2.「名探偵」登場
「さて、話はカーテンの向こうでざっと聞いていたけれど……もう二、三確認させてね」
本物の真白先輩が椅子を用意してくれたので、大人しくそれに座る。真白先輩も俺に向き合うように、椅子に腰を下ろした。
ちなみに、男子の方の真白先輩――本当の名前は演劇部員の
大鋸先輩が真白先輩のフリをしたのは、ちょっとした悪戯心だったらしい。しかも、事前に示し合わせておらず、その場の即興で始めたのだとか。すっかり騙されてしまった。
奇術師の詐術と演劇部のアドリブ力、恐るべし……。
「まず一つ目。当日、高岡さん以外にも体育を休んだ女子はいたかしら?」
「それは……いないはずです。舞美――二階堂にも確認済みです」
「なるほど。じゃあ、二つ目。当日、体育の授業より前に移動教室はあったかしら?」
「移動教室、ですか? ……ええと、ありました。一時間目が物理だったんで、物理実験室に移動してます」
「ほうほう、なるほど」
先輩は何やらウンウンと頷き始めた。美人だが小学生並みに小柄なので、なんだか小リスみたいだ。可愛らしくて、思わず癒されてしまった。
「先輩。もしかして、体操服が盗まれたのは移動教室の間、ということですか?」
「そうね。普通に考えれば、衆人環視の中で他人の荷物を漁って盗みを働くことは、不可能よね。ということは、教室に誰もいないタイミングを狙った、と考える方が自然だわ――まあ、クラスの何人かが示し合わせた集団犯罪だったら、また話は別だけど」
「それって例えば……いじめ、とか?」
「そうね。いじめる側が何人か示し合わせて実行すれば、教室に誰かがいる状態でも盗み自体は可能でしょうね。でも、体操服はきちんと洗濯されて返ってきているから、可能性は低いと思う」
確かに。もし高岡さんがいじめられているのだとしたら、一度盗まれた体操服が返ってくるのも、それがきちんと洗濯してあったのも不自然だ。
「だから、犯行は移動教室の際に行われた可能性が高い、ということになるわ」
「じゃあ、やっぱり他のクラスの誰かが犯人ですか?」
「そうとは限らないわよ」
「ええっ?」
そこで真白先輩は、やけに色っぽい「蠱惑的」とでもいう難しい言葉が似合いそうな笑顔を浮かべた。思わず心臓が高鳴る。
「さて、ここでようやく三つ目の質問なのだけれど。移動教室の時に、一人だけ遅れてきたり、もしくは中座した人はいたかしら?」
「……どうだったかな。ええと……あっ、いました!」
「それは女子?」
「え、はい。そうですけど。どうして分かったんですか?」
確かに先輩の言った通り、当日の移動教室の際、一人だけ遅れてきた女子がいたはずだった。
先輩は何故、それが分かったのだろうか? しかも、性別まで当たっている。
「その女子は、もしかして高岡さんと同じくらいの背格好じゃないかしら」
「う~ん、どうだろう。確かに身長は同じくらいですね。体型は……どうでしょう。多分、同じくらいだとは思いますけど」
「あら、男の子ってクラスの女子の体型チェックくらい、やってるものだと思ったけど」
「……それ、人によると思いますよ」
――確かに、クラスの男子だけで集まった時に「誰の胸が一番デカいか」「誰の尻が一番エロいか」みたいな話をすることはあった。俺も男なので、興味がない訳じゃない。
けれども、女子全員の体型だとか想定されるスリーサイズだとか把握していたら、流石に引く。
「まあ、体型も同じくらい、としておきましょうか。それで、その子は可愛い方かしら。藤本君の忌憚のない印象でいいから教えてくれない?」
「え、そういうの、言わないと駄目ですか?」
「あら、案外真面目なのね。それとも、照れてるのかしら? ――その子の名前は言わなくていいわ。それなら私も、誰のことなのかは分からない。だから、教えて。出来れば、その子の性格や成績も」
