第2話 異次元へのパスポート
夢を見ている時というのがどういう時なのかというのを、ある時聞いたことがあった。
「夢というのは、目が覚める寸前の一瞬、いわゆる数秒くらいで見るものだ」
という話であった。
最初は、
「そんなバカなことはないだろう」
と思っていたが、実際に、目が覚めるにしたがって夢を忘れていっている時に夢を思い出そうとすると、その時は何とか思い出せるのだ。
そして、夢というのが、決して時系列で形成されているものではないということも感じた。
もっとも、それは錯覚かも知れない。
というのは、思い出そうとして思い出せるのは、断片的な記憶としてのことなので、夢を見ている時に、時系列で見たという意識があるような気がした。
つまり、
「忘れてしまっている間の夢というのは、時系列に関係なく忘れていくので、せっかく物語になっていた夢が、最後には、バラバラになってしまう。だから、いざ思い出そうとしても、夢の中の時系列が曖昧なために思い出せないのだ」
と考えた。
夢を思い出せないのは、目が覚めるにしたがって忘れていくということだけではなく。
「時系列がハッキリしていないので、思い出せないというメカニズムになっているからではないか?」
と感じるようになっていた。
本来であれば、都合よく見たはずの夢を、現実世界に引き戻された時に、覚えていないのは、夢の世界というものと、現実世界とでは結界のようなものがあり、それだけ、夢の世界というものが、現実世界に匹敵するくらいに大きなものではないかということであった。
それを考えると、
「夢の世界と、現実世界の間には結界のようなものがあり、それは、相対したものではないかと言えるのではないか?」
という考えであった。
相対するものとして、思いつくものとして、
「昼と夜」
「天国と地獄」
などであるが、これはまるでどんでん返しのカラクリのように、お互いにその世界にいては、決して見ることのできないものであり、ある機会があれば、向こう側にジャンプすることができるものなのではないかとも感じた。
昼と夜では、太陽の恩恵で、その両方を毎日図ったように味わうことができるが、天国と地獄は、一度どちらかに行ってしまうと、もう片方にはいけないものだと信じられている。
しかし、果たしてそうなのか、何かのきっかけで行くことができるものだとすれば、理屈に合いそうな気もする。それをできないということにしてしまっているのは、あくまでも宗教的な考えであり、言い方は悪いが、宗派の都合によって、
「一度入ったその世界からは逃れることはできない」
と考えられているのではないか。
夢というのも同じで、これも何かの宗教的な発想が元々はあり、それが遺伝子の効力で、「夢というのはそういうものだ」
と思い込んでいるのかも知れない。
その証拠に夢について、あまり他人と話すことはないのに、それぞれに考えを持っていて。その考えはたいして個人差があるものではないということは、脈々と受け継がれてきた先祖からの意識、これを潜在意識と呼ぶのだろうが、その意識がなせる業として頭の中に定着しているとすれば、
「夢というのは、潜在意識が見せるものだ」
という考えもまんざらではないだろう。
そういう意味で、
「都合のいい」
と言われるものも、ある意味、この潜在意識が働いているからなのかも知れない。
「夢というのは、本当は毎日見ていて、夢を見たという意識すらなく目が覚めてしまうことがあってもいいのではないか?」
という理屈も成り立ちそうな気がした。
箱庭を見ていると、思い出したのは、中学の頃、学校行事として見に行った博物館を思い出した。
その時は、西洋の絵画を展示していたが、その展示の中で特に印象に残ったのが、ドイツのライン川周辺にある、西洋式のお城を描いた風景画だった。
その絵画は別に、目の前に見える情景を素直に描きだしたわけではなく、作者のアレンジからのオリジナリティに溢れた作品となっていた。
その城は、川のほとりの崖の上に建っていて、そこは、断崖絶壁であるのだが、木々が生え揃っているので、どれほどの絶壁なのかがハッキリと分からない。
日本の城でも、昔からの城の原点というのは、山城であった。途中から、城下町ができたり、天守閣が登場したりと、様相は変わっていったが、基本的には、出城という雰囲気が強く、主要部分を守る要塞だったのだ。
