5.安楽椅子探偵は笑う

「――って訳なんですよ、真白先輩! 小袋谷の奴、あれは本物かもしれませんよ!」

「そう」


 占い研究会から逃げ出した俺は、一目散に奇術部の部室へと駆け込んでいた。

 そして、挨拶もそこそこに、小袋谷から感じた恐怖の一部始終を真白先輩に話した。――のだが、当の先輩は何故か食いつきが悪かった。


「ええと、先輩? もしかしたら本物の霊能力者かもしれないんですけど。興味、ないんですか?」

「本物だったら興味津々だけど……。ねぇ、藤本君。君は、小袋谷さんの占いが本物の霊能力だと思うの?」

「そりゃあ……殆どの言葉は曖昧でしたけど、俺の名前をピタリと当てて見せたんですよ! 俺の目的も気付いてた節があるし。依頼人が納田だってのも、当てられたんです。あれは本物だと思います」


 興奮しながら早口でまくし立てるが、真白先輩は呆れ顔だった。

 そのせいで、少し腹も立ってきた。俺があんなに怖い思いをしてきたのに、それを適当にあしらうなんて、と。

 だが――。


「落ち着きなさい、藤本君。それ、見事に小袋谷さんの詐術に嵌っているわよ」

「詐術って、俺が騙されたって言うんですか?」

「ええ。藤本君も随分と用心していたのは分かるわ。だから、コールド・リーディングは通用しなかった」

「……コールド? なんですか、それ?」

「尤もらしいことや、誰にでも当てはまることを言って、相手の反応を窺いながら少しずつ情報を引き出す詐術よ」

「ああ」


 なるほど、俺が真っ先に警戒していた、あれか。コールド・リーディングという名前が付いていたとは知らなかった。


「殆どの占いというものは、バーナム効果――誰にでも当てはまるような言葉を並べて、その一部がまるで自分のことを指しているかのように感じさせる詐術なの。雑誌の占いコーナーを読んだことがあるかしら? 毒にも薬にもならない、意味の薄い言葉が並んでいるでしょう?」

「ああ、確かに」


 「バーナム効果」という言葉は聞いたことがあった。やはり雑誌によく載っている「心理テスト」みたいなものに利用されている、あれだ。

 いくつかの質問に答えたり、好きな動物を選んだりすると、「あなたの性格は~ですね」といった解説に辿り着く。解説には、例えば「あなたは芯の強い人間ですが、案外涙もろい部分があります。また、散財する癖があります」のように、色々な人に当てはまる「ふんわりした」ことが書いてある。

 人間とは不思議なもので、解説文が完全一致しなくても、部分的に「自分に近いかも」と感じる部分があれば、何故かその心理テストが「当たった」と感じてしまうのだ。


 しばらく前に、日本では「心理学ブーム」なんてものが起こっていた。そのせいか、その手の「心理テスト」みたいなものが流行ったのだが――心理学の先生に言わせると、「ああいうものは全部インチキ」らしい。

 それでも、未だに雑誌やテレビでは「心理テスト」がもてはやされているのだから、なんともはや。


「だから、殆どの占いは疑ってかかっている人間には通用しない――けれども、悪質な占い師は、そこを逆に悪用するのよ」

「逆に悪用?」

「ええ。コールド・リーディングを警戒している人間は、沢山の言葉の中に自分に当てはまるものがあっても、信じない。けれど、もし? そう、例えば自分の名前とか誕生日とか」

