029 本条千咲

「——なるほどな。そういう経緯だったのか。それは災難だったな」


 カフェで引き続き話をしていた雫は、比呂に宗太の事故の話をしていた。比呂は話したくなければ話さなくてもいいと言っていたが、1人で抱えることに既に限界を感じていた雫は、およそ10日前に起こった悲劇をありのまま伝えた。


「……もちろん宗太は悪くない。私がちゃんと指摘していればよかった」


 宗太の事故に対して雫は未だに後悔がある。あの時残り1発が残っていることを指摘していれば、宗太を失うこともなかったのだから。


「それは違うな」


 しかし、比呂はそれを即座に否定した。


「……なんで?」

「厳しいことを言うが、それは彼のミスであってお前のせいじゃない。銃を扱うというのはそういうことだ」

「……でも、私がすぐに指摘していれば……」

「おそらく間に合わないだろうな。彼が引き金を引こうと指をかけた時点でもう手遅れだ」

「……」


 まだ決して比呂を認めているわけではない雫であったが、言い返すことはできなかった。


「……でもまあ、お前が出した手が銃に直接当たってしまったのは運命のいたずらとしか言えないな」


 そう言ってまだ少し残っていたブラックコーヒーを飲む比呂。雫は一度俯いた後、再度比呂を見た。


「あのさ、さっき父さんの行動が私が狙われた原因じゃないかって話をしたけど」

「あくまで可能性の話だがな」

「……昨日総督と別れ際にさ、宗太が黒陰と関わっているかもしれないって話をしたんだよね」


 当然こちらも可能性の話でしかないが、繋がりが全くないと断言できるわけではなかった。雫は宗太の家のこともほとんど知らない。


「それに関しては俺も考えた。……正直な話、こっちのほうが可能性が高いかもしれない」

「……どうして?」

「もし彼が黒陰と関わりがあったのなら、一番近くにいたお前から何かを聞き出そうとするのはそこまで不思議なことではない」

「……でも、私1年以上付き合ってたんだよ。聞きたいことがあるならもっと早い段階で聞くことができたはずだし。例えば宗太が私を家に連れて行って、そこでいろいろ聞くとか。わざわざ亡くなった後に聞くことなのかな」


 確かに宗太が黒陰との関わりを持っていたのなら、黒陰の人たちが雫自身のことを何か知りたいと思った可能性はある。少なくとも、宗太の親は雫と付き合っていることを知っていた。


 だが、ではなぜ亡くなった後なのか。


「さあな、それは俺にも分からない。……雫、あまり思い出したくないとは思うが、最近彼と話した中で新しく知ったことはなかったか?」

「……新しく知ったこと?」

「ああ」


 雫は頭を悩ませる。正直いろいろな思い出が蘇り、今にでも泣きそうなのであるが、今は少し我慢する。そんな中、1つ思い当たることがあった。


「——家の中に銃技場があるって」

「銃技場?」

「……うん。宗太が亡くなるちょっと前に宗太が話してた。これは親から言わないように言われてるんだけどって。中学生になってから毎日練習してるって言ってた」


 そう。あの日、宗太が教えてくれた家のこと。その時は変な家だとしか思わなかったが、今考えてみると割とおかしなことに気づく。


「……家の中に銃技場か。家に銃技場を作るとなると、かなりのお金がかかる。それも桁違いの額だ。白陰の銃技場は、工事会社からの協力もあってある程度経費を抑えられたんだが、普通の家ならそうはいかない」


 銃技場を作るにはそれなりにいろいろな設備が必要になる。単に剣道場や柔道場を作ろうとするよりも、さらにお金がかかるのだ。


「そうだよね……」

「彼の家族には、銃技場を家に作ってまでやりたかった何かがあるんだろうか」


 比呂もいろいろ考えていたが、ふと雫のほうを見た。


「……彼の苗字ってなんだ?」

「苗字? えっと火雅也ひがやだよ」

「火雅也……」


 比呂は少し悩む姿勢を見せた。


「知ってるの?」

「いや、聞いたことがあると思っただけだ。……とにかく、家のことはまた少し調べるとしよう」


 そう言って残りのコーヒーを飲み干した比呂。


「さっきも言ったように真実は俺たちで探ればいい。ここまでの話は全て想像でしかない。それで、少し話を変えるが」


 雫は小さくうんと頷く。


「まずはお前の住処だが、今日から『白光屋はっこうや』に来てもらおうと思う」

「白光屋……?」

「そういう名前の店。表向きは駄菓子屋だ。……白陰の支部とは少し扱いが違うが、白陰の管理している場所で助けた人たちを保護するところだ」


 比呂はスマホを開いて、雫にマップの画面を見せた。マップ上にピンが置かれている。


「場所はここ。昨日言っていた五厘高校からも近い。中は1階が駄菓子屋。地下の1階が居住スペースで、その下が銃技場になっている。昨日会った夜菜先輩も普段はここに住んでいる」


 雫は比呂の話を聞きながら、今後の生活についていろいろ考えていた。


「もちろん、不安はあるだろうが他のところに住むよりはるかに安全だ。それに、いつでも練習もできる環境があるから、もしもの時の対処もしやすくなる」

「私……大丈夫かな」

「安心しな。みんなちゃんとお前を受け入れる」


 確かに徹が亡くなったあの家にまた住むのは少し抵抗があった。それに、母である唯奈がどこにいるのか分からない以上、雫には誰一人頼る人がいなかった。ちなみに雫の祖父母はともに亡くなっている。


「……分かった。そこに住むよ」

「よし。細かな手続きは総督に任せればいい。あとは偽名をどうするかだな」

「……そっか」


 白陰に属する以上、ここからは偽名を使うことになる。もちろん、以後友達からも偽名で呼ばれることになる。少し嫌な気持ちもあるが、少しでもリスクを減らすためであれば仕方のないことだった。


「せっかくの機会だ。お前の好きな名前を決めていい」

「……なんでもいいの?」

「ああ。俺が適当に決めてもいいが」

「そうだな……」


 しばらく悩んだ末、雫は一つの名前を出した。


「じゃあ、千咲ちさきがいいな。私読書が趣味なんだけど、好きな本に登場するキャラクターなんだ」


 雫は千咲という名前に前々から少し憧れていた。響きも可愛いし、なんかカッコいい気もする。


「決まりだな。苗字は?」

「うーん……難しいな。苗字は特に希望無いから、自由に決めていいいよ比呂」

「そうか。……じゃあ、俺から『条』の字を取って本条ほんじょうな。本を読むのが好きそうだし」


 意外とあっさり偽名が決まり、比呂はそのまま席を立ちあがった。


「俺のほうから総督に伝えておく。今から白光屋に行くからとりあえずついてこい」

「わかったよ」


 そう言っても立ち上がり、カフェを後にした——。



 ※※



 あれから3か月。ファミレスからの帰り道を歩いていた千咲は少し懐かしい感覚になった。


 その後、省庁にいる白陰の協力者のもと、火雅也家について情報を探ってみたものの、特に目新しいことは出てこなかった。


 警察から預かったUSBは、千咲自身が開いてみると謎の数字の羅列が書かれたメモが見つかったが、その意味は何も分からなかった。他にもいくつかファイルが残っていて隠しファイル含めて調べたが、メモ以外は全て中身のないファイルだった。今も千咲の部屋に置いたままだ。


 結局、徹の死の真相、千咲が狙われた理由は何一つとして分からないままであった。


「宿題やらなきゃ……」


 千咲は気持ちを切り替えて、家までの道を静かに歩いていた——。


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