実際に日本に作られた城の数というのは、
「コンビニよりも多い」
というから、すごいではないか。
要塞がそのうちに、住居も兼ねるようになり、さらに、そこに家臣や領民の家や市場が作られることで、城下町が形成されていった。
そして、犬山城などを元祖として、天守閣が作られるようになり、織田信長が安土城を建設したあたりから、宗教色と、権威の象徴としての城が形成されるようになった。
それにならって秀吉はいくつかの権威の象徴ともいえる城を建設した。
大阪城、聚楽第、伏見城などがその代表例だ。
しかし、城というと、秀吉などは、
「一夜城」
として有名な、墨俣城や、小田原征伐においても、同じような要塞を築いたりもしていて、城の機能性に関しては、一番熟知していたのかも知れない。
機能性を高めるという意味で、天守閣の存在しない城も結構あったりする。武田信玄の、
「躑躅が崎館」
などもその一つであろう。
そういう意味で、戦国時代までに、かなりたくさんの城が築かれたが、そのほとんどは砦であり、権威を象徴する城も、作られていった。
特に、築城の名人として、羽柴秀長、加藤清正、藤堂高虎などという人たちが築いた城は、今でも有名な城として残っていて、大阪城、熊本城、松本城などのように有名な城や、丸亀城、和歌山城、大和郡山城などと言った築城の名手が築いた城もある、
さらには、戦闘で有名になったり、天下人のかつての居城として有名だった、清州城、岡崎、浜松城、岐阜城、小田原城なども、戦国を代表する城であった。
しかし、関ヶ原の合戦の後、徳川幕府ができて、豊臣氏を滅ぼしたことで、盤石となった徳川幕府の戦略として、
「一国一城の令」
というものが出された。
これは、大名や藩を一国として、そこに、二つ目の城を築いてはいけないという、大名の戦力を削ぐ目的で、それ以外の城はすべて廃城にするという法令であった。
それにより、それまで砦という形で各地にあった城h取り壊され、名目上は、
「平和な時代がやってきた」
ということであったが、そこから先、徳川幕府は、えげつない政策を掲げることで、急進的な改革に乗り出すのだった。
特に、二代将軍秀忠の時に行われた、
「改易」
という処分は、かなりひどいものであった。
ことあるごとに理由をつけて、
「藩を取り潰す」
というもので、その理由としては、
「謀反を企てている」
「法令にしたがっていない」
などというものが多かったが、
「お家断絶」
という、跡取りがいないということでの、改易というのもあった。
かつての幕府の重臣であっても、特別扱いと受けるわけでもなく、徳川家康の相談役だった家の改易も行われたり、三代将軍家光の兄である、忠長も改易に合ったりしていた。
これにより諸大名は徳川幕府のやり方に震え上がったということであった。
そもそもの目的は、
「豊臣恩顧の大名の取り潰し」
が目的だったのだろうが、一つをつぶすとさらにつぶすという考えが芽生えていったのかも知れない。
そんな日本の城は一つの文化であったが、西洋の城はどうだったのだろう? 西洋の城で戦争をやっているというのはあまりイメージにない。日本のような籠城などというのは、聞いたことがないからだ。
ただ、山のすそ野のようなところにコンクリートで固められた形のものが建っていて、要塞として、そして、政治の中心として、さらには住居としての役割は日本においても、西洋においても変わりはないようだ。
ただ、日本のように濠が城下町を守っているわけではなく、西洋の城は、垂直に切り立ったかのような構造が、そのまま防御になっているのだ。
そう、円柱の先に今度は円錐上のものがあって、そこが日本の城でいうところの天守閣のようなものではないだろうか。まるで、空に向かって飛んでいくロケットのようではないか。
その城を描いた絵が何枚かあったのだが、それらの絵は、いくつもの方向から同じ城を描いたようだった。
その城の中で一つ気になったのは、その城を天空から見ているかのような絵だった。
天守と思しきロケットの中腹に、表を見る穴があって、そこから、一人の男が、こちらを向いて見上げているのだった。
明らかにその男は、こちらを向いて見つめていた。こちらが見ているのを認識しているかのような形相は、何か不可思議なものを見ていると言ったそんな雰囲気だった。
