第4話 合コンでの女

 純也はある時、一人の女性と知り合った。それは、会社の同僚から誘われた合コンでのことであったが、実際には純也は乗り気ではなかった。

 それだけに、

「自分は人数合わせに呼ばれただけだ」

 と最初からそのつもりでいたが、同僚は一人ではしゃいでいた。

 その日は四対四の合コンで、相手も一人、同じように人数合わせに呼ばれた女の子がいて、その子と最初は、同じように控えめにしていたが、女性の側の二番目に座っていた女の子が、純也のモーションを掛けてきた。

 一番の上座は、あくまでも主催者が座る席で、男性側には、自分を誘った主催者が座っていた。

 彼は明らかに、女性の二番手である女性に照準を合わせているようだったが、彼女は同僚に見向きもせず、積極的に純也に話しかけていた。

 その様子はあからさまにも見えていて、その様子を同僚は面白くなさそうにしていたが、さすがに変わり身の早さで今まで乗り気ってきただけのことはある。脈がないとみると、他の女性にちょっかいを出しに行っていた。それが彼の短所であって長所でもある。見習いたいとは思わないが、その実力は認めないわけにはいかないだろう。

 純也にモーションを掛けてきた彼女は、松本佐和子といい、目立ちたいというのはよく分かった。

 しかし、不思議と他の女の子たちから、やっかみを受けるようなことはないように見えた。

 女性の間でのことなのだから、男性には見えないところで、想像以上のじめじめしたものがあるのかも知れないが、少なくともその時には嫌味な雰囲気は一切なかった。それだけ彼女には、まわりから嫉妬を受けないというような素質のようなものがあるのかも知れないと思い、同僚同様に、

「何かの素質を秘めているのかも知れない」

 と感じたのだ。

 話をすると言っても、皆いるので、深い話ができるわけもない。昔ならともかく、個人情報にうるさい時代、深入りしたような話ができるわけではなかった。

 せめて、趣味の話であったり、嗜好の話などがいいところで、別にかまわないのかも知れないが、この場で仕事や会社関係の話というのは、

「せっかくの酒がまずくなる」

 というイメージを与えるだけで、

「水を差す」

 とはまさにそのことなのだろうと思うのだった。

 佐和子は自己紹介の時に、

「趣味で、絵を描いたりするのが好きです」

 と言っていた。

 純也は、

「自分には絵心がないので、絵を描くのが趣味だという彼女のような女性と知り合いになれると嬉しいのだがな」

 と考えていた。

 それでも、自分はただの人数合わせ、さいしょから出しゃばったことはまったく考えていなかったが、相手がモーションを掛けてきたのだから、相手をするのは、別にかまわないはずだ。そういう意味で、

「してやったり」

 という感情が生まれてきて、本当にきてよかったと思った。

 久しぶりにまわりからのやっかみの視線を浴びることがこんなにも心地よいとは思ってもいなかったのだ。

 純也は、自分の立場をいつもわきまえているつもりだった。それだけに、まわりから、

「都合のいい人間」

 として扱われたとしても、それはそれで嫌ではなかった。

 むしろ、何でも楽観的に考える方なので、

「自分を必要としてくれているんだ」

 と思うことで、それが自分の本懐であるかのように思うのだった。

 目立ちたがりな人間であれば、そんな感情を持つことすら許せないはずなのに、まわりに役に立っているということで、目立とうとしても、結果、ピエロにしかならない自分が情けなくなるだけで、一人、道化師になっていることをまわりに知られたくないという思いが強かったのだと思った。