「それは……」


 それはまさしく、先ほどの俺の状態だ。俺は自分の名前を言い当てられたことで動揺してしまった。

 そして一気に、小袋谷の手の平の上に乗せられてしまったのだ。


「分かったみたいね? そう、警戒していた人間ほど、ズバリを当てられると動揺が大きいのよ」

「で、でも! 小袋谷は本当に俺の名前を当ててみせましたよ! あれはトリックとか、そういうんじゃないのでは?」

「もちろん、それにもトリックがあるのよ。――そうね、ちょっと実演してみましょうか」


 そう言うと、先輩は棚の中から何やら取り出してきた。

 なんと、それは大きな水晶玉だった。こんな小道具もあるとは、奇術部恐るべし。


「じゃあ、始めるわね。藤本君、何か好きな数字を言ってみて?」

「ええと……じゃあ、80」

「好きな色は?」

「う~ん、強いて言えば青、ですかね」

「好みの女性のタイプは?」

「えっ!? そ、それ言わないと駄目ですか?」

「もちろん。必要なことだから」


 予想外の質問に、思わず動揺する。

 ――それこそ、先輩と二人きりの時に、先輩に部分的にでも当てはまる女性像を答えてしまったら、あらぬ誤解を産みかねない。


「あ~、明るい子が好きですね」

「……なるほど?」


 何故かニヤニヤしながら、先輩が更に質問を重ねていく。その数は最終的に、十三にのぼった。


「――さて、質問は以上よ。この十三の質問はね、実は藤本君の誕生日を当てる為のものなの」

「誕生日を? 今の質問で?」


 これは流石に眉唾ものだった。

 好きな色や数字や異性の好みで、誕生日が分かるはずがない。

 だが――。


「藤本君の誕生日は……十一月十一日ね!」

「っ!? あ、合ってる!? え、どうして? なんで?」

「ふふ、奇術ならぬ魔術の力よ!」


 射貫くような視線と共に、自信満々の笑顔を浮かべる先輩。俺の誕生日を正確に当ててみせたその迫力に、思わず動揺する。

 「先輩はトリックのある奇術だけではなく、本物の魔術も使えるのか?」と。

 しかし、そんな俺を前に先輩はにやりと笑って、更に驚くべき言葉を口にした。


「――な~んて、嘘よ。実はね、藤本君の誕生日は、予め二階堂さんに教えてもらっていたの」

「……えっ」

「でも、これで分かったでしょう? 相手の言葉を疑ってかかっている時や『騙されないぞ』と警戒している時に、ズバリの真実を当てられると、人間はコロッと騙されてしまうものなのよ」


 そう言ってにっこりと笑った先輩の顔は、どこか愉快そうだ。


「熟練の占い師――いいえ、詐欺師はね、コールド・リーディングにばかりは頼っていないのよ。彼らは、予め騙そうとしているターゲットの情報を収拾し、熟知しておくの。でも、実際に会って話す時には、それをおくびにも出さない。そして、ここぞという時に、まるで占いで当てたかのように、相手の個人情報を言い当てて見せる」

「……それで、コロっと騙される?」

「ええ。今の藤本君みたいにね」

「もう、勘弁してくださいよ」


 両手を上げて「降参」のポーズを取る俺の姿に、先輩は実に楽しそうな笑顔を浮かべた。

 そこにはほんの少しだけ、小悪魔的な可愛らしさがあった。


「――って、先輩。じゃあ、小袋谷は予め俺の素性を調べていたって言うんですか? いつの間に。というか、どうして俺の情報なんかを」

「……それなんだけど。多分、藤本君の情報を狙って調べていた、という訳ではないんじゃないかな」

「どういうことです?」

「小袋谷さんが言い当てたのって、実質、藤本君の名前だけよね」

「納田のことも言い当てましたよ」

「そうね。じゃあ、クラスと担任も、かな。うん、でもこれって十分に準備可能なのよ」


 何でもないことのように先輩が言ってのける。

 けれども、俺には皆目見当が付かなかった。俺を狙い撃ちしたわけでもなく、俺の名前とクラス、ついでに担任教師を事前に知る方法なんて、あるのだろうか。

 自分で言うのも何だが、俺は目立つ方ではない。学年合同の行事も何度かあったが、それで顔と名前が知れ渡るようなことはなかったはずだ。ならば、小袋谷はどこで俺の名前と顔を知ったのか。