こちらが絵の外から見ているのが分かっているかのようなその表情に、坂崎は見ていて、自分が、その男になったかのようなイメージを受けたのだ。
そして、一瞬、自分がその城にいて、城から上を見上げている様子を想像するのだったが、何が見えるのかは、まったく分からなかった。
しかし、その男になったという気持ちではなく、
「自分とその男が入れ替わった」
と思うと、その男の見えるものが見えた気がしたのだ。
男は、自分がいる世界は、
「まるで箱庭にいるのではないか?」
という発想に流された気がした。
まわりの風景がまるで、映画のセットででもあるかのように、張り子の風景に思えたのだ。
そして、本来であれば、空になっている部分は、箱庭の外の世界であり、その外の世界から、巨大な顔が覗いているというそんな雰囲気であった。
その顔を見ていると、見つめられている自分がいるという意識になり、その見つめている男の顔が、次第に自分の顔になっていったのだった。
しかし、すぐにはそれが自分の顔だという意識にはならなかった。
なぜなら、普段から自分の顔を見ることはないからで、鏡という媒体を通さなければ見ることのできないのが自分の顔である。
本来なら一番馴染み深いはずのものが、実は一番知らなかったというのは、これほど厄介なものはない。
意識しているはずはないのに、言われてみれば納得できるという感覚である。その時に感じた、
「見ている側と、見られている側の感覚が矛盾した感覚であるにも関わらず、瞬時にして入れ替わっているかのような感覚になっている」
という状況が、矛盾している状況なのだった。
この時に感じた箱庭という発想は、絵というものを、二次元として感じているということを分かっていたのではないかと思える。こちら側が三次元という世界であり、そこには一種の結界が存在していて、
「侵すことのできないものだ」
という印象を受けているに違いないのだ。
自分が、こんなにも瞬時にして、二次元と三次元を行ったり来たりする意識が持てるのも、一種の夢のような感覚ではないかと思えた。
夢というものが、
「三次元と四次元の間にある結界のようなものではないか?」
と思えた。
四次元という世界は、概念でしかとらえられていない。
もちろん、一次元も二次元も創造したというだけで、
「理屈として説明するための発想だ」
という意味で考えれば、
「この絵に興味を持ち、一瞬にして、相互を入れ替わって見ることができていたのだ」
と思うと、この感覚を、
「起きていて見る夢」
なのではないかと思うのだった。
西洋の城という特殊な感覚、そして行ったことはないが、憧れに感じると思うその感覚が、こちらを見ている男の存在を刺激したのかも知れない。
いや、この絵の作者は、人間の感情や感覚について常に考えながら絵を描いているという証拠なのかも知れない。
箱庭療法というのは、聞いたことはあるが、どういうものなのか分からなかったので、中学時代だったこともあって、このような箱庭というものを感じたことを、
「箱庭療法というのではないか?」
と思い込んでいた。
それ以降、四次元はもちろんのこと、二次元や一次元というものに対しても、考えるようになっていた。
一つ気になっていたのは、
「ペラペラの紙が、何十枚、何百枚と重なると、分厚いものになるのだが、それは二次元が三次元になるということなのだろうか?」
という発想だった。
「二次元というのは平面のことであり、三次元というのは、自分たちが存在している立体世界のことだ」
ということであるが、
「三次元というものが、二次元を経由しないと存在できないものだとすれば、二次元にも三次元と同じような世界があり、それが複数重なることで三次元になるという考え方ができるのではないか」
というものであった。
これが四次元においても同じ考えではないかと思うと、
「四次元にあって三次元にないものとしては、時間と空間を超越した世界ではないか」
と思うのだった。
紙が幾重にも重なって三次元を形成させるのだから、時間と空間を調節したものを三次元が持つことで、四次元への扉が開かれるのではないだろうか。
昔から四次元という発想は、SFなどでよく言われてきた。その時に共通して出てくるアイテムとして、
「タイムマシン」
なるものの存在だった。