 確かに。昔は目立ちたがりだった。

 独り言が多いのも、目立ちたがり屋な証拠だと思っているし、独り言が多いのは今も同じだが、目立ちたいと思うことはなくなっていた。

 独り言をいうことで、

「俺はここにいるんだ」

 と、まわりに叫んでいるようで、その時は別に何とも思わないのだが、後になって思い出すと、顔から火が出るほどの恥ずかしさに見舞われてしまう。

 そんな自分に自己嫌悪を示すこともあった。

「後から恥ずかしいと思うようなことなら、最初からしなければいいのに」

 と思うのだが、目立ちたがりというのは、一度態度に出してしまうと、それをひっこめる勇気はない。

 それだけに、表に出したことを必死になって正当化しようとし、言い訳を連ねてしまう。それがまた恥ずかしいのであり、恥ずかしさのスパイラルを重ねていくのだった。

 最近の純也は。

「どっちが本当の自分なんだろう?」

 と思うようになっていた。

 まわりに気を遣って、人の役に立つ自分を好きだと感じているのと、目立ちたがり屋で、いつもそのために独り言を言っている自分である。

 それぞれにまったく正反対なのに、どちらも本当の自分に思えてならない。どちらも、自分を納得させようとしている態度が全面に出ているのだけは感じられた。

 片方は、そんな自分をいじらしいと思っているのと、もう一つは、言い訳にしてしまっていることを、何とか自分で納得させようと思っている自分である。

 ただ、最初に感じた自分の性格は目立ちたがり屋だと思ってことであり、そんな自分にどこか嫌悪を感じたことで、今度は逆に、

「人の役に立てる自分」

 というのを見たからではないだろうか。

 もちろん、いきなりそんなに変われるわけはない、その間に何かのきっかけがあったことだろう。

 何しろ人の役に立つというのは、自分を殺している感情であり、第三者目線で見なければ見ることができないと思った。

 逆に目立ちたがり屋な自分は、完全に主役であり、これを他人事のような目で見てしまうと、これほど恥ずかしいと思うことはない。

 つまり、自分が主役なのか、それとも脇役なのかということを、客観的に見ることで、自分が二次的に感じた思いが、産物として生まれてくるのではないかと考えるのであった。

 合コンに行った時も、

「他に誘うやつがいないんだよ」

 と言われて、本当はただの人数合わせだと分かっていたくせに、嬉しい気分になった。

 それは、自分を瞬時にして客観的に見ることができたからで、そういわれた自分が急にいじらしくなったことで、あざとい誘いのセリフに、嬉しい気分になれたに違いない。

「俺は、嬉しくなれれば、おだてであっても、それでいいんだ」

 と思うようになっていた。

 だから、まわりから、

「純也はおだてに弱い」

 とすぐに見抜かれ、

「都合よく扱われてしまうに違いない」

 と分かっていても、それでいいと思うのだった。

 そんな純也のことをどれだけの人が分かっているというのだろうか? きっと分かっている人などこの世に一人もいないに違いないと思うのだった。

 そのせいで、なかなか自分の意見を表に出さないような性格になってしまった。好きな人ができても、

「好きだ」

 という勇気がない。

 だがら、まわりに気ばかり遣ってしまって、

「自分はおだてに弱いんだ」

 ということを言い訳にしていたのだ。

 つまり、自分の気の弱さをおだてに弱いということで、隠そうとする。意外とまわりにはすぐにバレてしまうようなことでも平気で行ってしまう。

 本当は、

「人と同じことをするのは嫌だ」

 と思っているはずなのに、その思いに逆らって、その頃はおだてに弱いということだけを長所だと思うようにして、静かにしていた。

 その頃というのは、中学高校時代の頃で、思春期くらいの頃であった。何しろその頃には恥じらいを感じるようになり、

「なぜ、こんなに恥ずかしいという思いになるんだろうか?」

 と、それが思春期だということを分かっていなかった。

 しかも、身体がムズムズしてきて、下半身に男としての変化が襲ってきても、最初の頃はどうして、こんな反応をするのか分からず、誰にも相談できずに、悩んでいた。

 しかし、そんな時に限って、

「悪魔の囁き」

 なるものがあるもので、

「お前が勃起するのは、男だからさ、女を見ると、ムラムラ来るだろうが。それは悪いことじゃないのさ。我慢なんかすることはないんだ。抜きたくなりゃ、抜きゃあいいんだ」

 と囁くのだ。

 さすがに犯罪を誘発するような言い方をするわけではない、とにかく、我慢することはないという。

 なるほど、やつらに言われた通り、ムズムズを解消すれば、一時の快楽が襲ってくる。しかし、それはほんの一瞬であった。快感が終わってしまうと、その後には、何とも言えない憔悴感が襲ってくる。

 そお思いは一体どこからくるというのか? 抜いてしまったことがまるで悪いことでもしたかのような罪悪感に見舞われる。たった一瞬の快楽のために、その後しばらく感じる罪悪感が残るということは、一度抜いた時に分かったはずなのに、またしてもムズムズしてくると、我慢ができなくなって、抜いてしまい、結局、罪悪感がまたしても襲ってくる。

