第5話 芸術と小説家

 そして、もう一つは、絵画の世界だった。

 博物館や美術館、アトリエやギャラリーなどという言葉を聞いただけで、そのすべてに芸術性を感じる。しかも、歴史的に見ても絵画は、芸術の代表のようではないか。何といっても、絵画というものが、一番感性と深くかかわっているのではないかと、坂崎は考えている。

 ただ、悲しいことに、坂崎にはその感性が自分にはないのではないかと思っている。

 ここでいう、

「何を持って芸術か?」

 という命題を考えた時、

「自分の感性にピタリと嵌るものだ」

 と考えていたが、絵画というものの感性というものを考えた時、

「美」

 というものではないか?

 と考えるのであった。

 美というものがどういうものであるかを考えると、まず、美術館や博物館で、西洋ルネッサンスなどの絵画であったり、印象派などと言われる芸術を見ていても、そこに感性らしきものを感じることはできなかった。だから、自分で絵を描いてみようと思っても、まったくうまく描くことができない。

 確かに世の中には自分よりもへたくそな人はたくさんいると思うが、上を見ると、どうしようもなくたくさんいる。下を見ても上を見ても、その先が見えないのであるから、自分が絵画というものに対して、

「平凡である」

 ということだけは分かった。

 つまり、平凡というのは、一番芸術家になりにくいのではないかと思う。

 なぜなら、感性というのは、

「逆も真なり」

 ではないかと思うからだった。

 普通の感性では理解できない。ピカソのような絵でも、感性豊かな人が見れば、ちゃんとその感性について説明できるだけの説得力だったりする。

 しかし、感性のない人間にそれを話しても、理屈が分からないのであれば、理解できるものではないだろう。

 感性というものをどのように捉えるかは人それぞれであり、

「人のことはよく分かるのに、自分のこととなるとまったく分からない」

 という人もいるが、それと似ているのではないだろうか。

 ファッションセンスにしても同じである。

「自分の服を選ぶのは苦手だが、人のコーディネイトに関しては、一定の評価ができる」

 という人もいたりする。

 きっと、

「人の姿は、何も介さずとも見ることができるが、自分の顔や姿は、鏡を見なければ、バランスまでは分からない」

 というのと同じ理屈ではないか。

 自分を美しく見せたいと思うナルシストなどは、時間があれば、自分の顔を鏡で見ていたりするというではないか、まさにそれと同じように思えるのだった。

 ファッションセンスだけではなく、美意識に対しても同じだ。

 一度、

「自分には、センスがないんだ」

 と思ってしまうと、芸術的なことに馴染もうとするのは、結構難しいことではないだろうか?

 ファッションというものだけではなく、自分が何かを描こうとする時、自分の中で納得している美意識と、

「まず最初に、どこに筆を落とせばいいのか?」

 という発想からが、まずしっくりこないのだ。

 どうしても、自分には経験がなく、できないと思っていることに関しては、理屈から考えようとするのは、人間の本能のようなものかも知れない。

 その本能を理屈に当て嵌めようとするのであれば、美意識という感覚が狂ってしまうというのも無理のないことではないだろうか。

 それを思うと、美意識に対して、真面目に考えようとしている自分が、まるでピエロに見えてくるのであった。

 小学生の頃というと、学校では強制的に美術の勉強をさせられる。図工という教科で、図画工作の時間と言ってもいいだろう。

 坂崎は、絵を描くことよりも、工作の方が好きだった。その理由は、

「何もないところから、新しいものを生み出すことが大好きだ」

 というところから来ている。

 絵画というものは、目の前にあるものをデッサンする形で、その通りに描き出すというのが基本なので、

「まったく想像力というものが生かされるわけではない」

 と思うからだった。

 絵を描いていると、目の前のものを描くだけの、モノマネのようにしか思えない。それが、自分としては嫌だったのだ。

 そして何よりも、一番難しかったのは、

「一番最初にどこから描くか?」

 ということだった。

 これは、将棋と似ているところがある。

「将棋の布陣で、一番隙のないものはどういう布陣だか分かるかい?」

 と聞かれた時、どこなのかが分からずにいると。

「それは、最初に並べた形であり、一手指すごとに、そこに隙が生まれる」

 と言われたことがあった。

 だから、それを聞いてから、最初にどこを動かせばいいのかというのに迷ってしまう。

 それは絵画も一緒で、最初にどこに筆を落とせばいいのかということを考えてしまうと、なかなか手が動かせない。無駄な時間だけが過ぎていくことになり、結局、深い考えもなしに、どこかに筆を落とすことになる。

