第6話 歪んだSM関係

 純也と同じ会社の事務員であるゆいかは、佐和子から呼び出しがあって、二人が遭っていたことを、純也は知らなかった。

 そもそも、二人が知り合いだということは、二人の関係者で知っている人は、今のところ誰もいなかった。それだけ二人は学校を卒業してから、自分たち以外の知り合いとは、すでに付き合いがないということであろう。

 一度、同窓会があった時も、二人は出席はしたが、ほとんど二人だけでいた。二次会も参加することはなく、他の人でも、お互いに卒業後初めてだという人もいたであろうが、そんなことを感じさせないほどに、話が盛り上がっていて、

「卒業後、初めて会ったとしても、話ができるのが、同窓会というものだ」

 という人がいたが、二人はそんな発想が最初からなかった。

「こんなことなら参加しなければよかったな」

 と思ったが、参加しようと言い出したのは、佐和子の方だった。

 佐和子は、心の中で、

「いつまでも、ゆいかと一緒にいるのはいいが、他に誰ともかかわりがないというのは、まずい」

 と思っていた。

 ゆいかの方では、

「別にずっと、二人だけの関係であっても、それでいいんだ」

 と思っていた。

 会社では、寡黙で誰とも喋ろうとしないのは、明らかに、自分から周りを避けているのであり、そんな人に誰が話しかけるというのか、ゆいかにとって、何を言えばいいのか、困るくらいなら、誰とも話をしないに越したことはないという思いであった。

 しかし、彼女は、人とかかわりを持たなくとも、一人で何でもこなしていた。少なくとも、今の仕事の範囲であれば、誰とも必要以上のかかわりがなくともこなせるだけの仕事であった。

 彼女が、自分からまわりとかかわりを持たないようにしていることを知らない人は、彼女が、何でもこなすことができる女性だとは思わないだろう。

 決して目立とうとせず、自分の仕事を寡黙にさばいている姿は、凛々しく見えていた。

 彼女に憧れを持っている男性もいるかも知れない。

 だが、彼女は決して、会社の人間とつるむようなことはしない。そのあたりはしっかりしたビジョンを持っているようで、だからこそ、人とかかわることもなく、うまく仕事をこなしていけるのだろう。

 純也は、そんなゆいかのことを、まったく意識していなかった。ゆいかという女性は、会社内で自分の存在を消すことのできる女性のようだ。

 自分の存在を消すことのできる人は、意外と多いのではないかと、純也は思っていた。学生時代にも自分の存在を消すことのできるやつがいた。特にひどいやつは、目の前を歩いていて、ちょっと視線をそらした瞬間に、気が付けばぶつかっていたというやつもいて、

「あいつは、存在を消すことができるやつなんだ」

 と、まわりから言われて、気持ち悪がられていたのだった。

 存在を消すことのできるやつは、

「まるで石ころのようなやつだ」

 と言われていた。

 河川敷などにたくさん置かれている石ころ、その一つ一つは見えているのに、一つ一つに存在を感じることはない。

 見ている方には意識がなくとも、見られている方には意識がある、見ている方に意識がない証拠に、一つ一つの石は一つとして同じ形、同じ大きさのものはない。

 しかし、見ている方には、皆同じ形にしか見えない。だから、自分が全体を見渡すことしかできないのだが、石の方とすれば、自分しか見ていないようにしか思えないのだ。

 見られている方は、その視線を痛いほど感じ、必死で見られないように意識して、相手を見つめているのに、相手は一切自分を見ているわけではない。それだけに容赦はなく、差別もない。すべてが同じ石ころであり、存在感も全体でしか見ることができないのだった。

 そういえば、昔のアニメで、石ころになってしまうというアイテムが出てきたものがあった。

 石ころというのは、誰にも意識されないから、学校に宿題を忘れていっても、怒られることはないというような内容ではなかったか。

 怒られないというのは、それでいいことなのだが、意識してもらわなければいけない時、意識されない。そろそろ石ころとしてのアイテムの効果を消してほしいと思っても、それができる人が、相手が石ころなので、意識することができなくなってしまっていたというオチである。

 時間がくれば、石ころの効果はなくなるのだが、それまでどれほどの長い時間を過ごさなければいけないか。アイテムを使って、難を逃れようとした人間にとっては、果てしなく長く感じられたほどである。

 前述の、数千年同じ場所にいた妖怪とは、発想がまったく違ったところから始まっているようだった。

 石ころになれるというのは、実に都合のいいことのように思えるが、石ころになってしまうと、誰からも意識されることはない、気を遣ってもらうこともできないし、危険が迫ってきた時も一切気にされることはないので、下手をすると、踏みつぶされても、殺されても、誰も罪悪感を抱くこともなく、まさしく、

