第5話 妖怪と、天国地獄の世界

 純也の事務所には、事務員の女の子が三人ほどいた。そのうちの一人に、中村ゆいかという女性がいて、三人の中でもあまり目立つタイプの女性ではなかった。実際に事務所の飲み会などでも、まったく目立たずに、一人でいることが多く、

「私に誰も話しかけないで」

 というオーラが感じられ、

「どうせ会話をしようと試みたとしても、話題が噛み合うわけなどない」

 と誰もが思っていることだろう。

 その話題というのも、いくらこちらがひねり出したとしても、彼女に打ち消されそうに感じるのだった。実際に仕事をしている時でも、こちらが気を遣っているつもりでも、その遣った気を、相手が削ぐようにしているのではないかと思えるふしがあり、もちろん、意識的にそんなことをしているわけではないのに、おかしなことを感じるものだと思わせるのだった。

 そのせいか、三人事務員がいるのに、いつも一人の時が多い。三人一緒につるんでいるところを誰も見たことがないという。しかも、ゆいかだけいつも一人でいて、そのくせ、

「一人が似合う」

 というわけでもなさそうだ。

 要するに、まわりに馴染めないだけである。

 それも、意識的にか無意識になのか分からないが、まわりの雰囲気をぶち壊すだけの何かがあり、負のオーラをまき散らしているのを感じるのであった。

 一人いつも蚊帳の外にいるゆいかだったが、本人はそれをまったく気にしていない。

「やはり、彼女のあの雰囲気は意識的にしていることではないか?」

 と思わせるのだが、その思いは当たらずとも遠からじであった。

 ただ、ゆいかという女性は、

「気になると思って気にしてしまうと、結果、最後には憎らしいほどにこちらの考えをすべてご破算にしてしまいそうな、思いにさせ、まるで、時間の無駄を感じさせる虚無の感情を抱かせることで、結局、無駄なことをさせられた」

 という感情を抱かせるような、憎々しい性格なのだと思わせる。

 そのくせ、気にしないではいられない、何か放っておけないような感情をまわりの人に抱かせるのだった。

 だからこそ、嫌われるのだが、彼女からしてみれば、

「勝手にそっちが気にしているだけでしょう?」

 と言いたいのだろうが、そう思ってしまうからこそ、苛立ちが彼女に対して向いてしまうのだ。

 それが分かっているから、女性たちは完全に相手にしない。女性同士だとそういうところはあっけらかんとしているのだろうか。最初から関係ないとして、無視していればいいと思っているのだろう。

 だが、男の方としては、どうもそんな感覚にならないようだ。

 自分のまわりにはそんな雰囲気の女性がいないということで、見てしまうからなのかも知れないが、会社の事務員が三人いて、一人だけ蚊帳の外にいるとなると、最初はどうしても気になってしまうのだ。

 それは、その人に彼女がいるいないは関係ない。最初には女性としてというよりも、同僚という目で見るからだ、

 しかし、ゆいかには、一度でも気にして見てしまうと、彼女のことを女性として見なければ気が済まないような感覚にさせる何かが秘められている。

 それが彼女の魅力というものなのか、人から離れれば離れるほど気になってしまうという人はえてしているもので、どうやら、ゆいかがそういうタイプの女性であるらしい。

 いちいち、そんなことを気にはしていないのに、そんな気にさせるのは、彼女の中にある魔力のようなものではないだろうか。

 魅力という、魅せられる雰囲気ではなく、引き付けられるイメージに魔力を感じるのだ。そこか奇妙なイメージを抱いてしまうと、離れられなくなるという感覚は、

「妖怪に睨まれると、足が竦んでしまって、そこから徐々に自分が石になってしまっていくのを、どうすることもできず、しかも、実にゆっくりと石になっていくので、その間、いろいろなことを考えさせられる」

