034 思い出して
千咲は玄関で靴を脱いでリビングの扉を開ける。
「ただい——」
「千咲ちゃん!」
千咲が声を出そうとしたところで、突然夜菜に抱き着かれた。
「……先輩?」
「心配だったのよ。大丈夫かなって」
「あの、大丈夫ですよ先輩。一旦離れてください」
「もうちょっとだけ千咲ちゃんを感じたいの」
「ちょっと誤解されるような言い方やめてください……」
千咲は半ば無理やり夜菜を引き剝がす。夜菜は納得いかないように少し頬を膨らませている。千咲は改めて夜菜に向き直った。
「……でも、ありがとうございます。正直私も怖かったです」
もちろん、正面から黒陰と対峙する予定はなかったし、ある程度練習を積んできた千咲は、少しは心の余裕を持っていたものの、緊張していたのは事実だ。
ちなみに12月以来、学校に行く以外のことで長時間1人で移動していたのは初めてだった。
「どれもこれも初めてのことだから仕方ないのよ。……私はただ本部と連絡してただけだから、それに比べれば千咲ちゃんは本当に偉い」
夜菜は千咲にニコッと微笑む。その笑顔は千咲の気持ちを少し落ち着かせた。
「……夜菜先輩も大事な仕事をしていましたよ」
実際、夜菜は総督と一緒に西大谷駅近くの貸しビルを全て調べていた。決して少なくない情報量を正確に
「ありがとう。さ、今日は私が夕飯作るから千咲ちゃんはゆっくり休んでて」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。先にお風呂入ってもいいですか?」
「いいわよ。もうお湯ためてあるから」
千咲は夜菜に小さく頭を下げて、自分の部屋に戻った。
※※
部屋に戻った千咲はすぐにクローゼットを開いて、部屋着を一式持つ。身の回りの物を部屋に置いて、千咲は風呂場に向かった。
この家の風呂はそこまで広くない。千咲は服を脱いで2つあるかごのうち、片方に下着類を入れる。一応年頃の男子と女子が住んでいるので、洗濯に関してはそれぞれ男と女別々に行っている。
一通り体を洗った千咲は湯船につかりながら、今日の出来事を振り返っていた。午前中まではいつもと変わらない休日だったわけだが、突然入った拘束命令によって今年に入ってから間違いなく一番忙しい日になった。
千咲が狙われた時も日曜日だった。あの時も比呂は普通の休日を過ごしていたのだろうか。……千咲は比呂が休日、練習以外で何をしているのかはあまり詳しくないのだが。
(あれは一体どんな目的があるのかな……)
千咲は今日見た光景を思い出しながらそんなことを考えていた。今回が初めての任務だったわけだが、比呂曰く証拠品として物を回収したのは初めてのことらしい。これがきっかけで何か小さな情報でも掴めればいいのだが。
(それにしても私、何か役に立ったのかな?)
結局、拘束された子を見つけることはできなかったものの、それでも比呂がいたからこそ今日の収穫があったといえる。もし千咲が1人であのビルに行っていたら、本当に比呂と同じように行動できただろうか。
(まだまだだな、私は)
比呂の適応力の高さを実感しながら10分ほど温まったあと、風呂を出て部屋着に着替えた千咲は、再び自分の部屋に戻った。
ベットの上には昼間に読んでいた本が転がっている。千咲はその本を手に取ってベットにダイブした。しかし、それなりに疲れが溜まっていた千咲はなかなか本を読む気にはなれない。
しばらくぼーっとしていると、ふと机の上の光るものが目に入った。千咲は立ち上がり、机の上のそれを手に取る。
——ペアリングだ。しかし、そこには片方のリングしかない。
あの日——千咲が襲われたその日から、千咲がポケットに入れていたはずのリングはどこかに行ってしまった。念のため、白陰の本部や襲われた場所を探してみたが、残念ながら見つけることができなかった。比呂や総督にも聞いてみたものの特に見ていないと言っていた。結局どこにあるのか検討もつかないまま、気づけば3か月が経過していた。
千咲は机の上にある宗太の写真を見る。あれから少しでも事故のことを忘れようとはしたものの、徹の死と重なりなかなか気持ちの整理がつかなかった。今は徹の写真とともに毎日眺めている。
机の上にはさっき貰ったドーナツがある。千咲はそれを開けて1個取り出す。リングと同じ形。ちょうど指にはまりそうな大きさだ。
「これがリングだったらな……」
そんな独り言を呟きながらドーナツを一口で食べる。口の中に一気に甘みが広がる。
名前の通り本当に甘いなと思いながら千咲は残りのドーナツをあっという間に食べ終えた。
「……あ、そういえば」
——ふと、千咲はあることを思い出した。千咲は部屋の扉を開けて、比呂の部屋のほうを見た。風呂に誰かが入っている音がするが、それは航だろう。おそらく比呂は部屋にいると思い、部屋を出て比呂の部屋の扉をノックする。
「はい」
中から比呂の声がする。
「ちょっと今時間いい?」
「千咲か。いいぞ」
千咲はガチャッと扉を開け、部屋の中に入る。比呂の部屋は何度か入ったことがあるが、千咲の部屋同様、最低限のものしかそろっていない。一つ大きな違いがあるとすれば、比呂はデスクトップパソコンを持っていた。
比呂はいじっていたパソコンから目を話し千咲のほうを向いた。
「どうした? こんな時間に珍しいな」
「その、あんまり大したことじゃないんだけど」
千咲は一呼吸おいて続ける。
「あのさ、銃技実習あるじゃん」
「あるな」
「先週の初回の授業の時さ、比呂全力でやってたよね。比呂が全力でやる意味が私には分からなかったんだけど、あれってどうしてなの?」
「ああ、それのことか」
あの時千咲は不思議に思ったのだが、結局今日まで聞きそびれていた。比呂は特に表情を変えないまま静かに答えた。
「実はあの時ちょっと気になることがあってな」
「気になること?」
「……最初は周りの様子見てどうしようか決めようとしたんだ。あんまり目立つのも良くないと思ってな」
「もしかして、一番最後にやったのって……」
「ああ。できるだけ全員の様子を見たかったから先生にお願いしたんだ」
「なるほどね」
千咲は謎だったうちの一つが解決した。
「一応、千咲にいつも通りやるように言ったのは注目対象を少し分担する意図があった。……正直、ちゃんと5発とも中心に当てたのはさすがだったが」
「それはありがと」
ちゃんと見てたんだなと思いながら、千咲はほんの少しだけ照れながら答える。しかし、まだ一番知りたい部分の答えが分かっていない。
「……それで、気になることって結局何だったの?」
「ああ。実は周りの様子を見ているとき、ある人が気になったんだ」
「ある人?」
「その人を見た時思ったんだよ。これはある程度実力見せなきゃいけないんじゃないかって」
比呂は一度言葉を止める。何かを思い出しているようだ。
「それでその人って誰?」
千咲は単刀直入に聞いた。
「ああ。それは、お——」
「二条、風呂空いた」
しかしちょうどいいところで、部屋の外から航の声に遮られた。
「分かりました」
比呂はそう言うと椅子から立ち上がり、クローゼットを開けた。
「まだ話終わってないんだけど……」
「千咲、また今度話す。俺の下着見たくなかったら一度部屋から出るんだな」
「……分かった」
特に男子の下着には興味がない千咲は、比呂の言うとおりにするしかなかった。結局聞きたいことを聞けなかった千咲はモヤモヤした気持ちを抱えたまま、自分の部屋に戻った。
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