最後は囁くように、真白先輩が言葉を紡いだ。気のせいか先ほどよりも距離が近く、思わず顔が赤くなる。
その雰囲気に流されてしまったのか、いつしか俺は、口を割ってしまっていた。
「可愛くは……ないと思います。どちらかというと地味系の子ですね。性格は……よく分かりません。無口なので、まだまともに話したことすらないです。でも、きっと内気な子ですよ。他の女子とも、あまり話してませんし。成績は良かったはずです。入試トップの高岡さんに次ぐって、先生の誰かが言ってましたから」
「……ありがとう。うん、多分これで決まりね。犯人はその子よ」
「ええっ!? 犯人は男子じゃなくて、女子? そ、それに、今のだけで分かったんですか!?」
思わず椅子から立ち上がり、叫ぶ。
一体全体、真白先輩がどうやってその答えに辿り着いたのか、分からなかった。
「まあ、状況証拠だけ、だけどね。だから、多分に推測を含むのは認めるわ――説明、いる?」
先輩の言葉に、コクコクと頷く。今度はこちらが小リスになった気分だった。
「この手の犯罪について考える時、重要な要素が幾つかあるわ。即ち、『誰が』『いつ』『どのようにして』『何の為に』やったのか。この内、『いつ』と『どのようにして』は、もう分かるわよね?」
「……移動教室の時に、教室から人がいなくなったのを見計らって、ですか」
「その通り。じゃあ次に、『誰が』は置いておいて、『何の為に』を考えましょうか。藤本君は、どう思う?」
「ええと……それは……」
納田の推理通りならば、犯人は高岡さんの体操服で不埒な行いをする為に、犯行に及んだことになる。俺も同じように考えている。
先ほどは相手が男子の大鋸先輩だったからそれとなく話せたが、女子の真白先輩にはなんとも言いにくい。
「ああ、エッチな目的だと思ってる? だとしたら、それは不正解よ」
「え、そうなんですか?」
「だって、そういう目的ならわざわざ返したりしないでしょ? しかも、洗濯までして」
「流石に良心が咎めた、とか」
「わざわざ他人の物を盗んで変態行為に及ぶ人が、そんな簡単に改心するかしら。まだ、エッチなことに使って汚したものを送り付ける、とかなら高濃度の変態として理解出来るけど」
「理解出来るんですか……」
美人の真白先輩の口からは、あまり聞きたくなかった言葉だった。
「因果として理解出来る、という意味よ。変な受け取り方をしないでね、藤本君」
「す、すみません……」
「そもそも、『体操服を盗まれたのが可愛い女の子だったから犯人は男子』という発想が、ある種の思い込みの産物なのね、この場合においては」
「思い込み、ですか」
「ええ。嫌がらせとか、他のケースを合理的な理由なしに排除してしまっている。推理において一番やってはいけないパターンね」
そう言えば、犯人の目的が不埒な行為だと主張していたのは納田だった。
あいつの浅薄さが、俺達を犯人像から遠ざけていたのか。
「人間はね、分かりやすい答えを見付けてしまうと、逆算してそれに沿った理由ばかりを考えてしまう生き物なのよ。例えば、藤本君が先ほど、大鋸のことを『真白先輩』だと思い込んだみたいにね」
「あれは……すみませんでした」
「あら、謝らなくてもいいのよ? 私達だって、君のことを騙そうと思ってやったんだもの」
ペロッと舌を出して、ちょっとだけおどけて見せる真白先輩。
その姿はやはり可憐そのもので、俺の胸がまた少し高鳴った。
「ともかく、犯人が体操服を盗んだ目的は、エッチなことに使う為じゃなかった。だったら、何が考えられるかな?」
「ええと……嫌がらせ?」