 石になる寸前には、このまま石になってしまうことを怖いと思うこともなく、悟りのようなものが開けているのではないかと思うことだろう。

 妖怪という話で思い出すのは、森の中に開けた場所に、一匹の、いや、一体の、いや、一人の妖怪が佇んでいる姿だった。

 その男は、足がない、

 森の奥の少し広くなったとこるに、文字通り、足に根が生えたかのように、まるで案山子のような妖怪がいるのだった。

 その男は年齢的にはおじさんと言ってもいいくらいの人だが、その顔にはまだあどけなさが残っているようだった。

 ちょうど、そんなところに一人の青年がたどり着くという話だった。

「ほう、久しぶりに人が来たのを見たよ。何百年ぶりのことだろうかね」

 とその男が言ったが、彼の足元が案山子のような一本足であることに気づくと、その何百年という言葉も、不思議に思わないのだから、面白いものだ。

「一体、あなたは、ここにどれくらいいるんですか?」

 と聞くと、

「ハッキリと数えたわけではないが、数千年はいるだろうと思うよ。あんまり待ちくたびれたので、足がこんなになっちまった」

 と妖怪がいうので、

「いや、待ちくたびれたから、そんなになったわけではないですよね?」

 と男がいうので、

「どうしてそう思う?」

 と妖怪が聞くと、

「だって、最初からそんな足でないのなら、さっさとここから離れればいいだけじゃないですか? それとも、あなたは、ここに何千年もいる方が、他に行くよりもいいんですか? 何千年もいるということは、永遠に生きられる命を持っているということなんでしょうかね?」

 と青年がいうと、

「そうだな。永遠の命か最初は、そんなものがあればいいなんて思ってたけど、もうそんな感情忘れちまったな。何しろ、何千年だからな。今でも石斧で持って、イノシシを追いかけている光景を見るくらいだぜ」

 と、妖怪は言った。

「それにしても、よく、何千年という期間を自分で自覚できたものですね。そこは尊敬しますよ。私なんぞは、毎日同じことを繰り返して暮らしているので、どれが昨日のことだったののかなど、覚えてもいませんけどね」

 と男が言った。

 男の方からすれば、その気持ちにウソはなかった。

 確かに、どれが昨日のことで、どれが今日のことだったのかということすら分からない。しかも、一度寝て、目が覚めると、今が朝なのか夕方なのか、感覚がマヒしているのを感じる。彼は、ここ数日間というもの、この森に迷い込んで、抜けられなくなっていたからだった。

「この森に迷い込んでから数日、最初の一日は、やけに長く感じたものさ。次の日になるとその半分くらいの気分、またその次の日は、その半分というように、どんどん、半分ずつになっていくんだよ。でも、決して短くなっているという感覚はそれほどないんだ。それよりも、毎日がまったく同じに考えられて、まるで昨日を繰り返しているという感覚しかないんだ。だから、どれがいつのことだったのか分からなくなる。そのくせ、一日が終わった瞬間というのが分かるのが不思議といえば不思議だね。そして、この不思議だと思う感覚が、この森の中で自分が生きているという唯一の証のような気がするんだ。道に迷って、このまま抜けることができないかも知れないと思ったのは、きっと、同じ日を繰り返していると思ったからなんだろうな」

 と青年は言った。

「なるほど、その感覚は、数千年前にも私が感じたのとまったく同じ機がする。そういわれてみると、お前を見ていて、俺がこの森に迷い込んだ時のことを思い出したよ。早くこの場所を抜けたいと思うのだが、それは、同じ日を繰り返しているのが怖いからじゃなく、この場所から抜けられなくなるのが怖い気がしたのさ。同じ日を繰り返していることが怖くないのは、長生きできると思っているからなのかも知れない。長生きできるのであれば、この場所から離れなくてもいいと、不覚にもそう思ってしまったんだろうな。それが間違いの元だったのさ」

 と、妖怪が言った。

「あんた、本当に妖怪なのかい?」

 と青年がいうと、

「妖怪なんだろうな。今の俺は妖怪なんだって思う。でも最初は人間だったのさ。じゃあ、いつから妖怪になったんだと言われると、俺にも分からない。しいていえば、同じ日を繰り返しているという自覚を持った時ではないかな?」

 と妖怪はいうのだった。

「同じ日を繰り返している?」

 と青年が聞くと、

「ああ、そうだ。もっとも、ここから動くことがまったくできないのだから、この場にずっととどまっているのだから、どこにもそして、ここには誰も来ないのだということを自覚すると、本当に絶望的な気持ちになる。たぶん、俺の話を聞いただけでも、お前はその気持ち悪さを漠然とは感じていることだろうよ。そして、思うんだ。どうせなら、このまま殺してほしいってね。こんな状態でずっと生きながらえていくなんて、想像しただけでも恐ろしいものさ、生きていて、次の瞬間に何が起こるか分からないというような激動の人生がとても懐かしく感じるのさ。そして、運命が決まっている人生なんて、何が面白いものかと思うと、生きている意味がどこにあるのか分からなくなってくる。そんな状態でここに何千年もいるんだぞ? 思考能力なんか、なくなってくるさ。その分、生きていれば他に使うだけの能力を使わなくてもいいと思うようになる。そうなると、ほとんどが退化してくというものさ。俺の足だって、今のように、案山子のような足ではなかったのさ。足に根が生えただけで、普通の足だったんだぜ。それは数千年の間に退化してしまったので、こんな風に案山子の足みたいになっちまったというわけさ」