「二度と、こんな思いはしたくない」

 と思っているくせに、同じことを繰り返してしまう自分が怖いくらいだった。

 それでも、どうすることもできずに行ってしまうことに自己嫌悪が襲い掛かってくる。

 そう思った時、どうすればいいのかを考えた時、

「何か言い訳を考えなければ」

 と思うのだ。

 罪悪感に見舞われた時、自分を納得させる言い訳を、いかに言い訳ではないかのように、感じさせるかということである。

 相手が本人なのに、それを欺こうという考える方が、どれほど矛盾しているというのか、純也は考え込んでしまった。

 思春期という言葉を知ったのは、その頃だった。皆言葉くらいは知っているのだろうが、それがどのようなものなのか、詳しく知っている人はどれくらいいるのだろう? 性的な欲求不満がたまってきて、身体は反応し、我慢できなくなって、自慰行為に至ってしまうという状況。さらに、その後に襲ってくる罪悪感を伴った憔悴感を誰もが、いかに考えているのだろう。

 確かに、性的なことは、

「しゃべってはいけない」

 というタブーとされているが、それだけに思春期の不安定な精神状態に襲い掛かってくる、確実な身体的な変化。

 その状態を誰もが乗り越えて大人になるのだ。逆に言えば、

「思春期がなければ、大人になどなれない」

 ということで、まるで、昆虫が幼虫からさなぎになり、成虫になるのと似ている気がした。

 さなぎを経由しない昆虫もいるが、子供が大人になるには、心身共に大きな変化を迎えることになるのは、定めなのだろう。

 ほとんど来たことのなかった合コンでは、思春期の頃のことを思い出していた純也だった。

 純也が知り合った佐和子という女性は、二番目の席に控えていたので、きっと四人の中では一番の華だということなのだろう。

 他の人たちとの会話の中でも、佐和子は男子が見て、一番話しかけやすいタイプのようであり、特に正面に座っていた同僚の者からすれば、

「俺だって、こっちでは一番目立つ人間として、この席に座っているんだ」

 という自負もあったことだろう。

 それでも、まわりがする質問を妨げるような大人げない行動をとることはなく、会話はごく自然に交わされていった。

 純也はそんな中で自分の立場をわきまえていて、積極的な立ち回りをしようなどと思わなかった。別に誰かとカップルになりたいなどという気持ちもなかった。単純に、

「おだてに弱い」

 ということで来ただけであって、

「こうなったら、うまいものをたらふく食って、満腹になって帰ってやろう」

 という食欲の方に気を取られていた。

 今日は、ちょうどバイキング形式の会だったので、おあつらえ向きだった。

 合コンをバイキング形式で行うというのは、主催者の考え方で、

「この方がじっとしているわけではないので、気軽に行動できる。気になった相手の食事を自分がよそってあげるなどの積極的な行動をとることもできるし、いいのではないか?」

 ということで、決まったものであった。

 だが、この方法に反対する人は誰もいなかった。会話が苦手な人も、立ち上がって食事を摂りに行く時、会話ができるのではないかと、同じことを考えたからだった。

 しかも、人数合わせに呼ばれた人間としても、

「せっかくだから、食欲の方に専念ができる」

 と思うことで、誰からも文句の出るものではないということで、この案は、クリーンヒットだったに違いない。

 野球で例えるなら、純也は二番バッターで送りバントや犠牲飛球を期待される選手で、佐和子は、ホームランを期待される四番打者というくらいの違いであろうか。

 だが、四番打者と思しき佐和子は、結構まわりを見る目があるようで、見渡した中で、気になったのが、端にいた純也だったというのは、誰もが以外だったに違いない。佐和子は他の人に対しては適当にいなしながら、明らかに自分が純也を気にしているということをしっかりと、まわりに示していた。

 さすがにここまであからさまにされると、誰からも文句が出ることはなかった。

 他のメンバーは、それぞれに相手を見つけて、ちゃんとカップルになっていた。合コンというものは、最初にカップルができてしまうと、後はなし崩しに出来上がるものなのではないかと、純也は感じた。

 しかし、なぜ佐和子が自分なんかに興味を持ったのか分からなかった。

「普段は、いつも自分とつり合いのとれた相手とばかり話をしているので、たまには別のタイプの人と話をしてみたいとでも思ったのかな?」

 と感じた。

 いつも、洋食ばかり食している人が、たまには和食を食べたくなるというような、飽食状態だったのかも知れないと感じた。

 ただ、純也としては、

「いくら飽食状態だからと言って、自分以外にも相手はいただろうに」

 と思った。

 一瞬であるが、

「からかわれているのかな?」

 と感じたほどだった。

 別にそれならそれで、こっちが気にしなければいいだけで、もしそうでないのだとすれば、どうすればいいのだろう?