「うん、それも考えられるわね。でも、嫌がらせで隠したのなら、持ち物検査の時にでも見付かりそうなものでしょう? 移動教室の合間の犯行だから、凝った場所に隠す時間もなさそうだし」
「確かに。う~ん、分かりません! 降参です」
両手を挙げて「降参」のポーズをとる。
そんな俺の様子が面白かったのか、真白先輩は少し愉快気に微笑んでから、話を続けた。
「こう考えられないかな。犯人が体操服を盗んだ理由は、『それが必要だったから』って」
「それが必要だったから? 他人の体操服が必要な理由って、なんですか」
「うん。ここで犯人と思しき子の特徴を思い出して。その子には、被害者である高岡さんと、ある共通点があったわよね」
「……あっ。もしかして、背格好が同じ?」
「そう。犯人は高岡さんと背格好が同じだった。じゃあ、そんな彼女が他人の体操服を必要とした理由として、思い付くものは?」
――そこでようやく、俺の中で歯車が噛み合ったかのように、合点がいった。
「もしかして、自分が着る為、ですか?」
「そう。当日、恐らく犯人は自分の体操服を忘れたのよ。それで、学校に着いてから、そのことに気付いた――」
つまりは、こういうことだ。
犯人は、体操服を忘れていることに気付いて、相当に動揺したのだろう。もしかしたら、何度もカバンの中を探したのかもしれない。
おりしも、一時限目は移動教室。カバンの中を探している内に、他のクラスメイトはさっさと移動してしまい、彼女は教室に一人になった。彼女には、「移動教室だよ」なんて気軽に声をかけてくれる友達がいなかったのだ。
教室に一人取り残された彼女は、ふと思いつく。「今の内に、自分と同じ体型の誰かの体操服を拝借してしまえばいいのでは?」と――。
「でも、ちょっと信じられません。犯人――彼女は真面目な子ですよ。一時的とはいえ、他人の物を勝手に借りて困らせるなんて……体育くらい、休めばいいのに」
「真面目だからこそ、じゃないかな」
「えっ?」
「忘れ物なんて凡ミスで体育を休むことを、許せなかったんじゃないかな? 真面目を拗らせているから――」
いつしか真白先輩は立ち上がり、窓の方を向いていた。そのせいで、今どんな表情をしているのか、完全には窺い知ることが出来なかった。
「藤本君、さっき言ってたわよね? その子は地味な方で、他の女子とも殆ど話してないって。しかも、件の高岡さんに入試の成績で負けている……その子の中に、
「じゃあ、彼女は高岡さんを困らせたくてやった、と?」
「そう。自分は体育の授業を休まなくて済むし、目の上のたんこぶである高岡さんに嫌がらせが出来るしで、一石二鳥――そう思ったんじゃないかな」
何も言い返せなかった。確かに、真白先輩の話は筋が通っていた。
美人で成績もトップで友達も多い高岡さん。それに引き換え自分は――そんな嫉妬を彼女が抱いていた可能性は、否定出来ない。
「洗濯をして返したのは、家に帰って落ち着いて、ようやく正気に戻ったからじゃないかしら? 『とんでもないことをしてしまった』って。実際、もし持ち物検査が体育の後に行われていたら、彼女の荷物から高岡さんの体操服が出てきていた訳だし。人生終了なんてものじゃない、危ない橋を渡っていたんだから」
確かに、もしそのタイミングで持ち物検査が行われていたら、犯人はクラスどころかこの学校での立場を失っていただろう。
謝って、例えば高岡さんは許してくれても、教師の心証は最悪だ。クラスメイトからの信用だって、失くすどころかマイナスになる。
――いや、もし俺がこの推理を納田に伝えたなら、同じことが起こる。奴のことだ、裏取りもそこそこに彼女のことを吊るし上げて、徹底的に追い詰めるに決まっている。
そんな結果に終わってしまっていいのだろうか?