 と妖怪は言った。

「じゃあ、あんたは、本当に人間だったんだね?」

 というと、

「ああ、だからそう言っているじゃないか。あんたに妖怪呼ばわりされたので、妖怪だって、面倒くさいからそう言ったんだが、実際には俺だって今でも自分は人間だと思っているさ。俺の身体で使わなくなった部分は身体だけではない。精神的な面でも使わなくなったものはたくさんある。まったく不要なものは退化していき、その分、必要なものや、持っていたいと思えるような機能だけが、退化して行ったものがある分、進化していく。だから、妖怪に見られるのさ。お前たち人間が妖怪だと言っているものだって、本当は、元は人間だったのかも知れない。しかし、生まれてくる時に特殊な生まれ方をしたために、人間になりきれることなく、退化と進化の違いがある妖怪ができあがった。それを人間が妖怪だと言っているだけで、その発想が人間の傲慢なところではないのかな? 俺は元々人間だが、今では妖怪だと言われる月日の方が果てしなく長くなってしまった。だから、もう人間だった頃のことなど忘れてしまったが、こうやって人間で話をすると、人間だったのがまるで昨日のことのように思い出されるのさ」

 と、その妖怪は言った。

 なるほど、妖怪が言いたいことが分かってきた気がする。

 この男がなぜ、こんなところで足に根が生えて妖怪になってしまったのか分からない。

 この男の言い分では、これだけ長生きしているのは、退化していった部分があるため、残った部分で進化し、補っているということだった。寿命というものがその人の能力であったり、機能だとすれば、この男は、退化していった部分に補われたことで、何千年もここに生きているということになる。

「俺には耐えられないだろうな」

 と、男はボソッと言った。

「何が耐えられないんだ?」

 と妖怪は、そう言ってニンマリと微笑んだ。

 この笑みは、青年が何を言いたいのかということをお見通しだということ分かっているような様子であった。

「こんなところで、何千年も、俺だったら、絶対に耐えられない」

 というと、

「そりゃあ、俺だって最初は、こんな状態を数日でも続ければ気が狂ってしまうだろうと思ったさ、夢なら早く覚めてほしいと思ったし、夢じゃないのであれば、早く殺してほしいと思ったものさ。だけどな、この世に神様がいるとすれば、その神は個人個人のためなんかではなく、逆に個人には厳しいものさ。俺が何をしたんだって、ずっと自問自答を繰り返していたさ。しかし、分かるはずもない。こんな状態で、どうすればいいんだってな?」

 と妖怪は言った。

「よく耐えてこられたな?」

 というと、

「ある時点で、死ぬほどの苦しみを味わうと、乗り越えられるもののようだ。たとえは悪いが、人間が麻薬の禁断症状から抜けるのに、死の苦しみを味わうというが、抜けてしまうと、もう、そこから禁断症状に見舞われることはない。だが、本当に苦しいのは禁断症状ではなく、冷静になった時、現実世界に引き戻された時、麻薬を断ち切ることができるかということなのさ」

 と、妖怪は言った。

「そっか、確かに死ぬほどの苦しみを乗り越えると、そこに悟りが開けるというのが宗教のようなものだと聞いたことがあったが、そういうことなのだろうか?」

 ちょうど、その時代は、世の中どこに行っても地獄しかない時代だったので、宗教に走る人が多いと言ってお過言ではない。

 考えてみれば、日本の歴史において、万民が皆幸せだった時期などあるわけはない。ほとんどの時代において、一部の特権階級の人間が得をして、ほとんどの人間は、搾取や支配されるということにおいて、最後には、

「この世は地獄だ」

 ということになってしまうのだ。

 そこで出てきたのが宗教という考え方だ。

 ほとんどの宗教は、

「この世で少しでもいいことをすれば、あの世に行った時、幸せになれる」

 ということを説いたものが多いではないか。

 つまり、いくらこの世でいかに何かをしても、いいことなんかあるはずはないということを言われているのと同じではないか。

 では、この世は一体宗教において、どういうことになるというのか? あくまでも、将来において救われるためのステップ段階にしかすぎないということなのだろうか?

