021 対人訓練

 銃技レーンの隣には少し大きな部屋がある。その部屋にはいくつかの壁や障害物が置かれている。ここは対人訓練用に作られた部屋であり、偽弾を使用した実践的なトレーニングを行う場所である。


 部屋の両端にある扉から一人の男と一人の女がそれぞれ現れた。お互い動きやすい服装のままゴーグルをつけ、片手には銃を持っている。


「——よし、始めるぞ」


 部屋の中に比呂の声が響き渡る。千咲はごくりと唾を飲み込み、持っている銃を強く握りしめる。


 部屋の中にブーっというブザーが響く。その音と同時に両者は共に動き出した。千咲はまず近くにある小さな障害壁に隠れる。こっそりと顔を出し様子を伺うが、部屋の大きさはそれなりに広いため、まだ比呂の動きを確認することはできない。


(うーん、どうしようかな……?)


 比呂との対人戦は既に何十回と繰り返している。しかし、今まで一度も勝てたことはない。それだけ比呂の実力は圧倒的なものであった。千咲は毎回どのように攻めようか考えるものの、そのほとんどが比呂に先読みされてしまうのだ。


(今日はちょっと待ってみるか……)


 今までは千咲から仕掛けることが多かった。今回は比呂が動くのを待ち、相手の動きを見てみることにした。当然比呂と正面から対峙したらまず勝ち目はないので、相手の動きを冷静に判断したうえで正面から向き合わないように動くことにする。


 ——3分ほど経過。しばらく動かずに様子を伺うものの、未だ動きが見られない。いつもならここで突撃しているが今日はこのまま我慢。しかし、このまま何もしなければ訓練にならないので一度待機場所を変えることにした。


 周りの様子を再度確認して動き出そうとしたその時。


 パァァン。


 一発の銃声が響いた。千咲は音に驚いたが体への衝撃は感じなかった。どうやら比呂が空に発砲しただけのようだ。


 一度止めた足取りを再び進め、隣にある障害物に移動する。


(今のは一体何の合図なんだろう……?)


 比呂の発砲には果たして何の意味があるのか千咲には分からなかった。今はそれよりも、次の行動を考えなければならない。


 比呂はいつも練習において、安易に千咲の後ろを狙うようなことはしない。正々堂々正面から向き合ってくるはずである。であるならば、千咲がとるべき行動は……


(おびき出すしかないよね)


 こちらから上手く比呂を誘導したうえでその背後を取る作戦を狙う。千咲は様子を伺いながらあえて大きな音を立てるように足をドンドンする。ほとんど物音が立たないこの部屋の中で、千咲の足音だけがこだましている。


(……)


 まだ何も聞こえない。千咲は引き続き大きな音を立てる。常に周りを警戒しながら、徐々にその音を大きくする。


「……来た」


 しばらくするとトン、トンと小さく足音が聞こえた。その音はどんどん大きくなり、千咲がいる障害物の近くまでやってきた。それを確認した千咲はそれとは逆の方向へ歩き出す。このまま比呂の後ろを狙うのが作戦である。


 比呂の足音に合わせて障害物の周りを回ろうとした——その時。千咲の足は唐突に止まった。目の前の光景に千咲の瞳は大きく開かれている。


「——えっ」


 千咲の視線の先には——床に落ちている銃があった。明らかに比呂が持っていたものである。


(……どういうこと?)


 千咲の戸惑いなどお構いなしように足音はどんどん近づいてくる。そしてその音は止まった。千咲はおそるおそるその場で後ろを振り返った。


 ——そこには両手を上に挙げたまま立っている比呂の姿があった。その手には何も持っていない。比呂は少しだけ顔をニヤッとさせた。


 千咲は一瞬反応が遅れたが、すぐに銃を比呂に向けて発砲しようとした——が、先に動いたのは比呂だった。気づいたときには千咲に手にはもう何も残っていなかった。


 比呂に瞬時に手を押さえられ、銃を奪われた。比呂はそのまま銃口を千咲に向けると小さく呟いた。


「——まだまだだよ、千咲」


 そう言ってそのまま引き金を引くことはせず銃をそのまま降ろした。


「……今日はここまでだな。いつもと違っておびき出そうとしたのは面白い。でもまだ予測が甘いな」

「……銃を手放すとは思わないよ」

「実践ではさすがに使わない。これは練習だ」

「そう言われてもなー」


 千咲は改めて比呂の対応力に驚かされるばかりだった。比呂は千咲の手を離すとそのまま落とした銃を拾った。


「あのさー、途中なんで一発撃ったの?」


 千咲は比呂のほうを見て問いかける。


「今日は珍しく攻めてこないと思ったから威嚇しただけだ。特に意味はない」

「……なにそれ」


 千咲はクスッと笑う。千咲は比呂のそういうところが嫌いではなかった。比呂は特に気にする様子もなくそのまま歩き始める。


「ほら、片付けるぞ」

「分かったよ」


 使った部屋や道具はきちんと自分たちで片付けるのがここのルールである。千咲は少し結果に納得がいかなかったが、それでもまた一つ成長したような気がした。


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