 下手に真に受けてしまうと、すぐに本気にしてしまうという悪い癖がある純也だった。だから普段から自分をわきまえていて、今回だって、人数合わせに徹することに対して、別に嫌な思いがあったわけではない。

 それを思うと、真に受けたというわけではないと思ってはいるが、相手の態度によって、変に邪険にするのも、相手を傷つけることになる。

 もっとも、相手がそんな紛らわしい態度に出るのだから、その人が傷つこうがどうしようが、知ったことでもないくせに、なぜか気になってしまうのは、自分も彼女のことをまんざらでもないと思い、

「チャンスあるかも?」

 と感じたからではないだろうか。

 相手の佐和子の方がどう思っているのか。

 最初は、いつも同じような目立ちたがりな人ばかりを相手にしていると、自分が疲れていることに気づいていなかったことに、今回、無意識にであったが気が付いたようだ。

「それならば」

 と、今回は人畜無害そうな人と話をしていれば、あざとい相手から声を掛けられることもないだろうという思いもあってか、声を掛けてみたのが、純也だった。

 見た目は、とっつきにくそうな人だったので、その人と少しでも話をしていれば、他に人が割り込んでくることはないだろうと思った。自分が嫌になれば、適当に言って一人になればいいだけで、我慢はちょっとで済むと思っていた。

 確かにとっつきにくそうな相手で、話しかけた時も、明らかに、面倒くさそうな表情をした。しかし、その時の印章が、

「この人嫌だ」

 といつもであれば思うのだろうが、それよりも、

「この人、何?」

 ということでの好奇心の方が先に湧いてきたのだ。

 それを感じると、それ以降の表情は、人懐っこい感じに感じられ、まるで猫のような雰囲気が感じられた。

 甘えん坊で、身体を摺り寄せてくる姿が、妙に嬉しくなってくるのだった。

 どうして猫を思い浮かべたのかというと、猫というのは、好き嫌いが激しいものだ。好きな人はかわいくてしょうがないのだろうが、嫌いな人はとことん嫌いだ。特にアレルギーを持っている人には、これ以上危険なものはない。近づけてはいけない人だっているのも知っている。

 それでも、好きな人は、そんなことを忘れてしまうほど、猫を好きになるのだ。

 子供の頃、たいていの子供は、捨てられている猫を見て。

「可哀そうに」

 と思い、自分で飼ってあげようと、家に連れて帰って、

「おかあさん、この子、飼っていいかしら?」

 というと、ほとんどの家では、

「捨てていらっしゃい」

 と言われるだろう。

 家族の中に誰かアレルギーの人がいる場合はもちろん、猫嫌いの人がいる可能性も高い、

 そして、猫を飼ってはいけないというマンション住まいであれば、飼えないことは最初から分かっていることだった。

 それらがクリアできたとしても、猫というのは、飼うのは大変難しい。一度出て行ってしまえば、ちゃんと帰ってくるのかというのも問題だし、ちゃんと飼えたとしても、家族の誰かが、必ず家にいて、猫の面倒を見てくれるというわけでもない。

 犬であれば、まだしも、猫を飼うとなると、ちゃんとしたペットショップで購入してきた子でもなければ、飼うことは難しい。

 そして、親が思っていることが、一番問題なことだった。

「子供が飼いたいと言ってたとしても、それは一時の感情なだけで、すぐに飽きてしまうに違いない。そうなると、面倒は母親の自分が見なければならないことは一目瞭然で、ペットを飼うということはもちろんのこと、子供の教育上、すぐに飽きてしまうようなことを、許してもいいのだろうか? その時になって子供を??りつけ、仲たがいをして気まずくなるというのも困る。それくらいなら、最初にガツンと言って、飼ってはいけないという引導を渡した方が、よほど平和に片が付く」

 ということであろう。

 子供の立場では、その時考えているのは、

「猫がかわいいから飼いたい」

 という思いであって、

「猫を飼うということが、自分の自尊心を高める」

 という思いの裏返しにはならないか? と母親は考えるのではないだろうか?