 それを考えると、

「どうせ、この余では幸せになれないのだから、少しでもこの世でいいことをしておけば、あの世で幸せになれる」

 ということになるのか。

 しかし、普通であれば、あの世がどんなところなのか分からないのに、あの世に期待を持つということが果たしてできるだろうか。よほど、この世が地獄ではない限りは考えにくいことだ。

 ただ、実際に今の平和と言われる時代にでも、

「この世の地獄」

 というのを見ている人がいる。

 だが、その人であっても、今を生きることに必死であって、あの世のことなど考えることもできないと思う。

 ということは、宗教において、あの世での極楽を夢見る人というのは、どの段階にいる人たちなのであろう。

 普通に暮らしている人には、そもそもあの世のことを考えるということは、思考が逆行してしまっているようで、考えること自体、おかしなことではないだろうか。

 前述のようなこの世の地獄を見ている人は、精神的に余裕のない人なのだろうから、実際にあの世のことを考えたとしても、あの世にどのような極楽が見えるというのか、きっと何もかもが信じられない人になっているはずだからである。

 そもそも、普通に暮らしているという時に使う、

「普通」

 という言葉は何なのだろうか?

 何に対して普通というのか、それが分からなければ、あの世という世界を自分の中で創造することはできないだろう。

 つまり、宗教において、

「あの世」

 という世界は、皆がそれぞれ創造するものだと言えるのではないだろうか。

 だから、他の人にはその人がどのような、

「あの世」、

 あるいは、

「極楽」

 というものを創造するのかは分からないのだ。

 あの世というもの、極楽というものは、この世にある地獄というものがハッキリと見えている人間でなければ創造もできないのではないだろうか。

 そして、この世の地獄を見ている人は、それぞれ、自分の地獄を、果たして宗教が救ってくれると思っている人ばかりなのであろうか。

 それを思うと、世の中というものを、人それぞれが一生懸命に生きているので、それを一部の特権階級の連中が貪っていても、そのことに気づかない人も少なくはない。だからこそ、脈々として続く、支配階級に支配される搾取という負の連鎖が、受け継がれてくる世界が、永遠に限りないものとなっているのだろう。そこに宗教が付け込んだと言ってもいいのか、それを思うと、宗教にはかかわりたくないと思えてくるのだった。

 昔、明治の文豪が書いた短編小説で、地獄と極楽を描いたものがあった。それぞれを描いたわけではなく、その間の世界を結ぶ世界を、人間の心情を元に描いたもので、その小説を小学校で習った時、一番最初に、小説というものに触れた気がした。

 漠然とであるが、天国と地獄というものを知っていた。それはいかに知ったのかということも曖昧だった、

 漫画で見たものだったのか、田舎もおばあちゃんに聞かされたものだったのか、ハッキリと覚えていない。それでも怖いと思ったのは、想像以上だったからではないだろうか、

 テレビのアニメでは、そこまで恐ろしいものはやっていなかったような気がする。

 いや、今から思えば、本当はやっていたのだが、怖くてそのアニメを見ることができなかったという方が正解だったかも知れない。

 学校でそのアニメの話を皆が始めた時、

「お前、今週見ていなかったのかよ?」

 と言われて、それについて何も言えなかった。

 一回分を見ていなければ、次から見ることはしなかった。それは連続ものであっても、一話完結においても同じことだった。

 一話完結ものであっても、一回分、見逃してしまうと、自分だけが取り残された気がして、次を見る気がなくなってしまうからだった。

 考えてみれば、週刊漫画雑誌においても同じことだった。

 その一週間分を見なければ、その雑誌を買うことをやめようと思ったくらいであり、実際にやめてしまったことがあった。

 もっと後悔するかと思ったが、それほど後悔することはなかった。

「お前、見てなかったのかよ」

 と言って、その漫画について話がついていかなくても、それはそれでよかった。他のことについて話が続けばそれでいいと思っていたからだ。

 他の連中は、話に入れないのが嫌で。必死になって見ていた。

 しかし、純也は一度、一週間分を見なかったことで、皆と意思の疎通という意味で、穴が開いた気がしたのだが、それは、自分が最初から恐れていたほどには感じなかったのだった。

「なんだ、こんな程度のことだったんだ」

 と思うと、友達に何を言われようとも、気にしなくなってきたのだ。

 そう思うと、そのことに対してだけ話が通じないと思うだけで、何ともなかった。逆に、そのことを気にしすぎて、自分が必要以上にまわりに気を遣ってしまうと、まわりも、自分の意識を必要以上に怖がってしまっていて、お互いに気持ちのすれ違いを生むことになってしまう。

 気持ちのすれ違いというものが、いかに恐ろしいか、それが、天国と地獄の小説を思わせたのだ。

 あの小説を最初に読んだ時、

「ラストがどんな内容なのか、想像がついたような気がするんだ」

 と後になってから思うのだった。

 だからこそm印象に深く残った小説なのかも知れない。

 印象に残る小説というのは、何も感動を与えるものだけではない。普段と違う感情を与えるようなそんな小説をいうのではないだろうか?

