051 久しぶりの電話
その夜。千咲は自分の部屋である人と電話をしていた。
「久しぶりだね。元気にしてる雫?」
「元気だよー。まあ最近いろいろあってちょっと疲れてるんだけどね」
「無理しないで」
「分かってるって」
電話の相手は茜である。電話をするのは実に3カ月ぶりほど。茜の声を聞いてついつい懐かしさを感じてしまう。まだ茜には偽名を使っていることは伝えていないので、久しぶりに実名で呼ばれて逆に違和感がある。
「学校どう? だいぶ落ち着いて行けてる?」
「大丈夫、楽しく通ってるよ。逆に茜はどう?」
「私は普通。……実は悩んでることもあって」
「どうしたの?」
「勉強がついていけない」
「……まだ1カ月だよ茜。中学の時そこまで成績悪くなかったよね?」
「高校になったらさっぱりになった」
「ちゃんと復習しなよー」
「勉強が私に追い付いていない」
「茜が追い付いていないんでしょー」
千咲は小さくため息をつく。茜のキャラクターは相変わらず高校でも変わっていなさそうだ。
「それよりどうしたの? 急に電話なんかしてきて」
「それがね。ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「いいけど」
茜は変わらず淡々とした口調であるが、それが茜の通常運転の証。今の千咲にはそれが少し安心できるものだった。
「ちょっと松本先生について聞きたいんだけど」
「……もしかして会いたくなったの?」
「そうじゃないってばー。……松本先生が辞めてからのことついて何か知らないかなと思ってさ」
電話越しフフッという小さな笑い声が聞こえた。こちらは真面目に聞いているのだがまあ仕方ない。
「……あとで理由は聞くとして、残念ながら期待しているようなことを知らない。私は特に興味なかったから自分から調べたりはしてないし。私以外には詳しい人がいるかもしれないけど」
「そう……。大丈夫、ありがとう」
あまり期待していたわけではなかったが、必要な情報は残念ながら得られそうにない。
「……でも、ちょっとだけ噂を耳にしたことはある」
「教えて茜」
茜の言葉に餌を与えられた魚のように食らいつく千咲。
「実は先生、大の将棋ファン」
「……いやどうでもいいなーそれ」
千咲はスマホの前でがっくりと肩を落とす。……まあ初めて知ったことではあるのだが。
「松本先生と将棋の話をした人が何人かいたんだって」
「うん、いらない情報ありがとう」
やはり期待するようなことは聞けなさそうだ。にしても今日の茜は絶好調である。何かいいことでもあったのだろうか。
「まあ待って雫。もう1個ある」
「……今度は何?」
「2月に行われた
「八酒佳紀の……」
千咲も好きな八酒佳紀。今年の2月から3月にかけて全国ツアーを開催していた。千咲も行きたかったが、当時は学校にすら行っていなかったため行こうと思っても行けなかった。
「見た感じ1人だったらしい」
「……ちょっと羨ましい」
「雫好きだったからね」
「でも松本先生そういう趣味あったんだなー」
将棋といい歌手といい、彰浩は見た目に寄らず多趣味なようだ。どちらかというとそっちに驚いてしまう。
「……ちなみに見かけたときの様子とかは聞いたの?」
「そこまでは分からない。私は友達を通して聞いただけで見かけたのは他のクラスの子らしいから」
「なるほどね」
さすがに目撃情報だけでは得られることも何もない。これ以上のことを求めるのは無理そうだ。
「私が聞いたのはそれくらい。お役に立てなかったらごめん」
「ううん大丈夫だから、ありがとう」
「……それで、そろそろ理由を聞きたいんだけど」
「あー……」
当然怪しまれないわけがない。千咲が茜の立場だったら普通に聞きたいと思う。とは言ってもここまでの経緯を全部話すのは難しくて仕方がない。一から話しているとそれなりの時間もかかってしまう。
「えっとね……」
どう返答しようか千咲は迷ってしまう。
「……どうしても話せないこと?」
「いや、そういうわけではないんだけど」
このまま今は話せないと言って今日は待ってもらうのもあり。ただ、いつかは話さなくてはいけないのなら、別に今話せばいいだけのことである。
「あのさ雫。前々から気になっていたんだけどさ」
しばらく黙っている千咲の様子を伺うように茜が尋ねてきた。
「うん」
「関係無いかもしれないけど、雫のチャットのアカウント名ってなんで千咲なの?」
「……やっぱそこ聞いてくるよねー」
チャットの名前は中学まではもちろん雫であったが、高校に入ってからは千咲に変えている。本当は高校の友達とはアカウントを変えて繋がろうと思っていたのだが、いろいろ面倒くさそうということで却下。中学からの友達の何人かからは理由を聞かれたが、その度に好きな名前だからと適当に誤魔化してきた。
茜には今まで聞かれていなかったのでスルーしていたが、さすがに今回は無視するわけにはいかなかった。
「……今時間大丈夫?」
「いいけど」
「ちょっと長くなるけど事情を話すね」
このままはぐらかしていても仕方ないので、千咲は茜に事情を話すことにした。もちろんすべてを話すつもりはないが、そのほうが今後も頼れる関係を持ちやすい。
「時は去年の12月に遡るんだけど……」
こうして千咲は茜にこれまでの出来事を簡単に話し始めた——。
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