タイムマシンは、時間を調節するもので、アニメや特撮などで見るタイムマシンが通るタイムトンネルのイメージとして、サルバドール・ダリの描く絵を彷彿させるものがあった。
それは、アナログ時計がまるで飴のように捻じれている絵を見ているような光景を見たのを思い出させる。
「またしても、西洋の絵が原点になっている」
と思うと、思わず、噴き出したくなるほどであったが、それは本気で噴き出しているわけではなく、不気味な雰囲気を怖がることなくするために、自分でごまかしているかのような感情だったのだ。
サルバドールダリの絵は、ちょうど同じ中学生の頃に興味を持ったのだが、それは、やはり子供の頃から見ていたアニメや特撮に出てきたタイムマシンのイメージに酷似した絵だったからだろう。
ダリの時代には、タイムマシンという発想があったのかどうかは、よく分からないが、少なくとも、ダリが時間というものに対して、彼なりの発想があったのは間違いのないことに違いない。
とにかく、
「時間というものは、同じ間隔で、過去から未来に向かって一直線に進んでいくものである」
という一般的な考え方に対して、当時の科学者たちは、いろいろな発想を持っていたことであろう。
それは日本人においても同じことがいえるのではないだろうか。
少なくとも、おとぎ話の中に出てくる、
「浦島太郎」
というお話は、アルベルト・アインシュタインの提唱した、
「相対性理論」
に酷似しているではないか。
相対性理論の中でも有名な、
「光速を超える速度で進むものの中にいると、時間の流れがごくゆっくりになってしまう」
という発想があるのだが、これが、浦島太郎の中に出てくる、
「竜宮城での数日間だと思っていたのが、地上に戻ると、七百年という月日が過ぎていた」
という発想は、まるで浦島太郎が、
「光速で地球を飛び出し、竜宮城という宇宙に行って戻ってきた」
という発想に置き換えられるからであった。
このお話は、おとぎ話として、室町時代に掛かれたおとぎ草子に載っているのだが、これらの伝説は、そもそも太古から、各地方に微妙に違った形で残っていたりする。
それを、集めてきて一つの話にしたのだろうから、そもそもの伝説は、さらに昔にさかのぼることになる。そう、神話の世界だと言っていいだろう。
そんな昔からの発想を、よくできたものだと思うのだが、これも一種の、
「世界の七不思議」
の中に入れても遜色ないと言ってもいいほどではないだろうか。
そう思うと、まさかとは思うが、
「この話をアインシュタインも知っていて、彼の発見を裏付けるものとして意識していたのかも知れない」
と考えるのは飛躍しすぎであろうか。
おとぎ話の中には、ラストを変えているもの、あるいは、続きがあるのに、中途半端なところで終わらせている話が往々にして多かったりする。
この浦島太郎の話も、最後は悲惨な話として残っているが、実際には、この先があり、実はハッピーエンドのお話だったのだ。
この話は、明治政府が学校教育を行う中で、この話を途中で終わらせた方がいいと考えたからなのだろう。
考えてみれば、
「カメを助けたといういいことをしたはずの浦島太郎が、祭儀にはおじいさんになってしまう」
というところで終わってしまうというのは、何とも理不尽な気がするということが言えないだろうか。
しかし、明治政府としては、
「開けてはいけない」
というものを開けてしまったことでの制裁を受けなければいけないという観点から、敢えて、おじいさんになるところで、このお話を打ち切ってしまっていたのだ。
本当の話の結末は、おじいさんになった太郎が鶴になり、太郎のことを好きな乙姫様がカメになって地表にやってきて。終生、幸せに暮らしたというハッピーエンドだったのである。
確かに日本には、
「開けてはいけない」
ということは、昔話の定番のように存在し、いわゆる、
「見るなのタブー」
として現在は言われていることである。
一番の代表がこの浦島太郎の話であり、あとは、鶴の恩返しであったり、蛤女房などと言った話が有名である。
「決して見ないでください」
と念を押されたにも関わらず見てしまったことで、恐ろしい目に遭うということであるが、思い出すのが、「ソドムとゴモラ」の話で、狂った人間が支配する国から、支配されている家族を助けた神の使いから、
「後ろを振り返ってはいけない」
