第二話「奇術部部長の真白先輩」
1.真白先輩と死体
「藤本君だっけ。お茶はいるかい? あいにくとペットボトルのしかないけど」
「ああ、いえ。おかまいなく……じゃなくて! そ、その死体はなんなんですか!」
思わず一歩踏み出し、真白先輩を問い詰める。
この時の俺は、よほど動揺していたのだろう。もし相手がやりたてホヤホヤの殺人犯なら、真っ先に逃げるべきなのに。
だが、真白先輩は動じた様子もなく、恐ろしく綺麗な笑顔を浮かべながら、床に置いてあったレジ袋からペットボトルのお茶を取り出した。そのままキャップを開け、ごくごくと飲み始める。
――この頃はまだ、ペットボトルのお茶は1.5リットル入りが標準だった。それをラッパ飲みするなんて、少々下品なはずなのだけれども――その姿はなんだか様になっていて、同性なのに見惚れそうになるくらいだった。
「ふぅ。さてさて、藤本君。君は死体を前にして――あまつさえ、それを嬉々として撮影していた男に相対しても、実に毅然とした態度を取るんだね。勇気がある」
ペットボトルのキャップを閉めながら、真白先輩が俺に流し目を送る。思わず背筋がゾクリとする。
「俺も口封じに殺されるのでは」なんて考えが、ようやく頭の中に浮かび、膝が笑いそうになる。
――その時だった。
「あまり後輩をからかうものじゃないわよ」
どこからともなく、女の人の声がした。ちょっと低めで、けれども透明感のある、とても綺麗な声が。
思わず辺りを見回したが、部屋の中には相変わらず、俺と真白先輩と死体しかいない。ならば、今の声は一体。
「なんだ、もうネタばらししちゃうのかい」
「はからずも、そこの彼が証明してくれたじゃない。この『死体のふり』が完璧だって」
「……え。あ、ああっ!?」
そこでようやく気付く。声の主は、刺されて死んでいたはずの、あの女生徒だった。
閉じられていた目は既に開かれ、意志の強そうな黒目がちの眼差しが真白先輩に向けられていた。
――というか、今「死体のふり」って言わなかったか?
「ごめんなさいね、君。この男が調子に乗ってしまって。見ての通り、私はピンピンしているから安心していいわよ」
「そういう君だって、藤本君が入って来ても死体のふりを続けていたじゃないか。僕と同罪だよ」
「……それを言われると、反論しづらいわね」
苦笑いを浮かべながら立ち上がる女生徒。
今気付いたけれども、この人も二年生らしい。それに、とても背が低い。美人だけれども、背丈は小学生並みだった。
どうやら、彼女は死んだふりをしていたらしい。胸に刺さったナイフは、恐らく手品の道具か何かなのだろう。よく考えなくても、ここは奇術部なのだから。
それにしても、初対面の人間に対して随分と悪質ないたずらを仕掛けてくれたものだ。そう考えると、段々と腹が立ってきた。
「ええと……どうして死体のふりなんかを? もしや、特殊なプレイか何かですか? 俺、出てった方がいいですか?」
「はは、そう怒らないでくれよ。実はね、彼女に協力してもらって、映画の小道具の確認をしていたんだ」
「映画? 奇術部なのに?」
「演劇部と映画研究会と奇術部の合同でね、映画を撮るのよ。奇術部は小道具や特殊メイク担当、という訳ね」
真白先輩の後を受けるように、今度は女生徒の方が答える。
なるほど、奇術部が特殊メイクを担当する映画。それは中々、真に迫ったものが撮れそうだ。実際、俺はすっかり騙されていた訳で。
作りものだと知らされた今でも、本当に胸にナイフが突き刺さっているようにしか見えない。一体どういう仕組みになっているのだろうか?
「さて、私は道具を片付けるわ。君は彼の相手を」
「……そうだね。じゃあ、改めまして藤本君。奇術部部長の真白に、一体何の用かな」
「あの、と、友達に、一年の二階堂舞美って奴に紹介されたんです。真白先輩は名探偵だって」
「ほう。それはそれは」
途端、真白先輩の表情が真剣なそれに変わる。先ほどまでの優男風の雰囲気が一気に消え失せた。
その間にも、女生徒の方は吊るされたカーテンの向こうへ姿を消した。恐らく、着替えるのだろう。トリックとは知っていても、胸にナイフの刺さった女子に目の前にいられては、気になって仕方ない。正直助かる。
「名探偵にどんな事件を解決してほしいのかな? まずは、話を聞かせて」
「はい。実は――」
俺は、自分のクラスで起こった「体操服盗難事件」について、真白先輩に説明した。
所々で説明に詰まる部分があったけれども、真白先輩はとても聞き上手だった。辛抱強く俺の話を聞き、たまに自分から質問もして、話を引き出してくれた。
「――なるほどね。盗まれた麗しき女子の体操服。それが、翌日には綺麗になって戻って来た。クラスメイトは全員シロ。面白い事件じゃないか」
「何か分かりますか?」
「いや、全然」
「え……」
真白先輩の言葉に、思わず失望の呻き声が漏れてしまう。
先輩が本当に名探偵だったとしても、流石に今の情報量だけではなんともならないらしい。
だが――。
「うん、僕には全然分からないや。ということで、君の出番じゃないのかな、真白」
何故か真白先輩が、カーテンの向こうに呼びかけるように自分の名を呼んだ。
それに応じるように、女生徒がカーテンを押しのけて姿を現す。白い、染み一つないセーラー服姿で。
「あら、もうギブアップ? だらしないわね」
「無理言うなよ。僕に君の代わりなんて、務まるはずないだろ」
突如繰り広げられた謎の会話に、俺の頭の中で疑問符が乱舞した。
真白先輩は、彼女のことを「真白」と呼んだ。つまり、二人は同じ名前、ということだろうか。
「ほら、藤本君も混乱してるし、いい加減説明してあげなよ、真白」
「……仕方ないわね。ええと、藤本君、だったかしら? ごめんなさいね、この男は真白ではないの。真白は私。私が奇術部部長の
そう言って、女生徒――本物の真白先輩は、ちょっと申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。
どうやら俺は、知らない内に真白先輩による奇術ショーの餌食になっていたらしい。
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