 と言っても、筆を落とす場所など限られている。

 ほぼ、中央部分になるか、それとも、四隅になるか、あるいは、キャンバスのどこか、四隅以外の端の線のあたりに落とすことになるであろう。

 深い考えがないというよりも、開き直りと言ってもいいかも知れない。

 そして、この開き直りこそが自分の感性になるのだろうが、それが毎回違っているというのも、自分に絵画のセンスがないという証拠なのかも知れないと思うのだった。

 絵を描く時のコツというものを、理屈で考えたのだが、考えられることとすれば、二つあると思っている。

 一つは。

「遠近感」

 である。

 絵には、立体感がなければ、描いていてもリアリティに欠けるであろう。つまりは、立体感を描きだすための、

「光と影」

 が必要だということである。

 光と影をどのように描き出すかということが、絵を描くうえでどれほど重要かということは、描きながらであれば、へたくそなくせに分かるのだった

 へたくそだからこそ分かるのかも知れない。

 マンガや劇画などでは、筆の濃淡で影を映しだしていて。光に関しては、必要以上に描かない。逆光であれば、のっぺらぼうのように、真っ黒に描けばいいのだろうが、光がまったくないわけではないので、真っ暗にしてしまうわけにはいかない。そこが、絵画での難しさと言えるのではないだろうか。

 顔面一つとっても、ちょっとしたところに影ができている。それは、すべてがまっさらな平面でなければ、影というものは、必ずどこかに存在するものだからである。

 逆に影があるからこその世界なのだ。夜であっても、光と影は存在する。本当の暗黒であれば、光すら影が集中してしまい、本当に何も見えないということになるであろう。

 ひょっとすると、一瞬にして熱は奪われ、

「その場の世界全体が凍り付いてしまうかも知れない」

 と考えられる。

 それこそ、

「凍り付いたもので、くぎを打てるが、これほどもろいものはなく、ちょっと落としただけで、木っ端みじんになってしまうことになる」

 という、そんな世界が形成されることになるかも知れない。

 それが太陽の光の恩恵であり、それがなくなると、過去に何度か訪れたような、恐竜すら滅ぼした、

「氷河期」

 が訪れることであろう。

 さらにもう一つの問題は、

「バランス」

 である。

 バランスというと、遠近感に近いものではあるが、前述の遠近感は、立体感という意味での、

「光と影」

 を主題にしたものであったが、今度のバランスというのは、絵全体から見た、配置という意味である。

 例えば風景画において、海の絵を描いたとしようか。海は水平線とどこに引くかということで、絵画のバランスが変わってくる。前述の遠近感にも関わってくることであり、見た目に五対五であるとしても、実際にどうなのかということを考えたことがあった。