と言われたにも関わらず、後ろを見たことで、塩の柱になってしまったというお話を思い出させるものだった。
西洋も、日本にも共通してあるというこの、
「見るなのタブー」
というもの、これも一種の七不思議のようなものではないかと考えると、神話の世界というのは、どこまでも深く掘り下げることができるものではないかと、言えるのではないだろうか。
ダリと、アインシュタインの生きた時代は重なっている。アインシュタインの方が、三十年ほど先に生きていたということであるが、相対性理論の発表は、ダリが幼年の頃であった。ダリアどれほどアインシュタインを知っていたかは分からないが、どのような発想を持っていたのかは、興味深いところである。
箱庭の夢を見たのだという記憶が残っていると、普段から、
「夢を覚えていないというのは、怖い夢を見たからだ」
という意識になるのだが、今回も確かに不気味で怖いという夢を見た印象が深い。
確かに、心理学の療法というと、何か気持ち悪さがあるのだった。そこで、夢を忘れたくないと思っているからなのか、別の発想がほぼ同時に浮かんできた。それが、西洋の城だっただの。
それを思うと、どうして怖い夢を忘れないのかということが少し分かったような気がした。
その一つの理由としては、
「潜在意識のなせる業」
という、都合のいい解釈からくるものだと思っているが、もう一つは、
「忘れたくないという感覚を持っている時に、一緒に何か忘れないきっかけになるようなことを一緒に思い出すからではないか?」
と考えたのだ。
夢を見ていて、
「忘れたくない」
と感じるのは、毎回ではないかと思う。
ただ、それを決して忘れないようにするのは、もう一つ、何か忘れないようなきっかけになることを同時に思い出すからではないだろうか。同時に思い出すことがミソであり、一緒に思い出すから、思い出したことの影が薄くなって、夢の内容だけがクローズアップされて忘れないのだろうと思う。
そんなことを考えていると、坂崎は、今回の夢の中で、箱庭と一緒に思い出した、
「西洋の城」
が、忘れないためのきっかけになったのだと思うと、怖い夢の正体は、このきっかけの方ではないかと思うのだった。
しかも、今回は、西洋の城を目が覚めても意識していて、そこに、二次元と三次元、さらには夢というのも絡んでいるので、四次元の世界にまで思いを馳せているのであった。
これを考えていると、きっかけという言葉は、
「パスポート」
だと終えるのではないだろうか。
つまり、夢を見た時のきっけかとなる一緒に思い出すものを、
「異次元へのパスポート」
といっても、いいのではないだろうか。
いつもいつも、思い出せるわけではない。今回はたまたま、西洋の城の方の印章が深く、忘れられないエピソードであったことで、
「異次元へのパスポート」
という発想を思い出したのだが、これは、人間が生きていくうちで、必ずどこかで思い出すことになるものではないかと思っている。
二十五歳になった今という年齢が早いのか遅いのかということは、自分でもよく分からない。
誰かとこのような話をすれば、ひょっとすると、気が合うやつであれば、夜を徹して話をするかも知れないが、まったく興味のないやつであれば、
「気が付けば、話をはぐらかされていた」
ということになるかも知れない。
デリケートな話なだけに、あまり強引には話せない。逆に相手も前のめりで話をしてくれば、お互いに興奮してしまって、自分がどこまで話して、どこに誘導しようとしているのかがお互いに分からなくなり、会話が成立しなくなるかも知れない。
そんなことを考えていると、
「異次元へのパスポート」
という発想は、一歩間違えれば、とんだ勘違いなのかも知れないと感じることになるかも知れない。
それを思うと、夢を見る時というのは、毎回、これからも意識してしまうのではないかと思い、どこまで考えていいのか分からないと考えてしまうだろう。
すべてが無意識のうちであるならば、夢という都合のいい解釈のものと、自分の意識を混同してしまうと、自分でも、何を言おうとしているのか分からなくなるのではないかと思うのだった。
「命というのは、永遠に続くものではない」
と、この世には無限というものはありえないのだろうと思うのだった。
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