「あの、先輩――」
「うん。でもこれ、さっきも言ったけど、殆どが状況証拠からの推論だからね。この推理だけで万事解決、にはならないと思うわよ」
「えっ」
振り向きざまに言い放たれた真白先輩の言葉に、思わず呆気にとられる。
先程まで自信満々に推理を披露していたかと思えば、今度は逆に、それが頼りにならないようなことを言い出す。どうにも、感情が追い付かなかった。
「ええと、先輩。じゃあ、今までの推理は、一体……」
「ふふ、奇術師の言うことを真に受けては駄目よ? とはいえ実際、それに近い事が起こったのだとも思うの。でもね、それを裏付けるには、それこそ証拠が足りないのよ。物証、というやつね」
「物証、ですか?」
「うん。例えば指紋。犯人は高岡さんのカバンを漁ったのだろうから、当然、彼女のカバンにはその指紋が残されているはずよね?」
「確かに」
頭の中に、刑事ドラマなどで鑑識班が、耳かきについている梵天のようなもので指紋を浮かび上がらせている様子が浮かぶ。
なにか、白っぽい粉状の物を使っているのが定番だが、あれは一体何の粉なのだろうか。
「でも、指紋を調べるなんてそれこそ警察の領分だわ。確か納田先生は、警察の介入を避けたがっていたのよね?」
「はい。なんでか知りませんが、警察に報せる訳にはいかないらしいです」
「学校組織の面倒なしがらみ、という奴ね。まあ、起訴されるかどうかは疑問だけど、一人の女の子の人生が狂ってしまう可能性はあるわね。あながち間違った対応でもないのかもね」
――確かに。もし警察に通報して本格的に捜査が始まれば、多くの人が取り調べの対象となるはずだろう。
もし、真白先輩の推理通りのことが起こっていたのだとしたら、犯人の子は、それこそただでは済まないはずだ。
「さて、藤本君。ここで貴方に質問よ。貴方はどうしたい?」
「どうしたい、とは」
「私の推理を信じて、容疑者の子を問い詰めてみる? それとも、先生の頼みを無視して、警察に通報してみる? 前者は一人の女の子を追い詰めることになるし、後者は大騒ぎを起こすことになるけど」
「そ、それは……」
そんなもの、選べる訳がなかった。
高岡さんを怖がらせた罪があるとはいえ、「犯人」の女の子もクラスメイトなのだ。ろくに話したこともない相手だけれども、クラスメイトを追い詰める気にはなれない。
さりとて、警察に通報というのも考えにくい。先輩の言う通り大事になるし、より多くの人を巻き込んで、どんな影響が出るか計り知れない。――そもそも、盗まれた物が戻ってきているのだから、警察がまともに取り合ってくれるかも分からない。騒ぐだけ騒いで、何も解決しないまま終わってしまう可能性もある。
「選べませんよ、こんなの」
「そうね、選ぶべきじゃないわね。少なくとも、この二つの選択肢からは」
「は、はい~? え、だって、先輩が選べって言ったんじゃないですか」
「いいえ? 私はただ、『どうしたい?』と尋ねて、その後に選択肢を二つ提示しただけよ。その中から選べ、なんて一言も言ってない」
「ひ、ひでぇ……」
「ふふ、先程も言ったけど、奇術師の言葉を真に受けては駄目よ。私達は、人を騙すのが生業なんだから」
悪戯好きの天使のように、真白先輩が微笑む。俺のたった一つ上とは信じられない色気だった。
「どうしたいのか、藤本君の言葉できちんと聞かせて欲しいな」
「……俺の言葉で、ですか?」
「うん」
答えを待つように、真白先輩が俺の目を見つめてくる。
黒曜石の様に透き通った漆黒の瞳が、射貫くような迫力を宿していた。
「そう、ですね。このまま有耶無耶にしたら、高岡さんは気持ちの悪さを抱えたまま学校生活を送ることになります。だから、それは嫌です」
「うん。それから?」
「犯人の子を追い詰めるのも、嫌です。悪いことをしたかもしれないけど、彼女のこれからの学校生活を滅茶苦茶にはしたくないです」
我ながら矛盾しているとは思う。高岡さんの気持ちを晴らすには、犯人を糾弾した方がいい。
けれども、いくら疑わしいとはいえ、クラスメイトの人生を台無しにしてしまうかもしれないような追及は、したくない。
「ついでに言うと、事態を収められなくて納田先生からネチネチと責められるのも、嫌ですね」
「ふふ、正直でよろしい。うん、藤本君はいい子ね」
「チキンなだけですよ。だから、今も何も決められない」
「そうかな? それは臆病じゃなくて、優しさって言うんじゃないかしら? ――うん、気に入った。私は君のことが気に入ったわ、藤本君」
再び椅子に腰かけながら、真白先輩がそんな恥ずかしいことを言ってきた。
頬が赤くなるのを感じる。どうやら、この先輩は、センシティブな後輩男子の精神を刺激するのがお好きらしい。
「私はね、こう見えても面倒見がいい方なの。だから、助けてあげるわ。――藤本君、この一件、私に預けてくれないかしら? きっと、君が望むのに近い結果を御覧に入れてみせるわ」
そう言って、真白先輩は不敵に笑った。
今までに見せた笑みの中で、何故だかそれが一番自然に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます