052 あの時
「——それ全部本当の話?」
「そうだよ」
「……信じるのが難しい」
時間をかけてゆっくりと、茜にこれまでの経緯を話した千咲。千咲自身が襲われた話、白陰という組織に救われた話、今は偽名を使って駄菓子屋で生活していること、その謎を追っている話など、できるだけ簡潔に話した。なお比呂のことなどは特に伝えていない。
「私だってこの生活を受け入れることなんて嫌だよ。でも起こってしまったことはしょうがないからさ」
「雫……じゃなくて千咲はやっぱり強い」
「名前は無理に使わなくてもいいよ」
茜の声で千咲と呼ばれることは千咲自身も慣れていないので、こちらはこちらで違和感を感じる。
「……でも、偽名を使って生活って無理があるような気もするけど」
「そのあたりは私もよく分かっていないんだよねー。いろいろ裏でやってくれてるみたいなんだけど」
白陰の協力者はいろいろいるらしいが、その1人ひとりがどこで何をやっているのかは千咲は知らない。ただ、白陰自体まだ3年程度の組織である。調べてみると意外にも繋がりは少ないのかもしれない。
「そのあたりは私が聞いてもたぶん分からないからいいや。それよりも、なんでそこに松本先生が関わってくるわけ?」
「えっとね」
長々と話していた千咲だったが、ここでようやく本題に戻る。
「さっき話した端地勇喜男っていう人の家から松本先生が出てきたんだよ。それで先生が彼とどのような関係があるのかを調べていて。それで何か知ってるかもと思って茜に聞いたってこと」
「なるほど。聞いた感じいろいろ大変そう」
「まあね。でも、なんか慣れるもんだよ」
「誰もがし……千咲みたいに立ち直れるわけじゃない」
「名前は好きにしていいからね……」
「じゃあやっぱ雫でいい?」
千咲と茜はそろって苦笑する。千咲はやっぱり茜と話している時間はいいなと改めて感じた。
「でも、昨日まさかのこともあってさ」
「なになに?」
「実は母さんを見かけたんだよね」
「……本当に?」
「うん。バレットプレートで働いてたんだよね。まだ声をかけてはいないんだけど」
茜には家のこともよく話していたので、千咲の両親が離婚していることや、唯奈にずっと会っていないことなどは伝えていた。
「これからどうするつもりなの?」
「うーん、いろいろ考えてはいるけどこの件が一旦落ち着いたらでいいかなって思ってる」
「意外と冷静だね雫」
「明日会いに行きたいとは思うんだけど、いまいち乗り気じゃなくて」
昨日今日とゆっくり考えた千咲だが、いざ会いに行こうとするとその一歩を踏み出そうする気持ちがなかなか起きなかった。それに、黒陰との関係もまだ否定できるわけではないので多少のリスクもある。とりあえずは、彰浩と勇喜男の件がひと段落した後にしようと考えていた。
「雫がそう決めたならそれでいいと思う。誰も強制するわけじゃないし」
茜の言葉に千咲はうんと頷く。残念ながら茜からは見えないが。
「……でもまさか雫が襲われるなんて。私なら耐えられない」
「確かに茜はきつそう」
「そういうこと言わないで……。でも、確か12月のときあったよね」
「……何かあったっけ?」
「あれ覚えてない? 宗太君の誕生日プレゼント買った時見ちゃったやつ」
「そういえば……!」
茜の言葉に一つの記憶が蘇る。12月に宗太にむけたペアリングを買った帰りに茜と一緒に見かけた光景。1人の男が女を銃を向けて追いかけていて、そして老けた男によってそれが阻止された光景。
「私あの時学校休んだから」
「そうだったね……。そんなことあったな」
「あんな光景を忘れるなんて雫おかしいと思う」
「それはそうかも。……でも正直な話、あれよりもひどい光景を私は見ちゃったからさ」
もちろんあの光景自体かなり衝撃的なものであるが、その後自分が狙われたり父である徹が亡くなったりと、それよりもショックなことが次々に続いたことで、すっかりそれらの出来事に上書きされてしまったのである。
「……やっぱり雫、変わったよね」
「たぶんこの状況に置かれて変わらないほうが不思議だと思うよ」
「それはそうか」
再び2人で笑う。いろいろ不安なことが続いている今、茜と話すこの時間は千咲にとってはオアシスにいるみたいなものだ。
「茜、今日話したことはくれぐれも他の人に話さないでね。茜も下手すると狙われるかもしれない」
「分かった。雫も無理しないで」
「大丈夫だよ。……もし無理になったらまた電話するね」
「無理にならなくても電話して。心配だから」
「……茜ったら。まあ、いいけど。じゃあ今日はありがとね茜」
「うん、またね雫」
こうして千咲は電話を切る。久しぶりに茜と電話したが、変わらないものは変わらないんだと改めて感じた。一方で、中学の時の生活を思い出して少し悲しい気持ちにもなる。もうあの頃のようには戻れない。
「……今日はもう寝るかー」
今日もまた動き回った千咲。ベットに飛び込んで目をつむると、5分もしないうちに夢の中へ旅立っていった。
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