 小説というものも、漫画というもの、

「途中で、読めなかったことで後悔してしまったりするものは、最初から面白くないと思っているのかも知れない」

 と感じた。

 というのも、

「自分が本当に興味を持つ小説というのは、本当であれば、ラストを想像できるものなのだから、途中の一週間を見逃したとしても、それでもいいから、ラストを見たい」

 と感じるものではないかと思ったのだ。

 天国と地獄の小説も、最後は、人間の欲望のために、我慢できなくなり、

「自分だけが助かりたい」

 という気持ちが芽生えたことで、生き残ろうとする。

 だが、それが本当の人間の欲望であり、なぜそれが悪いことなのか?

 と、後になって考えた。

 確かに、教育として、そして、小説としては、自分だけが助かりたいと思うと、最後には糸が切れてしまうのは当たり前のことであり、それを最初から想像できたと思うのだ。

 だから、自分が最初から思っていたことが、自分の中で矛盾になると分かっていたから、印象に残ったのであって、最初から分かっていたことなのだろう。そう思うと、印象に深いものが、必ずしも自分の考えと同じだと言えないところがあり、sれが都合よく、夢を見せるのではないかと思うのだった。

 天国というものよりも、何といっても地獄の方が当然印象が深い。それをなぜかと思っていると、今から思えば、子供の頃に旅行で行った、

「地獄めぐり」

 ではないだろうか。

 温泉地の名物として、地獄めぐりというのがあった。

 血の池地獄であったり、海地獄、山地獄、竜巻地獄などというのもあった。

 その一つ一つがどのようなものだったのかというのは、正直ハッキリとは覚えていないが、それはあくまでも、自分の意識の中で、

「怖いものだ」

 という気持ちがあったことで、地獄を詳細に覚えるということをしなかったのだろう。

 ただ、夢の中には何度か出てきた。

 だが、その時には、必ず天国とセットで出てきたのだった。

 天国というところには、蓮の花が咲いていて、花が咲いているとことは池である。その池のほとりには一人の人が立っていて、その人は光り輝いている。

「どこかで見たような」

 と思うのだが、その人はずっと笑っているのだ。

 ただ、ずっと笑っているくせに、その顔はまったくの無表情なのだ。何を持って無表情なのかというと、その表情には感情が感じられないからだった。つまりは、何を考えているのか分からないということだった。

 そう思うと、その顔が怖くて仕方がない。

 なぜなら、お面をかぶっているように思うからだ。

 子供の頃に感じた夢というと、その顔は、鬼のお面だという印象が強い。怖い表情をしているくせに、顔の表情がまったく変わらない。あまりにも怖いせいで、一つの表情が頭にこびりついてその表情以外思い浮かばないのだ。

 夢というのはそういうものではないだろうか。

 怖い夢だけを覚えているというのは、その顔が恐ろしいと思っているからで、それは顔が怖いからではなく、

「まったく表情が変わらないからだ」

 と思うのだった。

 表情が合わらないという印象はどこにあるのかというと、

「のっぺらぼうのように、見えているつもりでも、怖いから、覚えていたくない」

 と思うのではないかということであった。

 のっぺらぼうというのは、本当は見えているのに、覚えていないだけで、なぜ見えていないように見えるのかというと、

「逆光になっているからだ」

 ということなのだ。

 理屈はちゃんと分かっている。だから、怖くないのだ。それをどうして怖いと思うのかというと、表情が変わらないことをいかに自分に納得させるかということを考えるからである。

 表情が変わらないのが、なぜ怖いのかというと、

「顔が見えないからだ」

 と自分に納得させるからだった。

 顔が見えないということは、夢から覚めても覚えていないということに似ているのではないか。怖い夢だけは覚えているのだが、考えてみれば、その怖い表情も一緒に覚えているのだろうか?

 いや、覚えているわけではない。覚えられないから、忘れないという理屈も矛盾してはいるがあり得ることではないかと思うのだ。

「恐ろしいというのは、忘れてしまう方が怖い」

 と言えるのではないだろうか。

 昔、妖怪漫画家が、

「怖いものは、怖ければ怖いほど面白い」

 と言っていたが、怖いということの正体が、

「ハッキリと分からないことだ」

 ということだと分かっていれば、夢を見て忘れない夢というのが、怖い夢ばかりだという理屈が分かるのではないだろうか。

「天国と地獄のどちらを印象的に覚えているか?」

 と言われて、

「天国の方だ」

 と言えるのは、純也だけではないと思うのだった。

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