 もちろん、すべての子供が、そしてすべての親がそんな風に考えるとは言い切れないが、少なくとも、猫を飼うということで家族の間に亀裂が入るのは、実に困ることだというのが母親の考えだろう。

 何といっても、子供は一時の感情に走るものであって、その後の面倒はすぐに見なくなるということを分かっているのだ。

 それだけ、母親も子供の頃に同じ目に遭って、捨てに行った経験があるのかも知れない。あの時、母親が許していたらどうなっていたかということを考えると、

「親の心子知らずとは、このことだ」

 と、母親になってから感じるのだろう。

 純也は、佐和子が自分をそんな捨てられたネコを見るような女性なのではないかと思った。かわいがってあげようという思いというよりも、その目立ちたいという感覚から、まるで、ペットでも飼っている気持ちになるのではないかと感じたのは、それが自分がおだてに弱く、まわりに合わせてしまうところがあり、都合よく扱われる人間だと思っているからであり、そんな自分を、

「捨てられたネコ」

 のように見ているということは、性格的にはSではないかと思うのだった。

 他の人たちが佐和子に対してどのように感じたのか分からない。

「せっかく合コンに来て、自分はせっかく人と馴染める性格なのに、何も純也のような、人数合わせに連れてきた相手を選ばなくてもいいじゃないか。よほどの変わり者なんじゃないか?」

 と思っているのかも知れない。

 その証拠に、純也に興味を示した佐和子を誰も相手にしようとはしない。変わり者のレッテルを貼っているのか、それとも、純也が感じたように、彼女にS性を見たのか。普通の男子だったら、S性のある女性にわざわざ食指を伸ばすようなことはしないだろう。

 しかも、ここは合コンの場なのである。何も好き好んで、自分がMで、Sの女性を探してでもいない限りは、そんな思いに至ることはないであろう。

 そう思っているからこそ、誰も二人の間に割って入ることもなかった。

 合コンの時間は二時間だったが、そこでカップルになった人は誰もいなかった。佐和子も別に純也と話はしたが、連絡先を交換するようなことはなかった。純也はその様子を見て、

「この人は、他に誰も相手ができる人がいなかったので、消去法で、最後に残った僕を選んで話していただけなのかも知れない」

 純也も緊張していたのか、佐和子がどんなことを話したのか、終わってみれば、あまり覚えていない。話を聞いていて、なるほどと思ったことには、うんうんと頷いていただけであった。

 その割には結構頷いていたと思っているので、彼女の話にかなり納得していたのは間違いない。そのくせ、内容と覚えていないというのは、それだけ一般的なことで、印象に残るような話はしてこなかったということを示しているのだろう。

 それを思うと、、純也は佐和子のような女性と、今後もかかわっていく気にはなれなかった。だから、純也も彼女の連絡先を聞こうとは思わなかったようだ。

 二人はその日だけのことだと思っていたが、それも無理もないことだった。他の連中もカップルができなかったことで、

「今日の合コンは最悪だったな」

 と一人がいうと、

「まったくだな。こんな中途半端な気分のまま終わった合コンも珍しいよな。どうだい、このまま俺たちだけで、二次会にでもいかないか? 俺、腹減っちまったよ」

 ともう一人がいう。

「俺は賛成だ。なんだかんだいって、あまり食べれなかった気がするからな」

 ともう一人が言った。

 確かに、テーブルの上には、いろいろな食事が自分たちの手によって、持ってこられてはいたが、そのほとんどに箸がつけられているわけではなかった。

 かといって、皆が会話に集中していたわけではない。どちらかというと、皆相手の様子ばかりを気にしていて、会話になっていなかったのだ。

「合コンって、こんなものなのか?」

 と、純也は思ったが、複数対複数なので、会話のタイミングがピッタリと合えば、会話は勝手に盛り上がるのだろうが、どこか一か所に綻びがあれば、会話は一つとして成功しないのではないかと思ったのだ。

 歯車というものが、一つでも噛み合わないと、まったくどれもが狂ってしまうかのようである。

 会話には、歯車のような咬み合わせがなければ、成立しない。どちらかが考え込んでしまうと、それ以上進まないからだ。

 だが、今日の合コンはそんな雰囲気があったわけでもない。それぞれに会話のタイミングはあったはずだ。それでも進まなかったということは、最初にカップルになったであろう、純也と佐和子の間のギクシャクが、閉会の時間まで、微妙に場の空気を淀んだものにしていたのかも知れない。

 そう思うと、皆が二次会に行こうというその席に自分が参加する気持ちになれず、

「すまない。僕は今日はここで失礼するよ」

 と言って帰るしかなかったのだ。

 その日のことはずっと忘れていた。今後も思い出すことなどないだろうということを感じながら……。

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