「殺され損」

 ということになる。

 完全な犬死である。それでも、石ころになりたいというのか、石ころのように、頑丈で、攻撃されても、変形することもない身体を持っていれば、死ぬことも殺されることもないだろうからいいのだが、それではまるで、森の中にいる案山子の妖怪のようではないか。

 何千年も、その場所にいて、変わることはない。死ぬこともできずに、誰からも気にされることもない。ただ踏みつけられる人生をいつまで続くか分からない果てしなさを、

「死ぬこともできない」

 と考えるか、

「死ななくて済む」

 と考えるか、それによって、究極の選択としてどっちがいいのか、考えされられるであろう。

 前述の案山子の妖怪と、誰にも気にされることのない石ころのような人間との関係は、

「果てしなく、終わりのない世界が続く」

 という共通点があるが、

 さらに、まったく正反対のように見えて、この共通点からか、切っても切り離せない状態のように思え、それが、磁石のS極と、N極のような関係に思えるのであった。

 しかし、それ以上に人間として感じるのは、

「SMの関係のようではないか」

 ということであった。

 しかも、

「どこか歪んだ関係」

 という風に感じるのだった。

 自分のことを、

「案山子の妖怪のようだ」

 と感じたのは、佐和子だった。

 この間の合コンの時、純也との会話の中で、彼が話題に困ってひねり出したわ台が、この、

「案山子の妖怪」

 の話だった。

 純也が自分で解釈した内容なので、一般的に知られているような話とは少し違っていたのだが、純也の話し方が印象的だったのか、それとも、純也の解釈が自分のことを言っているかのように思えたのか、その時から、佐和子は、

「自分が、案山子の妖怪のようだ」

 と感じるようになった。

 その時から、何千年という意識が時間という感覚をマヒさせて、時間を意識させないようにしているかのように思えるのだった。

 急に、

「私って、何千年も生きていたら、どんな気持ちになるだろうか?」

 と考えてみた。

 純也は怖くて想像もできなかったのだが、佐和子は、意識して想像してみたのだ。

 それだけ、時間というものに対して意識が深く、数千年という意識の恐ろしさが、頭をかすめるような気がして仕方がなかった。

 そういえば、純也が、

「この話を考えている時って、独り言ばかりを言っているらしいんですよ」

 と笑いながら言ったが、その時の佐和子の表情は真剣な顔つきになっているようで、笑いかけているくせに、顔が引きつっているようにしか見えないのは、それだけ話を真面目に聞いている証拠なのであろう。

 佐和子は自分の独り言が、何千年も同じところにいて、まったく変わることのない毎日。動くこともできないのだから、それも当然のことであり、たっだ一日のことであっても、果てしなく、まったく何も変わらない毎日が過ぎていくだけ、

「何度、朝が来て、夜が来たというのだろう? 身動きができないのだから、数えることもできない」

 ただ、分かっているのは、何千年という月日が経ったということだ。

 そして、ずっとそこにいれば、いつ救世主が現れるか、分かってくるようだった。

 このお話が出来上がった時、妖怪は一人の青年に出会うのだが、その予感はあったのだろうと、佐和子は確信しているようだった。

 もちろん、

「あと何日」

 という予感はあったのだろうが、予感が生まれてから、実際にその日が来るまで、どれほどの時間の感覚を覚えたというのだろう。

「気が付けば、経っていた」

 ということはありえない。

 その日が来ると分かっていて待っているのは、普段であっても、時間が経つまでに、想像以上のものがあるはずだ。

 それだけに、その日が来ても、無意識に過ぎ去ってしまうかも知れないと感じたとしても、無理もないことのように思えたのだ。

 その日がやってきて、自分がやっと妖怪から、元の人間に戻れると分かった時、人間に戻るのが怖く感じられたものだった。

 妖怪になってしまった時は、それほど不安ではなかった。まるで自分の運命のような気がして、実際に妖怪になってしまうと、時間の感覚から、寂しさなどという感情は浮かんでこなかった。

「やはり妖怪というのは、人間が感じる感覚とはまったく違うんだ」

 と感じたからだった。

 それが、数千年の歴史を経て、元の人間になっているのだ。自分が人間だったなどということすら忘れてしまっている。

「人間に戻ってしまうと、きっと、妖怪になった時に感じるはずだった不安感がよみがえってくるに違いない」

 と、感じたのだ。

 佐和子は自分のことを、

「目立ちたがり屋だが、Mの性格を持っている」

 と思っていた。

 その感情の由来は、この、

「案山子の妖怪」

 の発想から来ているのかも知れない。

 逆に、ゆいかの方は、

「いつも誰かの陰に隠れているのだが、芯はしっかりとしていて、佐和子の前では、完全にSであり、主従の主の関係である」

 と自分でも、最近になって考えるようになった。

 その考えは、石ころから来るもので、

「自分は、向こうが見えているが、向こうではまったく意識をしていない」

 というような発想を、昔中学時代に、図書館で見た本に書いてあった。

 その本は、天体の本であり、星座や神話のような物語やメルヘンのような話ではなく、もう少しリアルは発想で、天文学に近かった。しかし、すべてが解明されている話というわけではなく、学説として言われている話だというものも、そこには書かれていた。

 ゆいかに一番興味を持たせたのは、

「世の中には、すぐそばにいるのに、まったく見えない星が存在している」

 という発想だった。

 最近になって言われるようになった話だというが、ゆいかには、

「今まで、どうして誰も発想しなかった内容なんだろうか?」

 というものであった。

 確かに、あっても不思議のない発想なのに、誰も発表しなかったというのは、

「一度は皆考えたが、裁定、学説として発表できるようになるまで、理論的に話を突き詰める」

 という必要があり、発表するにあたって、突き詰めていった時、どこかに結界が存在し、話を具体的にできなくなってしまったからではないだろうか。

 具体的に発想はできるのだが、その発想を論文にまとめようとすると、いたるところで矛盾が生まれてくる。

 それは、異次元の発想にあるような矛盾であり、

「この、存在していると思われるが、表に出すことのできない発想は、パラドックスを突き詰めると、ビックバンを引き起こすようなものなのかも知れない」

 と感じるのだった、

 過去にいくことで、未来が変わるという発想、それは、

「自分の方からは見えるが、相手からは見ることができない」

 という発想にどこか似ているのではないだろうか。

 過去というものは、未来の人間にしか分からないことであり、それは、自分が見えているのを同じ発想であり、逆に未来は絶対に見ることができないという発想は、向こうからは意識しても見えないという発想と同じではないだろうか。

 異次元の発想には、そこに結界があり、結界がパラドックスとなって、三次元の人間には見ることができないのだ。

 では、二次元の世界と三次元ではどうなのだろう?

 二次元の世界から、三次元を見ることはできるが、三次元から二次元の世界は見えていても、そこが二次元の世界だという意識はないのではないだろうか。

 となると、三次元にいる自分たちに、どの次元であっても、異次元を見ることはできないということになるのだろう。

 平面や線、点を感じることはできても、それが何次元なのかという発想はない。平面を見ていれば、そこには線もあれば点もある。一次元なのか、二次元なのか、分からないに違いない。

 見えているのに見えないそんな世界、それが逆の発想の三次元なのかも知れない。

 ひょっとすると、その星は、

「四次元から三次元を見た時に感じる世界」

 と言ってもいいのかも知れない。

 四次元をパラレルワールド的に考えると、無数に、自分という人間が存在する。つまりは、無限に石ころが存在しているということになる、

 その河原にある石すべてが、パラレルワールドにおける自分だと考えると、どれを意識していいのか分かるはずもなく、見えていないのか、見えるわけはないという発想なのか、どちらにしても、形が違っているはずなのに、すべてが同じにしか見えないのは、その世界を三次元だと思い込んでいるからに違いない。

 そんなお互いにまったく関係のないような話のある一辺からの発想であった時、まったく違った方向から見ているにも関わらず、同じ発想が沸いてくるようなこの発想が人間の性格をも形作っているのだと考えると、実に面白い。

 佐和子とゆいか、この二人は、二人だけの世界を持っていて、誰も二人のその関係を気にする人はいないくせに、二人に何かあると分かると、きゅうにどちらかにかかわりたくなる人がいるようで、どちらとかかわりたいかと感じることで、自分がどういう性格なのかが分かるというものだ。

 そもそも、二人が仲良くなったのは、中学時代にさかのぼる。

 ちょうどゆいかが、天体の本を読むのに図書館によく通っていた頃のことだった。

 佐和子は図書委員をやっていて、いつも一人で本を読んでいるゆいかのことが気になったのだ。

 その頃の佐和子は、自分の性格に疑問を持っていた。

 自分が目立ちたがり屋であることは分かっていて、さらに、必死になってまわりにアピールしたところで、空回りになってしまうのも、なんとなくではあるが、自分で分かっていた。