 それは、

「上下逆さまに見た時」

 という感覚である。

 これは、日本三景の一つ、天橋立においての、拝観の仕方の一つとして有名な。

「股覗き」

 というのがある。

 絶景スポットに行って、反対方向を向き、股の間から覗いてみることで、

「まるで、龍が天に昇っているように見える」

 という錯覚を生かしたものであったり、

「上下逆さまに見ることで、まったく違った光景に見えてしまう」

 という、いわゆる、

「サッチャー錯視」

 などというものもあるくらい、人間の見えるものというのは、錯覚に溢れていると言えるのではないだろうか。

 それこそが、バランス感覚というもので、絵を描く時、最初に皆が引っかかるのはそこではないだろうか。

 それによって、どこに最初に筆を落とせばいいのかが決まってしまい、結局結論が見つかることもなく、

「開き直り」

 において、描くことになるのではないだろうか。

 絵画を描くことへの最初の関門である。

「遠近感」と、

「バランス感覚」

 というものにまったく感性を感じることのできない自分が、絵など描けるはずがないと思うのも、当たり前のことだったのかも知れない。

 しかも、美術館に行って、

「芸術に親しもう」

 と思うのだが、その場の雰囲気にゆとりのようなものを感じることはできたとしても、肝心の感性というものに触れることができない。

 それだけでも、自分に絵画という芸術に対しての感性というものはないのであろうという意識は、本物なのだろう。

 確かに、美術館や博物館にいて、ゆとりのある気持ちにはなれるのだが、どうしても、芸術としての美を感じることができない。

 その感覚が、いろいろな意味において、絵画や、それ以外の芸術に親しめなかった理由ではないだろうか。

 そういう意味で、芸術に一番何が大切なのかというと、それは、

「美というものではないか?」

 と感じられるのだが、そう感じてしまった時点で、芸術に触れることはできても、自分が生み出すことはできないと思うのだった。

 それだけに、芸術的なことができる人が羨ましく感じられ、

「俺も他に何か芸術的なことができないだろうか?」

 という思いを馳せるのであった。

 できるようになる芸術を見つけることができたのだが、それが最後に考えたことだというのが、ある意味正解だったのかも知れない。

 最初からそちらをやってみようと思ったとすれば、絵画や音楽よりも、さらにハードルが高いと思われるそのことに対して、最初から、

「リングにも上がろうとしない」

 と思うに違いなかったのだ。

 そんな絵画に対して、

「できる、できない」

 という感覚は別にして、一つ気になることがあった。

「耽美主義」

 と言われるものであり、本などミステリー小説などを読んでいると、たまに出てくる言葉であった。

「何と読むのだろうか?」

 と、最初はそこから入ったのだが、どうやら、

「たんび主義」

 と読むのだという。

 その意味としては、

「徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である」

 と、言葉で書くとかなり難しいことであるが、要するに、

「とにかく、美というものが何者に対しても優先され、そこには、倫理・道徳をも優先されるものだ」

 という意味でもあった。

 つまりは耽美主義の探偵小説などでは、殺人において、その芸術性を求めることで、犯罪を隠そうという思いや、アリバイ工作などを行って、自分の犯行をごまかそうとするよりも、むしろ、この犯罪は自分がやったということを自慢げにひけらかしているかのような状態を、耽美主義殺人というのであった。

 死体をお花畑の中に置いたり、まるでフラワーアレンジメントのように幻術的に見せたりするのは、その代表例だと言えよう。

 しかし、犯行を耽美主義による変態殺人であるかのように見せかけて、実はその犯行自体に、何かトリックが含まれているというものも、結構あったりするのだった。

 だから、実際の耽美主義というのは、探偵小説の中でも、本格探偵小説に対比する、

変格探偵小説と呼ばれるものの代表とでもいえるであろうか。

 日本では主に、戦前から戦後にかけての、動乱に時代にそのような話が多く、出だしの頃が一番のピークだったと言えるのではないかと思えるのだった。

 ただ、耽美主義は、その性質上、探偵小説に限らず、ホラー、オカルトなどもあり、いや、ホラー、オカルトなどは、最初から耽美主義の思想を受け継いでいるかのように思えるくらいだった。

 実際に小説の中でも、谷崎純一王や三島由紀夫などという、純文学に属するような人たちの中にも、耽美主義作家だと目されている人もいるくらいであった。

 日本文学においてのオアイオニアといえば、泉鏡花や、北原白秋。永井荷風などが有名どころではないだろうか。

 元々は絵画においては、イギリス、フランスなどで、十九世紀の後半に起こったものだという。

 小説における耽美主義というのを意識し始めると、絵画というものに、興味が徐々に薄れていった。

 小説のように、文章でしか表現できないのに、美を追い求めるという貪欲さを感じさせるところに、

「解がよりも、小説」

 と思わせるものがあった。

 自分が小説に対して、それまであまり意識していたわけではなかった。

 芸術というものに興味を持ち始め、芸術というものを考えた時、

「絵画であったり、音楽というのは、すぐに発想できたのだが、なかなか文芸の世界というのは、すぐには思う浮かばなかった。その理由としては、文章だけで表現するというところであり、しかも、音楽のように、楽器という武器があるわけではないというところから、すぐにはピンとこなかった」

