022 夕食の時間
夜。千咲は買い物から帰ってきた夜菜とともに夕食の準備をしていた。
「——なるほど。それは私でも勝てないよ」
千咲は野菜を切りながら、今日の練習の話をしていた。
「正直びっくりしました。もう何回も対戦してるのにまだ知らない戦術を使ってくるんですから。未だに惜しいって思ったことすら無いんです」
「そんなものよ。比呂君はかなり特殊なんだから」
夜菜とは何度か一緒に練習したことはあるが、比呂に比べればかなりやさしい。実力的にもほとんど同じである。むしろ千咲のほうが上かもしれない。
「……どうやったら比呂のようになれるんでしょうか?」
「千咲ちゃんは別にああなる必要はないのよ」
「それでも、強くならなきゃって思うんです。そうじゃなきゃ大切な人を守れないから」
一度野菜を切る手を止め、少し俯いた。
「もうこれ以上、失いたくないんです」
3か月前、わずか1週間の間に二人もの大切な人を無くした雫。その心に深い傷はまだ残されたままだ。
それを見た夜菜は千咲の肩に手を優しく置いた。
「……千咲ちゃんは強い子だよ」
「……」
「ほら、夕飯遅くなっちゃうから。今日は千咲ちゃんの好きなカレーだよ」
夜菜は千咲に向けて笑顔を作る。それを見て千咲は再び野菜を切る手を動かし始めた——。
※※
およそ30分後。夕食の支度を終えてダイニングに4人が集まっていた。千咲、比呂、夜菜、そしてもう一人のこの家の住人である
ちなみにこの上にある駄菓子屋「白光屋」の店長も白陰の一員であり、店長は1人で1階に住んでいる。何か異変があればすぐに伝わる体制になっているのだ。
「——それで比呂君は友達作ったの?」
4人は出来上がったばかりのカレーを食べながら、今日の入学式の話をしていた。比呂は口に入れたカレーを飲み込んで答えた。
「またそれですか、夜菜先輩。さっき千咲にも聞かれましたけど俺の勝手なんで気にしないでください」
「まーたそうやって誤魔化してさ。千咲ちゃんはいっぱいできたって喜んでたのに」
「いっぱいって言っても3人なんですけど……」
「いいのよたくさんで。初日から話せる友達ができるのは素晴らしいことだから」
3か月近くいて分かったことだが、比呂は先輩の前ではあまり強めの言葉を使うことはなく、普通に少しノリのいい後輩って感じであった。ちなみに比呂は普通に優しいところもあるので、千咲自身も比呂のことを特に嫌だとは思っていない。
「ほんと、比呂君はどうしようもないのよ。航先輩を見習ってほしいな」
「航先輩って学校でもおとなしいイメージでしたけど……」
千咲がチラッと航に視線を動かすと、航は特に視線の方向を変えないまま呟いた。
「僕は、これが普通」
「そうなんですね……」
そう言って航は無言で口にカレーを運ぶ。特に返す言葉も見つからない千咲であったが、横から夜菜の小さなため息が聞こえた。
「……あのね、こう見えて航先輩って結構モテるんだよ。私の同級生にも航先輩に一目ぼれしてる人がいてさ。だからよく女子から連絡先交換されるっていうわけ」
航は千咲から見ても納得するくらい普通にイケメンである。加えてこの大人しさであり性格もいいから、周りからの評判がとてもいい。恥ずかしさを隠そうとしているのか航はそっぽを向いたが、千咲は航の顔が少し赤くなっているのが確認できた。
「……ってことは友達っていうより——」
「そうね。単純に恋する乙女とよく連絡してるだけ」
「あーなるほど。でもそれは友達というべきなのかはちょっと審議なのでは……」
千咲はそう言いながらカレーを口に頬張る。
「ちなみに彼女はつくらないんですか?」
カレーを口に含んだまま、千咲は航に質問する。
「恋人作るのは、立場的に良くない」
「……なるほど」
「千咲ちゃんは恋愛したかったらしてもいいのよ」
千咲は口に含んだカレーを飲み込んでから答える。
「あ、その、私はしばらくは大丈夫です……」
「……あーなんかごめんね。特に気にしないで千咲ちゃん。もちろん人それぞれ自由でいいのよ」
千咲は恋愛はしばらくやめようと心に誓っていた。夜菜は一旦呼吸を落ち着けると再び話し始めた。
「つまりね。比呂君も顔はいいんだから、その性格を直せば絶対モテるんだよ。そうすれば声もかけられるはずだから、自分で友達を作りに行かなくてもいい」
「それだと女性に偏りそうな気が……?」
「今はジェンダーレスの時代よ」
「それはそうですけど……」
なんかこじつけのように思って少し納得のいかない千咲であったが、当の本人が二人の会話を全く気にせずカレーを食べているあたり、何も変える気が無いんだなと千咲は感じた。
「……あ、そうだ比呂。ちょっと話変わるけど、ずっと気になっていたんだけどさ」
「どうした?」
千咲は白陰に来てからずっと疑問に残っていたことがあった。比呂は残り一口のカレーを口に含もうとして手を止める。
「なんで白陰の合言葉は『ゴミ屋敷』なの?」
「ああそれか。やはり誰でも気になるか」
——ゴミ屋敷。千咲がここに帰るときに店長に言っていた言葉である。もちろんこれがこの家に入るために鍵になっていて、また白陰全体で使用されている。普通に考えたら別にカッコいい言葉でも美しい言葉でもないので、なぜそんな言葉を採用したのか千咲にはよくわからなかった。
「残念ながら特に深い意味はない。単純に総督がもともと整理整頓が下手で家がゴミ屋敷のようだったからって本人が言っていたことが始まりだ。まあ、一番の理由は数字に落とし込めるからだな」
5、3、8、4、9。言葉としても数字としても使えるこの合言葉は単純に実用性が高いということである。白陰の本部に行く際のエレベーターの行先の階はこの数字が採用されていたわけである。
「……もっとマシな言葉なかったのかなー? 正直恥ずかしい」
「今から変えるのは無理だな。とにかく気にしないのが一番だ。……ごちそうさま」
比呂はそう言って残りの一口を口に入れると、空になった皿を持ってそのままキッチンに消えていった。
「……正直私もなんか嫌なのよね、ゴミ屋敷ってさ」
夜菜と千咲はお互い目を合わせるとクスっと笑いあった。隣で航も小さく頷いていた。
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