 図書委員になったのは、図書館という雰囲気が好きだったからだ。

 本が好きだというわけではなく、図書館のあの静かな雰囲気が好きで、飲み込まれそうな静寂が不思議な臭いを運んでくる。

 息苦しいのだが、逃げ出したいような息苦しさではない。空気が淀んでの息苦しさではないことは、慣れてくれば、好きになる臭いであると分かったことから、どうせなら、図書委員として図書館にいるという大義名分が欲しかったのかも知れない。

 そんな時、佐和子はゆいかの存在に気づき、それまでにない香りが感じられると、ゆいかが気になって仕方がなかった。今までなら、複数の奇抜な臭いが重なると、吐き気を催す臭いに耐えられなくなるのに、ゆいかの香りは、自分が欲している臭いに近いと感じられ、絶えず、ゆいかを見つめている自分に、時々びっくりさせられた。

 自分をじっと見つめている目線があることにゆいかが気づいたのは、

「まさか気づかれるわけはない」

 と、佐和子が感じていた頃のことで、見つめ始めて、本当にすぐくらいのことであった。

 ゆいかは、佐和子を見ているつもりはなかったのに、今度は佐和子の方が気が付いた。図書館というところは、見つめられるとその視線にすぐに気づくところのようなのだ。

 図書館で本をよく読む女の子は、結構中学くらいの頃にはいたものだ。

 図書館でよく遭うようになったことで、教室でもきになるようになった。もちろん、気になっているのは、佐和子の方で、ゆうかの方は、ほとんど気にもしていなかった。意識がなかったと言ってもいいかも知れない。

「中村さんは、本を読むのが好きなんですね?」

 と、佐和子は声を掛けた。

「ええ、小学生の頃から図書館に行くのが好きだったのよ。授業の合間でも少しだけ図書館にいるというのが楽しかったのよ。でも、本当の理由は、教室にいるのが嫌だったというのが本音かしら? 別に苛めに合っていたというわけではないんだけど、人がワイワイうるさいのが嫌なのよ。だから、図書館のように、騒いではいけないところがいいというのか、いい方は悪いけど、逃げているという感じかしらね」

 とゆいかは言った。

 図書委員などをやっていると、図書館に来ている人たちが普段からクラスで、どんな雰囲気なのかということは分かるような気がするのだった。

 ただ、ゆいかの場合は確かに、いつも一人でいるという雰囲気があったので、教室で自分の居場所があるように思えたので、図書館に入り浸る理由はないような気がした。それなのに、どうして図書館に来ているのか、一度聞いてみたいと思っていただけに、その機会を狙っていたと言ってもいいだろう。

「松本さんは、どうして、図書委員になったんですか?」

 と聞かれて、

「私は、図書館が好きだっていえば、いいのかな? 漠然とした理由で、説明しろと言われると難しいかも知れないわ」

 と、佐和子は言った。

「そう、私も説明しろと言われると難しいんおよ、だから、ない理由を勝手に作っているという感じなのかしらね」

 というので、

「図書館というところは、そこに自分がいるという理由を、自分で納得できなければ、いけないところなのかしらね?」

 と佐和子がいうと、

「そんなことはないと思いますよ。でも、私もついつい言い訳をしてしまうのよ。一人でいる時の言い訳を考えなければいけないというのは、何かおかしな気がするわよね」

 とゆいかが言った。

「私は図書委員になる前は、小学生の頃などは、図書館に来るのが好きだったわ。図書館って、表は綺麗な庭の中に建っているところが多い気がするの。美術館とか、博物館もそうなんだけどね。そういうところにいつもいると、自分に拍が付いたような気はするというのは、考えすぎかしら?」

 と佐和子がいうと、

「そんなことはないと思うわ。私は小学生の頃から、母親の影響もあって、旅行に行くと、よく武家屋敷とかあるでしょう? 城下町のような感じかしら? そういうところって、お茶室があったりするのよ。よくお母さんに連れて行ってもらったわ」

 とゆいかが言った。

「お茶室とは、これは風流よね。子供が行くのは珍しいんじゃない?」

「ええ、あまり見かけないわね。でも私は好きなのよ。といっても、お茶菓子が好きなんだけどね。でも、お茶室の独特の狭さの中に入って、壮大な庭を眺めながら茶道に親しむというのは、本当に優雅な時間を贅沢に過ごしているって感じがするの。旅行に行った時の醍醐味だと私は思っているわ」