 と感じていた。

 しかし実際には、

「文章を書くということが、想像以上に難しく、自分には向いていないということが分かっていたからだ」

 という意識を持っていたからだったが、最初から小説などの文学を芸術と話していたわけではない。実際に書いてみようと思ったことも一瞬あったのだが、本当に一瞬だった。

 なぜなら、原稿用紙を前にして何かを書こうと思うと、一時間くらい睨めっこをしていたにも関わらず、まったく何も書けなかったのだ。

 それが挫折であり、

「考えたのが一瞬だった」

 ということへの回答であった。

 そう、絵画、音楽に続くもう一つの芸術は、文芸なのであった。

 文芸と聞くと、なかなか芸術としての、絵画や工芸、音楽などとは別のものだという感覚になってしまいかねないだろう。しかし、文芸も立派な芸術であり、いくつかの種類もあった、それぞれに歴史があり、いかにも芸術として君臨していると言ってもいいのではないだろうか。

 文芸というと、小説に代表されるが、それ以外にもたくさんある。随筆などもそうであるし、文字数に制限のある、和歌や俳句、さらには、詩なども立派な文芸と言えるのだ。

 俳句などは、文字数だけに制限があるわけではなく、季語が入っているという意味での制限などもあり、和歌などは、もっと古く、平安時代を頂点とした貴族文化の代表だったと言えるだろう。

 小説や随筆というと、これも平安貴族から端を発した、源氏物語や、枕草子などの小説や随筆が数多く書かれ、百人一首や、宇治拾遺和歌集などに代表される和歌集の編纂も多く行われていた。

 そういう意味で、平安文化、あるいは、貴族文化というのは、文芸が流行る土台のあった文化だと言えるのではないだろうか。

 それには、日本古来の文字である、

「ひらがな」

 の開発が大きな理由でもあるだろう。

 文字にして残しやすくなったことで、それまで表現力に乏しかったことで、伸び悩んでいた文芸が、その億劫を晴らす科のように、花開いたと言ってもいいのではないだろうか?

 そんな文学も時代に沿っていろいろと変わっていった。元禄文化や上方文化といった江戸時代などから、明治時代に入ると、文豪と呼ばれる人たちの作品が数多く発表され、いよいよ文学が表舞台に出てきたと言ってもいいだろう。

 ただ、時代がそれを許さなかった時もあった。二十世紀半ばの戦争の時代には、文芸は迫害を受け、いろいろな理由をつけては、当局から絶版などの処分を受け、小説を発表できなくなった。

 探偵小説かの中には、時代小説を書くことで、何とか食いつないできた人もいるくらいであったが、戦後は混乱期においても、それまでと違って検閲に引っかかることもほとんどなくなってきて、さらに、それまでの大日本帝国とは違い、憲法によって、

「表現の自由」や「出版の自由」が憲法にて認められたことで、晴れて、日の目を見る小説家も多かった。

 小説を書くというのは、一般の人にはハードルの高いものだった。

 小学生の作文でもなければ、ライターと呼ばれる、雑誌や新聞の記者の書くものでもない。

 小説と呼ばれるものは、相手に文字を持って、その状況や事実を伝えるだけではなく、感情や想像力も感じさせるものでなければいけないであろう。

 小説と作文の違いとして、広義の意味でいえば、

「作文が自分自身の経験を書くことをいえば、小説というのは、創作である」

 と言えるのではないだろうか。

 しかも、小説というのは、人に感じさせるものがなければいけないとも言える。それが、創作における想像力であったり、感情移入であったりするのではないだろうか。

 小説を書くのはそれらの抽象的なものを、文字だけで読者に伝えるというところが難しいのである。

 そのためには、いかに文章を組み立てるか、興味を持たせるようにするかというのが難しい。最初の数行で、

「これは面白くない」

 と思われてしまえば、それ以降、どんなに面白くなろうとも、その人に読まれることはないだろう。

 テレビドラマの連続ものであれば、第一週の内容で、面白くないと判断されると、それ以降は見ようとしないのと同じことである。

 起承転結が曖昧であったり、その小説のジャンルが最初から明確になっていなかったりするものは、なかなか読まれることは難しいだろう。

 実は、小説を書くというところで、一番皆が挫折するところとして、この感覚と酷似しているところがある。それが、

「書いていて、途中で挫折してしまう」

 ということであった。

 小説を書くということは、それだけ先に進むほど難しい。つまりは、最後にちゃんと言いたいことが言えているかということを示すもので、後半になればなるほど、どこで納めるかというのが難しい。