「藤本君達って、入学式かその後くらいに、クラスで集合写真を撮らなかったかな?」

「……撮りましたね。クラスメイトの顔と名前を覚える為にって、名簿付きで全員に配られました」


 ――後の世の中ではとても信じられないことだが、この当時はまだ、クラス全員の住所・氏名・電話番号から保護者の名前まで、クラスあるい学年別の名簿が配られ、生徒に配布されている時代だった。

 まだ、一般には携帯電話も普及していない頃だ。ネットもメールも殆ど普及していないので、連絡方法は固定電話しかなかったのだ。だから、クラスメイトの連絡先も住所も、容易に知ることが出来た。


 加えて、比企高では入学直後にクラスごとの集合写真を撮影する習慣がある。

 写真はクラスメイトや担任、各教科担当の教師に配布される。写真にはどれが誰だか分かるように、名前も併記されている。全員の顔をいち早く覚える為の習慣だった。


「小袋谷さんは藤本君とはクラスが違う。けど、彼女の取り巻きには、藤本君のクラスメイトもいるんじゃないかしら? ううん、もしかしたら全部のクラスに最低でも一人はいるのかも。――その子達が、クラスの集合写真を小袋谷さんに提供していたとしたら?」

「……俺のことも知っていたかもしれませんね。でも、そんなこと可能なんですか? うちの学校、一年生だけでも二百人くらいいるはずですよね。いくら名前が併記されてるからって、全員の顔と名前を覚えるなんて――」

「私なら余裕で出来るわよ。というか、奇術師とか悪徳占い師みたいに人を騙すのが商売の人間は、そのくらい覚えられなくては成り立たないの。才能によるものなのか訓練によるものなのか、どちらかは分からないけど、小袋谷さんも出来ると考えた方が自然だわ」


 ――流石に言葉を失った。俺も記憶力にはそこそこ自信がある方だったが、先輩達の次元にはとてもかなわない。


「これで少し見えて来たわね、小袋谷さんのやり口が。コールド・リーディングだけではなく、彼女は事前に知った情報も利用して、巧みに相手の信用を得ているのね」

「……本物の霊能力者じゃ、なかったんですね。すみません、先輩。俺、すっかり騙されちゃって」


 思わず肩を落とし俯く。少しは先輩の役に立てると思っていたのだが、そんなことは全くなかったらしい。


「藤本君、謝る必要もへこむ必要もないわよ。むしろ喜ぶべきところよ、『一つ勉強になった』って。百聞は一見に如かず――貴方はプロレベルの詐術を体験し、学ぶ機会に恵まれたのよ。それを次に活かせばいいのよ」

「……そういうものですか?」

「ええ、そういうものよ。もちろん、折角の学びを悪用しては本末転倒だけどね」


 水晶玉を棚にしまいながら、先輩が俺にとつとつと語る。その口調はどこか、生徒を嗜める女教師然としていて、先輩の小柄な体格とのギャップに思わず苦笑いしてしまいそうになった。


「奇術は人を楽しませる為にある。占いだって、本来はそうあるべきだと思うの。一歩踏み出せずに悩んでいる人の背中をそっと押してあげるような、前向きなものであってほしいわ――だから、小袋谷さんみたいなやり口は、徹底的に潰してしまわないとね」

「つ、潰すって……。いきなり物騒な話になりましたね」

「あら、潰すと言っても、もちろん暴力には訴えないわよ? あくまでも、理性的にね」

「理性的、ですか。具体的にはどうするんですか」

「実はね、一つアイディアがあるの。前に二階堂さんから聞いたミステリのトリックで、気になるものがあってね――」


 ちょいちょいと俺を手招きする先輩。どうやら、耳打ちをしたいから近寄れ、ということらしい。

 大人しくそれに従うと、先輩の艶やかな唇が俺の耳に寄せられ、熱を持った吐息がかかるのを感じた――不覚にもドキドキする。


「まずね――を――して」

「え、ええっ!? そ、そんな作戦、上手くいくんですか?」

「もちろん。奇術師・真白恵梨香の実力を、とくとご覧あれ、よ」


 間近でウインクして見せた真白先輩の顔は、やはりとても魅力的だった。

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