 とゆいかは言ったが、確かに仲が深まってから少しして、二人で旅行に出かけたことがあり、ゆいかに言われるまま、佐和子もお茶室に入ったが、

「あの時にゆいかが言っていた通りの気がするわね」

 と感動したほどだった。

「ほら、学校の図書館の表の庭を思わせるでしょう?」

 と言われて、見てみると、

「うんうん、なるほど、確かにそうね。こんな素晴らしい光景は、贅沢な時間を豪華に過ごしているという感じになれるわね」

 と、佐和子は言った。

 その頃から、旅行に出かけなくても、近場でも、城下町があって、二人で時々城下町を散策して、お茶室に行くことがあった、その頃にはお華にも興味を持っていて、特にお茶室の中に質素に一輪生けられている花を見ると、

「わびさびの世界」

 を感じさせるのだった。

 そんな二人が急速に仲がよくなり、お互いに相手が好きなことに気づいてくると、自分が表から見た性格と実際の性格とで違いがあることに気づいてきた。

 もちろん、それは自分を主観的に見てのことなので、客観的に見ると違っているのかも知れないが、お互いに知り合った相手が同じことを考えているので、そう思い込んだとしても無理もないことだった。

 目立ちたがりで、まわりに対して強引なところがあるのに、好きになった相手に対しては従順である佐和子、そして、いつも誰かの陰に隠れて表に出ようとしないにも関わらず、好きな人に対しては自らが支配しなければ我慢できないというゆいか、それぞれに元々の自分の性格とは好きになった相手に対して違っていることに、気づいたのだった。

 さらに、ゆいかの方では、自分のことを、男のような性格なのではないかとさえ思うようになり、肉体的な性的欲求を持つようになっていた。

 佐和子の方には、最初、そのような嗜好はなかったのだが、生来のM性が手伝ってか、支配されることに、身体が反応し、ゆいかの言いなりになっていた。

 一人でいる時の佐和子は、そんな自分に嫌悪感を感じていた。それは、まるで、男の人が性的欲求を我慢できず、ついつい風俗に出かけてしまい。風俗の門を入った時と、そして終わって帰ってくる時の精神的な違いに似たところがある。

 もちろん、すっきりして満足して帰る人もいるだろうが、大多数の人は、憔悴感に浸りながら、背徳感というのか、罪悪感というのか、それらの複数の感情が入り混じって、帰ってくるのと同じであった。

 ゆいかも、佐和子もこのような関係になったのは、高校二年生の頃のことだった。

 お互いに男性を知っているわけではない。佐和子の方は、男性というものを気持ちの悪い存在だと思っていたし、ゆいかの方では、自分が男性では満足できないという感情を持っていた。それぞれに違いこそあれ、ずっと処女だったのだ。

 佐和子の場合は開放的な性格なので、男性が放ってはおかないはずなのだが、仲良くなってみると、あからさまに汚いものを見るような目で見られると、さすがにそんな佐和子を抱きたいという気持ちも萎えてくるというものだった。

 しかも、佐和子はゆいかとの間に関係ができると、一人になった時に感じる憔悴感は、男性と身体を重ねた時に感じる憔悴感とは違うと思っていた。どちらかというと、罪悪感よりも背徳感、自分だけのものではなく、

「まるで、神様に背いているようだ」

 という感覚があった。

 完全に不安というものがどういうものであるのかを知ってしまった感覚だった。

 それは、ゆいかの方が一人になった時、まったく彼女の中に背徳感も罪悪感もなかったからだ。

 しかし、憔悴感だけはあった。だからこそ、この憔悴感がどこから来るものか分からずに、悩むことになるのだが、佐和子にゆいかのそんな気持ちなど分かるはずもない。

 ゆいかも、そんなことは分かっていて、

「自分のこのような気持ちを分かってくれるような人がいるわけはないんだ」

 と感じていたのだった。

 佐和子の方に、神様の存在まで感じるというのは、無意識のうちに、ゆいかが感じるはずの罪悪感を、佐和子が吸い取ってしまっていたのだ。

 佐和子はそれが、

「ゆいかのためだ」

 と思っていたからなのだろうが、実際にはそうではなかった。

 ゆいかのためという感情があっても、余計なことをしてしまっていたのだ。それが、ゆいかの中で本当はなければいけない感情だったのに、相手を苦しめたくないという思いと、単純に、

「ゆいかのために」

 という思いが交錯したことで、余計なことになってしまうなど、これを悲劇と言わずして何というのだろうか。

 二人の間には、

「SMの関係」

 というものが、性的にも満たされていたのだが、その後の憔悴感において、余計なことが挟まったがゆえに、お互いにどうしていいのか分からなくなっていたのかも知れない。

 それだけに、性悪の判断もつかなくなり、お互いがお互いをそれぞれに貪るようになり、SMの関係が築かれていくようになってきた。

 その間に、歪な関係も形成されていき、

「歪んだSM関係」

 が築かれていくことになってきたのだった。

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