 話は飛躍するが、戦争と似たところがある。

「戦争で難しいのは、始める時ではなく、やめる時である」

 ということだ。

 もっとも、この理屈は小説や戦争だけに言えるものではなく、

「結婚というのは、婚姻するよりも、離婚の時の方が、数倍のエネルギーを必要とする」

 と言われているが、同じことではないだろうか。

 それとは少し違うかも知れないが、小説を書きあげるというのは、最後をいかに締めるかということであり、うまくいかなければ、どんどん狭くなっていくところをそれに気づかず、うまく収めることができなくなる。そこが一番難しいのだ。

 しかも、初心者は、そこまでにも至らない。最初の数行で挫折することが多い。

 それだけ、段階が進むにつれて、本来であれば、見えてくるはずの先がその狭さから見えなくなっていることに気づかないことが、一番の問題である

「小説家を目指すのであれば、途中に挫折を迎えそうになったとしても、そこであきらめることなく書き上げることが大切だ」

 と言われている、

 つまりは、何度も迎える途中の挫折を気にすることなく、いかに最後まで書き上げるかということであり、書き上げることで自信にもなるし、一度書き上げてしまえば、そこから先は、推敲することでいくらでも体裁は取り繕うことができるというものである、

 これは他の芸術にも言えることであるが、途中の挫折が一番の問題であるが、小説の場合はそれが顕著だということである。

 坂崎はそのことを分かっているからこそ、小説を書こうと思ったのだ。自分の才能などを考える前に、とりあえずは、何でもいいから書き上げるということに全神経を集中させた。

 出来上がった作品の良し悪しはあくまでも二の次である。一度書き上げてしまうと、書き上げることへのトラウマはなくなり、免疫もできてくるのだった。

 そして、一度書き上げると、そこから先は、やっと、

「自分がどのような小説を書きたいのか?」

 あるいは、

「小説を書くことで、どのような人生を歩みたいと思うのか?」

 というような、一見大それたことも考えるようになっていった。

 まだ、高校生であったが、その時に自分の人生の分岐点があったような気がした。

「子供から、大人になった瞬間なのかも知れないな」

 とも感じた時期であった。

 まだ若かったこともあって、

「小説家になりたい」

 という思いを抱いたのも事実であった。

 最後まで書き上げたことで自信につながりはしたが、それはあくまでも、素人として、

「これからも小説を書いていてもいい」

 というだけの、お墨付きをもらったというだけだということに、気づいていなかったのだ。

 小説を書いては、いろいろな出版社の新人賞コンクールに送ってはみたが、なかなか一次審査にも合格しない。後から読み直しても、自分の小説がそれほど、プロの小説家のものと見比べても、どこに遜色があるのかと思うほどだったにも関わらずである。

 ただ、それが分からないことが、その理由であると感じるだけの経験も実績もないのだから、

「若さゆえ」

 と言ってもいいのではないだろうか。

 もう一つ小説家になりたいと思ったのは、ちょうどその頃、法曹界に進みたいと思っていた時期もあったのだが、実際にテレビ番組などで、公正さを表に出すべきの弁護士というものが、その一番の仕事として、

「裁判に勝つ」

 ということであり、いくら依頼人が極悪人であっても、

「依頼人の利益を守る」

 ということが、最大の目的だということを知り、法に触れないことであれば、どんな卑怯なことでもするということを知ってしまったことで、一気に法曹界への魅力が萎えてしまったのだ。

 それだけ、坂崎には、

「勧善懲悪」

 というものが身についていたかということであろう。

「公平さのない法曹界など、こちらから願い下げだ」

 という静かな怒りが、坂崎の中に芽生えていたのだった。

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