共にインチキ霊能力者を成敗して回っているなんて」

「痺れる? 貴女も成敗される側かもしれないのに?」

「ふふっ、私は大丈夫ですよ――本物ですから」


 不敵な笑みを浮かべたまま、小袋谷は水晶玉にかざした手に力を籠める。

 その動きに呼応したように、水晶玉が怪しく輝いた――ように見えた。


「そう言えば、お兄様には色々とあだ名があるんですよね。『奇術界の王子』ですとか『超能力者ハンター』だとか」

「本人は嫌がっているけれどね」

「そうなんですか? よくお似合いだと思いますが。私は……特に『名探偵』というあだ名が好きですよ」

「――っ」


 先輩の肩がわずかに揺れる。不覚にも「名探偵」という言葉に反応してしまったようだ。だが、それも仕方ないだろう。

 「名探偵」というあだ名は、真白先輩のお兄さんだけのものではない。知る人ぞ知る、真白先輩のあだ名でもあるのだから。


「……そう、『名探偵』。水晶玉は、この言葉がお兄さんではなく、真白先輩ご自身と深い関係にある、と映し出しています。何か、覚えはありますか?」


 小袋谷の口元が、微かに愉快そうな形に歪んだように見えた。

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